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注意:これは本Wiki管理人ミハイル・ユリウスPによる非公式な翻訳です。

前言

 麻雀は中国を起源とし、元は皇帝や王侯貴族の遊びで、その歴史は3~4千年前に遡ることができる。長い歴史の移り変わりの中で、麻雀は次第に宮廷から民間に至り、清朝の中葉には基本の形が定まった。
 麻雀というスポーツは少なからず独特の遊戯の特徴があり、かつ知的さ、趣味性、ゲーム性の良い所を一度に具える事が魅力であり、豊富で詳細かつ長きに亘る東方文化の特徴を内包し、ゆえに中国伝統文化の宝庫の重要な部分の一つをなしている。
 麻雀というスポーツは我が国*1の広大な都市や農村に十分普及し、流行の範囲は社会のさまざまな階層、さまざまな領域に亘り、すでに千家万戸に入り、我が国で最も規模と影響力のあるマインドスポーツとなっている。麻雀というスポーツの客観的な存在は当世中国のいかなる人にも避けられない現実である。
 中国伝統の文化の現象の一つとして、麻雀というスポーツは間違いなく表現形式上の多様性がある。まさにこのような為に、麻雀は中国伝統文化の重要な部分の一つであると考えられ、その独特の価値は国の貴重な宝と呼ぶにふさわしい。麻雀を賭博の代名詞とみなすことは非常に憎むべきことであるが、その罪の大きさは麻薬を吸うのとなんら変わるものではない。
 麻雀と賭博の間には必然的なつながりはない。新中国*2の成立以後、賭博は消失し、麻雀は却って人々の余暇の文化的な生活に長年健康的に存在してきた。今日、麻雀を賭博の道具として用いたならば、その責任は麻雀には存在しえないのは明らかである。ミカンは淮南に生えていれば桔と呼ばれ、淮北に植えれば積という*3。事は人がするものである。
 広範な群衆の参与のある麻雀というスポーツに対して、篩に掛け比較することなく全般的に受け入れるという簡単に認められる方法をとることはできず、また、現実を無視し、分析を行わず一律に排斥を行うという断固として否定する方法をとることもできない。子供を泥水と一緒に撒き散らす事は、唯物主義を弁証する科学的態度ではない。充分に麻雀というスポーツそのものの持つ積極的な社会意義やそれ自身の引き起こす弊害を見ると、揚棄的方法をとってそれに対し積極的な改善と改造を進め、悪しきを棄て善きを揚げ、旧きを除き新しきを布いて、はじめてこの伝統的なマインドスポーツを健康に進ませることができ、文明の発展の道での当然の行為である。
 人類のスポーツ発展の歴史を見渡すと、どんなスポーツ種目も、戯れ(play)―遊び(game)―競技(sport)という低級から高級に向かう発展の過程を要求し、これはまさにスポーツの種目が無秩序から秩序へ、混乱から正規へとたどった道であり、またスポーツ種目の発展の自己防御システムである。麻雀というスポーツが今日まで発展したのも、法則にしたがって質的変化を起こすステップを進んできたからに他ならない。この点を軽んじ、ただ傍観し、それを恣に変化するに任せたために、全面的に賭博の道具へと落ちぶれるに至り、罪悪の泥沼にはまったが、これこそ本当の悲劇というものである。
 この意義によれば、現在の我が国の麻雀というスポーツの客観的な現実は、確かに正しい面に導くことが必要な状況に陥っている。長年全国各地、特に軍隊や地方の老幹部で準備される数多の競技麻雀の試合だが、麻雀の健康化、競技化に向けて進められる積極的で有益な探索は、人民群衆が麻雀というスポーツの正しい発展に向けて要求する有益な試みを反映していることに疑いなく、我々にも見え、健康的、積極的、規範的な麻雀の競技を展開し、伝統文化を大いに発展させるのに有益なだけでなく、我が国の社会主義精神文明の建設を推し進め、さらに人民群衆の日に日に増大する物質文化の需要を満たす根本的な目標と相補うものである。
