Chapter 8-5 : 悪夢の決戦

(投稿者:怨是)




 ここは古びた鋼鉄の要塞。
 絶海の孤島に浮かび、見るもの全てを恐怖させる、絶対悪の要塞。
 血と錆でどす黒く変色したその壁は、まだ寿命の残っているであろう照明が不気味に赤く照らしていた。

「喰らえ!」

 巨大な炎を纏うEARTH製の人間用必殺剣“イグネシュヴェルト”は、かつて愛する女の為に戦い抜いた男の手へと渡った。
 男の名はエドワウ・ナッシュ。通称“業炎の騎士・エディ”。
 かのエントリヒ帝国において、孤独を胸に抱きながら暗澹たる世界を戦い抜いてきた男である。

 昔の名前はもう棄てた。否、奪われてしまった。かつて愛したあの女との、安息の日々と共に。
 “見えない悪”が彼女を殺し、エディの視界から永遠に奪い去ってしまったのだ。
 一撃、一撃と、重厚なエンジン音を響かせる大剣が害虫を駆逐して行く。

「……どこだ、黒幕はどこにいる!」

 怒りは収まりはしない。
 もはや帰る道すら閉ざされた。

 ここには救いは無いのか。

「せめて、せめて貴様らだけでも……」

 人間を優に越す体格を持つ害虫たち……Gは、人類の絶対的な敵としてその平和を打ち砕いた。
 そして、その戦禍と混乱の中であらゆる人間達の陰謀が渦巻き、エディを絶望に追いやったのである。
 “見えない悪”の全てが明るみに出なくてもいい。
 せめて相打ちになろうとも、エディは自分の平和――彼の恋人を奪い去った悪だけでも叩き潰してやりたかった。

「この大剣で葬ってやる。地獄に送って、そこで毎日焼き殺してやる」

 もっとも、エディにとってはこの世界こそが地獄であった。
 地獄は地獄であり、努力し改心すれば報われる“煉獄”の類ではなかった。
 紛れもない地獄である。

「火を吐いて堕ちろ!」

 大剣イグネシュヴェルトから巨大な火の玉が放たれ、上空のフライの群れを容赦なく撃ち落す。
 周囲の体液と瘴気に炎は燃え移り、辺りは灼熱へと変化した。



「俺はこの剣があれば勝てる。俺が超人だ。ひれ伏せ、害虫ども!」

 ああ、何と心地良い切れ味か。

 銃弾すらまともに通さなかったあの外殻が、まるでバターか何か、いや、むしろマシュマロかパンのようにサックリと行ってしまう。
 エンジン音は脚を軽やかにさせ、大きな溝すら走れば飛び越えられる。
 ふと、剣がまばゆい光を発した。
 何かに怯えるように、激しく明滅する。


「……! 黒幕が近いのか」

 目の前を見れば、そこには大きな赤い扉が、実に仰々しく聳え立っているではないか。
 巨大な金属製のドアノブが、双眸のようにこちらを見つめている。
 嗚呼、いるぞ!
 この赤い扉の向こうに、悪がいる!

