(投稿者:怨是)
「……っていうかこれ僕が直々に出向いちゃ駄目?」
シュバルツ・フォン・ディートリッヒ少佐は双眼鏡を握り締めながら、皇室親衛隊と陸軍の銃撃戦を、雨に濡れる窓越しに観察していた。
こんな事をしているうちに、もし陸軍連中の気が早まって人質――つまるところ亜人を殺されてしまったらどうしてしまうのか。
ただ単に殺されるだけならすぐにMAID化してしまえば良いのだろうが、これが爆発で粉々になってしまったらと、気が気でない。
傍らのスルーズは愛用の得物、ヴァトラーP.39のスライドを引き、薬室に弾薬を装填している。
「何でしたら、私が代わりに出向きましょうか。MAIDには待機命令も出ていないわけですし」
「じゃあ今日の成功率の報告を」
「いつも通り、100%で」
スルーズがジープのドアを開け、雨の降り注ぐ外界へと片足を踏み入れる。
Gの襲撃を未然に防ぐという目的だった筈なのが、いつのまにか帝国軍の二つの勢力によるぶつかり合いへと変化してしまったのだ。
そもそも、
ダリウス・ヴァン・ベルン少将はいつ、こちらの目的を察知したのか。シュバルツの耳に届いていた情報とはまるで違うではないか。
「上出来だよ、スルーズ。あすこに構えてる連中は、どうにも信頼性に欠けるしさ」
指差す先は狙撃部隊。彼らの意図が読めない。
最初から陸軍第七機甲大隊の離反を視野に入れていたという線は、有力ではある。
見るべきはその更に先だ。三人も四人も狙撃部隊を配置する意味はどこにある。
あの巨体のMALEとて、一発でも弾丸をその胸に受ければ即座に絶命する。
百戦錬磨の
ダリウス大隊とて、不利な地形での戦いとなれば疲弊もそれなりのものではないか。
二から一を引けば、一がきっちり残る。
その残りで何かをやろうとしているのなら、こちらも何らかの用意はせねばならなかった。
シュバルツはジープのダッシュボードを開き、即効性麻酔弾を手渡す。
「本当は亜人が暴れた時用のだけど……いざって時はあいつ等に使っちまえばいいさ。殺したら今度はこっちが面倒な事になるからね」
「ありがとうございます。では――」
雨音に耳を傾けながら、最愛の手駒を見送る。
こちらのやろうとしている事が“救出”を名目とした自作自演ならば、あの場所で行われている陸軍と皇室親衛隊の戦いもまた、自作自演ではないだろうか。
「まったく、僕をダシに使って企むのやめてくれないかなァ。お陰でやりにくくてしょうがないや……
大体、さっき観測部隊がやたら騒いでたけど、Gの襲撃の気配なんて殆ど無いじゃないか。どう動くのか、ちゃんと云い出しっぺの僕に伝えてくれなきゃ」
「よっしゃ、姫様二人はだいぶ落ち着いてきたな」
敵の居ない安全地帯で二人の亜人と、その二人をなだめつつ小銃の弾倉の交換を行うダリウス・ヴァン・ベルンとを後ろに控え、ハイメは通信機で状況を確認しているところだった。
その傍らで、
ディートリヒは大剣ナーゲルリングを構えながら、角の向こうの様子を窺う。
「仲間がエッケザックスを持ってきてくれたらしい。喜べよディートリヒ。いつもの得物だぜ」
この激戦区の袋小路はあまりに狭い。
後ろの煉瓦を叩き崩して進むにしても建物の密度が高く、コア・エネルギーの消耗が激しすぎるのだ。突破するのなら正面からである。
ここをくぐりぬけ、大剣ナーゲルリングで辺りを片付けて、それから、それから……
「……俺はあんまり頭がいいほうじゃないから、誰が何企んでんのかサッパリ解んねぇ。
でもよぅ、グリム。どんな火の粉でも、かかってきたら振り払ってやるのが、俺達の礼儀だったよな」
「そうだとも。やっちまおうぜディートリヒ。俺はこの二人の姫様を守り通してみせる」
ハイタッチを行い、ディートリヒは安全地帯から勢い良く飛び出す。
――みんな、生き残れ。
