Chapter 3-4 : 同極磁石・前編

(投稿者:怨是)




 ――空が、白んできた。
 数年前の今日、カ・ガノ・ヴィヂというプロトファスマは生まれたのか。
 車の中から検問所の様子を覗き込んだアシュレイ・ゼクスフォルトは、疲弊した頭脳を騙し騙し回転させながら感傷に浸っていた。
 やがて、鉄格子状のゲートが開く。得体の知れないドライバーの運転する車は、先程とは打って変わってゆっくりと発進する。

「あんたらは、民間の対G義勇軍なのか?」

 アシュレイは義手で運転するその中年男に、つい先程まで行われていた検問所でのやりとりについて訊ねる。
 まず、『民間』という言葉に引っ掛かりを覚えたのだ。彼らは、銃を持つ手が震えていなかった。何かを殺す事に慣れすぎている。

「表の顔だよ。おれ達は軍事正常化委員会。まぁ、世間一般で云われる黒旗ってやつだ」

「黒旗?! 今、黒旗って云ったのか! あの黒旗か!」

 ぎょっとした。今、アシュレイは手ぶらだ。武器をアオバークの共有倉庫に預けてしまったので、身を守るものは何一つ手元にない。
 黒旗は日頃から民間人を殺さないと公言してはいるものの、アシュレイは元軍人だ。しかもMAIDのシュヴェルテ――彼女が黒旗の構成員になっていたと知った時は驚いたが――とも、彼女の生前からの関わりがあった。もしも身元が割れたら、命の保障は無い。
 恐怖だけではなく、犬の糞を手掴みしてしまったような、説明しようの無い嫌悪感と怒りも込み上げてきた。

「この野郎、よくも騙しやがったな! くそ、降ろせ! 俺を何処に連れて行く気だ! 降ろせ! くそったれ!」

 アシュレイは両隣に座る構成員のうち、左側の軽薄そうな若者に掴み掛かりヒステリックに叫ぶ。が、掴み掛かられている当人は迷惑そうな顔でアシュレイの両腕を払いのけるだけで、動く気配は一向に無い。どころか、バックミラー越しにリーダーに助けを求めるような視線を送っているせいで、アシュレイは若干ながら空間的圧迫感を覚えた。

「降、ろ、せ、と云ってるんだ! 畜生、この! 車を止めろ! ドアを開けろ! 降ろせ、降ろせよ!」

 業を煮やして運転席を力強く蹴飛ばした辺りで、ようやく反対側の構成員がアシュレイの首を掴んで向き直らせた。右側に座るこの男は、眼鏡と綺麗に整えた口髭のせいで軍人らしさとは程遠く、むしろどこぞの紳士のような風貌だった。その紳士風の構成員が、こちらを見据えて口を開く。

「あのね、君! 我々とて君の素性を殆ど知らないんだ。ただ、プロトファスマに目を付けられた青年、という程度にしか我々は君を見て居ない。何をそんなに怒る事がある? 我々がこれから君を強制収容所に叩き込むとでも思っているのかね?」

「他に何があるってんだ! どうせプロトファスマの仲間だとか、そういういちゃもんを付けて俺を晒し首にするんだろ!」

「待ってくれ。君はあの場では明らかに、プロトファスマに人質にされていた。あのプロトファスマそのものに対してならまだしも、君にいちゃもんなんぞを付ける理由がどこにあるのかね? 私達は君を保護しただけであって、他意は無い」

