GOSICK RED◆CdRiyEtjBc
とぼとぼと歩いて扉を開くと、そこは図書館だった。
壁という壁が、巨大な書棚で埋まっている。
スマートフォンの灯りで照らしてみると書物の埋まった壁はどれほどの高さがあるのかしれない天井まで隙間なく続き、それらの棚を行き来できるに仕掛けられたはしごが、幾つも書棚へともたれかかっていた。
壁だけではなく、空間という空間にも迷路のように背の高い書棚が仕切りをつくっている。
おそらく窓も書棚でふさがれ、通気も悪いのだろう。
澱んだ空気のなかにある埃とカビと知性の匂いに、赤座あかりは気圧された。
「お、お化け屋敷みたい……」
紅魔館、というのがこのお屋敷の名前だった。
これも、おっかなびっくりとスマートフォンを使って現在地を調べた結果である。
見たことも聞いたこともない場所だ。
しかもよっぽど古いお屋敷なのか、電気さえ通っていない。
それとも、そういう古いデザインを意識して作られた一種のテーマパークだろうか。
さっきのビームや爆発が飛び交う光景も、ひょっとするとテーマパークの演出だったのかもしれないと、思いたくなって。
しかし、それは亡くなった人たちにとっても失礼だと、自分を叱りつけた。
おかしな機械に光線をうたれたり、首に巻かれた首輪が爆発して、酷い姿になってしまった人たち。
とても怖かったけれど、殺された人たちの方がもっと怖くて痛くて苦しかったに違いない。
思い出してまた泣きそうになり、首をぶんぶん振って図書室を歩きはじめた。
カタカタと、背中に数ヶ月前まで使っていたランドセルの固い感触があたる。
まるで間違って小学生の格好で登校してしまったみたいに後ろめたくて、背負いごこちが悪かった。
ついさっきまで、ごらく部の部室でいつものようにくつろいでいたのに。
いきなり暗転して、よく分からないまま告げられた言葉は『殺し合え』という命令で、しかも拒否ができないという。
誰かを殺すなんて、絶対にできない。
でも、逃げれば首輪が爆発するとか、ルールブックには怖いことが書かれていた。
そんな爆弾をどうにかするなんて、中学一年生でしかない赤座あかりにできっこない。
それでも。
あの場所には、あかりよりもずっと小さな子どもたちがいた。
最初におじいさんに話しかけた坊主頭の男の子や、おじいさんの酷いことに怒りを顕わにしていた金髪の男の子は、まだ小学生にも満たないような年頃に見えた。
あかりと同じく訳も分からず連れてこられた子どもたちが怖がっているかもしれないのに、じっとしているような自分は嫌だった。
勇気を振り絞って歩き出すことにしたのだが……こんな真っ暗なお屋敷から外に出るための廊下を探すだけで、前途多難さに足が震える。
いや、実際に歩き方もぎくしゃくとしていたのだろう。
蹴つまづいた。
「きゃわっ……!」
床に転がっていた、固い感触を持つ何か。
スマートフォンのライトを右へ左へと動かしながら進んでいたのに、足元は疎かになっていた。
前方に転びそうになって二、三歩よろめき、耐える。
暗闇のなかで、見えないものに足が当たるなんてぞっとする感覚でしかない。
ばくばくと加速した心臓のあたりに手をあてながら、「びっくりしたよぉ……」とひと息。
おそるおそる、携帯電話の灯りを足元へと照らす。
そこには。
書物が何冊も何冊も開かれて、放射状に並んでいた。
無作為に見つくろったように大きさも分厚さも様々な書籍がぐるりと三重円を描くように均等に設置され、あかりが蹴つまづいた一冊だけ位置がずれている。
放射状の中心部には、ひと一人が座りこめるほどのスペースが開けられるとともに、
