妄想メード日記-パンの日-

 別に、やりたい事がある訳でもなく、やらなければならない事がある訳でもない。
 そんな一日の始まり。
 ごく一般の人はそれを休日と呼ぶのだろうけど、私の場合はどうなんだろう?
 私に与えられるこの“空白の時間”は名目上「慰安」だというのだから、やはり人にいうところの休日だと思ってしまって何ら問題はないのかも知れない。

 だけど、なんだかしっくりこない。
 しっくりこない理由は私が「M.A.I.D」という生体兵器だからだろう。

 覚醒しきらない頭でそんなどうでもいい事を考える。

 カーテンの隙間から柔らかく射し込む朝日は目蓋越しでも視神経を刺激し、目を醒ませと語り掛ける。
 私自身、日頃寝起きが悪い訳ではないけれど、ここ数日は任務続きで疲労が溜まるばかりだったから、どうにもベッドの引力が強く、シーツの重量が重い。
 「離れるな」と恋人のように囁き、誘惑するシーツをどうにかめくり、ゆっくり伸びをする。

 壁に掛けられているネジ巻き時計を見ると、ちょうど短針が八時の地点に到達したところだった。

「……起きよう」

 誰に言うわけでもないけれど、私自身への宣言として声を出す。
 広い部屋に響いたその声を追い、名残惜しく思いながらもベッドから離れ、立ち上がる。

 相も変わらず調度品に彩られ、無駄に広い私の私室は、部屋主を歓迎している風情もなくただ静かだ。
 まるで身分に不釣り合いな舞踏会に紛れ込んでしまった気分。
 もっとも、いつまでも私がこの豪華過ぎる部屋に馴染めないからそう感じるだけだろうけど。

 四年住んでも慣れない事を考えると、私はこの体になる前、生粋の庶民だったのだろう。それこそ、人格と記憶全て失っても体に染みついているくらいに。

 ああ、それでも上級将校用のこの部屋を宛われて、良かった事も多い。
 そのひとつが、大きな洗面台と浴室があることだ。
 下士官用の兵舎ですら共有なのを考えると、贅沢の極みかも知れない。お湯だって使い放題だし、清潔なタオルも毎日支給される。
 他のメードがどうなのかは良く知らないけど、私は恵まれている方なのだろう。
 もちろん、それがG-GHQからの恩赦、というよりは対価だという事も理解しているけれど。

 蛇口をひねり、冷たい水で顔を洗う。
 すっと身体から眠気が退いていく感覚が心地良い。
 タオルで水気を拭き取っていると、鏡に映った私と目があった。

 長身の二十代前半の女性。
 肩口で切られた黒髪と、翡翠色の瞳。
 七年間、変わる事がないその容姿。
 私の身体に埋め込まれたエターナル・コアが劣化しない限り、彼女と私は付き合っていかなければならない。
 苦には思わないけど、見知った人々が日々変化していくたびに、それを少し羨ましく思ってしまう事もある。
 思うだけだけど。

 完全に眠気が去ったことを感じ、クローゼットの前に移動する。
 観音開きのそれを開けると、そこには紺のシックなエプロンドレスがかかっている。
 無理を言って用意してもらっている私の仕事着。
 給仕などしたこともないのに、これを仕事着だと言い張るのは本来無理があるのかも知れないけど、周囲の人々も特に何も言ってはこない。メードとはそういうものという認識があるからだろう。

 だけど、君も今日はお休み。

 特別慰安なのだから、仕事着を着ていては色々と問題がある。
 というか、単純に兵舎や総合司令部の敷地内をこれで歩いていると、目立ちすぎるのだ。
 任務前の私を見て気を使ってしまう人も多いし、第一この格好で暇そうにしていると周りに示しがつかない。どうにか司令部を探ろうとしている新聞社に見つかりでもしたら目も当てられない。

