Chapter 3-5 : 同極磁石・後編

(投稿者:怨是)



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 まだ午前の四時頃だが、念のために書き留めて置きたい。
 ここでは命の保証が無いからだ。

 今日は色々な事がありすぎて、まだ頭が混乱している。
 ジャンの正体がプロトファスマだったなんて、まったく気付かなかった。
 しかもあいつの正体を知ってから冷静になる暇もなく、今はこうして黒旗に連行され、どこかのコテージの一室に軟禁されている。
 黒旗の連中、事情聴取の前準備にしてはやけに忙しそうにしているが、一体何をやってるんだ?
 あらかた想像は付くが、もしも俺のこの予想が当たっているなら、俺は今すぐにでもここから逃げなくちゃいけない。

 俺の命は、俺のものだ。俺だけの……
 そうさ。誰にも渡してやるものか。俺だけの命なんだ。
 俺は生きて、探し続けなくちゃならない。
 押し付け病を治す方法を、俺はまだ何も見つけちゃ居ないんだ。

 だから武器が欲しい。
 あいつらが泣いて膝を折る程の、強力な武器が。
 そのためにも――




「よう。お友達、起きてるかい」

 アシュレイは声に驚き、手帳を胸ポケットに仕舞い込んだ。このエントリヒ語で書かれた手帳についてボディチェックの時にあまり深く追及されなかったのは、エントリヒ語を理解できる者がロベルティオしか居らず、その肝心の彼すらろくに読みもせずに「ただの日記帳ですよ。怪しい記述は何一つ無い」などと断定した為だろう。

「何だよ。事情聴取は仮眠の後だと云ってたじゃないか」

「予定変更だ。早めに切り上げて、一刻も早くお前さんをあの町に帰してやれと、本部のお偉方からお達しが来た」

「あぁ、そう。ご厚意恐れ入るね。民間人の利用価値なんて無いって事だろ?」

 アシュレイは重圧から開放される半分、侮辱された気分になった。が、敢えて民間人という単語を用いる事で、少しでも嫌疑を減らしておかねばならないのも、アシュレイにとっては重要な課題である。逃げる時間が無い以上は、逆に事情聴取の時間を短縮させてしまいたかった。
 肩に、冷たい金属製の義手の感触が伝わる。

「拗ねてくれるなよ。えっと、エドワウ・ナッシュだったか」

「エディでいいよ」

「そうだな、エド坊。なに、親しみを込めた呼び方さ。気を悪くしないでくれ。コーヒーでも飲もう」

「自白剤入りのか?」

 というアシュレイの質問に対し彼は、間を置いた後「自白剤入りだと!」と云って大笑いし始めた。
 何たる不誠実、何たる不愉快! このカタワめ、ついでにその忌々しい顎も義肢にしてしまえ!

「何が可笑しい!」

「ぶはっはっはっは! お前さん、それはスパイ映画の見すぎだ! 自白剤だってタダじゃないんだぜ、そんなホイホイと使うかよ。そら、こっちだ。足元には気をつけるんだぞ、お友達。この辺りは床が抜けてるからな」

「……さっきから気になってたんだが、その“お友達”ってのは何処の国の挨拶だ?」

 ところどころに穴の開いた隙間風の通る廊下を歩きつつ、彼の奇妙な口癖について問い質す。
 今までの25年間、正確には物心が付いてからのおよそ20余年の間、アシュレイはこうも頻繁にお友達と呼んでくる輩は見かけた事が無かった。

「おれの故郷じゃみんな使ってる。もちろん、これも親しみを込めてさ」

「……なんていうか、癇に障るんだ。あんまり俺には使わないでくれ。黒旗と友達になったみたいで気持ち悪い」

 ダニエルズの言葉をそのまま解釈すると、つまり彼は実に馴れ馴れしい態度をとったという事になる。
 親しみそのものは不快ではない。かつての上司でだいぶ慣らされたし、感性もその頃に影響された。
 ただ、アシュレイがどうしても我慢出来なかったのは、黒旗側の人間に親しくされる事だ。

