Chapter 2-3 : 絞首刑

(投稿者:怨是)


 少し遡り、1945年2月21日。
 皇室親衛隊の本営にて、将官と佐官が部屋のソファに座っていた。
 佐官が、将官の煙草にうやうやしく火をつける。

「今日はFrontier of MAIDの開催日か。ランスロット隊の件はどうなっている?」

「国外追放となったアシュレイ・ゼクスフォルト、アロイス・フュールケ両名を除いて全員始末致しました。表向きには戦死と」

「うむ。申し分ない成果だ。ルールを守れぬ輩はそれが偶発的なものであれ、退場してもらわねばなるまい」

 彼の云う所のルールとは、MAIDの元が何であるかを知ってはならない、そして知らせてはならないというものだ。
 この致命的な真実が広まってしまっては、あらゆる事に支障が出てしまう。
 ランスロット隊はFrontier of MAID開催日に併せ、警備に向かわせる途中で車両を狙撃した。
 表向きには軍事正常化委員会による襲撃という事になっている。
 奇しくも、昨年8月14日に死亡したミロスラフ・エメリンスキーとほぼ同じ死に方であった。
 差異を一つ挙げるとするならば、ランスロット隊の場合は所属の隊員を全て始末した事だ。
 エメリンスキー旅団は規模が大きすぎるので処分するには莫大な費用がかかり、旅団を解体して方々の師団に分散させざるを得なかった。
 どちらにせよ彼ら旅団もまた、社会的には既に死んでいるという見解が皇室親衛隊の中では大多数を占めていた。

「エメリンスキー旅団と同じ末路を遂げるのは実に皮肉なものだがね」

「えぇ。かの旅団の言葉に耳を傾ける者はもはやおりますまい。
 彼らもまごうことなき“悪”として、今後も社会から糾弾され続けるでしょうな」

「同情の余地は無いな。帝国の財産を好き勝手に貪った罰だ」

 皇帝派の手駒として不和の種をばら撒いたエメリンスキー旅団には、まだ罰が足りない。
 この将官は宰相派の一人として、彼らを許せずに居た。それでも実績がある彼らを、無闇に処刑する事が出来ない。
 いかに高い立場に身を置いていようとも、個人的な怨みつらみだけで彼らを地獄に送る事は“効率”という一語が見過ごさない。
 だが、社会的には彼らは殺された。彼らが将来的に吐き出すであろう主義や思想や胸中の独白の何もかもが、悪人の言葉として無視され続ける。
 タイプライターについた埃を一つ一つ摘んでいると、佐官が鼻を鳴らして微笑んだ。

「自慢の銃で仕留める事が出来ず、さぞや残念だったでしょうよ。彼も」

「彼? 誰の事だ」

「鋼の大蛇ですよ。あと数分で処刑される、ライオス・シュミットです」

「ああ……鋼も錆びれば脆いものだ。腕の一押しで崩れ去る。蛇が輪廻の象徴とはよく云ったものだが、あの男は生まれ変われはしまいよ」


 ライオス・シュミットはもうじき死ぬ。国賊はすべからく滅びるべきであると、法の正義が鉄槌を下す。
 将官は短くなった煙草を灰皿に投げ入れ、余韻の煙を虚空へと放った。

「MALEとして再利用する手もありましたがね。技術陣が揃って拒否したとか」


 国民感情を鑑みるに、彼が――否、表向きの言葉に直せば“彼の姿に似せたMALE”が姿を現す事を誰も許しはしない。
 あの技術陣をして首を横に振らせたという事実が、将官の表情を明るくさせた。
 彼らも技術者達もまた度し難き狂気を胸中に内包してはいるが、人並み程度の感情は残っているのだ。





