あの扉の前に立ったときの私は、年甲斐もなく心躍る気分だったことを覚えている。
代々の
ルインベルグ大公継承者のみに開くことを許された扉。父上が倒れた今、煩わしい職責と引き替えに、遂にこの私も入室の資格を得ることができた。
我が居城たるフリズィスケルブ宮において、唯一立ち入りが叶わなかった空間。宝物殿。
それが重く軋む扉の向こうに広がっている。
壁際に備え付けられた銀の燭台に火を灯していくと、闇に包まれていた部屋の間取りが、徐々に浮かび上がってきた。
石造りの室内には無数の棚が設けられており、機密に相当する文章や古今東西から集めた各種資料、大公家に代々伝わる家宝などが整然と並べられている。所謂門外不出の品々というやつだ。
はやる気持ちを抑えながら私は、積もった塵を払い除けて、一つ一つを手に取り、それら確かめていった。足取りは次第に部屋の奥へと進んでいく。
小一時間も過ぎようとしていた頃、未整理資料の山を漁っていた私の目の前にそれは現れた。
時を経た年月の長さを纏った古めかしい品々とは、明らかに異質な存在感を放つ二つの宝珠。
天然のものとは思えないが、人工物とも思えない。どのように研磨すれば、このような光沢を持たせることが出来るのか。
そもそも“コレ”は本当に只の宝珠なのか?
この世のものとは思えない、蠱惑的な輝きを放つ二つの宝珠。覗き込めば、奥底深くへと吸い込まれそうな錯覚さえ覚える。
私はしばし時を忘れて、この不可思議な二つの宝珠に魅入られていた。
「これは“コア”ですな」
結論から言うと、得体の知れない宝玉の本質は、なんということはない、MAIDの中核を成すエターナル・コアだった。
それがなぜ、宝物殿に納められていたのかは分からず終いだったが。
「殿下、このコアをどこで手に入れたのですか?」
さも興味ありげに問いかけたのは、膝下まで伸びた白衣と多重レンズ付の丸眼鏡という、いかにも科学者といった風体の、初老の男性だ。彼を知るもの達からは便宜上、ドクと呼ばれている。
ドクは1年ほど前
ルインベルグ大公国に流れ着いた亡命者で、以前は国際研究機関
EARTHでMAID開発の研究を行っていたらしいのだが、詳しいところは殆どの者が知らない。
ただ、その知識と技術を買われた彼は今や、宮廷の一角に研究室を開くにまで至っている。
その不明瞭な経緯から、どうやって公室に取り入ったのかと、疑いの目を向ける者も少なくないが、それが大公の意向となれば黙して受け入れる他は無い。
「分からん。 目録も何も記録が殆ど残っていないのだ」
「ふむ……」
通常、宝物庫に納められている物については、未整理の物も含めて、全てが目録に登載されている。
そうでなければ、膨大な資料や宝物などを管理することなど、まず不可能だからだ。
しかしアルベルトの調べた限り、このコアに関する記録は何一つ残されていなかった。
「分かったのは“戦乙女の涙”という名前と、“星降る夜に”という一文だけだな」
アルベルトは、コアを納めていた台座に挟まれた走り書きのメモを思い出した。
「星降る夜に……ですか。 なるほどなるほど」
ブツブツと何事かを呟きながら、コアをまじまじと観察していたドクであったが―――
やがてアルベルトへと向き直り、こう切り出した。
「ときに殿下、メードを持つ気は御座いますかな?」
分厚いレンズに覆われた、瞳の奥底深くに蠢く真意を、アルベルトはこの時はまだ理解できていなかった。
―――こうして生み出されることが決まった双子のMAID姉妹は、ローゼ、レーゼと名付けられた。
「ねー殿下。 殿下ったら!」
「む」
アルベルトが瞼を開くと、眉を吊り上げた少女の顔が眼前に迫っていた。
テーブルを挟んで反対側に座っていたローゼが、両手をテーブル上に突いて身を乗り出している。
時は1938年。8月も終わりに差しかかり、暑かった夏にも終わりが近付き始めたある日の晩のこと。
