淡紫薔薇(気まぐれ)

(投稿者:店長)

「ふぅ……」

軍事正常化委員会のアジトの一室。
エルフィファーレに宛がわれたこの部屋はすっかり彼女のコーディネートが為されていた。
といってもカーテンの柄を変えたりはせず、小物をいくつか仕入れては飾っている程度のものだ。
特に武器などの物資調達担当のマーシャに渋い顔をされつつもお小遣い──将校らに対する夜のお勤めの駄賃である。

流石に総統閣下から取ろうと思ったらフィルトルの目線が怖かったので諦めたが──を多めに払ってお願いした各種化

粧道具やアロマセラピー用の道具はお気に入りである。
あとは街に偵察してた序に購入したプランターや乾燥に強い観賞植物の代表格である覇王樹(サボテン)を買っては育てている。
理想をいえば薔薇を育ててみたいのだが、この軍事正常化委員会のアジトでは十二分に育てることは難しい。
世界的に有名な軍神と呼ばれたメードの育てた薔薇が、今では薔薇園となって宮廷に存在するのだとか。

「君は強いよね……」

過剰な水分が逆に根を腐らせてしまうほどに、覇王樹は水分を溜め込む。
その為殆ど乾燥させる気持ちぐらいが丁度いいとされている。
度々長期間抜けることがあるエルフィファーレが、この観賞植物を選んだ理由の一つである。
もう一つの理由は、……この全身に生やす針状の葉か。

己の身に触れさせないかのように突き出たこの針が、今のエルフィファーレの心になんと似ていることか。
決して本心を他人に見せまいとする決意を形にしたような植物だ。

エルフィファーレは表向きは軍事正常化委員会に所属するメードである。
しかしその正体は軍情報部第7課の命令によって内部に潜入したスパイなのである。
決してそれとは悟られないように、
わざわざ命令になかった表向きの教育担当官であったガラン・ハード陸軍大佐を自らの手で殺してみせたのだ。
傍から見れば螺子の外れたメードに見えるだろう。
全ては、彼女が作り出したまやかしの自分。

「……んっと」

覇王樹に水を少量だけ与えると、戸棚からティーカップとアロマ用の精油を取り出す。
今回選んだ精油はスイートマジョラームの葉から精製されたもの。
この精油を熱湯の入ったティーカップに落とすことで鎮静作用を齎す水蒸気となって部屋中に満ちていくのだ。
他には気分や状況次第でいくつかの精油を使い分けている。
最も、イランイランの精油ばっかりは時と場合を選ぶのであるが……。

沸かしたお湯の入ったティーカップに精油を二、三滴ほどを落とす。
湯気となって上る水蒸気に精油の成分が混じり、それが部屋中に広がっていく。
ふわりと漂う香りが、鼻腔から脳に直接作用する……思考はエターナルコアで行なうメードであっても、感覚は脳が引

き受けているからか、詳しいことは分からない。
ただ、エルフィファーレはこの感覚が好きだった。
脳から湧き上がる刺激によって、胸に溜まっていた黒い澱みのようなものが薄れていくのだから。

「はぁ……疲れたなぁ」

深いため息で澱みを取り除く。それでも未だに身体に無形の重みがのしかかっていた。
いずれ軍事正常化委員会がこの世からなくなるまで、エルフィファーレの任務は終わらない。
それは明日なのか、一年後か、十年後か……判らない。
ただ判明しているのは、エルフィファーレはこのまま軍事正常化委員会の所属員として死ぬことだ。
全ては国のため……歴史上に汚名を残そうが、構わなかった。

ただ心残りなのは、真実を彼女に告げることが出来ないこと。
おそらく、いや、必ず彼女は悲しんでいるだろう……。

ルルア……大丈夫かな」

出来ることなら、本当のことを告げたい。
何もかも、打ち明けてしまいたい。
我侭なシリルの尻を蹴っ飛ばしても彼女の前につれて帰りたい。
そして……今まで心配させたり、悲しませた分の償いをしたい。

「……今更だよね」

やや硬めのソファーに背もたれ、天井を見上げる。
自分の未来は、既に決まっている。
そうするようにしたのは、自分の意志だ。

「……誰?」

エルフィファーレの目つきが鋭くなった。
いつの間にか、ドアの向こうに誰かが立っているのに気が付いたからだ。

「誰、って言われると困るな。……”とりあえずウツロとでも”」
「ウツロ、ね……本当に君なのかな? ”名無し”さん」
「さあ? 実在するかしないかの存在を定義しても意味がないさ」

名無し。
あらゆる諜報機関がその真偽を把握していない謎のメードである。
研究機関EARTHが生み出した特殊なメードであり、
嘗て超能力者だった人物の肉体を用いることで死体やエターナルコアからその人物の情報を読むといわれている。
その存在はブラフであると断じる組織がいれば、
エルフィファーレのように訓練された諜報員として活躍しているという推測を立てている組織もいた。
少なくとも、存在しているのであれば抹殺するか洗脳してでも自身の駒にしたがるだろう。
無論、ドア越しの相手がそうであれば……の問題だが。

「……で、何の用かな?」
「ちょっとした気まぐれだよ」
「気まぐれ?」
「そう。気まぐれ」

本当はどのような目的で彼女──あくまで声から判断しているが、もしかしたら男なのかもしれないが便宜上彼女とす

る──がエルフィファーレに接触してきたか判らない。
けれど、とエルフィファーレは次の瞬間にはどうでもよくなった。
気まぐれと本人が言うのだ。例え違っても気まぐれだと言い張るに違いない。
役者じゃなければ勤まらないのが諜報員というものだから。

「気まぐれなら仕方ないね……とりあえずお互いのことは秘密ってことにしてもらえます?」
「おっけー。じゃ、私は行くわ」
「そうですか。とりあえずお気をつけてといっておきますね」
「さんきゅー それじゃあね」

気配が去っていく。
エルフィファーレの身体能力なら、ソファーから飛び起きてすぐさまにドアを開け、
ドア越しにいた人物の後姿ぐらいは確認できたかもしれない。
しかし、今は暫く……穏やかな時間を過ごしたかった。
まだ、クロッセルにいた時期の……偽りの間柄とはいえ親しかった戦友のことを思い返して。

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最終更新:2009年05月15日 18:07
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