成る程、言いたいことは分かった。
が、生身の人間の相手をメヱドに任すとは、奴等胆まで縮こまったらしい。
葛神白々朗は、道中で令を下した狸の顔を思い出し、鼻で笑った。
彼は現在、
以磨川義元の命によって蝦夷へと渡った使者の安否の確認と森叢の同行を探る事を任されている。
全く、対外的には祖国の英雄扱いしている人間におつかいとはあの狸もいい身分になったものだ。
とはいえこの葛神白々朗、メヱドとなって日も浅く、同じく国内で其れらしいものと言えば試作乙型と証された有象無象ぐらいである。
どいつもこいつも永核の制御能力に乏しい腰抜けばかり。女だてらに気は張ってるが、尻が固すぎて女としちゃあ及第点には及ばんな。
対Gにおける歩兵戦力としちゃあ使いようはあるが、こういった工作仕事に向いてないのは確かだ。
今は正式採用に向け、侍女用壱型武甲の詰めと
砲甲冑の開発に足が掛かったぐらいだったか、まあ俺には関係のない話だ。
その点ではこの仕事は俺向きではあるし、俺にしかこなせないって言うのはまあ分からんでもない。
それから、メヱド創出に関ったのは政に以磨川、技術力回収に嘉藤、各種祭事に阿倍野、でもって代表兼資材提供の葛神、か。
地位こそ引き継いちゃあいるが、現実的には名ばかりだ。この辺の面子と顔を向かわすと俺に分がないのは仕方なのない。
おまけに、俺が俺自身に課したらしい教育課程もまだ修了しちゃいない。
悔しいが大社内における実権はまだ弱い。
メヱドの運用に光明を見出せれば近いうちにまた大手を振れようが……しかし趣味でもないな。
――まあ、蝦夷までの運賃をけちった結果かもしれんがな。
頭の中で一人ごちる白々朗だったが、事実現在の移動速度は燕州行きの夜行列車よりも速かった。
※侍女用壱型武甲:つまりアレのアーキタイプ。
※燕州:東北地方を指す。渡り鳥を含め、多くの鳥とその亜人の生息地である事からこう呼ばれる。
「……!」
眠りから覚めた隠斎がまず始めに入手した情報は臭いだ。
焦げ臭い、何かの燃えるにおいと、それから血の……よく覚えのある臭いだ。
体感時間では恐らく夜間。職務の関係上慣らしてはいるが流石にこの身、目がなれるまで若干の時間がかかる。
眠りに付いた記憶がないことを考えると恐らく一服盛られたということだろう。
……で、犯人も、大方予想が付く。
「……んー? アッツァあ、起ぎだが?」
次に機能した聴覚で予想は確信に変わったが、流石に冷静さを保てるような隠斎ではなかった。
目の慣れた隠斎に飛び込んできたのは見慣れた後姿の彼女が、西洋伝来の注射器を片手に何か薬を調合しているところだった。
「……光、オメェ一体なンじょしたど!?」
(光、お前一体何をした!?)
「あや、そんたにごしゃがねたっていいべぇ」
(あら、そんなに騒がなくてもいいじゃない)
兄を捕らえて尚楽しそうな妹を前に、隠斎は改めて末恐ろしい者を感じた。
場所は恐らく台所。身動きが取れないところを見るに縛られているのだろう。
味覚、触覚……なし。それだけ麻酔が強力だということか。
にもかかわらず自分がこうして意識と一部の感覚だけを取り戻す事が出来ているという事は、こやつ狙ったか。
薬の調合が終わったのか、手で注射器を弄びつつ歩み寄る光。
この事態をして嬉しそうな……いやこの事態だからこそ嬉しいのか。
身内を手にかけることすら厭わない、やはり狂人であった。
「はめられだど思ってるがもしんねどもよォ、ばすこぎはアッツァの方だったよなァ」
(はめられたと思ってるかもしれないけど、嘘つきは兄さんのほうよねェ)
「光、まさがオメェ……」
何かを確認しようとする隠斎を余所に、光は慣れた手つきで針を彼の胸へと挿し込む。
隠際の全身の感覚はいまだ復活せず、当然当然痛みもなければ、目で何かが入り込んだことを確認する事しか出来ない。
因みに、彼が縛り付けられているのは予測の通り台所の大柱である。
が、間違いと予測の範疇外が二つほどあった。
一つは、血の臭い。もう一つは、焦げ臭さ。
隠斎は薬のものだと思っていた。
「なあアッツァアよ」
「ッ……」
薬を全て打ち込んだ後で、語りかけるような独り言のような、そういった面持ちで光が漏らす。
その行為の裏には何か感慨があるかにも思えたが、しかしそれは罪の意識でなく、また寂しさともとりづらく。
まるで慣れきったものを繰り返すことに飽きたかのような、
「門隠だァなんだッつうどもよ……そんた、人どごやァすめるごどしかでぎねんたものなんかねぐなってもいいど思うのよォ」
(門隠だなんだっていうけど……そんな、人をいじめることしかできないものなんかなくなっていもいいと思うの)
其れは恨みつらみでもなんでもない、明確な叛旗の言葉であった。
一体何のために……いや、思い当たる節はいくらでもあるのだ。
言うべきであれば、今回の事象はそれが積み重なった上で起きたものか。
「光! オメェ今まで誰のお陰でこごまでやれだど……」
「おーおーきしゃわりィきしゃわりィ、そやってうまいもん食ってらったのはアッツァだげだって知ってらべ?」
(あーあーうるさいうるさい、そうやってうまいもの食ってたのは兄さんだけって知ってるよね?)