「こいつは失礼した。神経を逆撫でしちまったのは悪かった、謝るよ」

「狡賢い大人気取りの連中はいつも、そうやって折れたフリをするんだ……」

「社会だと、そうでもしないと首を切られるからな。おれはもう慣れた。お前さんもあと十年くらいしたら慣れる」

 このダニエルズの悟ったような口調が、一々アシュレイの癪に障る。
 部屋の前へと案内され、中に入るようにと手振りで促されたので、アシュレイは半開きになっていたドアを力任せに蹴り飛ばした。ドアは壊れこそしなかったが、ドアを固定していた金属が悲鳴をあげた。

「あんたは組織の倫理に乗っかって、高みから見下ろした気になってるだけだ! 俺の人生と重ねられても、そもそも前提条件が違うじゃないか! そんなアドバイスは何ら意味を為さない、高飛車な説教でしか――……いや、もういい。これ以上アンタと話しても無駄だ。事情聴取はロベルティオにお願いする事にするよ。アンタから話を通してくれるだろ。じゃなきゃ大事な大事なお仕事がいつまで経っても終わらないぜ。そして、上から大目玉を喰らうのはアンタだ」

「随分と嫌われたもんだな。旦那の浮気を見た女だってそういう口は利かないぜ」

「嫌われて当然の事をしてるんだから、何を云われても仕方ないだろ。受け入れろよ、おっさん」

 入った先での椅子にどかりと座り、目の前でインスタントコーヒーの準備をするダニエルズを苛立たしげに睨む。
 飲むつもりの無いコーヒーを喜々として淹れられる状況ほど、口元の酸っぱくなるものはない。
 道中から今に至るまでこちらが嫌味を散々云い続けても尚、ダニエルズは折れるつもりは無いらしい。その証拠に、アシュレイがわざわざ遠ざけておいたコーヒーカップに、なみなみと代用コーヒーを注いで再びこちらの手元に戻してきた。


「ここだけの話なんだがな、いいか、ここだけの話だぞ。おれは、正規軍からこの黒旗に売られてきたんだ」

「どういう事だ」

「なに、ほんの些細な事でね。……部下の命と引き換えに、“転属届け”にサインさせられたのさ。おれ達みたいな輩はG-GHQ管理下の正規軍には置いとけないと云われた」

 ――同じだ。この男も俺と同じ、追い出された人間だ!
 境遇の委細に至っては異なるものの、アシュレイも同じく故郷を追われた元軍人だ。
 アシュレイはこの手の話に弱い。つい先程まで外側に出していた敵意が、俄かに自責の念となって鎌首をもたげて来た。それは、もしも彼の話が本当だとしたら、という恐れと葛藤によるものだ。
 ただ、少し前のアシュレイだったらこのまま無条件に信じていたかもしれないが、今はすっかり疑り深くなってしまったせいか、証拠が欲しい。

「証拠を見せてくれ」

「ほらよ。G-GHQから発行された除隊届けだ。筆跡も本物だぜ。で、そうしてまかり間違って、おれはこのルージア大陸本部に放り込まれた。だが、個人的感情の為に組織を抜けたくは無かった」

 そう云った彼に見せられた除隊届けは、『アルトメリア連邦陸軍第六機甲大隊所属デヴィッド・ブーン・ダニエルズ中尉は下記の理由により除隊処分とする。項目三番、軍人精神に反した言動および行動への抵触』……という旨の内容が書かれており、右下にG-GHQの朱印が押されている。
 言語は違えど、全く同じ形式の書類だ。紛れも無く本物である事は、アシュレイはこの書類のエントリヒ帝国版を持っているため、もはや一寸も疑う余地が無かった。G-GHQの印鑑は偽造が出来ないように、厳重に管理されている。つまりは、彼は本当に除隊させられたのだ。

「デヴィッド・ブーン・ダニエルズ……除隊……!」

 思わず書類をシワが出来るくらい握り締め、アシュレイは身震いした。
 危うく取り落としそうになりながら持ち主に返すと、デヴィッド・ブーン・ダニエルズ元中尉はそれを小さく畳んでノートの隣に、そっと置いた。