 だから慰安日は軍服を着る事にしている。
 サンドベージュのツーピースで、通信室にいる女性下士官が着ている服だ。
 別にこの服を着ていても、所属も階級も入っていないのを見れば、司令部内の人間は休暇中の私だと気付くし、逆に一般人にはそれはわからない。
 そう考えると便利だと思う。

 衣服に袖を通していると、程良い空腹を覚えた。
 いくら生体兵器ともてはやされても、素体は人間。食べなければ生きてはいけない。

 昔、いっそ食べなくても生きていけるようにしてくれればと思い、どうにも“食べないということ”が想像できない事にすぐさま気付いて笑ってしまったことがあった。

 焼きたてのパンも温かいスープも、私には捨てる事は出来ない。
 それに、お気に入りのカフェにあるクロテッドクリームを添えたスコーンを食べれないのは、ひどくつらいと思う。

 やはり、少し私は贅沢なのかも知れない。
 でも、お休みなのだから、それくらい許されてもいいだろう。

 お茶の時間にはカフェに足を運ぶ。という予定が出来た事で、やっと今日という休日が始まった事を私は実感した。







「やあ、おはようアレッシア」

 兵舎食堂での朝食を終え、G-GHQ本部がある荘厳豪奢な造りをした本棟を通り過ぎ、情報部がある別棟に向かう途中。
 後ろからかけられた声に私は振り向く。

 といっても、声の主が誰かはすぐにわかった。
 私の事を「アレッシオ」ではなく女性形の「アレッシア」と呼ぶのは彼しかいない。

「おはようございます、アラン。良い天気ですね」

 金色の長髪を結んで垂らし、整った顔立ちに眼鏡を掛けた痩身の男性、アラン・パークは笑顔を湛えながら小走りに駆け寄ってきて、私の隣に並んだ。

「ああ、良い天気だ。こんな日はピクニックでもしたくなるね」
「そうですか?海でバカンス悪くないですよ?」
「ああ、そうか、君はリスチア出身だったっけ。まあ海も悪くはないね」

 金髪を揺らしながら、肩をすくめたアラン。
 青色の整備服を着た彼は、隣に並ぶと私より背が頭ひとつ分高い。
 国際研究機関「EARTHE」から出向してきている彼は、ここのG-GHQの兵器部と共同で対G用装備の開発をしている。二七歳という若さで複数のプロジェクトの主任を務めており、主に一般の兵士向けの大量生産兵器を構想している。私もトライアルに付き合ったり、相談に乗ったりと何かと話をする事が多い。
 その御陰でつき合いも長いし、友人としても交流は持っている。

「ところでさ、この前話したの新型ライフルなんだけど」
「少量のエターナル・コアを埋め込むっというやつですか?」
「そう、それなんだけど、確かに希少な物質だから量産というわけにはいかないかも知れないけど、少数の精鋭部隊に対する特別モデルとしては有用だと思うんだ」

 仕事の話――特に彼の開発している銃器の類――になると、彼はいつも子供のように瞳を輝かせる。その直向きさと、真摯な姿勢は悪くはないとは思う。

「実はね、試作品も作っていて、まあ残念ながらコアがまだ手に入っていないから可動しないんだけど、でも君に手伝ってもらえれば試射くらいはできると思うんだ。午後には射撃演習室を押さえるから、取り敢えず1000発くらいの試射を――」
「アラン。私の服を見て何か気付かないですか?」

