(投稿者:エルス)
クラウス・フォン・バルシュミーデは激怒した。感情の制御が上手く、寡黙で冷血と知られている彼が、唾を飛ばしながら上官に意見している。
珍しいを通り越してほぼ奇跡に近い事が、私の目の前で起きているのではないのかと上官であるゲルハルト・シュレーゲル、つまり私は思い、何故ここまで熱くなるのか分からずにいた。
私は少将として親衛隊の所属しており、ストレスで頭髪が薄くなり始めているものの、任務に対しては真摯で正しい判断をする優れた軍人として、また人間として知られている。
そして今回にしても間違った事をした覚えはなく、実際に間違ったことなどしていなかった。言ってしまえば私は無罪の罪で攻め立てられているのである。
全く、何故こんな面倒な事をしてなければならないのか、顔にその嫌悪感が出ないように注意しながら私は机を挟んで仁王立ちしているバルシュミーデの帽子を見た。
あの人を殺すかのようなグレイの眼を見るという愚行をする訳が無い。ならば、銀色に光る骸骨を見ていたほうがまだましだ。
「私は人を殺す為に彼女を育てた覚えなど無いと言っているのだ。Gを倒すために教え、育ててきた。だが、人殺しをさせる為にものを教えた積りなどない」
「メードの使用する武器はどんなに平凡だろうとその有効射程距離が伸びると、報告が挙がっている。狙撃にこれ以上適任な素材は、他にないだろう?違うのか、バルシュミーデ?」
ピキ、と音が出てもおかしくないような変わり様だった。バルシュミーデの鉄仮面がたった一撃で砕け散り、その本性が露になった瞬間と言っても間違いではない。
地獄の門を開けてしまったようだと私は酷く後悔した。帽子を見ていた筈が、何時の間にかバルシュミーデの発するその雰囲気、いや、オーラと言った方が良いかもしれない。
兎も角、私の知っているバルシュミーデよりも人間臭く、本能に近い暴力的感情が湧き上がっている様が見て取れた。
普段の鉄仮面は、これを隠す為にあったのかと思うより早く、動物的本能とでも言うのか、そんな本能で私はこの場からさっさと逃げたくなった。
「ならば貴官は、子供に人を殺せというのか?」
「必要ならばそうするのが軍人であろう。話は変わるが、私は息子さえもSSに入れた愚か者でな、恐らく君の正論はこの爺に通らんよ」
「……戦争は、我々大人だけで収めるべきだ。貴官は子供に、未来を持った者にまで、罪を背負わせるというのか」
「少なくとも、今回の事はただの子供でなくメードだ。実働していれば長くても約八年程度が限界の生体兵器なのだ。割り切って欲しいな、クラウス・フォン・バルシュミーデSS大佐」
「真に割り切れる事など、人間には出来ぬのだ。ゲルハルト・シュレーゲルSS少将」
互いに軍人として向き合い、冷静さを取り戻して幾分か雰囲気が暗くなったバルシュミーデは悲しい眼をしていた。
私は鈍感な人間だと息子に何百回何千回と言われているが、クラウスの悲しい眼は、そんな私でもよく分かった。
普段ならば絶対に見せる事の無い仮面の下が見えた事に喜びなど感じない、この男が今までどんな思いで生きてきたのか、それを想像する。
なるほどと心中思い、微笑んでしまいそうになるのを堪える。
鉄仮面であり冷酷と知られるクラウス・フォン・バルシュミーデは、確かに人間であったのだ。
「落ち着いたな。言え」
「時間を、時間を貰いたい。私は少し、疲れている。少しな」
「だろうな。しかしクラウス、お前のような優秀な指揮官が一週間も一ヶ月も悩むのを許可する程、私は甘くはない。三日だ、三日で整理しろ。それ以上を求むのならいっそSSから足を洗え」
「三日あれば充分だ。現実を見、考え、後は感情を制御するだけの、簡単な事だ」
「簡単というのならさっさと行け、こちとら上の説教が怖くておちおちと寝とれんのだ。御蔭でどこぞの宰相以上に前髪前線が後退していてな」
顔面の固い表情を解いたが、逆にバルシュミーデはまた鉄仮面を付け直していたようで、これはまずったかと冷や汗を掻いた。
だが、そうでもないらしい。
これが彼の普通であって、SS大佐としての顔であるのだから、今まで不安定だった一般人の顔の方が異常で、これが普通なのだ。
その事を示すかのようにバルシュミーデはその口から何時もの軍人らしい、固い台詞を吐き出した。
「失礼した。少将」
「いーや、私なんぞに失礼をしても失礼にはならんよ。まぁ、全裸で踊るなんて事をされない限りは、だが」
「冗談は好まん。兎に角、先に礼を述べておく。ありがとう、少将。貴官はやはり、優れた人物だ」
「何、気にするなバルシュミーデ。奥さんによろしく言っといてくれ、今度其方のミートパイを差し入れに貰いたいと」
「伝えよう」
「あぁ、それとだな、最近は帝都でも何が起きるか分からん。護身用に銃でも持たせておいたらどうだ?今ならアルトメリアの回転式拳銃が手に入るが……」
「いらん。アンネにそんなものは、持たせたくない」
「よく言う、元SS中尉の彼女に銃を持たせたくないなど、今更としか言い用がないな。んまぁ、良い。お前が拒むのなら仕方ない。回転式拳銃は馬鹿息子にでも送っとくよ」
「そうするといい。子息は、大事にした方が良いです」
背中でそう語る親衛隊大佐、クラウス・フォン・バルシュミーデ。私はそれを確かに見送り、三日後のアンネのミートパイを心待ちにしたのだが、結局ミートパイもバルシュミーデも私の前に現れなかった。
