偽る者

(投稿者:店長)


──★──

──そして今日も僕は周囲を、そして自分をも騙していく。

──★──


一見すれば小奇麗な高級娼館に見える建造物。
一部の将校らが通う憩いの場と周囲からは認識されていた。
しかしそれは内外からのカモフラージュ。
グリーデル王国の秘密情報部である軍情報部第7課の本部がそこにあった。

軍情報部第7課。クロッセル連合国外の、強いてはグリーデル国外における諜報活動を主にこなすのが所属員の仕事である。
そこに今日は凄く若く……むしろ幼いという容姿のやや暗い赤毛の少女が呼ばれていた。

真っ白い長袖のブラウスに黒いネクタイ。
足の付け根まで露になっている短いズボンの切り口から、
白いガーターベルトが伸びて同じ色のストッキングを吊るしている。
見た目から言えば、どちらかというとお水系と言われそうな格好だ。
場所が場所であれば、僅かに彼女の身体から漂う薔薇の香りのする香水と相まって娼婦という認識しか起こさないだろう。

しかしそのブラウスに付けられた腕章を見れば、彼女は軍情報部第7課の構成員であると伺えた。

「およびですか?」
「ご苦労……”ブラックバカラ”」

赤の色素が濃すぎて黒ずんで見える薔薇の種類の名……これはコードネームである。
彼女の籍はクロッセル連合陸軍にあり、名前はエルフィファーレといった。
工作員として、そして兵士としても動ける存在を、軍情報部第7課は生み出すに至ったのだ。
無論様々な特殊訓練……特に情報を収集するために諜報術に至るまで施すのも忘れない。
その事は今教育担当官として彼女と接しているガラン・ハード大佐は知らない。
全てはクロッセルの、グリーデル王国の為に情報管理されていたのだ。

「君に新しい任務を与える……軍事正常化委員会は知っているな?」
「はい、エントリヒ帝国内の旧国防陸軍参謀本部が起こしたクーデター組織……ですね」
「君にはその組織に入ってもらう……」
「スパイ、としてですね?」
「その通りだ」

手渡される紙の表面には、びっしりとタイプライターの文字とインクペンによる走り書きとで白と黒の割合が逆転しかねないほどに彩られている。
軍事正常化委員会が何故生まれたのかというプロファイルから、現状の様々な工作に関わった人物らの足跡。
辞書ぐらいに分厚さになってしまっている紙の束を受け取り、軽く目を通していく。
表情は娼婦のそれではなく、軍人のそれであった。

「プランはどのように?」
「我々の工作員によって、自然に入るように手配する」
「──了解しました」

僅かな時間の間で既に読み終えたエルフィファーレは、書類の束を長官と呼ばれた人物に戻す。
速読能力もまた訓練されるべき能力である。
相手の機密書類を入手した際に撮影など出来ない場合において内容を読み取る。
無論撮影等の手段があるならそれに越したことはないが。
敬礼をしなおし、部屋を退出していくエルフィファーレの後姿を、長官は無表情に見送った。


──★──


アクションは数日後に起きた。
彼女の元に、諜報部からの暗号文で記された手紙が送られてきたからだ。
無論表面上に書かれている内容は他人が見たところで親しい友人からのものにしか見えない。
設定では海の向こうのエテルネ公国の戦友からとなっている。
実際に調べれば顔写真と一緒に情報が閲覧で切るようになっているが、
実際にはその戦友は存在していない。

「どうしたのですか? エルフィファーレ」
「ああ、ルルアさん。私宛のお手紙ですよ」
「文ですか。いいですね……」
「ええ、彼女は相変わらず元気にしているそうですよ」

ルルアとこうして話すことは自然なことだった。
軍に所属しているエルフィファーレは格好がやや変だが真っ当な人物、となっている。
軍でのエルフィファーレもまたルルアというメードに好意的な感情で接している。
互いの関係は良好であり、戦場でも肩を並べて戦う間でもある。