「俺は聞き逃さなかったぞ! “名目上は保護”ってな!」

 リーダーの男が先程、名目上などと云っていたのをアシュレイはしっかりこの耳に収めていた。彼らは初めから、馬脚を現していたのだ。
 怒りのあまり手がガクガクと震えるのも構わず、怒号と共に紳士風の男の眼鏡を握る。こちらが受けた精神的な損失に比べれば、たかが眼鏡など安いものだ。そうして視力に支障を来たし、仕事を休み、自らの評価を貶めるがいい! それだけの所業を彼らは何度もやっているのだ。何度も、何度も、何度も、何度も! 彼ら黒旗はMAIDを悲哀の荒野に叩き付け、彼女らに涙が枯れるまで泣き続ける事を強要した。そして一度潰されたにもかかわらず、己の主張を、その背中にたっぷり蓄えたノミを誰かに押し付け、繁殖させるために再びこの忌々しい組織は世界に返り咲いた。度し難き押し付け病の権化! それが、彼らだ! 
 たかが眼鏡の一つくらいを破壊した程度ではまだ足りない。それに、眼鏡は思いの他頑丈で中々割れなかった。
 フレームが軋み、あと少しで割れるといったところで、運転席から差し出された義手が、アシュレイの肩を抑えた。

「ロビンフッドさん、そろそろ勘弁してやってくれ……まるでおれ達が三流映画の悪役みたいじゃないか」

「違うのかよ! アンタらは悪役そのものだ。正義の押し売りを世界中にやってみせる、近頃流行りのタイプの悪役そのものだろうが! 名目上の保護とやらで俺を車に詰め込んで、どこに売るつもりだ、おい!」

「さっきも云っただろ、おれ達の性根は軍人だぞ。あくまで、あのプロトファスマの情報を聞き出すだけだ。事情聴取をあらかた終えたら、お前さんを元居た場所にちゃんと戻してやる」

 軍人は何処へ行こうと嫌われる。嫌われる原因は、いつも決まってこういう軍人気取りの老害が高飛車な論理を展開して民間人を白痴扱いするためだ。
 言葉尻を捕まえ、義手の中年に反論した。

「元居た場所に戻す? 街に出入りするにも疚しそうにコソコソしてた連中がか! どこに保障があるんだよ、オイ! 糞ジジイ、云ってみろ!」

「市民を守る義務についての原則、第七条を読んだ事は? 教科書にも載ってるぞ」

「……あるよ。だがあんたらは黒旗だ、正規の軍隊じゃない。自称リアリスト共が集まったヤクザ団体だ! 市民を守るつもりなら、今すぐ俺をここから降ろせ!」

 紳士風の男から眼鏡を引っ手繰り、義手の中年の顔に力任せに投げつける。荒れた環境での運転に慣れているのか、この義手のドライバーはハンドル操作を誤ることは無かった。それがまた、アシュレイの心臓を猛り狂わせた。
 軍事正常化委員会を、アシュレイは軍事組織と認めるつもりは無かった。こういう輩が、MAIDを暗くさせる。死者の出ないようになりつつあった平穏な戦争を、血と慟哭にまみれた陰惨なものへと戻してしまう。平和を守る事こそが軍隊の真の使命であって、同胞殺しは軍隊の本質ではない。にも関わらず、彼ら戦争中毒の停滞した老害共は!
 いよいよ運転席へ乗り出して殴りかかろうとしたところで、両脇の兵士――正確には、兵士の風上にも置けない連中のうちのたった二人――がアシュレイを押さえ込んだ。
 殴打を免れた運転手の義手男は、うんざりした声音で口を開く。

「勘弁してくれ。こんな所に降ろしたらそれこそGの餌場に放り込むようなもんだ。いくら山岳警備隊が常駐してるといっても、遭難者を探しに行く程の肝を持った奴なんてそうそう居ないぞ」

「お前らに付き合って深みに嵌るよりはマシだ! これ以上俺を乗せるつもりなら、俺はお前らの首の骨を圧し折ってでも降りるぞ!」

「お前さんから見たおれ達がヤクザ団体だろうが何だろうが、職務は放棄できない。ただでさえ外聞の悪い黒旗が民間人を車に連れ込み山中に置き去りにした、だなんて噂が広まったら、それこそただの猟奇殺人団体に成り下がっちまうだろ」