 でも、そのせいで周りが見えなくなるのは悪い癖だ。

 私が言葉を遮った事に、きょとんとするアラン。
 しばし私が着ている軍服を見ながら考え込んで、何かに思い当たったように手を打つ。

「アレッシア、君、今日は休暇か!」
「ご明察です」

 まるで新たな公式を発見した数学学者のように大げさに驚くアランに、思わず笑みがこぼれる。
 本当に子供みたいで憎めない人だ。

「いや、ごめんごめん。気付かなかったよ」
「婦人の服装に気を配れないのは紳士として失格ですよ」

 バツが悪そうに頭を掻きながら笑うアラン。

「他のメードに頼むのはどうですか?もしかしたら遊撃小隊のどれかが帰ってきているかも知れませんし」

 G-GHQ直属として配備されているメードは私だけではなく、むしろ遊撃小隊と呼ばれているメード達が世間一般で言うG-GHQのメードだ。
 有名なところで言えば「ウェンディ遊撃小隊」や「第7独立遊撃メード小隊」がそれにあたる。
 私はといえば、フリーランスのメード戦力という事になっている。つまりは所属無し。書類上も私は無所属ということになっている。不思議に思われる事も多いが、要は表に出ない戦力がG-GHQも欲しいという事である。

「いや、ほら、遊撃小隊は色々忙しいだろうし、それにその、なんというか協力的でないというか……」

 困ったように眉をひそめながら、アランは口ごもる。
 確かに遊撃小隊にしてみれば人間用武器の開発を手伝う義務も意義もないし、そんな暇もないだろう。他にもG-GHQ、というかEARTHEには“システマ”[The Systema]と呼ばれる特異で強大で優しき先達がいるのだが、彼女にそのような事を願うのはあまりにも畏れ多い。

「仕方ないですね。明日も任務が入らない限り暇ですし、それで良ければお手伝いしますよ」
「ほ、本当かい?いや助かるよ」

 頷いた私の手を握り、満面の笑みを浮かべながらぶんぶんとそれを振るアラン。
 その様に、周りを歩いている職員や、警備の兵士は不可思議そうに視線を向けてくる。
 悪る目立ちしているというのに、アランにはそれに気付く素振りはない。
 まったく、研究の事になると視野が狭くなるのは本当に彼の悪い癖だ。

 でも、やはり彼を憎めないのはその笑顔が無邪気で、そしてどこか使命感に溢れたように、必死だからなのだろう。







「おはようございます、エメリア」
「おはよ、アレッシオ」

 アランと別れた私は、G-GHQ情報部にあるエメリアのオフィスに来ていた。
 それほど広くはない二十メートル四方の部屋は、正確に言うと情報部特別調査課のオフィスだ。
けど、今はエメリア以外の課員はいない。みんな、今頃世界中を飛び回っているだろう。課長は常時本部にいるけれど、ここではなく本棟にいる事が多い。

「そういや、アレッシオ今日休みだっけか?ちくしょう、羨ましいなあ」

 私の姿を見て、ずれた眼鏡を直そうともせず猫背のままエメリアが唸る。
 特別調査課の中でもMAID派遣現地担当官という珍しい肩書を持つ彼女は、本部敷地内でも軍服を着ていない。そのせいで余計怠惰な雰囲気が増長されている気はするが、それはまあ今に始まった事ではない。

「こちとら報告書の山と格闘中だというのにさ、ああ憎たらしい」

 文句を隠そうともせずぶつぶつと言っている彼女の前には確かに書類が山積している。
 でもそれは――

「呆れた。まだヴォ連の一件の報告書まとめてなかったのですか?私の分は三日前には渡したでしょ?」
「う、痛いところを突いてきやがるなあ」

 本当に呆れた。確かに先日の一件は色々な意味で難しい案件ではあったかもしれないが、それでもこんなに時間を掛けるほど難解な状況ではなかった。事実をそのまま記していけば一日で終わるはずだ。

「それともエメリアは実は秘密裏にヴォ連の軍内情を探っていてそれも提出しようとしているのですか?」
「いんや、全然」
「なら私を羨んでないでさっさと終わらせなさい。じゃないと課長にまたどやされますよ」
「そりゃ勘弁だ」

 これで三十歳だというのだから、人間年齢を重ねるだけでは精神は育たないといういい例かもしれない。
 外出許可を貰おうと考えていたが、少し待つ事にしよう。
 せめてエメリアが一段落付けるまでは。

