山脈の影 1

某日 2235時 クロッセル連合王国ガリア侯国南部 クロッセル連合軍基地

 ルージア大陸西部。ここに世界有数の標高を持つ山脈「グレートウォール」がある。
そのグレートウォールを盾にクロッセル連合とエントリヒ帝国が共同で対G防衛網を構築している西方の重要戦域。通称グレートウォール戦線

 その最前線の舞台となるグレートウォール山脈より数km後方に位置するクロッセル連合軍基地のひとつがある。グレートウォールへ兵力を供給するためにガリア侯国領に設けられ、広大な敷地に大規模長大な滑走路と各種兵器群。そして一個師団以上の兵員が配備されている。
 その基地に一機の輸送機が降り立とうとしていた。

 飛来する灰色の輸送機はグリーデル王国空軍のエンブレムが入れられており、それがグリーデン島から海峡を渡って来ているのだという事がわかる。
 夜間だという事もあり基地は比較的静かであり、輸送機のエンジンが上げる爆音が唯一世界に鳴る事が許された音かと錯覚するほどに大仰に響く。
 管制塔からの指示と、夜間着陸灯の明滅に従い、危なげなく着陸した輸送機は誘導員の指示に従い航空機格納庫近くで停止。胴体後方のハッチを開放する。

 そのハッチからアスファルトの地面に降り立つ五つの人影。
 一様に、山岳迷彩を施された野戦服を着ており、各々大きなバッグと銃器を入れるためのケースを持つ。そして全員が黒い防寒マスクで顔を覆っている。
 その為、端からでは顔で個人を判別する事は出来ず、体格から線の細い一人が女性であり、その他は男性だという事がやっと判る程度である。

 兵士達が格納庫の方に歩んでいると、小銃を携行したMP二人を引き連れたひとりの士官が近寄ってきた。ごく一般的なクロッセル連合の士官用軍服を身につけた彼は、肩で風を切り、五人の兵士の前まで来ると、立ち止まり敬礼をする。

「クロッセル連合陸軍、西部方面軍、ガリア侯国領基地所属。イネス・マケイン大尉です。G-GHQよりお話は聞いております」
「モリス少尉です。突然の受け入れ要請への対応、感謝します」

 熟練を感じさせる声で口上を述べた士官に、先頭にいた兵士が重厚なバスで返答する。
 本来ならモリスと名乗った兵士も自分の所属を明かすべきだが、事前に五人の兵士達の詳細の一切を開示しないとの通達が基地部隊にG-GHQからされている。

 しかし、どういった意図があっての事かまでは説明されてはいない。自分たちの基地に正体もわからない武装した人間を招き入れる事には基地上層部の誰しもが、僅かながら抵抗を覚えた。だがG-GHQからの要請とあれば従わないわけにはいかない。結局、多くを詮索しないという事で最後には意見が一致した。

 その事を思い出し、品定めするようにイネス大尉は兵士達を見やる。
 しかし夜間照明があるとはいえ、マスクを被って完全装備をしていては、彼等がどんな人物かの片鱗も見えてはこず、ただ一般的な兵士ではないということがわかるのみである。
 無駄で、危険な詮索は止め、イネスは頭を切り換える。

「ここでは何です。こちらへ」

 兵士達を案内するように格納庫の中へ入っていくイネス大尉。
 その後に続き格納庫に入る前、モリスと名乗った兵士は隣を歩いていた女性と思わしき兵士に小声で話しかける。

「昨日の今日でここまで話が通っているとは驚きです。流石G-GHQですな。教官」

 その言葉に女性兵士は咎めるように彼を見る。
 マスクの切れ間から、翡翠色の瞳が覗く。

「教官は止めてくださいと言ったでしょう」

 小さく潜めながらも、聞き取りやすい流麗な発音に、モリスは頷く。

「そうでした。アレッシオ大尉」

 何かを諦めたように女性兵士――アレッシオは肩をすくめた。



妄想メード戦記―山脈の影― 



――12時間前。

 G-GHQ情報部特別調査課のオフィス。
 外から差し込んでくる太陽光が窓のブラインドの隙間から進入し、部屋内を薄暗く彩る。
 木目を基調とした、茶色が多い室内には、三人の人間が思い思いの格好で鎮座していた。

 応接用のソファに行儀良く座り、新聞を読む、クラシカルなエプロンドレスを着たアレッシオ。
 自分のデスクの机の上に座り、何やら一枚の書類を読む、スーツを着たエメリア。
 そして、部屋の一番奥に設けられた一回り大きいデスクに座り、大きな地図を広げている、軍服を着た壮年の男。

 三者三様の姿で会話もなく、ただそれぞれの行動に徹している。

 絵画にするにはあまりにもそれぞれに特徴があり、それでいて一貫性がないために、適さないであろう光景。
 音はといえば、オフィス前の廊下を通り過ぎる人の足音と、アレッシオがめくる新聞の音しか響かない。

 別に空気が重苦しいわけではないが、それでも部外者が同席すればまず逃げ出したくなるその静寂は、エメリアの一言で崩壊した。

「課長、これやばくない?いくらアレッシオでもきっついと思うよ?私もこんなとこにゃ行きたくないし」
「お前は現場には行かなくて良い。要人の越境方法の確保を担当しろ」
「まじで?アレッシオひとり?!」

 まるで重機が走っているかのように低く、それでいて威厳のある声。
 特別調査部課長ヨルク・バルマーの言葉にエメリアは驚愕した。
 今にも立ちあがらんとするエメリアをその鋭い双眸で見、ヨルクはロマンスグレーの短髪を揺らし、強面な表情を変えずに、首を振った。