「結構なことじゃないか。あんたらの云う“世直し”なんて、所詮は人殺しだ! いいかげん手前のツラを鏡でよく見てみろ! 鬼のようなツラだ! 悔しかったら開き直って今すぐ俺を外に放り出してみろよ! 撃墜数が稼げるぜ。虚偽の申告でな!」

「だからその認識はだな……くそ、こりゃあ随分と難儀な若僧を連れ込んじまった。ロベルティオ、後は頼んだぞ。おれにはもう無理だ。この山道を運転しながらじゃ、一から百まで説明できる気がしない。五十から七十くらいまで、今ここで説明してやってくれ。あくまで、ジェントルに」

 左側の、軽薄そうなほうの兵士――ロベルティオが先程掴まれた襟を正しつつ向き直り、見た目どおりの軽薄な調子で応答する。

「ラージャ。仕方ない、ダニエルズ中尉のご指名とありゃ、俺が出るっきゃないかな。ミスター・モリソン、フォロー頼ンますよ」

 モリソンと呼ばれた、アシュレイの右側に座る紳士風の兵士が黙って頷いた。
 その間に、ロベルティオは運転手であるリーダー格の中年、ダニエルズ中尉から書類を受け取る。取り落としそうになったのを上手く指で挟みながら、アシュレイの顔色を窺った。

「えっと、いいかい兄ちゃん。万が一ここで事故って谷底に放り投げられた日にゃあ、後は解るっしょ? あと云われる前に釘さすけど、“死んだほうがマシ”ってのは無しな? 俺らのシマじゃそういうのマナー違反だから。オーケイ?」

「いっそ組織総出で事故っとけばいいじゃないか。Gのエサになって少しは平和に貢献できるかもしれないぜ」

「物騒な事を云うねぇ……でもさぁ、みんなエサになったら今度は家族が悲しむじゃん。兄ちゃん、他にも大勢の企業とか、そういったとこに迷惑がかかる訳よ」

「あんたらがこのまま活動を続ける事で、悲しむ奴らが居る」

 それを忘れたとは云わせない。MAIDには教育担当官という、家族同然の存在が居る。彼女らMAIDの存在価値が脅かされた時、教育担当官の大多数はそれを黙って見過ごす事は無いのだ。
 アシュレイがロベルティオの襟をもう一度掴むと、彼はまた迷惑そうな表情でアシュレイの視線を両手で遮ろうとした。

「いや……そうかもしれないけどさ、折衷案とか出してるんだよ? あいつらが突っ撥ねたりして殆どがパァだけど」

「折衷案ねぇ。具体的にはどんな」

「ミスター・モリソン、バトンタッチで!」

「任せなさい」

 紳士風の男、モリソンが手帳を片手に眼鏡を掛けなおす。
 何やら「代替兵装を組織の経費で購入して、教育担当官とMAID双方の前で提示する」などといった内容をこの男は得意気に語っているが、半分くらいは、くだらないものを何やら難しい言葉で着飾っただけだ。少なくとも、アシュレイにはそう聞こえた。
 モリソンが結論を述べる前に、アシュレイはもう一度このいけ好かない紳士気取りの眼鏡を掴み、今度は荷物の載せられた助手席へと投げつけた。

「そんなものが折衷案? 笑わせるなよ、押し付けてるだけだ! やっぱりただのテロリストじゃないか! 今あんたらが云った折衷案とやらは、つまり“アドバイスしてやってるんだから、云う事聞かないと後悔する事になるぞ”ってのと全く一緒の論理だ。どういう頭の構造をしてたらこれを“折衷案”だなんて云えるんだ? いっぺん医者に診てもらえよ!」