「にしてもさ」

 応接用に設けられているソファに座って新聞を読み出した私に、エメリアは器用にペンを回しながら話しかけてくる。
 集中し始めたと思ったら十分で脱線とは恐れ入る。

「ヴォ連本当にメードも軍戦力も出してこなかったじゃん?」
「そうでしたね、でもそれも折り込み済みだったはずでしょう?」
「いや、なんか気に入らないんだよね。普通、近隣の小自治区なんかに配慮して大国が軍を動かさない何て事あるはずないじゃん?」

 意外にも真面目な話らしい。
 物事万事適当ではあるが、彼女の推察眼は私も一目置いている。

「まあ確かに、レゲンダククーシュカ、グラーチェとヴォ連にも優秀なメードは多いですし、人民感情に配慮したにしてもそれらのメードが僅かながらも動かなかったのは不思議ですね」
「トラビア自治区、つまりヴォストラビアっていう腫れ物がいまだ根強く人々の心に残ってるっていうのはわからんでもないんだけどね。どうもねえ。Gに対して中央の認識が薄いってのあるかもだけど」

 赤毛を手のひらで弄び、頭を抱えだしたエメリア。
 こんな事をしているから報告書が遅々として進まないのだろう。

「それにあの数のGも気になるなあ。うむむ、元々強力な個体が無理矢理新天地に侵出する事はあっても、集団で弱い個体がってのは珍しいよなあ。やっぱり意図的な行動なんだろなあ」

 これではいつになっても一段落など付きそうにない。
 エメリアの話は興味深いし、何なら論客を演じても良かったかも知れないが、生憎と私は午後の陽気にセントグラールの街がにぎわう前に外にくり出したい。
 それには、ここでずっと彼女の独り言を聞いているわけにもいかない。

「エメリア、外出許可書くれませんか?」

 私の言葉に目を見開いたエメリアは、次の瞬間脱走兵を見る憲兵のようなじと目になっていた。

「何て奴だ、こんなに苦労している私を無視して街にお出かけですか。そうですか」
「苦労しているのはエメリア自身の責任でしょう?それに話だったらいくらでも聞きますよ。でも報告書が書き終わるまでは駄目です」
「ちぇ、いいなあ」

 そう言いながらも、デスクの引き出しから取り出した書類にサインをし、エメリアはそれを差し出してくる。
 その外出許可書を受け取り、変わりにエールを贈る。

「いつものオープンカフェで三時に待っています。それまでには終わらせて下さい」
「あいよー」

 書類作成に戻ったエメリア置いて、私は部屋を後にした。







「いってらっしゃい。良い休日を」

 見知った警備の兵士に見送られて、鉄柵で作られた門を通る。
 G-GHQの敷地を一歩出ると、そこには正門に面するように大通りが伸びており、その先には景観見事な町並みが広がっている。
 古きと新しきが混在するクロッセル連合の首都。
 世界でも有数の大都市であるここセントグラールは、戦時中であっても街の人々、そして観光客でにぎわっている。
 もちろん、決してGの影響が無いわけではなく、むしろ色濃くそれは現れている。
 葬式が多くなったとか、人売りが増えたとか、難民が流れ込んできているとか。他の都市よりは幾分ましだろうけど、それでもそういった兆候は見て取れる。

 でも、人々はそれを跳ね返し、あるいはそれすらも生きる為の力に変えている気がする。
 人心の荒廃や、貧困さえ、人の生きる力を育てるひとつの要素であるように思う。
 なんて、傲り高ぶった過ぎた言かもしれないけど、人という種の存続が求められつつある今の世界では、そういったある種のたくましさは必ずしも悲劇と一括りに吐いて捨てる事は出来ないと思う。