「まぁ所属は違えど、Gと戦う事に違いは無い。それなら、たとえ後戻りの利かない組織であってもそこに身を置いて一緒に戦ったほうがいいだろ」

「……あんたは、変わってるな」

「そうかい。どんな組織にも、色んな奴が居るもんだ。さておき閑話休題だぜ。メインディッシュと決め込もう」

 そう云って、彼はコーヒーを飲み干す。いよいよだ。
 テーブルを挟んで反対側に座る彼は、既にノートを開き、そこに鉛筆を立てている。


「お前さんは、あのプロトファスマと何やら話し込んでいようだったが、やっこさんとはどんな話をしたか覚えてるかい?」

「そうだな、確か……」

 思い出すそぶりをしながら、アシュレイはとある事を企ていた。
 目の前の男の国籍はエントリヒから遠く離れたアルトメリア連邦だ。303作戦についてはアシュレイ以上に無知かもしれない。では、カ・ガノ・ヴィヂがあの作戦で生まれた事などを正直に話し、それを武器に帝国本国への揺さぶりをかけてもらうというのはどうか。デヴィッド本人がではなく、彼を媒介にしてそれを伝えられた、熱烈な愛国者の誰かが揺さぶりをかける。幸いにして黒旗は「MAIDを過信するな」という論旨を掲げている。303の失敗の原因がMAIDの過信という事になっている以上、何かしらの打撃力を持っているのではないだろうか。303が黒旗、もとい当時の国防陸軍参謀本部の陰謀でないならば。
 そこまで考えた上でアシュレイは、ようやく思い出したというふりをする。

「あのプロトファスマは、エントリヒ帝国が過去に行った303作戦、とかいうもので生まれたと云っていた。そして、帝国に復讐するとも。俺が覚えているのは、それだけだよ」

「303……? 何だそれは」

 案の定だ。アシュレイは更に続ける。

「解らない。何せ、あいつが云った事だから、俺はちっとも」

 アシュレイの場合、解らないというのは勿論嘘だ。アシュレイは間接的に関わっているので、ある程度の知識は持っている。
 こういった繊細な問題は、ふと思い出したような、あるいは「人から聞いた」といった風を装いつつ小出しにするのが最善策だ。そして伝聞というものは往々にして、過去の自分の言動よりも曖昧な形で伝えられる。多少の脚色をしたところで、誰にも咎められはしない。
 現に、デヴィッドはアシュレイの演技を鵜呑みにしたのか、他人を労わるような笑顔をその表情に滲ませている。

「そうかい。無理をさせてすまないが、やっこさん、他には何と? もしかしたら裏を取れるもんが出てくるかもしれん」

「さぁ、どうだったかな……」

 アシュレイはその時の状況を少しずつ、かつ途切れ途切れに話したが、303作戦に自分が間接的であれ関わっていた事と、カ・ガノ・ヴィヂが会社を興そうとしていた事についてだけは決して話さなかった。

 理由は幾つかあった。まず一つ目として、帝都に対する恨みは少なからずアシュレイも持っている。二つ目に、もしもあの作戦が黒旗の前身である国防陸軍参謀本部、或いは皇帝派による陰謀だった場合、カ・ガノが充分な戦力を整えられていない状態で殺される事になれば、薄汚い官僚どもに痛手を与えられなくなるという懸念がある。三つ目は単純に、黒旗とカ・ガノ含めたプロトファスマ勢との戦いを、帝国の正規軍側がどのように見るか、それに対する興味だ。
 どうせなら、短期決戦よりも泥仕合のほうがいい。これからの時代、各々の人間が守るべきは命ではなく、誠実な心だ。




 ……。

 この事情聴取とやらで、およそ二時間程度が経過した。
 時刻にして午前の7時頃。外はすっかり明るくなり、曇り空から届くほのかな光がコテージの周囲を照らしている。

「まぁ、こんなもんだろう。大儀だったな、お友達。お家に送るぜ。準備しな」

 デヴィッドはノートを閉じ、何杯目か解らなくなったコーヒーを飲み干す。アシュレイは結局、一杯も手を付けなかった。
 二人が立ち上がったところでドアから眼鏡を掛け直したモリソンが現れ、デヴィッドに耳打ちする。