お屋敷の客室から拝借してきたような菓子入れの大皿が置かれていて、
色とりどりのマカロンやキャンディやチョコレートが、きれいな包み紙にくるまれて光っていた。
食い散らかしたような包み紙のゴミも、少し落ちている。
まるで、さっきまで誰かがたくさんの書物を同時に読みふけりながら、片手間にお菓子をついばんでいたかのように。
「誰か……ここにいたのかな?」
ある意味で異様な光景にたじろいで、ライトを上下左右のあちらこちらに走らせる。
念入りに書棚の裏側までのぞきまわってみても、そこには変わらず大きな書架ばかりしかなかった。
仮にあかりがドアを開けた音に驚いて逃げたのだとしても、ライト無しでこの暗闇を歩き去るのは不可能だろうし、つまりこの近くに隠れている他に無いはずなのに。
足音も光も必要ないとしたら……幽霊とか。
非現実的なことを考えそうになって、まさかねーと冷や汗を垂らす。
もしかしたら、殺し合いが始まる前にこの場所を使っていた人が散らかして残していっただけかもしれない。
きっとそうだと頷いて、お菓子の大皿へと近づいていった。
「だったら、ついでに持っていった方がいいのかなぁ……また誰かが転ぶといけないし」
次にこの場を訪れる人物の心配をして、大皿を持ち上げた瞬間だった。
「私の菓子に、触るな……」
小さい獣の唸り声に似た、低く怒りに満ちた叱責が、上から降ってきた。
「あ、あかりのことなのかな!? ご、ごめんなさいっ」
注目をあびることに慣れていないあかりは反射的に自身を指差して聞き返し、謝る。
きょろきょろとライトを向けて上方を見渡すものの、やはり暗闇が広がるだけで――
――否、そこにいた。
光の死角になりやすい、しかし本来ならば人間が潜むことなど不可能である、『書棚の中の、本と本との間』から、光の当たる位置まですっと顔を出す。
ちょうど、床にある本を書棚から引っこ抜いた分だけできたような狭い空間に。
小さな子どもの姿をした、陶人形が寝そべっていた。
「子どもか……苦手だな」
人形の――人形そのものに見えるほどの冷たい美貌が、不機嫌そうに翳る。
小づくりな顔をつつむ白いボンネットからは絹糸のごとき金髪がこぼれおち、ほどけたターバンのように無造作に垂れ落ちている。
エメラルドグリーンの大きな両眼が、闇の中にいる猫のようにきらきらと光った。
存在がばれたから仕方なく姿を現したというような、のっそりした動き。
『姿を現した』という形容は、文字通りでしかない。
真っ白なドレスに、輝く金髪という眩しいばかりの外見でありながら、その生き物はまるで闇と相性がいい体質でも持ち合わせているかのように、漆黒にすっかり同化しきっていた。
そんな不可思議から何を連想するか、あかりは一種類しか知らない。
思わず、口をついて声にしてしまう。
「ゆ、幽霊さん……?」
「失礼な……!」
フリルでふっくらとふくらんだ白いドレスの裾から、ピンクのバレエシューズをはいたか細い両足を投げ出す。
そのまま軽々と、フリルを揺らして斜めに架けられたはしごを降りてきた。
大の大人には段差が短すぎて不安定なはしごも、彼女にはちょうど階段のように降りられる大きさだったらしい。
ちょこんと、床まで下りてくると、その少女はやはりとても小さな身の丈をしていた。
「わたしの名前はヴィクトリカ・ド・ブロワ。れっきとした人間だ」
※ ※ ※
大威張りで自己紹介をした少女――ヴィクトリカ・ド・ブロワは、自分のものだと主張したお菓子を奪い取り、座りこんでもりもりと食べ始めた。
早く食べなければ奪われると警戒しているかのように、猛スピードで頬張っては咀嚼していく。
(……幽霊って言ったことを、まだ怒ってるのかなぁ?
