No.1 Actions speak louder than words.

(投稿者:エルス)




 その日は雨が降っていた。
 グレートウォール山脈の麓に茂る針葉樹は葉と幹を雨水に濡らし、葉が零れ落とした水で湿った腐葉土の臭いと、木々が生み出した澄んだ空気が雨音を木霊させていた。
 空はどんよりとした灰色一色で、気温は低かった。分厚い雲に遮られ、真昼の太陽はその輝きを大地に注ぐ事ができずにいる。
 手入れのされていない森には倒木や苔が目立ち、濃い霧が立ち込めていた。視界は五十メートルもきかず、不気味なほどの静けさだけがあった。
 朝は晴れていたが、山の天気は変わりやすいと言う。この程度の降雨は当たり前なのかもしれないが、そういった事柄全てが今の俺には関係なかった。
 というよりも、気にする余裕がなかった。

シリル……」

 震える声で彼女が言った。
 驚きで見開かれたバイオレットの左目は、俺をじっと見つめて動かない。
 右目はアイパッチに覆われており、俺はそのアイパッチの下に義眼があると知っている。
 左手首から先が義手で、左膝から下が義足と言うことも知っていた。
 教育担当官で嫌いな女だった。媚びへつらう女ではなかった。
 女性らしさの欠片もない、ワイシャツとズボンという格好に、生真面目さと頑固さだけが取り柄の実直な女だった。彼女が言う事は正論で、多くの場合、彼女の言い分は正しかった。
 正しかったからこそ嫌いになった。
 騎士の鷹と二つ名を持つ彼女、ルルア
 そのルルアが今は、俺から二歩三歩という位置で尻もちをついたような格好をしている。腰に差した楼蘭刀を抜く気配もなく、無防備な格好を晒していた。
 教え子に後ろから斬りかかられ、義足を壊されたことがそこまでショックだったのだろうか。

「なんで……あなたが」

 乳白色の肌に雨粒と濡れたワイシャツを貼りつかせ、彼女は薄いピンク色をした唇を小さく動かし、消え入りそうな声で言った。
 彼女の右手は腐葉土についてなんとか俺の方に身体を近寄らせようとしていたが、うまくいかないようだった。
 ぐっと力を込めて、失敗し、またぐっと力を込めると言うことを無意味にも繰り返している。
 義手の左手は楼蘭刀に重ねられている。それがどれほど大事な物か俺は分からなかったが、彼女の愛人だった男が持っていたらしいというのは、噂で聞いていた。

「なんでだと?」

 自然と出した声は自分でも驚くほど無感情だった。一切の気力、感情が廃された声が自分の声だった。
 まるで親に失望して人生を諦めた子供のような声じゃないかと、自嘲気味にそう思う。実際、そうなのだろう。心のどこかで俺は、母親と言うものに飢えていたのだろうから。
 だからルルアから離れることを決意した。後ろから斬りかかり、義足を破壊して、そのまま胸にサーベルを突き刺そうと考えていた。
 後者は絶対にできないだろうと、今はそう思う。

「……そんなことも分からないって言うのか。お前が教えてお前があれだこれだと言って、お前好みに仕上げた筈の、俺が考えてる事が分からないっていうのかよ」
「仕上げたなんて……違う。私はあなたのためと思って、あなたがこの先、苦労をしないようにと思って……だから私は、あなたに教育をしていたんです」

 ルルアはそう言いながらも顔を俯けた。無表情で見つめる俺を直視する事ができなくなったのか、あるいは嘘を言ったのか。
 どちらにせよ俺から目を逸らすと言う行為そのものが、俺の意志を真っ向から受け取る気がないという意思表示だった。冷めきった胸の中に、怒りが湧き出てくる。

「違わねえだろう。お前は俺を教育して、お上のご機嫌うかがって、いつもも笑ってただろう。俺が勝手をやれば正論を振りかざして『それは間違いだ』と言って、
 俺から選択肢を奪っていったんだよ。線路は真っ直ぐ続いてるから、真っ直ぐに歩いてくださいと? 馬鹿かよ、あんたは」