 両肩に重みを感じて振り向くと、ロベルティオがこちらの肩に手を置き、溜め息をついている。

「あの、さ……頼むよ本ッ当に……。どこぞの、聞き訳が無いからといって速攻で張ッ倒しちゃうような奴らとは違ってさ、まぁ某国と某国の事だけど、俺達は世間体がただでさえアレなのよ。その、どういうワケか外聞が真面目に底辺中の底辺だから、滅多な真似は出来ないんだ。俺達なりに然るべき場所で然るべき持て成しを、ちゃんとやってんだから。あんまり疑ってくれるなよな。だって俺達、同じ人間だろ? まずは会話のテーブルに着かなきゃ。俺達だって、その為に努力してんの! 云ってる事、解るよね?」

 ロベルティオは眉間を指で押さえながら、余ったほうの手で被りを振る。二、三度ほど振った辺りで大袈裟に腕を下ろし、膝の上に置いていた先程の書類を、アシュレイの前に掲げた。

「ほらこの通り。その証拠に、検問所からの書類が沢山! まず、これが国外連行届けね。聞こえは悪いけど、“兄ちゃんの瘴気汚染を治療する為に俺達が病院まで搬送しますよォー”っていう内容だから。まぁ偽りだけどね、仕方ないよね。で、これが市街地内G目撃証明書。これは兄ちゃんにサインしてもらう。どんなものかは車の中で目を通してね。Gの図鑑も行き先に置いてあるから、一緒に探そう。あとは……」

 その後ロベルティオはアシュレイに次々と書類の束をめくって見せた。臨時休暇手続き、同行誓約書、火器携帯及び使用の許可証、某地区における火器賃貸申請書、通行許可証、エトセトラエトセトラ……アシュレイから見ても、この紙の束の重みや面倒臭さがよく理解できた。こちらが面食らったのを見て気を良くしたのか、ロベルティオは得意気になってそれらの書類をアシュレイに手渡した。

「……で、これ全部、明日のちゃんとした時刻までに俺達軍事正常化委員会の誰かが届け出ないと、キツぅい罰則が待ってるんだよね。ほらな? 意外とちゃんとした団体でしょ? 野蛮じゃないのよ俺達ゃ」

「これとこれと、あと、これは偽証できるな。特にこの同行誓約書はサイン不要で印鑑のみ。無理矢理にでも捺印させちまえば、それでお終いだ。この程度のペテンで俺が騙せるとでも? 馬鹿にするのも大概にしてくれよ。サルでも見抜けるぜ、こんなものは!」

 アシュレイは、渡された書類のうちの何枚かを取り出して指で弾いて指し示した後、ロベルティオに突き返した。あまりに乱暴な返され方に驚いたのか、それともアシュレイの挑戦的な口調に怒りを覚えたのか、ロベルティオは目を見開いて暫く黙り込んでしまった。その後、彼はバックミラー越しにダニエルズのほうへ視線を遣る。


「ダニエルズ中尉。いや、我らが鉄腕デイヴ殿。このクソ野郎のツラをいっぺんブン殴ってもよろしいでしょうか。見てくださいよ! この、したり顔! “殴ってオーラ”が激湧きですよ! 超ムカつくんですけど!」

「我慢しろ。殴った分だけお前さんに跳ね返ってくるぞ」

「またまたぁ。もしかしてこういう不毛なやり取りが嫌だから俺に仕事を押し付けたんでしょ?」

「まさか。口のうまさはお前さんに分がある。おれはそれを信用してるだけだ」

 怒り心頭でこちらを何度も指すロベルティオとは対照的に、ダニエルズはあくまで冷静にロベルティオをなだめる。
 ロベルティオが、心底うんざりした様子で自らの膝を殴った。彼は深呼吸をすると少しだけ身を乗り出し、そのままシートにドッと背を打つ。

「あーあ、畜生! 毎日毎日鉄板の上で焼かれてるみたいで、やんなっちゃうね! 海に逃げたい……海に逃げて、白いビキニのお姉さんと難破船の上で、美味しいエビでも喰いたい」