「そりゃァ……」
何が彼女をここまでかきたてるのか、それはまったく、怨恨に他ならないであろう。
森叢という家柄に続く、閉鎖された慣習。
慣習から逃れ、色情より出でし不幸とそれに連なる偏見。
偏見から生まれた偏愛、蔑視、暴力。
偏愛、偏見、暴力の伴った修練とその友。
友に対し、鬱屈した感情に押し出された行為とそこから膨れ上がった狂気。
「結局はお上の都合、親の都合。そろそろよォ、オラの都合でやらせでもらっていいべなァ?」
そしてその狂気の前に、散り逝くものは美しかろうか。
まるでいとしいものを見るかのようにうっとりした、喜びに満ちた目が、手が隠斎の凍りついた顔を撫でる。
だがしかし、隠斎は分からない。
しかし自分は、その不幸を分かった兄だと言うのに。
確かに彼女ほど凄惨な生活を強いられた覚えはないかもしれない。
が、自分だって言うほど満ち足りた生活を送れていたわけではなかったのだ。
自分なりに彼女を気遣ってきたつもりだし、祖父ほど邪険に扱ったわけではない。
森叢家の新当主として、光の兄として出来る限りの事はしてやったつもりなのに――
――ああ、そういうことだったか。
「もうそんまで薬も切れるころだべおン、せばな」
あの叛逆の言葉に嘘偽りなどないのならば、自分がこうなるのは「森叢」の姓があるからということか。
最早此処に至って、あの娘に狂気や衝動と言う言葉が当てはまっていないと言うこと。
己を狂わした森叢の家に明確な意志で以って抗うことにしたというのか。
この期に及んで一片でも肉親を信じようとした自分が愚かだったということか。
ならば森叢のものとして自分は、命に代えてもこの悪鬼を外に放り出すわけには行かない。
隠斎の中で、確信とともに何かの糸が切れた。
光の言葉通り、身体に自由が戻り始めるのも感じた。
たとえできそこないの兄と言えど縄ぐらいであれば抜けられる。
陽気に挨拶をして背を向ける光は実に隙の塊だ。
ここで一太刀浴びせられれば……。
「だぁめよォアッツァ、そんたにきがねぐしちゃあ」
しかし、やはり光は笑っていた。
人差し指を唇にあてがい、悪戯っぽく微笑むのが尚更に場違いで神経を逆撫でするが……しかし笑うだけの余裕は生まれていた。
ほかならぬ隠斎が誤りを犯していたからだ。
先ほどの「臭い」の主が誰であるか……今になってようやく隠斎は気付くのだ。
先ほど血の臭いは、光に染み付いたものではなく、まさに隠斎自身のもの。
太刀を握ろうとも握れず、足を踏み出すことも出来ないのはこのためだ。
あるべきはずの手足が既に隠斎にはないのだ。
そこから流れ出した大量の血こそが臭いの正体であり、自分の体が帰ってきてはじめて気づける。
「げぇあぁぁぁぁああああ!?」
普段は物静かな隠斎だが、鳴き声は完全に烏のものだった。
感覚が戻ると言う事は痛みも全て、戻ってくると言うことだ。
切り落とされた手足から、今まで溜め込まれた電気信号の奔流が脳に襲い掛かる。
まさに死ぬほどに痛い、そして熱い。
そしてもう一つ、焦げ臭さも薬のせいでない事が次に分かった。
背後からも既に熱と光を感じる程度に、この屋敷は燃えているからだ。
森叢の屋敷ごと、全てを焼き払おうと言うのか。
熱風に血液が沸騰するかのようだ。
まったく全て狂っている。光も、運命でさえも。
燃え広がる炎の中、苦痛に悶えながら隠斎は思うのだ。
光は恐らく、祖父の手によって心のない戦闘機械として育てられんとしていたのだろうか。
それが憎しみからくるもので、感情的なものなのか理論的なものなのかは量り知ることは出来ない。
単純に心の壊れるまで痛めつけたかっただけなのか、二度と過ちを犯さぬように情を奪おうとしたのか。
……だがどちらにせよ、それは誤りであったのだ。
機械が正しく動くのは、それを動かす事が出来る者がいる時だけなのだから。
少なくとも私では、それを御するに足りなかったのだ。
父に連れられていた時はまだ大人しい妹だと思っていたのに、全くいつの間に――
これ以上隠斎に物思うことは出来なかった。
崩れ落ちた梁がギロチンになって、彼の首を焼き切ってしまったからだ。
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最終更新:2010年03月15日 19:16