Behind 5-2 : Shadow of MAID

(投稿者:怨是)


 レイ・ヘンラインはアルトメリアのとある墓地の中心に立っていた。この時間帯のこの場所は、誰も居ない。せいぜい、社会情勢に何ら興味を持たない事で知られる警備員が、気だるげに巡回して行く程度だった。
 ずれた眼鏡を直しながら、レイはもう片方の手でポケットをまさぐる。四角い感触を指に感じ、それを取り出した。Dr.ACEという銘柄は、著名なMAID技師であり、かつては英雄と称えられた兵士でもあったレイにとって、自身の生涯を物語る煙草だ。

「愚痴を、云いに来た」

 本日の午前中、レイはEARTHによって執り行われた会議へと出席した。が、彼の意見を誰も真摯に受け取る事は無かった。墓前にてその鬱憤を晴らすのは、7月22日の今日が特別な日だからである。

「戦車による物量作戦を用いればMAIDなど居なくともGの殲滅は充分可能なのだが、実際にはそれが為されていない。故に、主たる戦線は常に戦力不足に喘いでいる」

 彼によって提唱されたMAID不要論を、会議に出席した者らは何を引き合いに締め出したか。確か、知能を持ったGの出現などという、実に下らない杞憂を机上に出してきた。紫煙を口に含みながら、レイは彼らを冷笑した。

「Gはここ最近の研究で、随分と進化の速度が緩やかになっている。知能を持ったGが生まれたとて、それは急場凌ぎの、遺伝子レベルでの苦肉の策に他ならない。にも拘らず、戦車が使われていないのは、MAIDが最強の戦力であるという神話を、G-GHQとEARTHが企てているからだ。そうして彼らはシナリオというレールを用いて利益を得る」

 利益。この墓の下に眠るあの男は、天性の善人であったが為に、その単語を聞く度に顔を曇らせていたか。だがこの残酷な事実を幾ら否定しようとも、それを知る者にとって、知識と云う名の傷跡が消えることなど無いのだ。故にこの墓の主は最期まで苦悩を溜飲できずにいた。
 かつてあの男が取り仕切っていたブラックキャップというMAID部隊をザハーラに派遣するという話があった事を、またその話にあの男も乗り気であった事を、レイは回想する。

「各国がザハーラにMAIDを送り込むのも、化石燃料をザハーラに使わせない為だ。あの国にも売国奴は山ほど存在する。その中の誰かがあの場所を激戦区に仕立て上げ、各国にMAIDを派遣させ、石油を格安で売り捌く」

 ルージア大陸やアルトメリア大陸で化石燃料が採掘される可能性は殆ど皆無に近いという事実が、今から15年前にさる地質学者によって明らかにされた。以来、各国は化石燃料の確保に躍起になっており、潤沢な油田を保有するザハーラは格好の餌食として見られている。

「……いわゆる、ザハーラ利権だ。お前がまだ生きていた頃にも、何度か話題に出ていたな」

 1938年当時、ザハーラにMAIDは皆無であった。エターナル・コアと呼ばれる鉱石の産出量が他国に比べ極端に少なく、また技師も存在しなかったからだ。そこで、主要3ヶ国――当時はザハーラと楼蘭が加盟していなかった為、アルトメリア連邦クロッセル連合王国エントリヒ帝国の3勢力によって運営されていた――会議で、ブラックキャップを含む幾つかのMAID部隊をザハーラへと送り込むといった内容が議題に上っていた。
 レイ・ヘンラインはそれに反対した。MAIDに頼る事を正当化させれば、ザハーラの土着信仰であるドラクシャー教の人々が反発すると考えていた為だった。彼らドラクシャー教徒は男尊女卑社会を信奉しており、MAIDが死体から作られたものだと知っていようとそうでなかろうと、女性が戦場に立つのを許せばその教義に矛盾する。戦場に立つ事で社会から英雄と称えられる権利は、男のみが受けられるというのが彼らの教えだ。レイ自身は無神論者だが、政教分離の進んでいないザハーラでドラクシャー教徒を無視する行為は、社会に軋轢を生み出す暴挙でしかないと考えていた。
 しかし、3ヶ国会議はそれらを押し切って派遣を決定した。数多のドラクシャー教徒を社会の隅に追いやった上で、国家元首ムゥミン・ナビ・クトゥルブ=タリフ議長がMAIDの受け入れを支持したのだ。周辺の政治家達が入念にプロパガンダ工作を行ない、あたかも苦戦しているかのように装い、それをタリフ議長が鵜呑みにしたというのが、事の顛末だ。
 世論に於いて、タリフ議長は断腸の思いで国民を救う為に決断した、近年稀に見る善良な国家元首などと祭り上げられているが、レイから見た真実は、ただのプロパガンダに踊らされた、現場を知らぬ平和ボケでしかない。当時のザハーラ戦線は乾燥地帯に適応したGなど存在しなかった。激戦とは程遠い、欠伸の出るような戦場だった。実際に戦ったレイ自身がそれをよく知っている。

 レイは煙草を地面に捨て、踏み躙る。敬虔なセントレア教徒であれば激怒するであろうその行為も、レイの良心は何ら咎めなかった。死体は生物学的に見れば、単に機能停止した細胞の塊であり、何もしなければ腐敗を待つだけの存在である。手を加えさえしなければ。