「その前に浜辺でエビのエサになっちまうよ」

「あ、それは嫌だ、やっぱ取り消します。メンゴメンゴ」

「大変結構。ったく、近頃の若いのはみんな神経が張り詰めてる。何かあれば“敵だ”とか“悪だ”とか、事あるごとに銃口を突きつけたがる。そんなんじゃ長生き出来ないぜ。……おい、お前さんの事を云ってるんだぞ、お友達」

 急に話を振られ、アシュレイもロベルティオに釣られて苛立った。正確には先程からずっと苛々していたが、ダニエルズの言葉のせいで再びぶり返した。アシュレイからすれば彼ら黒旗こそ事あるごとに銃口を突きつけるような輩の筆頭であって、それを構成員たるダニエルズが指摘できる権利など何処にも有りはしない。
 ただ、それは口には出さなかった。先程の口論で、水平線を辿るばかりで彼らには届かないという事がよく解ったからだ。彼ら“押し付け病”の患者に対する対症療法を確立していない以上、一介の若僧たるアシュレイにできる対抗手段はただ一つ、

「短命で結構さ。だいたい、俺は銃なんて持ってないよ。さっきボディチェックやってたろ」

 と、つっけんどんに答えて口を噤むくらいのものだった。
 ダニエルズは義手で器用に煙草を取り出し、火をつける。

「ものの例えだ。にしてもお前さん、ボディチェックの時はやけに素直だったな。お前さんのように血気盛んなやつは決まって拒否するものなんだが」

「考え事をしてたからな」

「……そうかい。ああ、ところでお前さん、煙草は大丈夫かい?」

「大丈夫どころか、俺も吸うんだよ。さっきアンタらが車に押し込めた時にどこかに落としちまったけど」

 もしも手元に煙草があったなら、アシュレイも遠慮なく一服を決め込むつもりでいた。が、いくらポケットをまさぐっても箱が出てこず、安物のアルミ製ライターが空しく冷たい感触を指先に伝えただけだった。苛々が募るのはそのせいでもある。
 ダニエルズの「そいつは悪い事をした」という言葉にふと顔を上げると、義手で後ろ手に握られた箱が、目の前に差し出されていた。見覚えの無い銘柄だった。

叶和圓(イェヘユァン)でもいいかい?」

「なんだって? イエヘ……――?」

「イェヘユァン。華国の煙草さ」

「何故、そんな遠い国から。伊達と酔狂か?」

「その通り。と、云いたいところだが、地元の華人街で安売りされててな。しかも、味も旨いと来たもんだ。どうだい」

「じゃあ、遠慮なく」

 一本ほじくり、ようやく意味を成した自前のライターに一仕事させた。ライターが熱を帯びて満足げな金属音を立てたのを確認すると、アシュレイはなるべく長い喫煙時間を取るためにゆっくりと小さく息を吸い込み、暫く息を止めていた。
 ダニエルズはそのまま手を引っ込めず、ロベルティオのほうへ箱を傾ける。

「ロベルティオは? 要るかい? 奢るぜ」

「いや、いいです。俺、買いましたし。ナールボロの赤」

「何だいお友達、ナールボロは女用の煙草だったろう。せめてアーリヤにしたらどうなんだい」

「やだねェー中尉殿。若者連中はみんなこいつか、ロマ・ブルーですよ。アーリヤはちょっと前まで見かけたけど、今じゃすっかりオッサン煙草ですね」

 談笑する二人とは別世界の如く、アシュレイはこの珍しい銘柄を貪るように吸い潰していた。途中で右から灰皿が差し出されたので、アシュレイは右側の紳士に礼を云う。紳士、モリソンは少し微笑み「どういたしまして」と一言云うとまた黙った。 
 ダニエルズとロベルティオはまた盛り上がる。

