girl's time

(投稿者:Cet)



優しさも
痛みも感じない季節は
そっと隠れていよう

-the pillows [Please Mr.Lostman]



 ファイルヘンは読書をしていた。与えられた個室に一人、窓際に設えられた椅子に座っている。無表情に、ぺらり、ぺらりとページを捲る。
 時折くすり、と笑う。あるいは、あはは、と少しばかり姦しく。時折文に含まれる小粋なユーモアを目にとめては、表情を色々に移り変わらせる。
 そして彼女は手を止めた、視線を本から外す。

--ああ、楽しかった。

 彼女はそんなことでも言いたげな表情で一つ溜息をつき、そして本を背の低い丸机に置くと、大きく伸びをした。きぅ、と小動物の鳴くような声が漏れる。それから背もたれに身を任せる。
 暫くの間彼女はぼぅっと視線を固定し、椅子に深く腰掛けたままでいた。読後の余韻に浸っているのである。
 窓の外から差す光だけが、時間を満たしていた。あるいは時間の概念を忘れさせていた。
 不意に彼女の視線が時計を求める。果たしてそれは正面の壁の上部に掛けられていた。昼を少し過ぎたくらいである。
 彼女はひどい退屈を感じていた。
 あるいは彼女が繊細な精神を以て身の回りのものを把握できたなら、多少なりの暇つぶしもできたであろう。とはいえ、それでもいつも通りの自室と、風景を見ているだけでは、精神も飽和しようというものだ。
 どうしようかと暫く考える、そして結論はひどく簡潔に出た。この部屋に居る他ないのだと。
 基本的に彼女の権限というものは非常に狭い。大方は、彼女の教育担当官であるクナーベという青年の指示、あるいは情報戦略課の長である、ヴァン・フォッカーの指示及び許可の範囲に占められ、結局彼女自身の自由権限といえば、この個室の中で実行可能なものに限られるのである。
 つまりは読書。
 因みに彼女が先程まで読んでいたのは、極々ありふれた男女の恋愛を描いたものである。クナーベが大衆向けに書かれた作品の中から、特に洗練された面白さを持つと判断したものを選び、彼女に与えていた。
 その中に描かれる登場人物の性格は、凡そシンプルであり、しかしそれ故にその言動は小気味よく、また全体の流れをスムーズに感じさせるものである。彼らは見聞するものに対し極めて明快な理解を得ることで、読者に共感を覚えさせ、あるいはテンプレート的な思考の末に混迷に身を置いたりもする。それらの性格は、一般的に憧憬の対象となるようなキャラクターであった。
 彼女は、それらを溜息に付した。
 ふう、と一息。彼女は実際のところそれほど彼らに憧憬を抱くことはない。
 彼女はこう思っている、彼らが身を置いている現実をいくら客観的に見たところで、今自分自身が身を置いているリアリティに迫るものは、あまり無いのだと。
 そんなこんなで、彼女はノックの音を聞く。
 こんこん、こんこんこん、こんこん。
 ああ、この音こそが、自分を現実へと導く唯一の切符なのだと、そう感じる。
 彼女は机に置いていた本を、敢えてもう一度手に取った。既に読んだ文面の適当な個所をなぞり返す。ドアの向こうに立つ誰かの登場を、待ちわびて。


最終更新:2009年05月06日 13:03
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