(投稿者:店長)
無手だったはずの彼女の手に、いつのまにか拳銃が握られていた。
『レミンテン・ダブルデリンジャー』―――装弾数がたった二発の護身用拳銃であり、
なによりそのコンパクトさ(124mm)から隠し武器として運用されるものだ。
黒くつや消しのされたそのデリンジャーを袖に隠されたレールから引き出した彼女……ドロッセルは迷うことなく、
手ぶれなど凡そ考えうる誤差の要因を排除された機敏な動きから射撃を行なう。
メード保有のコアエネルギーによって強化された.41リムファイア弾は、まっすぐ
ルルアに目掛けて放たれ、
その握っていた弦楽器ケースによって防がれる。
──やはり、メード!
ただのデリンジャーにしては、威力がありすぎる。
彼女が正真正銘のメードであることを把握したルルアは、握り手に隠されたスイッチを押す。
カシャンと小気味いいスプリングの音と起点としてケースの先端から飛び出た柄を、彼女はそれを躊躇なく引き抜く。
それはスラリと直刃で細長い、シンプルなレイピアだった。
元は暗殺用の道具として軍情報部第7課が開発したものだが、マクスウェルのコネによって取り寄せされたのだ。
レイピアを取り出したルルアはドロッセルの射線に入らぬようにステップを踏みながら、一歩踏み出す。
ふわりと舞うスカートの裾から、一瞬だけ外気に触れた脚が露になるが、外見など今は構っていられない。
腰を深く落とし、繰り出される刺突。
その攻撃は、吸い込まれるようにドロッセルの握っていたデリンジャーを弾く。
無手となった彼女は、これで無力化された──ルルアはそう確信し、次の瞬間には寒気を覚えて咄嗟にレイピアを胸の前に翳す。
甲高い音と火花がレイピアの直前で閃く。
彼女のデリンジャーを握っていなかったはずの手に、短刀が握られていた。
「くっ!」
相手の懐の得体の知れなさに怯む己に叱咤し、果敢に攻め立てることを強要する。
撓むぐらいに柔らかいレイピアのしなりを生かした、曲の軌道。
狙う先は、彼女の持つ短刀。
一歩油断すれば自分が死ぬかもしれないこの状況でも、ルルアは同じメードを傷つけたくは無いのだ。
だが、その短刀にレイピアの刀身が命中する前に短刀の柄と刃が分離し、飛び出した。
「ぃ―――ッ!」
スプリングナイフの刃が、ルルアの右肩に掠る程度に命中する。
痛みが、ほんの数瞬だけルルアから意思を戦いから引き離してしまった。
顔を顰めたその目の前に、誰かの腰から下が映る。
がっしりと握られる右腕。
ルルアの視界が、床から何故か天井と移り変わり、背中から体中に走る衝撃と共に揺れた。
右腕を捕らえられたまま後ろに引き倒され、さらに肘の関節を極めんと捻りが加えられる。
「ッ!」
完全に極められる前に、体のバネを総動員して曲げられようとする方向と同じ向きに宙返り。
右手に握られたままのレイピアを左手に持ち替え、グリップガードによる打撃を顎を狙って放つ。
距離は離されたものの右腕の自由を取り戻したルルアは、咄嗟に数歩下がって距離を取った。
──人間との戦いに、慣れている?
間接を極めるなど、凡そGとの戦闘では用いる必要が無い。
Gに必要なのは攻撃力、甲殻を切り裂く、もしくは粉砕できる打撃力なのだ。
つまり、このドロッセルというメードは―――
「──対人用メード、ですか」
「御名答、と言っておこう」
対人、ないしは対メードに特化したメード。
Gとの戦闘のために、人々を護るために生まれた筈のメードを屠るためのメード。
宛ら、人という生命を滅ぼすというアポトーシスが、形をなしてそこに在った。
ルルアが思考し、更に言いようのない感情を抑えてると、ドロッセルが飛び出す。
彼女に対して、ルルアの本能は拒絶を、理性は迎撃を促す。
頭では倒さないといけない敵だと判っている。
だが、心のどこかでは彼女を殺したくないと叫んでいる。
その一瞬の、刹那の合間に勝負が決まった。
躊躇によって初動の遅れたルルアのレイピアが、彼女の接近に合わせて向けられる。
それでも一瞬で最高速に加速したドロッセルの服を浅く引き裂く結果しか残さない。
密着しそうなほどの接近から、レイピアを繰り出す左腕を潜るように背後に回る。
ドロッセルはその間、髪を軽く掻き分け──すらりと伸びる、細い糸のようなものを握る。
その糸が、ルルアの首に絡みついた。
「あ、ぐぅッ!?」
細い糸が、ルルアのほっそりとした首に食い込む。
息苦しさに悶絶しながらも、半ば反射に近い動作で背後へレイピアを突き刺そうと己の頭の真横から背後へ繰り出すが、
碌に相手を見ずに放った攻撃は空振り、今度は左手首をがっちりと捕らえられる。
キリキリ、と食い込む糸が脳への血流をせき止める。
いくら思考がエターナルコアで行なわれているとはいえ、メードの稼動には脳の機能が必要なのだ。
そこへの血流を止められれば、意識を手放してしまう。
捕まれた左腕はさらに後ろへと引っ張られることで間接の稼動域の限界を向え、レイピアがついに手元から離れてしまう。
「ぁ、ぁぅ……」
唯一残った右腕が、宙を掻く。
ぼんやりとし始めた意識。
後もう少ししたら、おそらく堕ちるだろう。
そうしたら、自分やマクスウェル中佐はどうなってしまうのだろう?