「ダニエルズ中尉、その前に――」

「……ああ。電話の件か。あれは結局、掛け間違いだろ? アシュレイ・ゼクスフォルトって奴はここには居ないぜ。目の前に居る奴はエドワウ・ナッシュだ。こいつの身分証が本物なら、な」

「……!」

 アシュレイは、こればかりは流石に驚いて声が出なくなった。先程、ドアの向こうで慌しくしていたのはそういう事だったのか。
 誰だ。本名を知る電話の主は、何処の誰だ。帝国から永久追放された身分である。心当たりなどある筈が無かった。今更になって誰が呼び寄せようなどというのか。それも、わざわざ黒旗に電話をしてまで。


「何をビビってるんだい、お友達。おれはお前さんの本当の名前がアシュレイ・ゼクスフォルトだとは一言も云っちゃいないぜ。それに、そんな証拠なんてお前さんは何一つ持ってなかったじゃないか」

「俺はビビってなんか……」

「ダニエルズ中尉。確か、彼の手記は帝国語で書かれていましたな? ゼクスフォルト元少佐の表記はAshley Saksfordで、ファミリーネームのaはウムラウトが付いている、と電話で云われまして」

 ――やめろ、モリソン。それ以上は云うな。

「いかにもエントリヒ語といった名前だな。だが、この坊やがそのアシュレイとやらだと断定するには、証拠としては弱すぎる。ただ単にエントリヒ語の勉強をしている学生上がりかもしれん」

 よしよし。デヴィッド、よくやった。
 モリソンは怪訝そうな表情で、デヴィッドを覗き込む。

「では、あちらにはそのようにお伝えしましょうか。おそらくは通らないでしょうが」

「本部に相談してからでも遅くはないだろう」

「それが今すぐに返答しろとの事でしてな……」

「全く、どいつもこいつもせっかちな奴ばかりだ。上手いやり方を考えないと、帝国の政治屋連中を付け上がらせちまうだろうが。……ん? 待てよ、早めに切り上げろと本部のお偉方が云っていたのは、もしかして……いや、考え過ぎかな。エド坊、お前さんはどう思う?」

 本名をここで明かすわけには行かない。ただでさえ一度は追放された身分で、その上、黒旗に情報提供をしてしまったとあれば、帝国に戻ってもろくな扱いをされないのは容易に想像が付く。
 幸い、デヴィッドは気付いていない。アシュレイはシラを切る事にした。

「考え過ぎだよ。俺は確かにエントリヒ語を使うし、血筋にエントリヒ系も混ざっているが、半分はアルトメリア系だ。このご時勢じゃ珍しくも何ともない」

「だろうな。オーケイ、お友達。それなら問題は無いだろう」

 アルトメリア系とのハーフなのは事実だ。母がアルトメリア出身なのだ。今まで意識した事が無かったが、まさかここで役に立つとは。
 厄介なのはモリソンだ。デヴィッドにあれだけ云われても尚、難しい表情で居る。
 彼はちらちらと電話の置いてあるらしい方角へと顔をしかめて目配せしながら、デヴィッドに食って掛かった。

「中尉殿、困りますぞ。ここでエントリヒ側の要求に従って、彼を送り届けないと、組織の肩身が狭くなるばかりです」

「どうせ人違いだ。まぁ、仮に人違いでなかったとしても、おれ達はこいつの正体を見抜けなかった(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)。それだけの事だろ。違うか? モリソンよう」

「しかしですね」

「しかしも案山子もあるか。おれは何としてでもこのケツの青そうなお友達をベーエルデーに帰すぞ。モリソン。お前さんは、ここに居たのはエドワウ・ナッシュという通りすがりの坊やだったと、親衛隊連中に伝えておいてくれ」