「吸わなくなっちゃった奴もここ数年でけっこう居るみたいで」

「そうして由緒正しい喫煙者軍団は十把一絡げに狭い部屋へと隔離か……やれやれ、寒い時代になったもんだ」

「何云ってんですか、中尉もちゃっちゃか禁煙しないとガレッサに嫌われますよ」

「いいんだよ。ガレッサ(あいつ)は仕事とプライベートを弁えられる奴だ。それに禁煙したらおれのストレスはどこで発散すりゃいい」

「ガムとか。セックスとか、ベッド・スポーツとか、夜のレスリングとか? 後ろ三つは全部同じ意味に聞こえるけどちょっとばかし違いますよ」

 にわかに、ダニエルズの表情が苦笑いへと変わった。


「あのな、ロベルティオ。お前さん、おれを盛りのついた兎か何かだと思ってるだろ」

「いやいやとんでもない。そんな事は思ってないけど、けどですね! ユーリカの街にあるヴァルキュリウルって店は、いい所ですよ。あそこに行ったら考えが変わりますって。いや、ホントに!」

「おいモリソン、そこの盛りのついた兎に何か一言頼む」

 眼鏡の回収を諦めたモリソンは裸眼をしかめ、アシュレイ越しにロベルティオを諌めるべく、少しだけ身体を傾けた。
 アシュレイは彼の進路を妨害してはならないと思い、シートに背中を密着させ、顎を引く。

「子供が生まれたらどう責任を取るのかね」

「生まれたら生まれたでいいじゃないですか、男が生まれりゃ将来は兵士に。女が生まれりゃ将来は娼婦に。後継者を産んだ女は木彫りの人口生産勲章を目出度く手に入れる。みんな幸せになれる。悪い事なんて一つも無い! 特にこのご時勢、人口が減り続けてま――」

 突如として訪れた急ブレーキと急加速によってロベルティオは舌を強く噛み、必然的に彼の大演説は幕を閉じた。アシュレイはモリソンに支えられ、どうにか運転席へと飛ばされる事を免れる。
 乱暴な運転の主犯は、もちろんダニエルズ中尉だ。


「色きちがいのありがたいお説教はそこまでだ。結婚もしないで子供を作るなんて、考えられんよ。そう思うだろ、そこのお友達?」

「おいおいおいおい、兄ちゃんは俺と同じ世代だろ? な、頼むよ!」

 この軽薄な若者に、差し伸べてやる手は何も無い。
 冷たく切り捨ててやろう。アシュレイの荒れた神経は、即座に答えを出す。

「アンタ、最低だよ」

「畜生……はいはい俺が悪うござんした! 話の通じない石頭はこれだから嫌なんだ、ケツに奇跡でもブッ込んでもらえ! 大嫌いだ! バーカ! いいじゃん女遊び、揉み放題だぜ? おっぱいプルーンプルン! おーいィー? 無視するなよォー。悲しくなるじゃないかよォー。犯しちゃうよ? 奥歯ガタガタ云わせちゃうよ? ねぇ、ねぇ! はぁ……煙草うめぇ。ニコチンが五臓六腑に染み渡るわぁー。イェヘユァンよりナールボロだよ、若者は。うん!」

「えっと、ダニエルズ中尉、だったか?」

「あぁ、合ってる。どうかしたのかい、お友達。そこのリスチア兎を黙らせる方法についての相談かい?」

「いや……別に。煙草、美味かった」

「ひと箱あげるぜ。面倒事に付き合わせた詫びみたいなもんだと思ってくれ。おっと失礼……――A班よりB班へ。間も無く合流地点だ。あとで装備を半分こっちに分けて欲しい」

 窓の外では、朝霧がまだ淡い青のままで視界は決して良好とは云えなかったが、辛うじて木々の様子は垣間見れる。
 どうやら、ダニエルズにはここが何処だか解るらしい。B班は先程、地下から武器を運んでいた集団だと思われるが、車と徒歩でどのように合流するつもりなのか。バイクでも用いたのだろうか。
 思案している間に、B班からと思しき応答が通信機越しに来た。