──自分達を信じてくれた、人々は?
──私の代わりに死んでしまった神狼は?
──
シリルは?
エルフィファーレは?
脳裏に浮かぶ顔が、ルルアを励ましているように思えた。
いや、違うんだ……。
ルルアは飛びかける意識を繋ぎとめる。
──私は、諦めない!
「──て、堪るかあぁぁ!!」
神経に走る激しい痛み。
義手である左腕を、無理やり己の体から引き剥がす。
しかるべき処理をして外さなかった代価の激痛は、意識の維持にこの場合は貢献した。
左腕が外れたことによる行動の自由。
右腕の拳が、自分の左腕を持ったままのドロッセルの顎に突き刺さる。
技術もひったくれもない文字通り我武者羅の一撃は、ドロッセルの手から糸を手放させた。
「けほっ、けほっ……はぁ、はぁ」
「ああ、そうだったな……戦闘においてお前は左腕を失ってたのを失念していた」
あくまで無言のままのドロッセルの代わりに、ワイズマンは顔色変えずに言葉を吐く。
だがそれは今のルルアにはそれすら雑音に思えた。
ドロッセルの手で無造作に捨てられる己の義手。その義手があった左手首は痛みが脈動していたが、関係無い。
次はどのような暗器で来るのだろうか?
そして、どのようにマクスウェルを救出して脱出するか?
私に、勝機はあるのか?
思考は加速し始める、今できる最良を目指して。
暫く続いた静寂を、破ったのはベルの音だった。
この部屋に唯一存在する電話が鳴り響いていた。
その受話器をワイズマンが手に取る間も、ルルアとドロッセルは動かなかった。
「……──了解しました」
そのとき、ワイズマンことシュターレンが始めて眉の角度を些か変化させた瞬間であった。
それが果たして怒気から来るものなのか、落胆なのかまでは判別はできなかった。
「ドロッセル。命令は中止だ。総司令部より、最重要命令がルルア君に下った」
それまでこの部屋で待機しておけ、とワイズマンの言葉が静寂の広がるこの部屋でやけに大きく響いた。
ドロッセルはその主と同じように能面のような笑みを浮かべなおすと、そのままワイズマンの元に控える。
罠の可能性を考慮に入れていたルルアであったが、相手が矛を収める必要性が思いつかない。
あのまま戦闘をしていても、対人・対メード戦に不慣れなルルアの不利は間逃れないのだ。
急に戦闘意欲が失せたルルアは、未だに気絶しているマクスウェルの元へ向い介抱する……俗に言う膝枕という行動によって。
薄い布越しに伝わるマクスウェルの頭髪と肌の感触に、多少の戸惑いを覚えつつも。
暫くすると、この薄暗い部屋に新たに参上した人物、否、メードがやってきた。
灰色のワンピースというメイド服に、ヘッドドレスの変わりに実に付けられた兎耳が印象的だった。
「クロッセル連合陸軍メード部隊、独立機動小隊
クター隊長……
クローディアです。シュターレン准将」
「話は伺っている」
「それでは総司令部よりの命令を伝達します。ルルア」
「え、あ、はい……」
動物の耳の形をした装備をするクターの話は聞いていたが、実際に目の当たりにする場合の衝撃の大きさは計り知れない。
マクスウェルを膝の上に乗せたまま、呆けてたルルアは慌てて返事をする。
クローディアはそのように微笑を浮かべながら、続けますね。と告げる。
「『クロッセル陸軍総司令部より。 メード、ルルアに対して次の命令を下す。
軍事正常化委員会の卑劣な手段を用いて強奪されたシリル、並びにエルフィファーレを奪還せよ。
陸軍は命令を遂行する事に対して助力を惜しまないことを厳命し、その為の準備は既に整っている。
尚、この命令はユピテリーゼ・ラ・クロッセル女王閣下並びにアーラン・ブルック陸軍元帥を始めとする各将軍の連名による最上級命令とし、
命令に刃向かう事は王国に刃を向けることと覚悟せよ』……とのことです。 よかったですねルルア」
その言葉を数回脳内で反芻するルルアは……今ここに奇跡が成ったことを知った。
ひんやりと冷たい地下室で、ルルアはただただ感謝し、流れる涙を隠すしかなかった。
最終更新:2010年02月09日 10:26