紫がかった黒く艶やかなセミロングの頭髪を指で弄りながら、そっとルルアは手紙の内容を伺う。
ルルアの目にも、極無難な出来事が記されているようにしか見えていない。

「一度その子に会ってみたいですね」
「ちょっと難しいと思いますよ? 彼女は忙しいですし」
「少し残念です」

他愛無い会話をしている合間に、エルフィファーレの双眸は手紙に散りばめられた暗号を解読していく。
暗号の記す内容にはこうかかれていた。

『○月某日、軍事正常化委員会から派遣される人員と接触せよ』

──★──

夜のグリーデル王国の街中の一角。
やや肌寒い夜の街を行くエルフィファーレは、人知れずに指定された場所にたどり着く。
そこには黒いコートを纏った、少しエルフィファーレよりも身長が高い若いメールがいた。
目つきこそ半開きで悪いものの、顔の造形はよい。
恐らく軽く化粧を施し、可憐な衣装を着させて、髪の毛を整えれば少女としてみれるかもしれない。
顔写真や身体的特徴などは既に記憶してある……彼はシリルというメールだったと、彼女は思い起こす。
彼は軍事正常化委員会、俗称黒旗における説得や決別を担当する人物であり……ルルアの教え子だった者だ。
何故彼が寝返ったのかは判らないが……エルフィファーレには背伸びしていい格好を見せたがる少年のように伺えた。

「お前が……エルフィファーレか」
「そうですよ?……お名前を伺っても?」
「シリル、だ」
「ああ、シリル……彼女が……ルルアが口走っていましたね」

彼女……ルルアのことを告げた途端、彼の表情が急に険しくなった。
彼には以前から何かしらの劣等感があるのではないかという諜報部の情報であるが、
どうやらルルアに関わりがあるらしい。

「……僕に話があったんじゃないのです?」
「すまなかった」

──感情のコントロールができていませんね。

慌てて落ち着こうとしている彼の姿を見たエルフィファーレは、
表情でこそ微笑んでいたがその仮面の下では落胆していた。

「お前が軍事正常化委員会に参加したい旨は聞いている……」
「ええ、そうです」
「総統閣下も……お喜びになるだろう」

どこかぶっきらぼうでいかにも台本を覚えてそのまま告げているような不自然な言い方をするシリルを、
彼女は期待の──実際は冷ややかな──目で見つめる。
彼自身はどう思っているのだろう。
本当に、あのクーデター組織に忠誠心を持っているのだろうか。
心から、あの理念を信仰しているのだろうか。
それとも、ただルルアと敵対する口実が欲しかっただけのだろうか。

──貴方はルルアのことを大切に思ってないのですか?
思っているのなら、何故その思いを直接告げないのですか?


そこからは事務的な話となった。
どの日に教育担当官を連れてくるか。
どのような手口で”決別”するか。
そこに感情が入り込む隙間は無い。
機械仕掛けの人形のように、黙々と必要な話し合いを済ませるだけ。

──★──

「こんな夜遅くに何処に行っていたのですか?」
「ああ、ルルアさん今晩は。そしてただいま」

シリルと出会い、話し合いを済ませたその夜。
消灯時間が過ぎた後に気づかれないように部屋に戻ってきたが、まだルルアは起きていた。
薄暗い室内で自分の刀である神狼の手入れをしていた。
ルルアが言うには楼蘭のメールから引き継いだ遺品であるらしい。
透き通った刃が月の光を浴びて、優しい光を照り返す。
軍人としてのエルフィファーレは彼女を尊敬し、敬愛し、そして信頼している。
やや過保護気味なところと難しいことを考えることができないところがなければ、
恐らく彼女が教育担当官であればこれほどいい人物は他にいないだろう。
そんな彼女の元から消えたシリルに、幾ばくかの憐れみすら覚える。