でも、近くで見ると本当にお人形さんみたいだよ)
幾度か話しかけて無視されたあかりは、しかたなく少女の容貌を観察する。
年頃は、大室櫻子の妹だった花子という8歳の少女と同じか、少し上くらい。
年齢に似合わない冷たい無表情で、いっしんにマカロンをかじっている。
こんな場所につれてこられて最初にすることが読書とおやつなんて、殺し合いのことをよく分かっていないのか。
それとも、これが彼女なりに気を紛らわせようとした結果なのだろうか。
薄暗い室内では観察しきれないけれど、顔色が陶人形のように青白いのはなにも美貌のせいばかりではなく張りつめた緊張によるものかもしれない。
さっき隠れていたのも警戒して身を隠したのだろうし、あかりを無視していることだって、怖がっているのを悟られまいという強がりかもしれない。
今だって大人がタバコを吸って気を落ち着けようとするみたいに、パイプタバコを取り出して吸い始めているし……。
……パイプを?
「……って、ダメだよ! 子どもがタバコを吸ったりしたらいけないよ」
めったに声を荒らげたりしないあかりだけれど、子どもを叱るとなれば話は別だ。
食後の一服のようにくわえられていたパイプを取り上げると、叱責の声をあげる。
少女がびっくりしたように、両の目を見開いた。
「な、何をする。この愚か者め!」
「愚か者じゃないよ。あかりには赤座あかりっていう名前があるんだから」
「思索の邪魔だ。返せ。そしてあっちに行け」
ヴィクトリカが手をのばす。
あかりは、パイプタバコを体の後ろに隠した。
「それに、話しかけられてるのに無視してお菓子を食べてるなんて、良くないよ。
ヴィクトリカちゃんだって、心細い時にやっと人に会えて、それなのに無視されたら嫌だよね?」
少女はふん、と鼻を鳴らし、花びらのような小さな口を開いた。
「それは、自分自身が無視されてきた体験からくる感傷なのかね?
おおかた、さっきまでこたつに入ってだらだらとお菓子をむさぼりながら、皆の楽しい会話に混ざれずに存在感の薄い己が身を嘆いていたのだろう。
わたしの思索と、君のような凡人がだらだら過ごす時間と、どっちがより有意義だろうね」
いくらあかりでも、『君のような凡人』呼ばわりされてはむっとする。
しかし今は、怒るよりも驚きがとってかわった。
「ど、どうして分かったの!?
あかりが京子ちゃんたちと一緒にこたつに座ってお菓子を食べてる時に連れてこられて
、しかも存在感が薄いってことまで……」
「簡単なことだよ。湧き出る“知恵の泉”が教えてくれたのだ」
それきり、ついと目をそらした。
パイプの奪還を諦めたらしく、お菓子包みと本を一冊抱えたまま、体育座りのような姿勢でじりじりと後ずさる。
子猫が、不躾に撫でてくる人間から警戒して遠ざかる様子を連想させた。
あかりもまた、膝立ちのままでヴィクトリカに合わせて移動する。
二人のじりじりとした移動が、本棚ひとつ分くらいも続いた。
根負けしたように、ヴィクトリカが先に止まった。
「ええい、面倒くさいが……家来でなければめったにしないことだが、言語化してやるとだね」
「うん」
「君の制服にくっついている、食べかすだ」
スマートフォンをぎこちなくいじって画面を光らせ、あかりに向かってかざした。
照らされたのは、学校指定のえんじ色のインナーの繊維にこびりついたクッキーの細かな粒。
「え?…………ええ! は、払うの忘れてた!」
いつもなら立ち上がる前にティッシュできれいにしていたものを指摘されて(なにせ立ち上がる前に誘拐されたので)、慌ててバタバタと払う。
「見たところ、胸部には粉がしつこく付着しているにも関わらず、スカートには粉がついていない。
加えて、君のスカートに残る不自然な折り目と、その折り目に一致する膝裏の痕だよ。
まるで、さっきまで長時間の正座をしていたようではないかね。