 20 Feb 1945

 明日には刑が執行される。
 人々は自害を許さず、正統なる手続きの元に、そして属する集団の中にある正義によって、私を断罪する。

 生み出された咎には相応の裁きが必要だ。
 射殺は、一人ないしは複数人がその裁きを代行する。
 数多の怨嗟を弾丸に込め、咎人の身体を引き裂くのだ。

 それでいい。
 数多の悪などというものは、所詮は幻想だった。
 幻想に振り回され……いや、縋り付き、挙句に凶弾で同胞達を死に至らしめた私を、一体誰が赦すというのか。
 罪を背負いながら次なる恥を晒す前に、これ以上の錆を撒き散らす前に、私は業火に身を投げ入れねばならない。
 骨肉が灰となった時点で、はじめて私は全ての役目を終える。

 鋼が虹色に輝く事はあるまい。錆びた大蛇に輪廻は生み出せまい。
 おそらく、方々へと貸し出した矜持が、地獄で手元に戻る事は叶わんだろう。
 またそれを欲する権利も今の私には無い。

 ……すまない、フュールケ。
 どうやら、最期まで相容れる事は無いらしい。
 だが、お前の拳までをも無駄にするつもりは無い。
 あの時の痛みは、今も胸中に仕舞いこんでいるつもりだ。
 後は“死”が必要だ。人々の燃え盛る怨嗟を凝縮した“死”が。
 それだけは、どうか解って欲しい。






「それにしても、彼は最後まで吐きませんでしたな。自白剤の意味が全く無い」

「単にそこから先の目的地を知らなかったのだろう。そして知る意味も無かったのだ」

 “R地点”というものがある。散らばった黒旗の残党が合流する地点だ。
 彼らはそれから別のアジトへと居所を移し、復活の機会を待つという。

 自体は一刻も争う。
 ライールブルク襲撃作戦から早四ヶ月、皇室親衛隊は未だに彼らのアジトを見つけられずにいる。
 R地点までは吐かせた。しかし、その先までは公安部隊の尋問担当部門ですら聞き出せなかった。
 このままでは力を再び蓄えた黒旗の面々がライールブルクに戻ってきてしまう。
 アルトメリア支部が結成されたという確かな情報も、この将官の手元にはある。
 集結を許せば、昨年八月のようには行かない。撃滅までに今まで以上の歳月を費やす事になる。
 しかし、シュミットは吐かなかった。彼自身の目的さえも、将官の傍らに立つ士官にとっては眉の皺を深める程度にしか伝わらなかったようだ。


「彼が何をしたかったのか、私は未だに理解できませんよ。結局はヒロイズムと自己顕示欲の暴走でしょうか」

 佐官が溜め息混じりに遠くを見やる。無理も無い事だった。
 多くの組織は、組織の意義というものが前面に押し出される。その結果、大抵の個々人の思想というものは霞んでしまい、あまり注目されない。
 黒旗は少数派が集まって出来上がった組織であり、また個々人の主義主張が強すぎるために、名の知れた人間の考え方はある程度クローズアップされるのだ。
 が、ライオス・シュミットの考えは将官にもおおよそ理解に苦しむものだった。

「一度飼い慣らされた猛獣は、檻から出た時点で狩猟本能が狂うものさ」

 大手を振って私刑まがいの事がやりたいのならば、昇進を続けてそれなりの地位へと上り詰めればいい。
 然るべき階級――例えば将官のような――に就けば後は頭の回転次第で好きな事が出来る。
 黒旗側に付くのではなく、あくまで公安部隊側として堂々と黒旗を狩っていれば昇進が認められたかもしれないのだ。
 ポストの空きについては全く問題なかった。何故なら高い地位の人間も何名かは黒旗側に付いていたのだから。

「……あの男は狩る相手を間違えた。それだけの事だ」

 視線を定める前に、シュミットは牙を剥いてしまった。それこそが敗因であると、この将官は断じた。
 獰猛な正義感を、逸る血気と共に噴出させてしまえば、しかも血を分けた肉親とも云える帝国の兵士へと向けてしまえば、それは若気の至りの域を超える。
 日頃から将官は考えていた。御し難き輩を御するには、拳よりも書類の類であると。
 然るべき内容の文書を一度そこかしこにばら撒けば、彼ら悪鬼の如き輩などはたちどころに血の気が失せ、牙を収めるものだ。
 それはルージア大陸戦争の頃からの教訓であり、この将官が敵視している皇帝派の者達への唯一にして最大の対抗手段とも云えた。
 ふと、扉を破って一人の兵士が息を切らせて飛び込んで来た。
 礼節も忘れるほどの一大事でも起きたのか、と将官は横目でそれを冷ややかに睨む。