 ここまで来てアシュレイはデヴィッドの言動に些細な違和感を覚えたが、それが何であるかを事細かに分析できる程には思考が追いつかなかった。それよりも電話の主やその思惑が気になる。デヴィッドの話によれば、相手は皇室親衛隊だ。まさかあの元上官のホラーツ・フォン・ヴォルケンが寂しくなって再び呼び戻したくなったなどという事はあるまい。
 いずれにせよ、今はデヴィッドの存在が心強かった。このままベーエルデーへ帰してもらえるなら、それに越した事は無いのだ。
 彼は途方に暮れるモリソンの肩を叩き、退室する。アシュレイもそれに続いた。横目でモリソンを見やると、この紳士風の男は気まずそうに視線を下に落とした。



 駐車場に着くと、デヴィッドが車の前で紫煙を燻らせていた。エンジンをかけたままにしていたのか、周囲の空気がやや暖かい。
 こちらに気付いた彼は、煙草の箱をポケットから取り出す。

「おっとそうだった、ひと箱くれてやるって約束だったな。それっ、持ってけ」

 放り投げられた煙草の箱――銘柄の読み方はもう忘れてしまった――を受け取ったアシュレイは、そこから一本取り出して火を付ける。外のひんやりした空気と交じり合った煙草の味は、何とも形容しがたい美味さを出してくれる。アシュレイは紫煙を口元からこぼしながら、デヴィッドのほうへと視線を遣った。

「……なぁ、デヴィッド」

「どうした、お友達」

「黒旗は、あのプロトファスマを殺すつもりなのか? いくらGとはいっても、話は通じるじゃないか」

「やっこさんなりの正義があるっていうのは、おれも重々承知だ。だがな、それはおれ達も同じだ。おれ達、黒旗にも正義がある。利害がぶつかり合うのは仕方の無い事ってね」

 仕方が無いの一言で片付けて良いものだとは思えない。そこで諦めてしまえば、為すがままになってしまう。運命だ何だと悲嘆に暮れるだけで居るのは、アシュレイにとって怠慢でしかない。多くの兵士達が戦場で「運命は切り開くものだ」と鼓舞しているが、それはあらゆる事物に当てはまる。

「解らないんだ……その正義ってのは、何だ?」

「社会をより良いものにするための教科書さ」

 エンジンが温まってきたのか、デヴィッドは吸殻だらけの灰皿に煙草をねじ込み、シートベルトを締める。
 アシュレイも締めようとしたが、デヴィッドが手振りでそれを制す。

「当たり前だが、おれの正義はお前さんの正義とは違う。それでもどこかで共通したりする部分もあるんだ。エディ、それでもおれ達が“彼岸から疎むような他人”に見えるかい?」

「さぁね」

「正しくは“いつでもこっちが同類になりそうな隣人”って奴だ。事実、おれはそうなっっちまった。さあ、今度こそお家に帰る時間だぞ。シートベルトを締めるんだ、お友達」

「だから、“お友達”はやめろ。二度も云わせないでくれ」

 デヴィッドはアシュレイがシートベルトを締めたのを確認すると、勢い良くアクセルを踏み込んだ。
 抗議を続けようとしていたアシュレイは危うく舌を噛みそうになり、急いで口を閉じる。