その姿勢で、かつスカートにものをこぼさないように食べられる状態というのは、文献で見た『東洋のこたつ』くらいしか心当たりが無かったのでね。
さらに言えば、どうして暖房器具に足を入れているのに、足をのばして座らないのか。
なぜなら、こたつに当たる人間が君以外にも複数名いたからということだ」
「じゃあ、あの……存在感が無いっていうのは?」
「私が呼びとめた時の反応だよ。
見知らぬ人物に遭遇して怯えているというよりも、よりによって自分が声をかけられた困惑が優っている様子だった。
しかも、君一人しかいないのに、あきらかに君に語りかけていたのに、自分を指差して『わたしなのか』と確認したね。
まるで、自分のことが話題にのぼらないような振る舞いだ。
よって、君は場の中心に立つことに慣れていないと推測される。
おおかた、落ちていた菓子をつい片付けてしまうような、つつましい性格が災いしているのだろう」
「そ、そんなことないよ……。
そりゃあ、ちょっと前までは部室にいても『あ、いたんだ』みたいな顔をされたり、
写真を撮るたびに見切れることだっていっぱいあったけど……でも。
最近は原作でもアニメでも主役回を貰えたし、カラーページの時に顔を隠されることだって減ってきたし――」
「き、禁句が混じっているのはともかく、だね。
その発言の端々からして、わたしの推測した以上に不憫な扱いを受けていると察せられるよ。
……さながら、”黒い死神”ならぬ、”赤い幽霊”といったところか」
「幽霊!?」
あんまりな二つ名にがびーんと凍りつく。
しかも”知恵の泉”とやらが吐き出した指摘そのものは、見てきたことのように正確だった。
(薄暗い部屋で、ちょっとの間見ただけなのに、そこまで分かっちゃうなんて……)
ヴィクトリカは固まるあかりを放置して、スタスタと本を広げた一角に戻ろうとする。
そう言えば、と理解が追いついた。
一度にあんなにたくさんの本を広げて、どう読むんだろうと思っていたけれど。
もしかして、あかりがここに来るまでの数分間で、あれだけの数の本を速読して、同時に読みすすめていた……?
(もしかしてヴィクトリカちゃんって……テレビ番組で紹介されたりする、『天才少女』?)
――バタン!
ヴィクトリカが、自分で並べた本に躓いて転んでいた。
「だ、大丈夫……!?」
ばったりと倒れ、床とお見合いしたまま動かない。
だいぶ時間をおいてから、倒れたまま、
「痛い」
「い、痛そうだね……」
ヴィクトリカの前へと、回り込んで目を合わせる。
緑の瞳が、蹴られた子犬のように潤んでいた。
おおげさなまでに痛そうにしている。
「痛い」
「そ、そうだ! あかり、ばんそうこうなら持ってるよ。つけてあげるから……」
いつも持ち歩いているおかげで、制服のポケットにあったそれを取り出してみせる。
「…………痛いったら痛いのだ!」
がおうっと吠えられた。
「あ、あかりが怒られたの!?」
エメラルドグリーンの瞳にみるみると涙がたまり始めるのを見て、何とかしなきゃと焦る。
「だ、大丈夫だよ。……ほら、いったいのいったいの、とんでいけ~。宇宙の果てまで、とんでいけ~っ」
小さいこどもをあやすように、幼い頃の持ちネタだった『葉っぱ仮面の歌』を歌う。
ヴィクトリカが、ぽかんと口を半開きにした。
その隙に手をとって座らせると、擦り剥けた箇所をそっと手当する。
その一連の所作を、小さな女の子は不思議そうに目で追っていた。
ぽつりと、呟く。
「……音痴」
がっくりと肩が落ちる。
いつかのように歌のセンスをダメだしされなかっただけ、まだマシかもしれないけれど。
(なんだか……ちっちゃい頃の京子ちゃんを思い出すなぁ)
小さな歳納京子は、もっと素直にお礼を言ってくれたけれど。
体が弱くて、ちょっと転んだりしただけで泣いていたところを、よく結衣とあかりとで慰めていた。
