小説の書き出し

「親譲りの無鉄砲で子供の頃から損ばかりしている。」
坊ちゃん(夏目漱石)

「どっどど どどうど どどうど どどう」
風の又三郎(宮沢賢治)

「私は、その男の写真を三葉、見たことがある。」
人間失格(太宰治)

「えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧えつけていた。」
檸檬(梶井基次郎)

「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。」
方丈記(鴨長明)

「ある日の事でございます。御釈迦様は極楽の蓮池のふちを・・・」
蜘蛛の糸(芥川龍之介)

「ではみなさんは、そういうふうに川だと言いわれたり、乳の流れたあとだと言いわれたりしていた、このぼんやりと白いものがほんとうは何かご承知ですか」
銀河鉄道の夜(宮沢賢治)

「お前たちが大きくなって、一人前の人間に育ち上った時、――その時までお前たちのパパは生きているかいないか、それは分らない事だが――父の書き残したものを繰拡(くりひろ)げて見る機会があるだろうと思う。」
小さき者へ(有島武郎)

「男もすなる、日記といふものを、女もしてみむとて、するなり」
土佐日記(紀貫之)

「石炭をば早や積み果てつ。中等室の卓つくゑのほとりはいと静にて、熾熱燈の光の晴れがましきも徒いたづらなり。」
舞姫(森鴎外)

「私はこれから、あまり世間に類例がないだろうと思われる私達夫婦の間柄に就いて、出来るだけ正直に、ざっくばらんに、有りのままの事実を書いて見ようと思います。」
痴人の愛(谷崎潤一郎)

「おい地獄さ行ぐだで!」
蟹工船(小林多喜二)

「つれづれなるまゝに、日くらし、硯にむかひて、心に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。」
徒然草(兼好法師[吉田兼好])

「隴西(ろうさい)の李徴(りちょう)は博学才穎(さいえい)、天宝の末年、若くして名を虎榜(こぼう)に連ね、ついで江南尉(こうなんい)に補(ほ)せられたが、性、狷介(けんかい)、自ら恃(たの)むところ頗(すこぶ)る厚く、賤吏(せんり)に甘んずるを潔しとしなかった。」
山月記(中島敦)

「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる 雲のほそくたなびきたる。」
枕草子(清少納言)

「私はその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。」
こころ(夏目漱石)

「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」
雪国(川端康成)

「永いあいだ、私は自分が生れたときの光景を見たことがあると言い張っていた。」
仮面の告白(三島由紀夫)

「廻(まわ)れば大門(おほもん)の見かへり柳(やなぎ)いと長けれど、お歯ぐろ溝(どぶ)に燈火(ともしび)うつる三階の騒ぎも手に取る如く、・・・」
たけくらべ(樋口一葉)

「蓮華寺では下宿を兼ねた。」
破戒(島崎藤村)

「…………ブウウ――――――ンンン――――――ンンンン………………。」
ドグラ・マグラ(夢野久作)

「こんな夢を見た。腕組をして枕元に坐(すわ)っていると、仰向(あおむき)に寝た女が、静かな声でもう死にますと云う。」
夢十夜(ゆめじゅうや)(夏目漱石)

「文壇の、或る老体家が亡くなって、その告別式の終り頃から、雨が降りはじめた。」
グッド・バイ(太宰治)

「四里の道は長かった。」
田舎教師(田山花袋)

「千早振(ちはやふ)る神無月(かみなづき)ももはや跡二日の余波(なごり)となった二十八日の午後三時頃に、神田見附(みつけ)の内より、塗渡(とわた)る蟻、散る蜘蛛の子とうようよぞよぞよ沸出(わきい)でて来るのは、孰(いず)れも顋(おとがい)を気にし給う方々。」
浮雲(二葉亭四迷)

「これはある精神病院の患者-第二十三号がだれにでもしゃべる話である。」
河童(芥川龍之介)

「おい木村さん信さん寄っておいでよ、お寄りといつたら寄つても宜(よ)いではないか、又素通りで二葉(ふたば)やへ行く氣だらう、・・・」
にごりえ(樋口一葉)

「朝、食堂でスウプを一さじ、すっと吸ってお母さまが、「あ」と幽かすかな叫び声をお挙げになった。」
斜陽(太宰治)

「この数年来、小畠村の閑間(しずま)重松は姪の矢須子のことで心に負担を感じて来た。」
黒い雨(井伏鱒二)