 まさにこういった目的に達するために、国家体育総局は社会体育指導中心に専任者を組織することを認可し、二年余りを経て、麻雀というスポーツの現状、歴史、文化の量、理論の範疇などに対し掘り下げた丁寧な調査研究の任務を進めた。その間、社会学、体育学、体育運動管理学など多学科の専門家の参加する麻雀というスポーツをテーマとする討論会を何度も招集しただけでなく、異なった規模の麻雀の競技を試し、その上さらに社会の異なった階層に対し、大量に詳しく抜取調査を進め、したがってひとつの既存の理論の基礎、また実践経験のある現実に即した実行できる麻雀というスポーツの競技の規律を探り出した。大量の事実が証明する:麻雀というスポーツは健康的、文化的なスポーツ競技の形式で存在し発展することができる。《中国麻雀競技規則(試行)》*4はほかでもなくこのような背景で一歩一歩研究され形成されたものである。
 制定する《中国麻雀競技規則(試行)》は、麻雀を他のマインドスポーツの種目と同様な健康的スポーツとなるようにし、そのあるべき積極的な社会機能を発揮する、これが我々がこの任務を計画し発展させる行動の理由である。
 《規則》を制定する過程で、我々は麻雀というスポーツの文化の特徴を継承、保持する基礎において、伝統麻雀自身の不足を克服することに努め、よって時代の要求を反映した。一つ、健全性の指導思想を体現し、二つ、現代の体育スポーツの要求に照らし競技の過程を規範化し、三つ、出来る限り科学性を体現し、以て偶然性の競技者に対する影響を減少させる。我々はこれを始まりとし、若干年の努力を経て、中国の麻雀というスポーツを一歩一歩統一されたものとし、人民群衆の愛好する、現代体育の特徴にあったマインドスポーツの種目となることを希望する。
 《中国麻雀競技規則(試行)》を研究模索する過程で、我々も、長い歴史沿革をもつ麻雀という娯楽に対する科学的な改造を進めること、同様の需要に対する一つの過程を見かけた。これは麻雀というスポーツ自身の複雑な表現様式に起因するだけでなく、くり返し帰納、比較、選別、精製し、その上観念上必要としない歴史の形成した偏見を打ち破ることを要する。これゆえ、麻雀に対して改革をするのは、科学的理念と厳格な規範をもって、麻雀というスポーツに全く新たな文化の内実を与える、決して一朝一夕のことではない。
 《規則》を制定する過程で、我々は全国各地の広汎な群衆からの大量の手紙を受け取った。圧倒的多数の手紙は我々が麻雀への改革をすることを積極的に支持し、これは我々に“競技麻雀を奨励し、レジャーとしての麻雀をリードし、賭け麻雀に反対し、麻雀というスポーツが健康的な発展の軌道を歩むようにする”という任務に対する信念を満たした。この機会を借りて麻雀の改革に関心を持つあらゆる人々に向け、我々に批評意見を打ち出した人々を含め敬意を表す。
 この《中国麻雀競技規則(試行)》は、専門家や各界の人士の広汎に募った意見を基礎とし、何度も下書きを改め、繰り返し手を入れて形成されたものである。一応麻雀というスポーツのいくらかの普遍的な規則を反映できるとはいえども、しかし一定の限界性は存在しており、なお多方面の推敲と繰り返しの検証を経なければならず、ようやく徐々に完全なものに向かうことができる。これによって、我々は心から全国の麻雀というスポーツの愛好者が、実践において絶えずこれに修正、精製を加え、我々がさらに良くこの任務を全うできるように手助けするのを望む。
國家體育總局社會體育指導中心 《中國麻將競賽規則》編寫組

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最終更新:2010年02月26日 08:42

*1 中国のこと

*2 中華人民共和国のこと

*3 原語では、「桔生於淮南謂之桔,植於淮北謂之積」。中国のことわざか?

*4 原文では《中國麻將競賽規則(試行)》