だからなのか、心がほんわかとしてくる。
とっつきにくい女の子だけれど、自分の方がお姉さんなんだからしっかりしなくちゃいけない。
「ねぇ、ヴィクトリカちゃん……もしかしてあかりのことが、怖い?」
「なっ……お、おかしなことを、言うものではないぞ、君。
どうしてわたしが、君のような子どもに怯える必要があるのだね?」
ムキになった抗議を見れば、『あなただって子どもでしょ』と言い返す気もおこらない。
「よかった……もし、少しでも警戒をといてくれたなら。あかりと一緒に、来ない?」
「どこに、だね?」
「どこにって聞かれると困るんだけど……一人でいても危ないし。
ヴィクトリカちゃんがお家に帰れるまで、あかりが守ってみせるから」
そうすべきだと思ったから、そう言ったけれど。
『守る』という言葉を聞いて、その相手は瞳を鋭く細めた。
あかりを見据えて、声色を冷たくする。
「それは……初対面のわたしを守るために、襲ってくる『狼』とも戦うということかね?」
「た、戦うの? ここにいる、他の子どもたちと?」
「まさか君は、戦いが起こらないと思っているのかね。『野兎走り』をさせられているのに?」
「野兎……?」
「いや……以前に、これと似たような事件に関わったことがあったのだ。
世界の様々な国々から選別してきた『野兎』と呼ばれる子どもたちを、閉鎖された空間に閉じ込める。
そして不安と疑心暗鬼がクライマックスになった頃、武器を持たせて殺し合いを半ば強制させる。
何を目的としてそんな事件が起きたかついては、話せば長くなるので割愛するがね。
重要なのは、私たちが『野兎』で、ポーキーとかいう老人が、『殺し合いをして欲しがっている』ということだ。
つまり、拒むようならば、否応なしに戦わねばならない状況が用意されるだけのことだよ。
たとえば、あらかじめ殺し合いに乗るような『猟犬』を紛れこませるぐらいのことはするだろう」
「そんな……」
ゆるい毎日を送っていた中学生には壮絶すぎることを、小さな少女は淡々と説明していく。
そして、究極の選択をつきつけた。
「わたしの安堵を得たいなら答えたまえ。
君は、わたしたちが撃たれそうになっていたとして、相手を撃ち殺す以外に自分たちの身を守るすべが無いとしても、わたしを守ってくれるのかね?」
「それは……どうしても、殺さなきゃいけないの?」
「回避できるならば越したことはないが、他に方法は無いと仮定しての話だよ」
できない、と思う。
殺したりなんか、できない。
ヴィクトリカを守るだけではなく、自分の命を守るためだとしても、それは同じだ。
殺される相手だってすごく痛いだろうし、苦しいだろうし、本当は殺し合いなんてしたくないかもしれない。
だから、守れない方が臆病なのだとしても、他のみんなが戦うのだとしても。
きっとできない。
「ごめん……ヴィクトリカちゃんだって死にたくないんだよね。
でもあかりには、人を殺すとか、できそうにないよ。」
ヴィクトリカの沈黙が気まずくて、とてもとても罪悪感がわきあがる。
どっちが正しくてどっちが間違っているかはともかくとして、
あなたを守れないかもしれません、とか心もとなく口にする人を、頼もしく思えるわけがない――
「合格だ」
「え?」
言葉の意味が、よくわからなかった。
目の前には、少女の変わらない無表情がある。
いつの間にか取り返していたパイプを握って、その先端であかりを指し示した。
「赤い幽霊。君は弱い」
「う、うん……そうだよね。あかり、運動神経もそこまで良くないし」
転んで泣いていた女の子に『弱い』と言われるのは釈然としないけど、まったく否定できなかった。
「力のことを言っているのではない」
しかしヴィクトリカは、否定に対して否定で返した。
どう話すか悩むように、しばらく黙りこんでから、