「綺麗な刃ですね。まるでルルアさんの心のようです」
「……なんですかいきなり。褒めても何も差し上げませんよ?」

外套代わりの制服をハンガーに立て掛けながらエルフィファーレは言葉を続ける。
早速ネクタイとブラウスを解き、寝巻き姿へと変えていく。
ルルアには実際のところを知らないが、彼女の格好は娼婦のそれに見えてしまうのだ。
過度に露出しない程度のショーツにネグリジェ。そして香水の香りが今の彼女を包む全てだ。
同じ女性であるルルアにも、今の彼女の姿は艶やかの見える。
男性なら、飛び掛ってしまうかもしれないだけの引力じみたものを彼女は備えている。

「いえ。そんな師匠の心を弟子が理解できないというのは悲しいかなっと思いましてね」
「──何の話です?」
「いえ、なんでも♪ それではお先に失礼しますね」

──★──

決意をしなければならない時、迷いを抱いたものはそこで終わる。
僕は決して、迷いはしない……国の為に、そして僕自身の為に。
そのために僕は、大佐を……。

──★──

「しかしいきなり夜の街を出歩きたいと言い出したときは驚いたものだがエルよ」
「すみません大佐。けど最近こうして歩いたことがなかったじゃないですか♪」

傍から見れば軍服を着たグリーデル人とその娘……そんな二人は夜の街を歩いている。
彼ことガラン・ハード大佐は真摯な性格を持った、公正で安定感のある軍人だ。
政治的野心を持たず、国家の為にその身を捧げる軍人の鑑とも言うべき人物。
その人気は下級兵士らから絶大で、貴族でないのに彼が大佐という位を得ている一因の一つであった。
やや皺の目立ち始めた彼の腕を、胸に抱きしめながら歩くエルフィファーレ。
彼は軍人としてのエルフィファーレしか知らない。
彼は知らない。エルフィファーレは軍情報部第7課所属のメードであることを。
彼は知らない。既に死ぬことが決定されていることを。
彼は知らない。彼自身を殺害する相手を。

こうして歩いているうちに、ガランは自分らを追跡する存在に気づき始める。
クロッセルの、特にグリーデル軍人を狙う不埒な存在はそう多くは無い。

「エル……済まないが夜の散歩は一時休止だな」
「少し、残念ですね」

無言で、エルフィファーレは外套の裏に仕込んでいるスローイングダガーと近接戦闘用のナイフを引き出す。
エルフィファーレは気づいていなかったわけではない。
むしろこの状況になるまで待っていたのだ。

一人、また一人。
物陰から現れるのは軍事正常化委員会……黒旗の腕章を身につけた軍人達である。
最後に現れるのは……黒いコートを羽織ったメール、シリルだ。
ガランはその姿に見開いている。

「久しぶりだな……ハード大佐」
「貴様はシリル……!」

元クロッセル連合所属の、裏切り者であるシリルを見て眼力が増す。
ルルアの教え子として彼もまたシリルを見ていた。
まだまだ伸びると小さな孫を見るような思いで彼を見守っていただけに、軍事正常化委員会に下った彼に対して怒りや憎悪を超えた激情が吹き荒れた。
老いたるといえども、たたき上げの軍人であるガランの気迫はなんら衰えるものではない。
しかし同時に、冷静な軍人としての思考で自分がこいつらに襲われることはしていないはずだとガランは疑念を抱く。
そもそもクロッセル連合への攻撃などは極少数のはずなのだ。
あるとすれば個人的な恨みか……こちらが感知しないことがあったか。