 強さも、弱さも、優しさも、卑しさも、何もかも。全て持っているからこそ人間であり、それでこそ私は守りたいと思うのだ。

 本部から歩いて十分。
 ひとつ目の目的地であったパン屋に到着した。店の前には露店が開かれており、そろそろ昼時とも言う事もあり、昼食を求める人でごった返している。

「やあ、久しぶりじゃないか。元気してたか?」

 客を見事にさばいていた恰幅の良い禿頭の主人は、私に気付くと手を振りながら豪快に声を上げる。
 ここは朝売れ残ったパンを使って、昼には様々な調理パンを売り出している。
 パンの事なら妻の事よりも良く知っていると豪語する主人のパンは確かに美味しい。私も余裕があるときは欠かさず訪れる事にしている。

「お久しぶりです。今日は何があります?」
「おう、今日は採れたてラディッシュとチキンに特製ソースをあえたスペシャルサンドだ」

 見るからに美味しそうなサンドイッチが包みに入れられて並べられている。

「じゃあひとつ下さい」
「まいど!いっつも綺麗なあんたにゃサービスだ。特別に3割引きで――」
「あんた!!」

 店の方から響いた奥さんの声に、飛び上がる主人。
 いつもこのやり取りをしているのを見ると、長年連れ添った夫婦なんだと言う事を感じさせてくれる。

「大丈夫ですよ。ずっと美味しいパンを焼いてもらうためにもお代はしっかり払わさせていただきます」
「そ、そうかい?悪いね」

 奥さんが余程恐いのか、後ろをちらちらとみながら主人は私からお代を受け取り、変わりにサンドイッチを差し出す。
 それを手にし、主人に手を振り店を後にしようとしたとき、一迅の風が吹き抜けた。

「こら!坊主!」

 その風目掛け、右手を振り上げながら、走り出そうとした主人を押しとどめる。

「これ、あの子のお代です」
「い、いや、しかし」
「後は私に任せてください」
「う、まあお前さんがそう言うなら」

 会話もそこそこ、私はパン泥棒を働いた少年を追い、裏通りに向けて走り出した。







 何でこんな事をしているのか、私自身よくわからない。
 気まぐれというなら、確かにその通りなのかも知れない。
 でもただ、単純にそうしたかったから、なんて話したらまたエメリアに笑われてしまうんだろうな。

「しつけえな、くんなよババア!」

 ババアはひどい。ちょっと傷つく。

 薄汚れた格好をした少年は、パンを抱えながら薄暗い裏路地を巧みに走り、追っ手をまこうと速度を上げる。少年の俊敏さと、どんどん煩雑で迷路のようになっていく道は、確かに普段走らない大人では追いつけないかも知れない。
 でも少年、相手が悪かったね。私は簡単には振り切れないよ。

「ちっくしょう!何なんだよお前!」
「何なんでしょうね?」
「ふざけんな!!」

 追いかけっこをしながら大声で叫び合う。なんだか段々楽しくなってきた。
 寝ていた物乞いは何事かと驚き、裏路地に潜んでいる人々はそそくさとどこかへ消える。
 ちょうど走り初めて二kmくらいだろうか?

「なら、これなら!」

 急にターンをした少年は煉瓦の壁にあった小さな隙間に入り込み、向こう側へ消えてしまった。大人では到底身体が入らない抜け穴。なるほど、これを目指して走っていたのか。なかなか用意周到なことだ。

 でも、甘い。

 軽くステップで助走を付け、四m以上あるその壁を私は軽々と飛び越した。

「な!?」

 すっぽりと街の片隅に開いたそのスペースには少年が通った抜け穴以外、鍵のかかったドアと街にいくつかある時計塔のひとつに入る通用口しかなく、事実上のチェックメイトだ。
 すっかり逃げ切ったものと思いこんでいたらしい少年は驚愕に目を見開き、次の瞬間にはドスンと地面に座り込んだ。

「わかったよ!俺の負けだ負け!軍にでも何にでも突き出せよ!」

 潔くそう言い切った少年。
 薄汚れて、犯罪に手を染めても、その顔にはまだ誇りという物が宿っている。むしろ、なかなかこの歳にしては気骨があるのかも知れない。

「別に、私はあなたを捕まえようと追ってきた訳ではないですよ」
「はあ?じゃあ何のために追ってきたんだよ?」

 私の言葉に怪訝そうに眉をひそめる少年。
 まあ、軍服を着て追いかけておいて、今更捕まえるつもりは無かったと言っても説得力はないだろう。私だって少年と同じ状態だったら同じ顔をした。