ダリウス・ヴァン・ベルンの言葉を思い浮かべながら、孤児院内部に侵入してきた親衛隊員をナーゲルリングで吹き飛ばす。
刃の反対側を当てれば、片刃の剣なら真っ二つにはならない。そして銃は捻ってしまえばいとも簡単に使用不能に陥る。
周囲の日用品を上手く利用して、勢いを付けて投げつけてしまえば、それなりの効果は期待できる。
「ダリウス! こっちは片付いた!」
「すまんな、ディートリヒ。よぉし、次のステージだ! 外へ出るぞ!」
鋼の傘とて、全方向から降りしきる銃弾の雨を防ぐ事はできない。
一つ一つを確実に片付けながら進む必要があるのだ。
穴だらけの扉をナーゲルリングを盾にしながら突き破り、轟々とした雨天の外界に身体を晒す。
コア・エネルギーを背中から炸裂させ、冷雨をその身に突き刺しながら、仲間の居るジープへと飛び込む。
ジープの荷台には巨剣エッケザックス。剣というカテゴライズすら引っ込むほどの巨大な刀身を今、その手に掴んだ。
「コイツで……派ァ手に暴れてやるぜェ!」
5Mの刀身ならば、狙撃兵だって振り落としてみせる。煉瓦造りの建物など、瓦礫の塊に変えてくれる。
数は不明だが、対応できない筈は無いのだ。
眼前の壁を蹴り、建物の上に居るであろう狙撃兵を叩き落とすべく、飛翔の準備を始める。
しかし、突如として投げつけられた金属パイプが、ディートリヒの足元に叩き付けられる。
加速度と加速度が相対的にぶつかり合った時、その痛みは数倍に膨れ上がる。
「――!」
前のめりに吹き飛び、そのまま左頬を地面に激突させ、転がった先でジープがきりもみ回転を起こして周囲の煉瓦を破壊した。
幸いにしてエッケザックスを手放さずに済んだが、全身の擦り傷がヒリヒリと皮膚を焼く。
「っ痛ェ……」
「動くな」
大剣を地面に突き刺し、体勢を立て直そうと顔を上げれば、痛みと雨で滲んだ視界に見知った黒い服が映る。
スルーズ。何度か
グレートウォール戦線においてその姿を見たことがあった。
今の金属パイプの犯人は、十中八九この目の前のMAIDである。
「皇室反逆の罪で、貴様の身柄を拘束する」
「お前よォ――」
周囲では皇室親衛隊とダリウス大隊の銃撃戦が繰り広げられていたが、丁度ここはジープの陰になっていたのだ。
助けを呼んでも誰も助けには来ず、また、ディートリヒにもそのような考えは無い。
蹴り飛ばして地獄の中の地獄を見せてやろうと、スルーズの腹部にブーツをめり込ませ、倒れたジープも一緒にへこませる。
「一度その台詞を云ってみたかったとか思ってたんじゃねェのか? オイ!」
「ぐッ――!」
彼女の顔を覆うガスマスクは、双眸を包むレンズにひびを渡らせていた。
そのまま襟元を掴み、天空へと放り投げ、ディートリヒもそれに続く。
先ほどまではただ冷たいだけの雨だったものが、今ではあらゆる怒りを洗い流す。
空が泣いている。空が、ダリウス大隊の代わりに泣いている。
「俺たちは戦ってやるぜ」
ディートリヒの心はこの分厚い雲とは裏腹に、晴れ渡っていた。
灰色の雲からとめどなく流れる涙を、全身に受け止めよう。
コア・エネルギーを炸裂したまま、天空へと拳を掲げ、腹にめり込ませよう。
巨悪に為す術も無く握りつぶされて来た数多のMAID達への手向けにすべく、まずはこの一撃を見舞ってやろう。
しかし、スルーズの銃口が雷光と共にきらめく。
放たれた弾丸はディートリヒの皮膚を掠め、軍用ジープへと命中する。
「調子に乗るなよ、缶詰筋肉」
ディートリヒの視界は突如としてブーツに塞がれ、3Mの高度を一気に直下させられる。
先ほどの擦り傷に泥が染み込んで例えようのない痛みが顔中に走り、手にしていた巨剣はいつの間にか地上で轟音を立てている。
それからほどなくして、地面で反射する雨は背中に衝撃を加えんとして道を作っていた。
地面が近い。