「誰か慌ただしく門前を馳(か)けて行く足音がした時、代助(だいすけ)の頭の中には、大きな俎(まないた)下駄が空(くう)から、ぶら下さがっていた。」
それから(夏目漱石)

「山の手線の電車に跳ね飛ばされて怪我をした、その後(あと)養生に、一人で但馬(たじま)の城崎温泉へ出掛けた。」
城の崎にて(志賀直哉)

「石炭をば早や積み果てつ。」
舞姫(森鴎外)

「「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり。」
学問のすゝめ(福沢諭吉)

「半年のうちに世相は変った。」
堕落論(坂口安吾)

「メロスは激怒した。」
走れメロス(太宰治)

「けふのうちに とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ・・・」
永訣(えいけつ:永遠の別れ)の朝(宮沢賢治)

「二人の若い紳士が、すっかりイギリスの兵隊のかたちをして、ぴかぴかする鉄砲をかついで、白熊のような犬を二疋つれて、だいぶ山奥の、木の葉のかさかさしたとこを、こんなことを云いながら、あるいておりました。」
注文の多い料理店(宮沢賢治)

「木曾路はすべて山の中である。あるところは岨(そば)づたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曾川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた。」
夜明け前(島崎藤村)

「山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通とおせば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」
草枕(夏目漱石)

「後(のち)の月という時分が来ると、どうも思わずには居られない。幼い訣(わけ)とは思うが何分にも忘れることが出来ない。もはや十年余(よ)も過去った昔のことであるから、細かい事実は多くは覚えて居ないけれど、心持だけは今なお昨日の如く、その時の事を考えてると、全く当時の心持に立ち返って、涙が留めどなく湧くのである。」
野菊の墓(伊藤左千夫)

「「こいさん、頼むわ。―――」鏡の中で、廊下からうしろへ這入って来た妙子(たえこ)を見ると、自分で襟を塗りかけていた刷毛(はけ)を渡して、其方(そちら)は見ずに、眼の前に映っている長襦袢(ながじゅばん)姿の、抜き衣紋(えもん)の顔を他人の顔のように見据(みす)えながら、「雪子ちゃん下で何してる」と、幸子(さちこ)はきいた。」
細雪(谷崎潤一郎)

「未(ま)だ宵ながら松立てる門は一様に鎖籠(さしこ)めて、真直(ますぐ)に長く東より西に横(よこた)はれる大道(だいどう)は掃きたるやうに物の影を留めず、いと寂くも往来(ゆきき)の絶えたるに、例ならず繁(しげ)き車輪(くるま)の輾(きしり)は、或は忙(せはし)かりし、或は飲過ぎし年賀の帰来(かへり)なるべく、疎(まばら)に寄する獅子太鼓の遠響(とほひびき)は、はや今日に尽きぬる三箇日(さんがにち)を惜むが如く、その哀切(あはれさ)に小(ちひさ)き膓(はらわた)は断(たた)れぬべし。」
金色夜叉(尾崎紅葉)

「野島がはじめて杉子に会ったのは帝劇の二階の正面の廊下だった。」
友情(武者小路実篤)

「僕の前に道はない。僕のうしろに道はできる」
道程(高村光太郎)

「ある日の暮方(くれがた)の事である。一人の下人(げにん)が、羅生門の下で雨やみを待っていた。」
羅生門(芥川龍之介)

「僕は或知り人の結婚披露式につらなる為に鞄を一つ下げたまま、東海道の或停車場へその奥の避暑地から自動車を飛ばした。」
歯車(芥川龍之介)

「うとうととして目がさめると女はいつのまにか、隣のじいさんと話を始めている。」
三四郎(夏目漱石)

「あわただしく、玄関をあける音が聞えて、私はその音で、眼をさましましたが、それは泥酔の夫の、深夜の帰宅にきまっているのでございますから、そのまま黙って寝ていました。」
ヴィヨンの妻(太宰治)

桜の花が咲くと人々は酒をぶらさげたり団子をたべて花の下を歩いて絶景だの春ランマンだのと浮かれて陽気になりますが、これは嘘です。
桜の森の満開の下(坂口安吾)

「オレの親方はヒダ随一の名人とうたわれたタクミであったが、夜長の長者に招かれたのは、老病で死期の近づいた時だった。」
夜長姫と耳男(よながひめとみみお)(坂口安吾)

「その家には人間と豚と犬と鶏と家鴨(あひる)が住んでいたが、まったく、住む建物も各々の食物も殆(ほとん)ど変っていやしない。」
白痴(坂口安吾)