「君、わたしには従者が一人いるのだが」
従者。
その言葉を口にした時だけ、声に感情がこもった。
慈しむような、懐かしむような、そんな熱を宿した瞳で、
「わたしの従者はとてもまぬけだ。
君のように頭のわるい凡人で、
君のように東洋人の黄色っぽい肌をしていて、
君のように音痴で、君のように説教臭くて、君のように底抜けのお人好しで、
そのうえ頑固で言うことをきかないけだものだ」
その従者のことを、ひどくこき下ろした。
間接的に、あかりまで散々な言われようだった。
ちょっとそれは言い過ぎだと思う、とあかりは口を開こうとして、
「しかし、あれはわたしの危機には必ず駆けつける人間だ」
断言。
万感の信頼がなければ言えないように、きっぱりと言い切った。
さすがにこんな場所までやってくるのは不可能だがね、と寂しげに付け加えて。
「だが、わたしはあの男のことで、もう一つ、信じていることがある。
たとえ自分の命のためであっても、わたしを救うためであっても、あれが、罪のない人間を手にかけることはけしてないだろう、ということだ」
エメラルドグリーンの瞳が、遠くを見るように細められる。
「たとえ利益が異なる……そう、たとえば誰かを助けるために殺し合いに乗った人物であっても。
ほかの子どもを手にかけて、わたしを救うことはないだろう。
おそらく、わたしとともに死ぬことを選ぶ。」
「一緒に、死んじゃうの……?」
こくりと、従者に仕えられる主君は頷いた。
「それは、大人たちからは『弱さ』と糾弾されるべきもの。
殺し合いという物語の中では『間違った選択』として読み手に認識されるものであろう。
しかし、あの家来にはそういう『正しい弱さ』とでもいったものがある。
……わたしはそれを、高潔と呼ぶのだ」
高潔。
それは、つまり。
従者だの、まぬけだのと毒舌を吐いているけれど。
『正しい弱さ』とか、遠回りな言葉を使っているけれど。
ヴィクトリカは
大切な人を大切にできる、優しい女の子だということなんじゃないか。
「君は……いや、誰にもあの者の代わりにはなれまいよ。
だから、わたしはともに死んでくれる誰かなどを望まない。
ただ、どうしても、止むにやまれず、他の誰かを仮初の下僕として扱うなら……」
あの愚か者に似ている下僕の方が、まだ使いやすい。
辛辣な言葉に対して、あかりは顔を赤面させて、にこにこと笑顔で頷いていた。
※ ※ ※
(さて、〈野兎〉たちは走り始めたぞ……なるべく多くが生き残れると良いのだが)
尋ねるべきことを聞くと、ヴィクトリカはすっくと立ち上がって歩み始めた。
呑気そうににこにことしていたお団子頭の少女が後に続き、どこに行くの、と問いかけてくる。
『好奇心をもって付きまとわれる』という感覚はうっとうしいものだったけれど
あの〈黒い死神〉とともに行動するようになってからは、すっかり慣れてしまった。
〈死神〉と〈幽霊〉。
こんなふうに似ているところもあるけれど、違うところもある。
赤座あかりは、ゆるい。
生真面目で、堅物で、規則正しい、四角四面な、ありとあらゆる堅苦しい要素でもって形作られたようなあの頑固な従者とは、似てもにつかない。
あの〈死神〉――久城一弥には、罪なきものを攻撃する覚悟はなくとも、敵を排除したり、命のやりとりをする覚悟はあった。
この少女にはそれさえもない。
乗る気に満ちた殺人者からすれば、ただ死を待つだけの獲物に分類されるだろう。
下僕としては頼りない人材だったけれど、ヴィクトリカは妥協することにした。
同年代以下の子どもと接した経験が皆無に近いヴィクトリカにとって、子どもというのは駄犬のように近寄りがたい存在であり、無害というだけでもずっとマシだ。
(帰りたいな……久城のところに)
久城一弥は今頃、急に行方知れずになったヴィクトリカを心配して探し回っているだろうか。