半開きの窓から入る夜風が心地よいアルベルトの私室で、ローゼとレーゼ、それにアルベルトの3人はトランプに興じていた。
種目はババ抜き。子供から大人まで誰もが知っていて、シンプルかつ直接的な駆け引きを楽しめるゲームだ。
ルールはクラシックスタイル。クイーンを一枚だけ山から抜いてババに指定している。
そして……これこそが今回のゲームの肝なのだが、ローゼとレーゼの提案で、一番最初に勝ち抜けした者が、最下位の者に一つだけ命令できる権利が与えられることになっていた。
「なにさ、ぼーっとしちゃって。 次、殿下が引く番だよ?」
身を乗り出していたローゼが、頬を膨らませながら、どっかと椅子に腰掛けた。
ワンピースの端が勢いよく捲れて、白く、弾力のある太股が露わになったが、彼女は大して気にならない様子である。
アルベルトも、ここであからさまに反応を示せば、双子が調子付くことは間違いないと確信していたし、爺のように、ことあるごとにからかわれるようになるのは御免なので、その点について言及しない。
そも、この双子に淑女の嗜みを説いたところで、馬の耳に念仏。いや、釈迦に説法というもの。
実はこの双子、教育課程において礼儀作法をはじめとする社交術については、ほぼ完璧という成績を収めている。如何なる社交場に出しても恥ずかしくない、というのが彼女らを担当した講師の言だ。
しかし、その上でこの双子はこういった振る舞いをするのだから悪質なのである。
幾ら外面を取り繕うとも、本質とは内から滲み出てくるもの。そのことを双子は知っているのだ。結局は自然体に勝るものなしと。
「すまんな、少し考え事をしていた」
「ふーん。 負けたときの言い逃れとか?」
にやにやと、横から口を出してきたのはレーゼ。
今回、一番に勝ち抜けしたのは彼女なので、えらく上機嫌である。
「そんなことはせんよ。 私が負けた暁には、なんでも言うことを聞こうじゃないか―――と」
アルベルトが、徐々に背後へと移動しつつあるレーゼを見咎めた。
「覗き見はいかんなレーゼ」
ぎくりとレーゼが身を捩らせる。
「私の手札をローゼに伝えるつもりだったろう。 念話で。 違うか?」
「え゛」
思わず漏れ出た声は上擦っていた。
しまった、とレーゼとローゼが思う暇もなしに、アルベルトの中で、推測は確信へと変わっていく。
「当たらずとも遠からず、といったところか」
「な、なんの話かなー、なんて……」
「とぼけなくてもいい。 私が何も知らないとでも思っているのなら、それは大間違いだぞ」
双子のこれまでの教育課程で分かったことがある。
この双子は幾つかの能力―――一部のMAIDが持ち得るという所謂レアスキル―――を有しているらしい、ということだった。
教育担当の
一人であるネッサン卿からも、同様の報告が上がってきている。
「……」
それまできゃいのきゃいのと口やかましかった双子が、互いに黙りこくってしまい、深刻な表情で顔を見合わせていた。
「私が勝ったときは、そうだな……隠している能力を私に教えること。 これでどうだ?」
もはや駆け引きの主導権は、完全にアルベルトに移っている。
窓からそっと流れ込んだ夜風が、静かにカーテンを揺らす。窓の外からは虫たちが奏でる鈴の音のような調べ。
やがて双子は観念したかのように嘆息を漏らし、顰めっ面を緩めた。
「あーらら……」
ばれちゃってら。
との呟きが続き、幾何かの間を置いて、
「さすがだね殿下」
と、双子の声が凜として重なった。
軽やかな足取りで戻っていったレーゼが、ローゼの肩に手を重ねる。
「いいよ。 殿下が勝ったら、ホントのあたしたちを見せてあげる」
「その代わり、私が勝っちゃったら、その時は覚悟してもらうからね」
挑戦的な笑みを取り戻した彼女たちを、アルベルトはただただ眩しく思った。
関連項目
最終更新:2011年01月25日 00:23