「まさか、そんなわけはないだろう。私達の貴重な戦力であり、大事な友人を独りで死地になど送り込みはせんよ」
「あーびびった。その歳でボケたかと心配したわ。でもそりゃそうか。課長がその辺ぬかるわきゃないよな」

 誉めているのか馬鹿にしているのかわからない――どちらにしろ失礼な事に変わりはない――エメリアの言動に、ヨルクは嘆息した。
 元よりこの部下がその言動と態度を改めるなどという、悪魔が賛美歌を歌うに等しい珍事が起きるとは期待しておらず、それも含めてエメリアを引き抜いた自身の采配は間違ってはいなかった事も確信している。
 それでもやはり、彼女のそれは軍に籍を置く割には酷かった。

「エメリア。その口の利き方はどうにかならないんですか?私もあまりこういう事は言いたくないですが、ヨルク中佐が如何に旧知の中であっても上官にはそれ相応の態度で接するものです。それに、親しき仲にも礼儀ありですよ」

 淀みない、流麗なアルト。
 ヨルクが咎めるよりも早く、アレッシオが彼の弁を代行していた。
 新聞を畳み、立ち上がりながらエメリアを諫めるその姿は、服装も相まって有能な家政婦のようであった。
 誰が見ても、彼女が生体兵器だとは思えないほどに様になっている。

「オーライ。失礼しました。以後気を付けますヨルク中佐」

 アレッシオに軽く合図地を打つと、エメリアには珍しく背筋を伸ばし、敬礼までしながらヨルクにそう謝罪する。
 どうせ数分もすればエメリアの態度は元に戻っているだろう。それは火を見るより明らかである。彼女はこういう事については正論しか言わないアレッシオには勝てないことをわかっているからこの場だけ態度を変えたに過ぎない。
 それでも、エメリアを御せるのはアレッシオだけであり、その様はどこかおかしい。
 ヨルクは顔に皺を刻みつつ、苦笑した。

「それで、任務でしょうか中佐?」

 アレッシオは立ち上がったついで言わんばかりに、ヨルクのデスクの前に歩いていき、そう訪ねる。
 ヨルクとエメリアの会話を聞いていたからには、その事は察して当然だったが、自分ひとりが会話に参加できなかったという事にアレッシオは違和感を覚えていた。
 エメリアならまだしも、ヨルクはまず間違いなく任務の兆しがあった場合、その旨を伝えてくる。それが今回は違った。

「ふむ、任務ではあるが、少し特殊でな。正直に言ってしまうと私はあまりこの件については快く思っていない。情報部の虎の子である君を状況もわからない危険な戦線に派遣しなければならないかも知れない」
「危険は承知の上です。それは間接的に私の存在理由を否定されてますよ中佐」
「む、すまん。どうも年齢のせいか最近は感情的になりすぎる」

 咎めるではなく、諭すように言葉を紡いだアレッシオに、ヨルクは苦虫を噛み潰すように顔を歪める。過去、その何事にも動じない冷静さでベーエルデー連邦情報部において一定の評価を得てきた筈の自身の失言は、思いの他衝撃であった。

「話を戻そう、君に話をしていなかったのは、今回は他の部隊と共同作戦になるからだ」
「と言いますと、他のメードと?」
「いや、人間だ」
「え?人間?何それ詳しく教えてよ……じゃない、教えてください中佐。一体誰がアレッシオと組むのですか?」

 自分のデスクから降りたエメリアがアレッシオの横に並び、まるで二人でヨルクに詰めかけているかのような様相を呈する。
 というのも、アレッシオが任務でエメリア以外の、それも人間とチームを組むなどと、そうそうある事態ではない。それでなくとも単独行動を主とするアレッシオのようなメードと一般の兵士では行軍速度や能力が違いすぎるため、戦術的に無理があるとされている。
 もちろん増援として派遣された現地の部隊に加わる事はあるが、用意された部隊とチームを組む事はG-  GHQに配属されてから、初めてといっても良いかも知れなかった。

「もうすぐ部隊の代表者がここに出頭してくるはずだ。それから詳しい話を――」

 ヨルクが言い終わるより早く、硬質なノックの音が響く。
 それが、ヨルクが言った“部隊の代表者”だという事はドアを振り向いた誰もが予想できた。
 「入りたまえ」とヨルクが言うと「失礼します」と男性の声と共にドアが開く。

 短く刈り込まれた金髪に、精悍な顔。そして兵士として熟練された立ち振る舞い。
 一人の兵士がヨルクの前まで来る。
 彼は型通りの敬礼をした。

「モリス・マッコイ少尉です。未明の非常召集によりクロッセル連合陸軍、第1特殊偵察小隊四名、ただいま本部に到着いたいしました」
「ごくろう少尉。私はG-GHQ情報部特別調査課課長のヨルク・バルマー中佐。こっちが君たちと共同作戦を展開する事になる課員のエメリア・イスメリア少尉」

 ヨルクの紹介に脇に避けていたエメリアが軽く敬礼をする。

「そして――」
「アレッシオです。というか、知っていますよね?少尉」

 ヨルクが言うより早く、アレッシオがモリスに微笑みかけた。

「お久しぶりです。お元気そうで何よりだ教官」
「教官はやめてください」

 諫めるように言ったアレッシオにモリスは手をひらひらと振って見せた。
 その三年前から変わらない彼の態度にアレッシオは頼もしさを覚えた。



To be next…
最終更新:2009年12月21日 22:39
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