シュヴェルテ……いや、エミア。俺はお前を守れなかった。それにこんな敵討ち、お前は望んでいないんだろうな」

 …………。

『アシュレイならこういうジャケットが似合うんじゃない?』

『そうかぁ? ちょっと派手すぎると思うんだが』

『今はこれくらいが流行りなの。ホラ、さっさと試着する!』

『えッ、いや待って待って! ホントに似合うのか怪しいって!』

『私のセンス、もっと信用してよ』

 在りし日の彼女との思い出が、走馬灯のように流れて行く。
 セピア色に枯れたそれらは、エディの心に小さな楔をいくつも打ち込んだ。


「ごめんな、エミア。だけど……」

 剣に炎を溜め込み、目の前の扉を睨む。


「――それでも、俺には貫きたい“信念”がある」

 叩き込んだ炎は、巨大な扉に風穴を開け、爆発音や轟音と共に、道が開かれる。

 黒幕の部屋は近い。



「……見つけた。ブチ殺してやる」

 真っ黒なローブに身を包んで会議机を囲む集団は、憮然とした表情でこちらを見据えていた。

「……我々に啖呵を切った罪は重いぞ」

 押し殺したような、威圧的な声音。
 彼らが黒幕である事を誰が疑うものか。

 彼らより発せられる禍々しい雰囲気は、まさしく絶望的な悪の集合体であり、吐き気を催すような悪の頂点である。


「先に喧嘩売ってきたのは貴様らだ。シュヴェルテを殺しやがって」

「えーっと、シュ、何?」

 首をかしげた目の前の男に、他の黒ローブが耳打ちする。
 およそ三十秒間ほどの静寂の後に、男が思い出したような表情でこちらに向き直った。

「あぁ、あの小娘か。我々の計画にとっては路傍の石に過ぎなかったな」

「教えてやるよ。士官学校で優秀な成績を残した俺様が」

「ほぅ」

 焦げたにおいを発しながら、大剣に再び炎が宿る。
 赤い炎は、急激に青い炎へと変わり、轟音と共に凄まじい勢いで吹き出ていた。
 周囲の空気がチリチリと音を発す。

「楼蘭にはな。八百万の神がいる。どんなものにも神が宿るって考え方だ」

「あの小娘が神だとでも云いたいのか」

 徐々に、少しずつ、歩みを進め、会議机へと向かって行く。

「俺も貴様らにとっちゃただの“路傍の石”だ。だけどな……」


 回転両断の構え。我流で実用段階まで、いや、数匹のGを一撃の下に駆逐するほどにマスターした技だ。
 もはや人類最強のリーサル・ウェポンと化した彼を止められる者は居ない。

「本当にヤバいのは、神々に喧嘩を売った罪だ!」



 周辺が爆発し、机が粉々に粉砕される。
 黒ローブの男も風圧に押され、他の黒ローブたちも吹き飛ばされていった。


「……見事だよ、エディ。流石は業炎の騎士と呼ばれた男だ」

「業を背負わせたのは貴様らだろうが――何?!」


 ローブの吹き飛んだ黒装束らが、いっせいに起き上がる。
 その出で立ちは、服の色こそ違えど……


「ジーク……フリート……?」

 運命を残酷の一言で片付けるには、あまりに目の前の現実は苛酷だった。
 あまりに苛烈であまりに辛辣で、あまりに傲慢だった。
 ジークフリートの集団が、グレーの服に身を包み、無表情でこちらを見据えているのだ。
 どこでその技術を手に入れたのか。
 何を企んでいる?


「そう、貴様がもっとも恐れたMAIDだ」

「違うね」

「何……」

 黒装束の男の表情が凍る。当てを外して悔しかったか。


「俺はMAIDを恐れてなんかいない。俺は、この世界のスケールに震えているだけさ!」












「……!」

 7月の蒸し暑い潮風に背中をじっくりと過熱され、跳ね起きた瞬間に夕日が両目に刺さった。
 レベルテの沿岸都市のホテルの風は随分とゆるやかで、それゆえに苛酷すぎる。

「夢、か……」

 薬局で買い込んだ精神安定剤を一粒ほど喉の奥に押し込み、道中で補充した煙草に火をつける。
 頭のネジが既に何本か錆び付いてしまったような気分で、思考が鈍い摩擦音を立てて緩慢な回転を続けていた。

「ちくしょう、酷ッでぇ夢だな」

 何が酷いのかと問われても即答できるほどに、彼にとっては酷い夢だった。
 EARTHから武器を提供されたという事も無ければ、EARTHという組織に接触した事も無い。
 あのような絶海の孤島などに要塞を立てる馬鹿もいなければ、都合良く辿り着ける筈がない。どのようにして辿り着いたかも夢の中では語られていない。
 そもそも都合よく悪の組織やら黒幕やらが一塊でアジトを構えるという事自体が、ご都合主義を通り越してはいないか。
 確かにエントリヒ帝国やグレートウォールで不穏な動きがあると、レベルテの地方紙でも語られてはいた。
 しかし、それが具体的に何なのかはあの国の情報統制のおかげでよく解らない。
 夢に出て来た灰色のジークフリートも、新聞で報じられていた謎のMAID部隊の記憶が断片的に残っていただけだ。
 それをここまで誇大化させるとは。次の仕事は三文小説家か。このご時勢では到底稼げまい。


 何より酷かったのは、ふと夢の中で浮かんだ回想そのものは本物の記憶である事だった。
 エミアと買い物に行き、ジャケットの色で悩んだ事は、紛れもない事実である。あの時の笑顔を、いつでも脳裏から引き出せる。
 そして彼女亡き今、脳裏から引き出そうとする度に胸が痒くなる。それが嫌で、かつての名前を棄てた筈だった。
 今はエディでいい。今はエディでいい。アシュレイ・ゼクスフォルトはあの時死んでしまったのだ。