 感情が小爆発を繰り返し、考えた事を思いついた順に口から吐き出す。俺は感情を吐露してそれらすべてを泥玉として、ルルアにぶつけていた。
 胸にあるこの感情は何だろう。ひんやりと冷たい外気が俺を包み込んでくれているおかげで、異常だと思えるくらいに冷静な今なら、それが分かる気がする。
 森の生み出す清純な空気も、思考をクリーンにしてくれる助けとなってくれているのだろう。
 吐き出した感情の分だけ大きく息を吸い込むと、胸の辺りがすっと冷えた。
 しかし、胸の違和感は拭えなかった。木の小枝が突き刺さっているような、正体不明の小さな激痛と異物感が、ずっとそこに座り込んでいる。
 いくら感情を吐き出しても、それだけは取って捨てられない気がした。
 義足を叩き壊したせいで固定金具が歪み、刃が欠けたサーベルを鞘に戻す。しゃーっという音を森全体に響かせてサーベルが鞘に収まり、カチンという金属音がした。

「……分かりません」

 彼女はそう言った。その時、胸が痛んだ。かさぶたを無理矢理剥がされそうになっているような、そんな痛みだった。
 怒りは湧いてこない。彼女ならそう答えるだろうと予想していた。彼女がそう答える人間だろうと思っていたから、「ああ、やっぱりそうなのか」という諦めが走っただけだった。

「なら、もう止めにしよう。こんな下らないこと止めて、お互い好きに生きて、好きな事して、好きに暮らせば良いんだ。だってそうだろう?
 人は自由で、平等なんだよ。誰だって自分の道理に他人を縛り付ける理由なんかあっちゃいけないし、しちゃいけないんだ。だから、もう止めにしようぜ」

 それは拒絶の言葉だった。言い切ってから、初めてそう感じた。もう俺に関わってくれるなと、俺は彼女を突き飛ばしたのだ。

「そんな……。シリル、嘘……ですよね? 」

 こんなものは夢であってほしいと願うルルアの目は涙で濡れている。眼窩から溢れ出した涙は頬を伝い、顎へと流れ下って、腐葉土に吸い込まれていく。
 そんな姿であってなお、ルルアは俺の前から消えてなくなってはくれなかった。弱々しく涙しているというのに、彼女は俺を諦めてはくれなかった。
 ルルアの馬鹿正直で真面目な感情が正しいことを示していると言うのは分かっている分、完全に吹っ切れる方法はこれしかない。だから俺は、彼女の左手を拳銃で撃った。
 小さな悲鳴をあげて地面に倒れ伏した彼女に背を向けて俺は霧の森の中を行く。ルルアの泣き叫ぶ声が鼓膜を引っ掻いて、自分の我が侭が甘さに名を変えて歩く足を止めようとする。
 枯れ枝や葉を踏み鳴らして、もやもやとする胸中にいらつき腐葉土を蹴り飛ばした俺は、自分の視界が歪んでいると言うことにやっと気づいた。
 それでも戻ることは出来ない。何故なら俺が、泣き叫ぶ奴の姿を直視できないから。俺が俺の意思で歩きたかったから。俺は奴を拒絶してしまったから。
 胸に張り付いていたかさぶたが、ぺりりと剥がされて、じゅくじゅくに膿んだ傷口が空気に触れたような気がした。



 そこは真っ暗な部屋にある、簡素なパイプベッドの上だった。
 薄いカーテン越しに青白い月光が部屋の中をぼんやりと照らし、大雑把に机の上の本棚に並べられた本たちがきちんとアルファベット順に並べろと言いたげに、背表紙に書かれたタイトルを浮かべている。