「すまんね、おれは同業者の事をつい“お友達”と呼んじまう癖があるんだ」

「同業者? 俺が黒旗と同類だとでも云うのか」

「違う。おれが云ったのは、黒旗とかの所属を抜きにしてだよ。解るだろ、アシュレイ」

「俺はエドワウ・ナッシュ、ただの一般人だ……」

今は(・・)な。だが、お前さんは、自分が思ってる以上に色々な情報をおれ達に見せている。若さには抗えないものさ」

 先程のコテージで感じた違和感の正体が漸く見えてきた。つまりはそういう事だ。
 この義手の中年男は既にこちらの化けの皮をめくり、中身を覗いていたのだ。

「そんな、気付かないふりをしてたとでも云うのか!」

「お前さんにこびり付いた硝煙のにおいは、ちょっとやそっとで落ちる類のものじゃない」

 急カーブにさしかかり、重心が大きく傾いた。
 先程も通った道だ。どうやらここは、ダムの近くだったらしい。水面に張った氷が、日の光を反射していた。


「じゃあどうして俺を殺さなかったんだ」

「逆に訊くが、どうしてお前さんを殺さなきゃいけないんだ? 軍属は過去の話であって、今のお前さんを殺す理由は何も無いだろう」

「よく云うよ。さんざん殺しておきながら! いくらでも理由は付けられる。俺が元軍人で、今でも軍属経験を生かした仕事に就いている。それだけで、充分だろ? Frontier of MAID襲撃でも、敵対した軍人から死傷者が何人か出ている。それが戦争の現実だってのは知ってるが、Gという敵が居る中でそれをやってのけるのが、お前等のやり方じゃないか!」

「……あんなのはごく稀にしかやらんよ。もう少し黒旗について勉強しとけ。おれ達が憎いんだったら、尚更な」

「……」

 アシュレイは黙るしかなかった。論破されたつもりはない。平行線を辿るばかりで、核心を突いた話へと進めなかったのだ。
 それでいてまた、デヴィッドの云う「勉強してくれ」という発言に返す言葉が無かったのも、また事実であった。自分は手近な知識を、自分の都合の良いように揃えていただけかもしれなという自覚も僅かばかりだがあったので、これ以上の反論は出来そうにない。
 不貞腐れたように黙り込んで外を眺めていると、暫くしてデヴィッドが優しげな声をかけてきた。

「今日は疲れたろう。到着まで、まだ少しばかりかかる。寝ててもいいぜ」

「その前に聞かせてくれ、まだ気になる事が二つある」

「どうした、お友――おっと、エディ」

「おたくらの組織に、帝国出身の、青い髪のMAIDが居る筈だと思うんだが」

 素性が割れた以上、もはや隠し立てする必要も無い。むしろ彼らの身内の名を出して、少しでも印象を良くしておきたい。
 間接的とはいえ彼女(シュヴェルテ)に頼るというのは不本意だが、命あっての再会だ。自らの身を守る為には多少の欺瞞はやむを得ない。

「青い髪? エーアリヒの事かい?」

「いや、違う。シュヴェルテという名前なんだが」

「残念だが、解らん。おれは今年から入ったから、その前に居たのかもしれん。が……今は居ないって事は辞めちまったか、死んじまったかのどちらかなんだろう」

「そうか……」

 これは、概ね予想通りだ。昨年10月30日当時のシュヴェルテの様子を思い返すと、その当時のアシュレイが事情を知らなかった事を差し引いても、とても黒旗に戻るような様子ではなかった。服もひどくボロボロだった。つまり、彼女はあの時点で既に黒旗から身を引いていた、という計算になる。
 彼女は、何処で何をしているのだろう。連絡が付かないのは心細いが、こればかりは急いても状況は進まない。運良く巡り合える事を願う他ない。

「もう一つ。どうして俺の本名を知ってたのに、帝国の連中に突き出さなかったんだ?」

「あぁ、それか。連中にプロトファスマの居所を伝えられちまったら厄介な事になるからさ。おれ達よりもよっぽど激しいやり方でお前さんを尋問して、嫌が応にも吐き出させるだろうよ。おれがエントリヒ帝国の軍隊で、303作戦とやらを知ってたら、そうする」

 ――何だかんだで利害は一致してるんだな。
 もう、彼に問い質す事は何も無い。後は自力で、帝国側がどのような用件で帰国するよう求めたのかを調べねば。
 アオバークへ戻ったら一睡する暇は無い。故に、ここで僅かでも睡眠時間を稼いでおく必要があった。

「わかった、ありがとう。おやすみ」

「あぁ、おやすみ。腕っこきのお友達」

 瞼を閉じると、鉛のように身体に纏わり付いていた重力が、たちどころに霧散した。そして、意識も。


 この後アシュレイが再び目を覚ます頃には、デヴィッドの言葉通り、無事にアオバークへと辿り着いていた。
 肩透かしを喰らったような気分になりながらも彼に礼を云って別れ、自宅の安アパートのポストを開けると、休暇届の控えが視界に入ってきた。


最終更新:2010年01月04日 13:15
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