「そのパン。私が料金を払っておきました」

 一度自身の手の中にあるパンを見ると、少年は更に胡散臭そうに私を見る。

「なんだよ?礼でも言えっていうのか?恵まれない子に愛の手をってか?どっちにしろな、俺はあんたには礼はいわねえよ。絶対な」

 「侮辱するな」と、そう少年の目が言っていた。
 施しのつもりなら受け取る意志は無い。偽善者に礼など必要ない。
 その気高き心に、私は感心した。

「いえいえ、私は食事を一緒にする相手が欲しかっただけですよ。そうですね、あの時計塔の上なんか眺めが良さそうですね」
「は?」

 これ持っててくださいと、私の分のパンを少年に持たせ、お姫様抱っこをするように彼を抱える。

「な、何するんだよ!あ、お前まさか!」

 じたばたと暴れてもいっこうに動じない私の腕力と、さっきの壁越えから少年にもこの後何が起こるのか想像がついたようだった。

「しっかり捕まらないと、死にますよ」
「待て待て待て待て、おい、やめろ!!」

 時計塔の最上段に向け、私は力一杯跳躍し、辺りには少年の絶叫が響き渡った。







「ずっりい、あんたメードだろ。そりゃ逃げ切れねえよ。反則だ反則」
「あら、男の言い訳はみっともないですよ。さっきまでの潔さが格好良かったのに」
「ぐ……」

 時計塔の最上段に座り、サンドイッチを口に運ぶ。
 セントグラールを一望できるここからの眺めは素晴らしかった。
 こんな事をしているのをG-GHQに見つかったら厳罰物かも知れないが、たまには私も羽目を外したくなるのだ。

「……まあいいや。あんたには勝てる気しねえや」

 少年はというと、もうどうでも良くなったらしく、私の隣に座り自分の分のサンドイッチを食べている。

「でさ、俺この後どうなんの?」
「何がです?」
「いや、だってメードにとっつかまっちまったて事は俺もメードに改造されたりすんのかなって?」

 真しなやかに、メードは死んだ人間から作られるという噂が一般に流れ出てしまっているらしい。少年もそれを小耳に挟んだのだろう。

「本当に他意は無いですよ。私は久しぶりの休暇を満喫するために食事の相手を探していただけです」
「……ふーん。変わってんなお前」
「たまに言われます」

 納得はしていないようだったが、少年は深く詮索する事を止めたらしい。
 切り替えの早い事だ。

「じゃあさ、あんたがメードで俺が食事のお供なら、ひとつ質問して良いか?」
「何です?」

 若干躊躇った後、少年は口を開いた。

「戦場ってどんなところだ?」

 意を決したようにそう聞き、真面目な顔で少年は答えを待つ。
 私がちょっと意外そうな顔をしている事に気付くと、

「いやさ、父ちゃんGとの戦争で死んじまって、その後母ちゃんも心労でさ……。父ちゃんがどんな所で死んだのか知りたかったからさ。言いづらいんだったら答えなくても良い」

 そう続けた。

 どう答えたものかと少し考え、この少年には嘘まやかしなど通じないという事を思い出す。だからこそ、少年がどれだけ真摯にこの質問の答えを欲しているのかも理解できた。

「……恐いところですよ。心が食い潰されてしまいそうな恐怖が巣くう場所です。おおよそ戦場で死ぬ事は安念などという物からほど遠く、残酷で、この世で最も最悪な結末なのかも知れません」
「……」