「南方大陸難民も、その過半数が作為的に生み出されたものだ。Gの襲撃を受けた村や集落を敢えて見過ごし難民化させ、MAIDの素材にする」

 何故そのような事をするのか。それは、ドラクシャー教徒を初めとする、傀儡政権の立ち上げに不都合なコミュニティを合法的に抹殺する為だ。激戦区を口実にすれば、『救えなかった』という、本来ならば兵士にあるまじき泣き言も平気でまかり通る。
 脳裏に、フェンスを掴む難民達が浮かんだ。皆一様に、希望と絶望をない交ぜにしたような表情で、フェンスの向こう側へと手を伸ばそうとしていた。兵士達には言葉が通じず、ありとあらゆる場所から寄せ集められたせいで難民同士でも言葉が通じない。これから自分達がどうなるかも判らない。唯一、充足した生活にあり付ける事――これも栄養失調が素体に悪影響を及ぼさないようにという配慮の下に行われただけであり、それを当人達は知らない――だけだ。明日はおろか数時間後も見渡せない生活の中、自殺を図る者も少なくなかった。彼らはまるで家畜だったと、レイは思い返す。

「MAIDを一体作るまでに、他の素体となった人間も実験失敗などで死ぬ事も少なくない。彼らは矛盾しているよ。“人類”とやらを救う為に、何百人殺すつもりなのか」

 有色人種が社会的優位を持つ事は、アルトメリア連邦に於いて奴隷制が廃止された1865年以降の現在でも難しい。連綿と続いてきた差別意識が未だに消えないのは、Gの出現以降、亜人差別が激化した事と決して無関係ではない。己の眼鏡にとって異質に映る存在を排除したがる性質は、生物であればごく自然なものである。だが、それが生命を(もてあそ)んで良いという理由にはならない筈だ。
 レイは未だに火種の消えぬ煙草を、もう一度踏んだ。

「“人類”など、どこにも居ないというのに」

 この半生で、“人類”という単語を聞き飽きるほど聞いてきた。なるほど立派な大義名分だ。MAIDが各国の戦線に輸出される理由も、人類の為だ。G-GHQならびにその下部組織たるEARTHがMAIDを生み出すのも人類とやらの為である。
 しかし実情はどうだ。本来は安寧のうちに眠りに付くべき筈の死者だった者らを、死して尚その肉体を酷使し続けるあのおぞましい怪物達を、果たして救世主と見て良いのだろうか。死は、この世に生ける全ての者に平等に与えられた権利だ。それを奪い、人形として使役する行為が、その致命的な真相が人々の眼に触れられぬまま横行している。やがてそれらはエスカレートし、一部の権利者達が己の地位を示す為だけに生み出されるMAIDも加速度的に増加している。今や、どれだけ優れたMAIDを、どれだけ多く揃えているかが国家のステータスとなりつつある。
 否、随分前からその風潮はあった。故にレイはブラックキャップを、303作戦の事例に(なぞら)えて、人工的にプロトファスマを生み出すという建前でバストン大陸に送り込み、意図的に壊滅させた。

「お前はそれを死ぬ間際に悟ったんだろう。それも、かつての教え子を殺す事を躊躇ったばかりにな」

 まさかその結果として本当にプロトファスマが生まれるとは思っても見なかったが、あの一件でアルトメリア連邦国内に於いてMAIDに対する些かながらの不信感を植え付ける事には成功した。初めから、それが目的だ。MAIDへの依存が引き起こす悲劇を目の当たりにさせるという、それこそが目的なのだ。プロトファスマなど副産物に過ぎない。斯くして、今日のアルトメリアはMAID依存を捨て去り、通常兵器路線を尊重する事となった。

「甘さゆえの死は誰も憐れまないぞ、アイザック」

 あの男……レイの弟、アイザック・ヘンラインという大きな犠牲を払った上で。
 7月22日はアイザックの命日だ。彼は今から4年前である1941年のこの日、ブラックキャップの内の一体であるデスモアから変異したプロトファスマ、グ・ローズ・ヌイに殺された。
 レイは冷ややかに銀色の懐中時計と、自らの弟の墓とを交互に見比べた。確か、アイザックが持っていた懐中時計は同じデザインで、金色のものだったか。アイザックは手先の器用な男だった。レイの持っている懐中時計も、アイザックがレイの20歳の誕生日を記念してこしらえてもらったものだ。
 但し、蓋の裏の『陽光既に死せり』という文字は、アイザックの死後、レイが掘った。陽光とはアイザックを指す言葉だ。甘言と優柔の権化のような彼を、レイが捨て去ってしまった感情の幾つかを大切に持っていた彼を、レイは軽蔑しつつも羨ましく感じていた。今やそれを所望しなくなって久しいが、いつも何か眩しいものを見るような微笑を浮かべていた彼は、レイにとって小さくない存在だった。
 そのアイザックを間接的に殺してしまったのは、誤算だった。本当は、彼の伝説主義に至る病を食い止める為に、彼の教え子達であるブラックキャップを消し去った。実の兄として、あの危険な研究を、偽善に酔い痴れたまま進められるのは我慢ならなかったのだ。弟と、アルトメリア連邦が目を覚ましてくれる事を願っての行動はしかし、弟を幻想のまま目覚めぬ身体にしてしまった。
 それでも彼が死んでから今に至るまで、涙が一滴も流れなかったのは何故だろうか。

「……アイザック。今は安らかに眠れ。お前の罪も、俺が、俺の罪と一緒に全て背負って行く」

 回想を閉じ、半ば事務的に言葉を述べる。いつからこんなにも酷薄な人間になってしまったのか。レイは退廃した感情を隠そうともしないまま、花束を墓石の前に投げ捨て、その場を立ち去った。
 レイ・ヘンラインの眉間には、深い皺が刻まれていた。


最終更新:2010年10月05日 15:36
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