「こちらにおられましたか! 尋問内容に不可解な点が」

「何事だ」

「獄中日記の項目との不一致、“R地点”に関する証言も恐らくは全くのデタラメかと。また、尋問回数の書類も偽造の可能性ありです」

「……本当か」

 もしもこの兵士の発言が真実であれば、尋問担当のうち複数人がシュミットとグルになっていたという事だ。
 シュミットの捕縛から二ヶ月も経過していながら、そのように重大な事を看破するだけの眼を持つ者が一人でも居なかったのか。


「当時現場に居た職員らに証言を求めたところ、目撃情報の食い違いが散見されまして」

「何故もっと早く云わん!」

 将官はおもむろに立ち上がり、兵士の胸倉を掴んだ。
 彼一人の責任ではない事は無論、承知の上ではある。が、掴まずにはいられなかった。
 湧き上がる怒りがその理屈を捻じ伏せたのではない。組織の示しを付ける為にはこういった行動を周囲に見せねばならない。
 叱責とは当人同士だけではなく、第三者に見せる事も肝要であると、将官は考えている。
 兵士は酸欠――大急ぎで走った上に、胸倉を掴まれて気道が狭まっている――に喘ぎながらも、途切れ途切れに言葉を紡いだ。

「情報の、矛盾が確認されたのが、つい先程でして……」

「処刑はまだ行われていないな? 今すぐ取り止め――!」

 ベルが鳴り響いた。手の空いていた佐官が慌ててボタンを押すと、モールス信号が淡々と流れる。
 佐官はそのまま読み上げる。“処刑完了せり。遺体の解剖を行うので立会人を務められたし”という内容で、信号は締めくくられた。

「……遅かったか」

 兵士の胸倉を掴んでいた将官も流石に意気消沈し、振り上げた拳もろとも両腕を力なく降ろしてしまった。
 解放されて咳き込む兵士の顔を上げさせ「今から行くと伝えろ。それが終わったらお前はもう休め」と、部屋から閉め出す。
 将官は緩慢な動作で椅子へと歩くと、机に両肘で頬杖を突きながら大きく嘆息した。

「やってくれましたね。おそらく、彼はここまで計算づくでしょう。双方への義理を果たしたつもりかと勘繰っていましたが」

「無自覚でやってのけたのかは解らんが、そういう事になるな。また振り出しだ。肩書きに惑わされたのは我々のほうだった」

「重要なポストに就いていたであろう男を、こうも簡単に捨て駒にするとは……やはり、グライヒヴィッツの性根の腐りようは疑うべくもありませんな」

「ああ、唾棄すべき悪はまだまだ居るものだな。念のためヴォルケン中将にも伝えておけ。彼奴自身は愚鈍だが、ライサへの牽制くらいにはなるだろう」

了解(ヤヴォール)。しかし、貴方もお人が悪い」

 不敵な笑みを浮かべながら扉の外へと消えて行く部下を、将官は何も云わずに見送った。
 よくも斯様な憎まれ口を叩けたものだと、胸中で悪態をつく。あの佐官とて、褒められた性根ではない。
 元より人間たるもの、根っからの善人であろうとすれば憂いに押し潰されるか、大逆を為すかのどちらかへと転がるだろう。

 この後、彼らの奮闘も空しく、ライールブルクに駐留させた部隊は引き上げる事となる。
 黒旗の復活の報せを聞いたライールブルク市民が、彼らに武力的抵抗を行ったのだ。
 皇帝側の幹部は揃って「例え黒旗に与する国賊とはいえ、一般市民だ。殺せば陛下がお悲しみになられる」と発言し、撤退命令を出した。




最終更新:2009年11月28日 20:03
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