コア・エネルギーを全力で展開して背骨を守ったディートリヒから、スルーズは素早く足を引き、次の攻撃を繰り出すべく他のジープへと隠れる。
先ほどのジープとは別の車だ。壊れてもいなければ拉げてもいない。
それを無闇に破壊するのは、この清々しい筋肉馬鹿と称されるディートリヒでも憚られた。
壊せば壊すだけ、仲間が無事に逃走できる確率は減って行くのだ。
「ちっきしょう……」
銃弾がジープの陰から、そして建物の屋上から止め処なく飛来する。
相手はこちらの位置を完全に把握しているにもかかわらず、こちらからは攻撃する手立てが全く無い。
銃弾に混じって、棒の付いた黒い塊が放物線を描き、爆風がディートリヒを喰らい付かんとする。
咄嗟にナーゲルリングの切っ先でそれを叩き割る。
コア・エネルギー射出で周囲の雨を蒸発させながら、エッケザックスをもう一度手に取った。
「出て来い、クズども! てめぇらは俺達の誇りを踏みにじった! てめぇらが何を考えているのか、俺には解らねぇがよ。
でもな……それでも俺は、てめぇらが許せねぇ。
ジークフリートも、もう死んじまった
ブリュンヒルデの姐御も、てめぇらの玩具なんかじゃねぇんだ」
手に取った勢いで、もう一度壁を蹴る。
エッケザックスを強く、強く振り回し、棒高跳びの要領で隣の建物の屋上へと飛び移る。
眼前眼下の敵どもに怨念の篭った視線を突き刺しながら、飛び移った先の狙撃兵を駐車場へと蹴り落とす。
ディートリヒは雨に打たれながら、己の怒りが以前より冷静なものである事を自覚した。
呑まれるほどの狂気で熱された、怒りの鋼。それが雨に冷却され、より強固なものへと変わって行くような心地がしていた。
怒りは心の臓より腕へと伝わり、そして指へと伝わる。
全身に行き渡った怒りが、咆哮と太刀筋へと変換され、そのまま周囲の煉瓦を叩き割る。
――亜人の二人を発見した時、彼女らは売春宿の男達による陵辱の憂き目に遭っていた。
彼女らを捕獲してMAIDへと改造し、戦場に送るのか。
そして戦果を挙げ過ぎたのなら、秘密裏に消されてきた数多のMAID達と同じように、凄惨な最期を遂げてしまうのか。
遂げなくとも、おそらくはMAIDとしての新たな生を手にするその日から、あの陰惨な視線の数々に晒されながら戦場に赴くのだ。
全て、見せ掛けだけの鍍金にまみれた伝説の為に。
それを思うと、ディートリヒは怒りの熱気に揉まれずには居られなかった。
一枚岩ではないにせよ様々な陰謀の渦巻く皇室親衛隊への憎しみを、ついに忘れることはできなかったのだ。
「お前も、お前も……!」
四人目の狙撃兵を地面に投げ落とすのを確認するや、スルーズが眼下の駐車場を駆け抜けるのが見えた。
ガスマスクを外し、褐色の顔が露わになっている。
こちらが状況の打開に気を取られている間、彼女は既に次の行動を起こしていたのか。
急いで飛び降り、煉瓦が破壊されて穴だらけの駐車場に、もう一つ穴を開ける。
亜人の姫君二人は大きな双眸をよりいっそう開いていたが、意に介さない事にした。後でどうとでもなる。
「スルーズ、てめぇ……俺達の仲間はどうした」
まずはこの眼前のいけすかないMAIDに啖呵を切ってやらねば気が済まない。
諸悪の根源を叩き割る前に、眼前の悪の一つを見過ごすわけには行かなかった。
「さぁな。形勢が不利と見るや人質を解放してくれたから、手加減はしたつもりだが……心配なら自分の目で確かめてきたらどうだ」
「その前に、亜人の二人を返しな。どうせお前ェらじゃロクな事にならねぇ」
残酷に残酷の上塗りを行うのならば、それを止めぬ道理があって良いものか。
戦友の誇りを汚し、蹂躙し、それらを闇に葬って上から蓋をする。そのような事がまかり通って良いものか。
スルーズは既に目標を達成したと考えているのか、腰に下げた拳銃をこちらに向ける事も無い。