「よだかは、実にみにくい鳥です。顔は、ところどころ、味噌をつけたようにまだらで、くちばしは、ひらたくて、耳までさけています。」
よだかの星(宮沢賢治)

「ゴーシュは町の活動写真館でセロを弾く係りでした。けれどもあんまり上手でないという評判でした。上手でないどころではなく実は仲間の楽手のなかではいちばん下手でしたから、いつでも楽長にいじめられるのでした。」
セロ弾きのゴーシュ(宮沢賢治)

「其れはまだ人々が「愚(おろか)」と云う貴い徳を持って居て、世の中が今のように激しく軋(きし)み合わない時分であった。」
刺青(しせい)(谷崎潤一郎)

「先生、わたし今日はすっかり聞いてもらうつもりで伺いましたのんですけど、折角お仕事中のとこかまいませんですやろか?」
卍(まんじ)(谷崎潤一郎)

「一月一日。………僕ハ今年カラ、今日マデ日記ニ記スコトヲ躊躇シテイタヨウナ事柄ヲモアエテ書キ留メルヿ(こと)*1ニシタ。」
鍵(谷崎潤一郎)

「高瀬舟は京都の高瀬川を上下する小舟である。徳川時代に京都の罪人が遠島(ゑんたう)を申し渡されると、本人の親類が牢屋敷へ呼び出されて、そこで暇乞(いとまごひ)をすることを許された。」
高瀬舟(森鴎外)

「金井湛(しずか)君は哲学が職業である。哲学者という概念には、何か書物を書いているということが伴う。金井君は哲学が職業である癖に、なんにも書物を書いていない。」
ヰタ・セクスアリス(ウィタ・セクスアリス)(森鴎外)

「越後の春日を経て今津へ出る道を、珍らしい旅人の一群れが歩いている。母は三十歳を踰(こ)えたばかりの女で、二人の子供を連れている。」
山椒大夫(森鴎外)

「古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条と云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。」
雁(がん)(森鴎外)

「或春の日暮です。唐の都洛陽の西の門の下に、ぼんやり空を仰いでゐる、一人の若者がありました。」
杜子春(芥川龍之介)

「硝子戸(ガラスど)の中(うち)から外を見渡すと、霜除(しもよけ)をした芭蕉だの、赤い実の結(な)った梅もどきの枝だの、無遠慮に直立した電信柱だのがすぐ眼に着くが、その他にこれと云って数え立てるほどのものはほとんど視線に入って来ない。」
硝子戸の中(がらすどのうち)(夏目漱石)

「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人なり。」
奥の細道(松尾芭蕉)

「「武蔵野の俤(おもかげ)は今わずかに入間(いるま)郡に残れり」と自分は文政年間にできた地図で見たことがある。そしてその地図に入間郡「小手指原(こてさしはら)久米川は古戦場なり太平記元弘三年五月十一日源平小手指原にて戦うこと一日がうちに三十余たび日暮れは平家三里退きて久米川に陣を取る明れば源氏久米川の陣へ押寄せると載せたるはこのあたりなるべし」と書きこんであるのを読んだことがある。」
武蔵野(国木田独歩)

「「参謀本部編纂の地図をまた繰り開いて見るでもなかろう、と思ったけれども、あまりの道じゃから、手を触るさえ暑くるしい、旅の法衣(コロモ)の袖をかかげて、表紙を附けた折り本になっているのを引っ張り出した。…」
高野聖(こうやひじり)(泉鏡花)

「小石川の切支丹坂(きりしたんざか)から極楽水(ごくらくすい)に出る道のだらだら坂を下りようとして渠(かれ)は考えた。」
蒲団(田山花袋)

「私が自分の祖父のある事を知ったのは、私の母が産後の病気で死に、その後二月程経って不意に祖父が私の前に現れてきた、その時であった。」
暗夜行路(志賀直哉)

「道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思う頃、雨足が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追ってきた。」
伊豆の踊子(川端康成)

「幼時から父は、私によく、金閣のことを語った。私の生まれたのは、舞鶴から東北の、日本海へ突き出たうらさびしい岬である。」
金閣寺(三島由紀夫)

「八月のある日、男が一人、行方不明になった。休暇を利用して、汽車で半日ばかり海岸に出掛けたきり、消息をたってしまったのだ。捜索願も、新聞広告も、すべて無駄におわった。」
砂の女(安部公房)
最終更新:2020年04月27日 21:11

*1 片仮名「コ」と片仮名「ト」を組み合わせた(合字)片仮名(合略仮名)のひとつ