(投稿者:エルス)
死が老人だけに訪れると思うのは間違いだ。死は最初からそこにいる。
―――ヘルマン・ファイフェル
「……え」
アンナはスコープの中で繰り広げられた戦いでセレスタンが勝ったものだと思っていた。
だからこそ、さきほどの一瞬でそのセレスタンがあっさりと撃ち殺されてしまったのに実感が湧かず、一人取り残された気分になった。
今までにもこんなことはあった。
スコープ付きのガエターノを持っているから、ただそれだけの理由で行軍の時に最後尾にさせられ、
サブマシンガンを持っているから、一番前にされた友人のメードが
フライに捕まって空に消えて行ってしまった時、ぽっかりと空いた喪失感とどうしようもない孤独感。
気がつくとアンナはスコープの照準線に血まみれの迷彩服を着たメードを重ねていた。
肺を撃たれてから苦しそうにしていたメードは、傷口を思い切り叩くとまた吐血した。
肺の中に溜まりはじめた血を吐きだしているのかもしれない。アンナは妙に冷静で、酷く無感情な自分がいることに内心驚きつつ、トリガーを引いた。
ライフルの反動を肩で受け止め、固いボルト・ハンドルを操作して排莢。
もう一度スコープを覗くと、メードには当たらず、逆に狙撃されていることに気付いたメードは建物の陰に入り込んでしまった。
「逃がしちゃった……。ああもう、どうなってんのよ! セレスはあっさり死んじゃうし、狙撃は当たらないし、なんかゾンビみたいになってるのにあいつは動くし―――」
そこでアンナは気付いた。行動ができ、武装しているメードはこちらの位置を知っている。自分なら、どうするだろうか? そうだ、狙撃手を撃ち殺すにきまってる。
ガエターノを腰だめで構え、アンナは梯子のほうに振り向いた。
木製の古い梯子で、誰かが昇る時にはぎしぎしと音を立てるから、至近距離で撃ち殺せば良いんだ。
アンナが震える手でガエターノを力いっぱい握りしめ、来るべき時を待った。
木が軋む音。それだけを聞き取ろうと集中力を高め、恐怖で高鳴る鼓動を静め、一撃で仕留めるようにと引金に指を掛ける。
そして、ぎしりと梯子が軋んだ。奴が来たと、アンナは力み、ガエターノを構え直す。
ぎしりぎしりと、梯子は軋み、その度にアンナの鼓動は早くなってゆく。
狙撃手であることの冷静さも、第三者として目標を撃ち抜く誇りも無く、恐怖で口元が引きつった表情を浮かべるアンナは、緊張のあまり茶色い毛髪が覗いた瞬間に引金を引いた。
しかし、放たれた弾丸は茶色い毛髪を数本葬っただけで、使用弾丸の特性に従い、回転しながら地面に突き刺さった。
「っ―――!?」
急いでボルトを操作し、排莢しようとするアンナだったが、操作を誤ってしまい操作にもたつき、気付いた時には組み伏せられていた。
「嫌っ! 放してよ!」
咄嗟にガエターノを手放してばたばたと手足を動かすアンナの耳に、聞き覚えのある、少しだけ上ずった声が聞こえた。
「いやいや、お前が悪いんだ。俺は先に撃たれたもんで正当防衛としてこんなんなったんだ!」
「…………あれ、
シリルなの?」
冷静になったアンナが頭上にクエスチョンマークを出しても違和感なさそうな顔をすると、シリルは溜息を吐いてアンナの上から退いた。
「俺で悪かったな。ったくよ、いきなり銃ぶっ放して歓迎されるとは思わなかったぜ」
「え……い、いやぁごめんごめん。あれは過緊張と言うか、少しだけネガティブな思考にずっぽり入っちゃったせいであって、あんまり私は関係ないと言うか、
あ、でも私がそうなっちゃてたんだからやっぱり私に責任があって―――」
「結論、お前悪い。んで、俺無罪、絶対無罪。”何にも”してない」
シリルが顔を逸らして妙に「何にも」を強調するので、アンナは冷静に組み伏せられた時の記憶を整理してみた。
まず、手首を抑えられて、シリルの右足が股に入り込んで、金的が出来ないような態勢で…………。
にやり、とアンナが小悪魔的な笑みを浮かべた。過度の緊張と恐怖から解放されて少しだけ舞い上がっている分、からかうネタを見つけたら即からかうのが、アンナだった。
「でもさぁ、シリルってどうしてあんなに手慣れてるのかなぁ?」
「な、なにがだ?」
「強姦魔みたいだったよ? あの押さえ方は。あ、もしかして初心そうな顔して意外と強引だったりするのかな?」
アンナの口が動くたびにシリルの顔の赤みが増してゆく。
そんなこと、シリルにだって分からなかった。生まれつき持ってしまったものなのか、どういうわけか、相手を無力化する場合において、技が咄嗟に出てしまうのだ。
同じような感じで咄嗟に攻撃を避けることもある。ともかく、知らないうちに身体が勝手に動いているのだった。
シリルは赤面して、アンナから顔を逸らしながら言った。
「べ、別にそんなんじゃなくてだな。あれは咄嗟に―――」
「咄嗟に欲望が舞い上がってきちゃったんですよね」
「―――うんうん。というわけで……。いやまて、おいこら」
「え、シリルって強引!? 強姦魔!?」
「違うってえの! おい、今度はどこに隠れてやがった。
エルフィファーレ」
誤解してあたふたし始めるアンナを尻目に、シリルは悪戯が過ぎて犯罪一歩手前にまで発展させるトラブルの名人を探した。
といっても、教会の鐘のある筈のスペースに隠れる場所は無いので、梯子の辺りにいるのは誰にでもわかる。実際、エルフィファーレはそこで笑顔で手を振っていた。
「側車の中ですよー」
「くそっ、重しの砂袋のと入れ替わりやがったのか……」
「シリルが如何わしい本を隠していないかチェックしてたんです」
「するな、探すな、入れ替わるな。そしてアンナは落ち着け」
「だって感情が動作に直列してるってことは獣だってことだってパパ言ってたもん!」
「そのパパが誰だか知らんが俺は獣じゃないから安心しろ。そして俺がここに来た意味をもう一度よく考えてひらがな四文字で説明しろ」
「え、えぇと……………………ぞうえん?」
「正解だ。んじゃ真面目に作戦会議を始めっぞ」
シリルがそう言うと、エルフィファーレとアンナは表情を変えた。
アンナが状況を説明し、シリルは敵がかなりの手負いであること、セレスタンが射殺されたこと、かなり頭の切れるメードだと言うことを考えて堅実かつ確実に敵を仕留める作戦を考えた。
とは言っても圧倒的な数的有利に変わりはなく、装備もこちらのほうが有利だろう。
あまり頭を使わない作戦会議で助かるとシリルは二人に作戦を説明しながら思った。
これから先、市街地に逃走した敵を探し出して確実に仕留めなければならないという、スケールの大きな隠れ鬼ごっこをしなければならないのだ。
敵とこちら、どちらが我慢強いか、タイマン勝負と言う訳だ。
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最終更新:2010年10月08日 00:57