しかし、それこそがディートリヒにとっては“上から蓋をした”ような真似に映ったのである。
ところどころに痣のある女性――スルーズは、両脇に亜人を抱えながら黒い双眸に憎しみを湛え、ディートリヒの怒りに正面から立ち向かう。
「断る。国家に背いた蛮族に、この子達を渡すわけには行かない。お前達のやっている事が単なる偽善に過ぎぬ事を何故自覚できない?」
「はァ! どの口がほざきやがる! てめェん所の少佐殿なんざ、手前ェの事しか考えてねェクズ野郎じゃねぇか!」
「……哀れな奴」
溜め息混じりに憐憫と侮蔑の感情を吐き出しながら、スルーズはゆっくりと駐車場の出口へと歩みを進める。
ここで止めねば、亜人の二人は残酷な戦禍へと投げ込まれてしまう。
「このアマ、待ちやがれッ! オイ――」
「――ディートリヒ、伏せろ!」
振り向けば、ダリウスの身体が銃弾に貫かれる様子が、スローモーションで流れて行く。
嗚呼、駄目だ。その位置は駄目だ。しっかりと心の臓を撃ち抜いてしまっているではないか。
その位置は正しく、即死を意味していた。
「ダリ……ウ……ス……?」
雷鳴と共に次の銃口がこちらを捉える。
ディートリヒはエッケザックスを建物に叩き込み、その煉瓦ごと狙撃手を破砕した。
本当はそれ以上の地獄を、ゆっくりと指先の骨から順番に砕かれる地獄をその狙撃兵に与えてやりたかった。
しかし、おそらくあれでは骨の一欠けらも無事ではあるまい。エッケザックスを建物に刺し込んだまま、横たわるダリウス・ヴァン・ベルンへと駆け寄る。
息もしていない。何も話さずに死んでしまっていたのだ。
せめて、一言や二言程度でも話ができれば。その望みすら、一発の凶弾によって打ち砕かれた。
周囲を見渡せば、死屍累々の惨状があちらこちらで横たわっている。
黒も灰色も一様に入り混じり、あるいは見知った顔が青白くなっていた。
「……」
ダリウス大隊は見事に壊滅してしまった。ジープも全て弾痕に覆い尽くされ、使えそうなものは一台も残っていない。
目まぐるしく回転を続けていた戦場が、それをやめたというのに。何か得られただろうか。
逃亡しようとしていた仲介屋も、駐車場の真ん中で蜂の巣になっている。
「いや、孤児院で戦ってたみんなは……!」
これほどの惨状で生き延びた者など殆ど居ないに違いない。
違いないにしても、全てが終わったという事ではない筈だった。
事実、出入り口の扉の近くには、見知った男が壁に寄りかかっていたのだ。
「……ディートリヒか。すまねぇな、姫君二人を取り逃がしちまった。グリムもそん時に蜂の巣に……」
弱弱しい声の主は、ハイメ。ダリウス大隊の古株の
一人であり、これからも共に戦うと誓った部下だ。
蜂の巣にされたその姿があまりに痛ましく、呼吸もあと数分もしないうちに止まりそうだった。
いたる所が赤黒く染まり、命の灯火をもう少しで消してしまおうとしている。
ディートリヒの視界は霞み、その睫毛と頬にひんやりとした感触が伝う。
「……泣くなよ
ディー坊。こうなっちまったら今更俺達が何をしようが……あいつらにゃ関係無ェはずなんだ。
俺たちはまだ何も……
やらかしちゃいねェのさ。そうだろ? ッ……!」
「ハイメ、死ぬな……! 死ぬな!」
「へッ、無茶云うなよディー坊。戦争っつぅのはな……ワケが判らないうちに誰かしら死んじまうもんだ。お前だけは生き延びろよ……」
お前まで死んじまったら、俺らの犠牲が無駄になっちまう。そう云って、ハイメは体温を霧散させる。
もう二度とその目が開かれることは無いという事を知っているだけに、ディートリヒはそんな彼の喜劇じみた台詞を飲み込むことは出来なかった。
戦場は幕を閉じていたのだ。それも、こちらの敗北という形で。
ダリウス・ヴァン・ベルンは“みんな、生き残れ”と云っていたのに。