名前も知らない参加者5名の中に放り込まれている可能性もゼロではないが、ゼロに近いと見ている。
本当に彼がいるならば、そして、リュックを配った後から名簿を訂正するような真似ができるならば、むしろ後から参加する久城一弥の名前を書き足しておくべきなのだ。
久城一弥こそが、ヴィクトリカ・ド・ブロワを揺さぶることができるたった一人の弱みなのだから。
(それに、『いる』ならば、必ずやわたしの元に駆けつけるはず……)
最初は、例によってブロワ公爵家の悪だくみか、ソヴュール王国政府の陰謀によって連れ去られたのかとも推測した。
しかしポーキーという道化師の演じた数々のパフォーマンス――今の科学技術ではとうてい追いつかないような摩訶不思議を見て、ありえないと即座に否定した。
この〈会場〉とやらに放りこまれてからも、そうだ。
ひとまずは手がかり――ヴィクトリカの言葉で言うところの〈混沌(カオス)の欠片〉を集める目的もかねて、洋館の書物を紐解いてみたりもした。
しかし、むしろ不可思議なことは増えるばかり。
西暦2000年代という、百年近くも未来に発行されたことになっている書物。
過去に見聞きしたどのオカルト体系とも異なる〈魔術〉について、実在するものとして書かれた文献。
まるでこの箱庭そのものが、混沌のおもちゃ箱として作られたかのようだ。
退屈しない時間を過ごせるのはけっこうなことだが、それが安全で無いならば願い下げだった。
(――それなら、子ども同士で助けあうしかあるまいな。
我々は力を合わせ、愚かな大人たちが作った血と暴力の国から逃れゆかねばならない。そして……)
謎を解く。
生きて帰る。
『また二人で海を見に行こう』という約束を、果たすために。
(……このゲーム、『子ども側が勝てない』という
ルールは、無かったな)
敵が、新しき時代の力をもって子どもを虐げるというならば、
ヴィクトリカは、旧きものたちの遺産――〈灰色狼〉の超頭脳を武器としよう。
「わたしは混沌の欠片を探す。生きるために、力を示す。……と言いたいところだが」
しかし、その前に。
「聞きたいことがある」
もしかしたら間抜けな問いかけに過ぎないのかもしれず、
教えてもらうのは少しばかり屈辱的なことだけれど。
「君はこの奇天烈な電話を使いこなしていたようだが……これについて知っているのかね?」
まずはこの『スマートフォン(賢い電話)』とやらについて、教えてもらわなければならない。
【F-2 紅魔館/深夜】
【赤座あかり@ゆるゆり】
[状態]:健康
[装備]:無し
[道具]:基本支給品一式、ランダム支給品1~3
[思考・行動]
基本方針:殺し合いをせずに、家に帰る
1:スマートフォンを知らないのかな?
2:ヴィクトリカちゃんの面倒をみる
※ヴィクトリカのことを、幼い女の子だと思っています
※名簿に知り合いの名前が無かったので、知り合いが参加している可能性を想像していません。
【ヴィクトリカ・ド・ブロワ@GOSICK】
[状態]:健康、右膝にばんそうこう
[装備]:パイプ@GOSICK
[道具]:基本支給品一式、ランダム支給品1~2
[思考・行動]
基本方針:殺し合いという〈混沌(カオス)〉を解決して、聖マルグリッド学園に帰る。
1:スマートフォンとやらが何なのか、教えてもらう
2:〈混沌(カオス)の欠片〉を集める
※参戦時期は、『仮面舞踏会の夜』編(1924年、秋)以降です。
【パイプとお菓子の詰め合わせ@GOSICK】
ヴィクトリカが自宅と滞在先である図書館塔の植物園とに常備している、
パイプタバコとお菓子(マカロンやチョコレートボンボン等)。
アニメではパイプを口にくわえるだけに止められているが、
原作には時代背景もあってか喫煙シーンも飲酒シーンもある。
最終更新:2014年03月11日 16:07