 ここにいる無精髭のみすぼらしい男は“ただの”エドワウ・ナッシュなのだ。
 アルトメリア連邦の歌手、エドワウ・ミルズとイーサン・ナッシュから取っただけの安易な名前。
 彼らの名前を語る事すらおこがましい。だから、今はエディでいい。

 傷心旅行とはよく云ったものだ。傷は全く癒えていないではないか。
 あと四ヶ月足らずであの事件から一年も経つではないか。時間が傷を癒すとは、誰の言葉か。
 世の中の道理はどうなっているのか。エディにしてみれば、甚だ狂っているとしか云い様が無かった。

「ちくしょう……」

 安物の煙草に火をつける。
 結局、ザハーラへの道筋は絶たれてしまっていた。
 陸路は国境警備隊や各国の軍隊が毎日戦闘を続けていたし、航路を取るにも客船などといったものがザハーラを往来する事も無い。
 ましてや貨物船に忍び込むなどといった荒業など、50年も昔なら可能だったかもしれないが、このご時勢ではG対策で到底潜り込めそうにない。

「それにしても……煙草(こんなもん)、よく吸ってられるよなみんな……美味そうに。
 わざわざ咳き込んでまでわざわざ吸うのか? コレどうなのよ。カール・ヴァトラーちゃん」

「健康に対する影響は少なくないものだが、それを必要とする者もいる」

 傍らでずっと立っていたであろう、金髪の男が答える。
 カール・ヴァトラーとは、エディの愛用する拳銃のメーカーの、設立者のフルネームである。
 実際には1915年には墓の中で静かに眠っているし、幽霊がこんな辺鄙な沿岸都市に遠路はるばるやってくる事は無いのだが、とにかくもう話し相手は彼しか居なかった。
 道中には指を指して笑う人々や、嫌悪の表情を露骨に示す者までいた。
 その中で彼は、彼一人だけは常に傍にいて支えてくれたのだ。
 この男は愛銃ヴァトラーP.38にちなんで名乗っている辺り、どうにも奇妙な因縁めいたものを感じる。

 それにしても、クロッセル連合は同じ大陸の地続きとなっているだけあって、やはり部品の相互調達はできているようだ。
 誤射の際に吹き飛んだスライドも、すぐに交換してもらえたのだ。
 テーブルの上で愛銃を分解し、メンテナンス道具を広げる。陶器の倒れる音がしたが、きっと気のせいである。
 熱いから水を撒けば涼しくもなろう。丁度良い具合ではないか。

「っははは。そーか、じゃあみんなよろしく世知辛い世の中だもの。すーぱっぱ、してるのかぁ」

 ひとたびベッドから離れれば、風は意外と心地良いという事実に気付かされる。
 潮風は、寝汗に濡れた頬を優しく撫でてくれる。
 孤独は、軋んだ身体を優しく抱きとめてくれる。


「でもこの煙草も駄目だな。タールがだるくなっちまう……重すぎて。
 ああ禁煙しないよ。癇癪を抑えるために俺はこの安定剤と煙草と、あとミネラルウォーターと酒と安定剤と煙草と酒と酒、ああ、必要なんだ。必要なんだよ」

「君が必要と云っているなら、それは絶対に必要だ。必要なら摂取していい」

 愛銃のスライドとバレルを固定し、フレームに滑り込ませてレバーを捻る。
 マガジンは入れない。戦闘中ではないからわざわざ入れる必要が無い。
 それでも弾だけは仕入れておいたし、時おり絡んでくるチンピラからたんまり頂戴したこともあった。

「優しいなぁ、相棒は。あの後みんな俺に対して冷たくなっちゃってさ。寂しかったんだ。
 でも、ここまで付いてきてくれたのはお前だけだったよ……」

「旅は道連れ世は情け」

 ホルスターに仕舞いこみ、ベッドの足元に立てかける。
 吸殻をテーブルの水溜りにそのまま投げ入れる。ジュッという音と共に、赤い光は瞬く間に黒い塊へと変化した。
 ホテルのドアの鍵は閉めたか。よし大丈夫だ。

「飯は……寝よう。べつにいい」

「ああ、おやすみ」

 チェックアウトは明日だ。食事が喉を通らないなら、無理に食べる必要も無いだろう。
 吐いて戻して懐を怨むよりは何倍もマシだった。
 明日はもう少し、この町を回ってみようか。
 回ったら、また北上しよう。ここでは仕事が見つからない。



最終更新:2009年03月04日 05:51
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