これからも家族のように笑いあいながら、肩を組んで戦争終結後の夢などを語らいながら、満天の星空の下で焚き火を取り囲む。そんな日々が続くと思っていたのに。
たった一つのこの作戦で、何もかもが潰えたのだ。
亜人救出作戦という一つの凶弾が、ダリウス大隊の日々を穿ち、その生命に終止符を打ってしまったのだ。
力なく立ち上がり、再び雨天の煉瓦の景色へと足を踏み入れる。
「俺達は……」
誇りを心に持つ以上、どこへ向かおうと傷を負う。ディートリヒとて本能的に理解できない事ではなかった。
だが、何の為に戦ってきたのだと雨雲に問いかけても、おそらくは何の答えも出しはしない。
煉瓦に当り散らしても、拳にじわりと衝撃が伝わるだけで、何も答えてはくれない。
見渡せば、巨剣エッケザックスが仲間の亡骸に囲まれて静かに横たわっていた。
自重に耐えかねたのか、ずるずると降りてしまったらしい。
「そうだよな……グリム、ハイメ……ダリウス……そして、みんな」
雨が瘴気の色を帯びはじめる。Gがこの辺りにまで攻め込んできていた。
死体の数々へと群がる害虫を遠巻きに眺めながら、せめて仲間達の死に顔だけは汚すまいと、エッケザックスを持ち上げる。
遣り残したことはまだまだ沢山ある。
「“俺達”はこれから、やらかしてやんよ」
ここで座り込んでいても、もはや誰も答えを出す事はできない。
せめて暗雲と濃霧にまみれたこの世界で、我武者羅に飛び回っていれば、いつしか光が差し込むのではないか。
コア・エネルギーを一瞬だけ吹かし、周囲を威嚇する。
「さァ虫けら共……全員まとめて吹っ飛ばしてやらぁ! かかってこい!」
――へェ。わざわざGをこっちに誘導してきたのか。考えたね。
シュバルツは残存部隊と共にジープで逃亡しながらバックミラーを用い、スルーズの“救出した”二人の亜人越しに、その惨状に目を遣る。
孤児院を取り囲む塀から、何か黒い影が動いているのが見えていた。
スルーズから返された麻酔用弾薬――結局の所、これを使う機会は無かったそうだ――をダッシュボードに仕舞いこみ、助手席へと顔を向ける。
「スルーズ、もしかしてあの筋肉馬鹿を始末しなかった?」
「申し訳ございません、威嚇射撃を行ったところ、逃亡しまして」
「まぁいいんじゃないの。それなら。どうせあれじゃあ助からないよ」
“Dietrich”の名は由緒正しき軍人貴族だけが名乗れるのさ。そう胸中で付け足し、通信機で繰り広げられている会話に耳を遣る。
内容はどうにも、この集落は放棄するだの、北部リスチア自警団やマフィアにでもやらせておけだのというものだった。
アクセルを踏む足が微妙に強まる。シュバルツにとってはそんな面倒なやりとりなどどうでも良かったのだ。
とにかく早く帰ってシャワーを浴びたい。後部座席に控える二人の亜人を、綺麗にしてやりたい。その一心である。
「君も後部座席に乗せておいたほうが良かったかな。失敗失敗」
「窮屈でしょうから。君達は大丈夫?」
少し振り向けば、小さく頷く二人の亜人。
嗚呼、名前は何と名づけようか。どんな服を着せてあげようか。
他のジープはいざしらず、このジープだけは喜びに包まれていた。
亜人を二人、それも従順な性格の二人を手に入れたシュバルツの喜び。
愛する主人に尽くし、目的を達成したスルーズの喜び。
陰惨な売春宿、そして粗暴な賊軍の渦巻く戦場からやっと救い出された二人の亜人の喜び。
それらが、彼らの感情を明るく照らしていた。
――時は1944年7月2日、夕刻。
ダリウス大隊はリスチア南部にて、G襲撃により壊滅。同隊所属のディートリヒは離反したが、処分を免れて逃走。
報告はこのような形として、皇室親衛隊と国防陸軍へと届けられる事となる。
最終更新:2009年02月08日 00:39