《ネガティヴ。お客様が尾行()けて来やがった。合流地点は、ポイント・イエローへ変更だ》

「お客様か。どっちのほうだ」

《六本足のほう、ワモンが数匹。現在カレンが応戦中。殲滅は容易だが、死骸のそばで待ち合わせというのも気分が悪い。それに、瘴気に釣られて次の連中が現れんとも限らん。念のため繰り返すが、ポイント・イエローだ。そこなら問題無い筈だ》

「早いとこ片付けて、山岳警備隊の連中にでも通報しておけ。もたもたしてると朝霧も無くなって、今度は二本足のお客様と揉める事になっちまうぞ」

《……まったく、難儀な世の中だよ。敵はあくまでGであって、俺達じゃないってのに》

「いつの時代でも正義は高くつくもんさ……おれ達の場合は特にな。良きに計らえ(グッドラック)以上(オーヴァ)

 通信機はそれきり、何も云わなくなった。
 ワモン級が数匹となると、歩兵だけで片付けるのは容易ならざる事ではなかろうか。

「大丈夫なのか?」

「なに、B班にはMAIDが居る。通信で名前が出てたカレンって奴がそうだ」

「黒旗も、MAID無しじゃGとは戦えないんだな」

「MAIDが全部無くなりゃいいと思ってる奴は、組織の中でもごく一部だ。おれはMAIDを受け入れてる。市民を守れるなら、頼らざるを得ない。例えそれが納得の行かない、得体の知れないものであったとしてもな」

「あぁ、そう」

 アシュレイは内心、可笑しくて仕方が無かった。日頃あらゆる他人から若僧、坊や、青二才などと呼ばれてきたアシュレイは、おそらくこの車内の空間で唯一、MAIDの秘密を知っている。しかし、目の前でMAIDについて有意義なご高説を垂れているダニエルズ中尉殿――こんな古びた冷蔵庫のような男は、MAIDが人間を元に作られているという事を全く知らないでいるらしいのだ。それが実に滑稽であると同時に、少し不憫でもあった。煙草の付き合いもあるので、多少は時間をくれてやってもいいと考え直すことにする。

「どうしたんだい。口元が緩んでるぜ、お友達」

「うん? あぁ、黒旗も少しは人間くさい奴が居るんだなってね」

くさい(・・・)も何も、おれ達は人間だよ。おれもお前さんも、同じ人間だ。よく考えなくても、それは疑いようの無い事実だろ?」

「ふぅん。人間か……」

 瑛字表記にしてH、U、M、A、Nの、たった五文字。掌に全て書き、まじまじと眺める。妙な重量感があった。人間には、感情だけではなく、理論というものを明確に言語として持ち合わせている。
 組織的、社会的な影響力では、プロトファスマと比肩する程に厄介な連中だというのが、現時点のアシュレイにとっての黒旗の見解だった。黒旗は自らの正義の自明性を疑わぬ高飛車な輩ばかりなのではないか。あの忌々しい“押し付け病”の患者達の集まりだ。

 ――否。
 アシュレイは目を瞑り、頭を振る。高飛車になっているのは自分(アシュレイ)とて同じだ。
 それでももう一度、頭を振った。これは、違う。自己防衛の為だ。身を守る為に、高飛車という名の殻に篭っているだけであって……
 目を開けて、車内の面々を目だけで見やった。彼らもまた、自己防衛の為に殻に篭っているだけだとしたら。
 そこまで考えて、アシュレイは再び自らの精神に狂気がじわりじわりと滲んでくるのを必死に押さえ込んだ。が、口元が緩やかに上へ上へと釣り上がって行き、目が勝手に大きく見開かれて行くという二点だけは、アシュレイは抗う事ができない。せめて両隣の二人に訝しげに覗き込まれる事の無いようにと、アシュレイは片手で目を覆い隠す。

「人間、人間……なるほど。人間、ね」




最終更新:2010年01月04日 13:14
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