 押し黙った少年に、私は掛ける言葉を失ってしまった。
 でも、話を脚色する事はどうしても出来なかった。
 優しい嘘なんて、この少年は望まないだろうから。

「……いい奴だな、あんた。俺を一人前扱いしてくれた」
「え?」
「どいつもこいつも、父ちゃんは名誉の戦死だ。家族を守るために戦って死んだ。素晴らしい事だってそれしか言わなかった。でも、それじゃ父ちゃんがまるで最初から死ぬために戦ったみたいじゃねえか。俺らのために、わざわざ死にに行ったみたいじゃねえか。俺ら捨てられたみてえじゃねえか」
「……お父さんも恐くて、辛くて、でも生きたかったと思いますよ」
「だよな。父ちゃん俺と母ちゃんに会いたかったよな。絶対さ。そんで、死んじまったんだな」

 うっすらと涙が宿った少年の横顔は清々しく、凜としていて、生に輝いていた。

「格好悪いな俺も。さっき会ったばっかの女の前で涙なんてよ。何か馬鹿みたいだ」
「良いんじゃないですか?たまには。きっと今日はそういう気分だったのですよ」
「お、良い事言うじゃねえかあんた。確かにそんな気分の日もあるわな。たまたま今日俺がそんな気分だったんだ」

 そう言い切った少年の目には、もう涙は無かった。
 切り替えの早い事だ。

 でも、その姿勢は羨ましくもある。
 少年が見据える物が未来なのだとしたら、過去ばかり振り返りがちな私は少し見習わなければならない。

 衣服の下に仕舞ってある十字架を、右手でなぞる。

「まあなんだ、パンごっそさん。あんた変わってるけど面白い奴だな。メードってのはみんなそうなのか?」

 すっかり元気になった少年は、他意無く私にそう聞いた。
 人間とかメードとかぐちぐちと気にされるより、いっそ清々しい。

「お粗末様。でも、どうなんでしょうね。多分色々な人がいるように、メードにも色々ですよ」
「ふーん。あんたはたぶん良いメードだよ。俺が保証してやる」
「たぶんなのですか?でも、ありがとうございます」

 ほんの思いつきだったけど、存外この少年と関わりを持ったのは良い事だったかも知れない。
 私の自己満足だけど、こんな関係でこんな時間があってもそれは悪い事ではないだろう。

「君だっていい男ですよ」
「お、マジか?結構本気で嬉しいぜ?」

 ニカッと快活そうに笑った少年に、私も笑みを返す。
 少年との楽しい一時はあっという間に過ぎ去っていった。







「それじゃあ俺は行くわ。楽しかったぜ。またな」

 別れの際、少年は少しも名残惜しそうにせず、そう言ってのけた。
 何だか私の方が引き留めたくなってしまう。

「私はアレッシオと言います。君は?」

 走り去りながら、首だけ振り向き、少年は大声で叫ぶ。

「カークってんだ。あんたは死ぬなよアレッシオ!」
「ええ、また驕りますから、ご飯でも食べましょう!」
「おうよ、楽しみにしてるぜ!」

 路地の角を曲がり、風のように少年は消えていった。
 その姿を見送り、胸に溢れている充足感に気付いた。

 彼を守るためにも、自分は恐怖が支配する地獄のような戦場で戦っていける気がする。
 泥棒でも、犯罪者でも、何でも良いのだ。私が人を守る事に、何の理由もいらない事を彼を通して改めて実感できた。
 何というか、良い休日だったのではないだろうか?

 たぶん、少年とまた会う事は無いのかも知れない。少年は盗みをまた働くだろうし、私はメードとして戦場で戦いに従事する。
 でも、今日という日は十分に価値ある物で、良い休日だったはずだ。

 そう思いながら時計塔を見上げると、四時を回っていた。
 四時?私は何か忘れていないだろうか?

「あ!」

 少年を追い抜くのではないかというスピードで私は走り出した。

 結局、一時間以上待たせたエメリアにここぞとばかりに散々嫌みを言われて、この日の私の休日は暮れていく事になった。


END
最終更新:2009年12月17日 23:19
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