「大佐」

そっと、呟く声。
何故かこの時は静かに……はっきりと周囲にまで聞こえる声だった。
声の主であるエルフィファーレに、ガラン・ハード大佐は顔を向け、

「──僕の為に死んでください♪」

気味が悪いまでの綺麗な笑みを浮かべながら、その心臓に深々と短刀を突き立てた。

「ぐぉぉぉ!?」

驚愕、そして絶望。
その表情を浮かべながら……ガラン・ハード大佐は地面に倒れ付した。
エルフィファーレの仕出かした事に、黒旗は……シリルは騒然となった。

「何故、だ……エルぅ……」
「何故って僕は軍事正常化委員会に参加するからですよ」
「っ……」

そのまま彼の元から歩み去る。 
凄まじい勢いで血溜りを広げていく彼の身体から、等しい量の命が失われていく。

「……さようなら、ガランさん」

シュッと、鋭い投擲用の短刀が飛ぶ。
吸い込まれるように、その短刀の刃はガランの額に着弾し……彼に永遠の眠りを与える。
何の躊躇もなく、今まで慕ってた人物を自らの手で殺害してみせたエルフィファーレに、シリルは驚きを隠せないでいた。
本来であれば、ガランはシリル自身か他の隊員が手を下す手筈になっていたのだから。
シリルはふと、自分がこの状況になった場合を幻想した。
今装備しているサーベルで、ルルアを笑って殺せるのだろうか。
躊躇もなく、それとなくを想像させずに。
そして思う……それだけはできない。
シリルはただ、認めて欲しかっただけだ。
ルルアと比較される対象としてではなく、シリル個人を評価して欲しかっただけなのだ。
そこにルルアに対する負の感情は、殺害に至るほどではない。
だが、彼女はどうなのだろう。
冷酷なまでに、思い切りの良さ。
機械のように……容易く親しい人を殺して見せた彼女は。

「お前……」
「お前じゃないですよ?……それに、これで僕が本気だって判ってくれたでしょ?」
「あ、あぁ……軍事正常化委員会はお前を歓迎しよう。エルフィファーレ」
「はい、よろしくお願いしますね♪」

エルフィファーレから差し出されたその手を握るのを、シリルは本能的に嫌った。

──★──

彼は死に行く前に、エルフィファーレの瞳を見た。
ガランは判ってしまったのだ。彼女は何か人に言えない秘密を抱えていることに。
数年の間とはいえ、共に過ごしてきた間柄。
彼女が人に言えない事を抱えた時、または嘘をついたときは決まってある状態になるのだ。
その瞳が、ガラス細工のように無機質の光を放つのだ。
まるで人形になることに徹しようとするように。
木かブリキかで作られた道化であろうとする。
自分自身を、そして周囲も上手く騙しきる為の擬態。

彼女が愛国心に溢れていたのは誰よりも知っている。
そんな彼女が、国を裏切るはずはないのだ。
だから、きっと……。

彼女が投擲ナイフを構える様子が、やけに遅く感じる。
その間ゆっくりと巡る、彼女との思い出。
俗に言う早馬灯というものをガランは見ていた。
苦しくも、実りのある日々。
実の子がいないガランにとって、エルフィファーレは娘か孫娘のような愛しい存在だった。
彼女の別れの言葉が聞こえる。
彼には、涙声のように震えて聞こえる。

──さようならエルフィファーレ。娘当然の少女よ。

声こそ出ないものの……ガラン・ハードは彼女に対して告げた。
憎しみも悲しみも超えて……苦しみから永久に解放され。

──★──

これで僕は晴れて軍事正常化委員会に所属する。
大佐を笑顔で殺してみせたことで、僕がスパイであることは隠蔽できたはず。
きっと僕はこれからも同胞を手にかけていくだろう。
罪もない人々を殺めていく。
ルルアはもしかしたら僕のことを信じてくれるかもしれない。
だけどもう僕は後戻りできない……黒旗が滅んだ後は、裏切り者として処分される事になっている。
全ては僕と共に、墓の下へと葬られるのだから。
そのこと事態は悲しいことではない。
国の為にその命を投げ打つことなのだから。
……大佐と一緒の、天国にはいけないだろう。
僕がいくのは、地獄に違いないのだから。
ただ、願うのは……僕のような子が生まれないで欲しいということ。
その為には、僕は周囲を、自分自身をも騙していく……。

──★──


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最終更新:2009年05月03日 00:16
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