それは彼が、軍事正常化委員会へ離反し、家族共々ライールブルクへと逃走したからだ。帝都栄光新聞には一面ではないものの、彼の顔写真が載っている。それによれば逃走時に兵士七名を殺害したとあるが、
私の持っている報告書の中にはそんな情報は無い。捏造もここまで来ると犯罪に等しいな、と思う。
「信じ考え行動し、あらゆる摩擦をも消し飛ばして勝利する。……とんでもない奴を敵にしてしまったな、帝国は」
「それは愚痴か?それとも帝国に対する侮辱か?少将閣下」
ギロリ、とクラウスと同等かあるいはそれ以上に殺気のこもった視線を飛ばすのは私服に身を包んだ
シャルティだ。
先程まで殆ど無表情で帝都栄光新聞を頁を捲っていたというのに、帝国を侮辱したかのような、しかもとても微妙なラインの愚痴で肉食獣に変貌するメードは、私が教育した事になっている。
実際は教育も何も無く、この騎士のような態度の基礎を作り上げてしまった程度なのだが、書類上そうなっているし、彼女もそう思っているらしい。
ブリュンヒルデに教えを受け、皇帝ではなく帝国という集団に忠を尽くすという彼女の性格は、一部の前線兵士にとって
ジークフリート以上に現実味があり、信頼できるメードでもある。
「何、気にするなシャルティ。お前も嫌な事ばかり起きて大変だろう。少しここで休んでいけ」
「主の命令でもそれは出来ない。それに、嫌な事など毎日起きている。もう慣れた。後に生まれた妹たちが死んでゆくのも、帝国が汚されてゆくもの」
「慣れたというなら、何故お前の目は前を見続け、その手は障害を抹殺するのだ?慣れたというのは、達観し、傍観し、ただ日常的な物事に対して無気力に対処することを言うんだぞ?」
「それが私の使命だからだ。ブリュンヒルデ様の栄光をジークが引き継ぎ、私は陰で汚れてゆく。私は羊の皮を被ったオオカミでは無い。最初から、オオカミそのものなのだ」
「なるほどな、お前が自らをオオカミと表現するのはそういう訳か。憎悪され、嫌悪され、その性別や人格、存在すらも否定されても、光の為に影を生きる、と」
「それら全てを背負って生きてゆくことを教えてくれたのは、他でもない貴方とブリュンヒルデ様だ。ただ、私を教え育んでくれた貴方が、それを誇れないのは謝るべきだと思っている」
「ん?何故私がお前を誇りに出来ないんだ?これほどまで立派になってくれたというのに」
「それは……」
そう言った後に言葉を紡げず、彼女は黙り込んでしまった。何時もの癖で右目を閉じたまま顎に手を当て考える様は、とてもオオカミに見えない。むしろ、ヴァルキューレというほうがピタリとくる。
もっとも、彼女にそう言ってみたところでやはり自分はヴァルキューレではなくオオカミだと言い張るのだが、それは明らかに間違いであって、そのうち彼女も気づく筈だと私は思っている。
私が葉巻に火を点けても彼女は考えを続けている。何時もならさっぱりとして、次から次へと台詞が出てくる彼女にしては、少しおかしい。
「言い辛いのなら言わんでも良い。それより、最近はどうだ?前線勤めも少なくなってきて、教育官としての自信も出てきたんじゃないのか?」
「自信も何も、中途半端に教育して、上が勝手に引っ張っていくんだ。守る事よりも教え育むことの気楽さを味わえると思った自分が馬鹿馬鹿しい」
「苦労は絶えず、か。私もだよ、シャルティ。どうやら最近では柔軟な思考の持ち主は『度胸の無い将軍』と差別されるようだ。まったく、折角話し合いの場として『ラピス・ラズリ』を作ったというのに……」
「『ラピス・ラズリ』?」
「正式な名称は決めてないが、私が個人で作った。まあ、単に階級の隔たり無しに若者と老人が意見を言い合うだけの所だ。戦術、戦略などを始めとして他にも色々と話し合う事の出来る、良い場所だ。茶も出るぞ」
「固まりきった上を解す為に、か」
「さすがだな、その通りだよ。しかしこれが中々集まらない。ジークフリートを神聖視する者と、ジークフリートはただのメードとする者が決闘でも始めるんじゃ、と思っているんだろうか」
「間違ってはいないだろうな。ジークが何も言わないのを良い事に、好き勝手妄想する害虫に抑止の心があるとは思えん」
「手厳しいな」
「そうでもないさ」
外見年齢に似合わぬ、歳を取った笑顔に私は何も返せず、ただ葉巻の紫煙を吐き出す事しかできない。毒になると知っていても、葉巻を吸っている私も害虫の一人なのでは、と思うが、シャルティの本心は読めない。
帝都栄光新聞に目を戻した彼女に何が見えているのかも、私には分からない。このような隔たりを無くす為『ラピス・ラズリ』を作ったのだが、鈍感な私ではその価値を測るのは無理なのかもしれない。
いっそのこと私以外の誰か、それも一定のカリスマ性を持つ、意思を曲げない強さを持った誰かに託して見ようかと思うが、そうなるとバルシュミーデ意外に心当たりがいないのだった。
「そう。そうでもないさ」
新聞のページをまた捲り、彼女が呟いた。かなり小さな声だったので、聞き逃さなかった自分の耳の優秀さに些か驚いた。
「後ろが甘くなっただけで。そうでもないさ」
明らかに失望の色を孕んだ声が聞こえ、私は紫煙を吐き出した。
毒に満たされた腹を浄化するには、それが一番だとでも思い込んでいるようだった。
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最終更新:2010年05月23日 22:15