「今のは……夢か」

 誰に向けたものでもない言葉を暗中に投げて、一つ溜息。
 上半身を起こすと、身体を覆っていたシーツが布ずれの音を立てて滑り落ち、ひんやりとした外気に肌が触れる。
 今はもう冬だったのだと思いだし、夢のせいで流れ出した涙と鼻水をシーツで拭って二つ目の溜息を吐き出す。寝汗は掻いてないが、酷く気分が悪い。同時に、機嫌も最悪ときた。
 すこぶる嫌な夢だった。俺がアイツを裏切った時の事だ。
 それは事実で、そして今、俺がアイツと一緒に居るのも、また事実だったが、あの時の事を俺はまだ、しこりと思っているのだろうか。
 今では結局、俺は好きでアイツと一緒に居て、アイツの背中を見て、アイツの後ろを歩いてるというのに。
 まったく、踏ん切りがつかない性質と言うのは面倒だと、自分でも思う。
 そういう事柄をまともに受け止めようとする自分が馬鹿馬鹿しいと思ったところで、どうしようもない。
 どちらにせよ、それは俺の意思で決めた事なのだから、まともに受け止めるしかない。
 だから反抗期はもう止めにして、そろそろ親孝行する時期になったと仲間内に言ったじゃないか。
 親孝行と言うより、姉孝行と言った方が的確かもしれないが、恩を仇で返してしまった罪悪感がまだ胸にあるからか、まだ孝行らしいことは一つもできていないが。

「……不器用なのは、姉譲りってことか」

 自嘲と皮肉を込めて呟きながら、シーツを跳ね除ける。どうせもう一度寝ようとした所で寝付けないのは分かってた。元々、そういう体質なのだ。
 下着姿のまま小さなクローゼットを開けてハンガーにかかっている上着を引っ掴み、ベッドに放り投げる。
 ワイシャツとズボンを身に着け、青いネクタイを締めてチョッキを重ね着し、愛用のコートを羽織る。
 ズボンを拳銃のホルスター付きのベルトで締めて机の引き出しから手鏡を取出し、窓際に寄って月明かりの反射で身だしなみを整え、匂いの弱い香水を気持ち程度に吹きかける。
 いつもの手順だと自分に言い聞かせて深呼吸。週に一度の清掃を抜いたことがない部屋の空気は、無味乾燥だ。
 部屋に鍵をかけて兵舎の外に出る。
 夜中だというのに、月明かりのお陰でかなり明るい。近距離の射撃訓練なら簡単にできそうなくらいだ。
 そんな中をあてもなくぶらぶら歩くと、当然のように夜の警備を任された兵士に出くわす。
 俺は舌打ちをするのを何とか堪えて、今夜の番人の顔を見た。

「……なんだ、ヴィクターかよ」
「なんだとは失礼な。このままMPに叩き出しても良いんだぞ、シリル」
「そいつぁ勘弁してくれよマジで」

 運が良かったと、俺は胸を撫で下ろした。
 整った顔立ちに似合わず反骨精神旺盛のヴィクター・スピアーズは、離反前からの友人だ。
 まあ、こっちに戻ってきていきなり殴りかかってきたのにはびっくりしたが……。

「俺にだって予定があるんだ。見逃してくれよ、な?」
「こんな夜中にか? むむ、怪しいな、お前何か隠してないか?」
「いーや、何にも隠しちゃいねえぜ。何ならこの先の予定も教えようか?」

 そう言い返して、にやりと笑って見せる。
 嘘の予定だから隠す意味なんか無い。
 もっとも、本当の予定も如何わしくもなんともないので隠す意味は無いが。

「別に隠すようなことじゃねえからな」
「隠すようなことじゃねえなら教えてくれなくて良いよ。俺は隠したいようなことを聞きてえんだ。たとえば、お前の初体験談とかな」
「なっ……! それ、は……だな……」

 にやりと笑い返してきたヴィクターが、同時にカウンターパンチを放ってきた。反射的にあの時のことを思い出し、顔が一気に熱を持つ。
 やったのは俺で、はまりこんだのも俺で、悪いのも俺だ。
 そしてあの時以来、エルフィファーレを見ると何故か安心するようになった。
 これは男としての本能なのか、はたまた身体目当てに動く動物の端くれとしての本能なのか。
 そういった安直な『本能』とやらに制御されている自分が酷く愚かで、恥ずかしい。
 だから何を口に出していいのか、正直分からない。
 くそっ、にへらにへらと笑いやがって。殴り飛ばされたいのか、この野郎は。

 「ははは! なーに、どうせお前の事だから一心不乱ってやつだろ? 分かってるよ。ほら、とっとと行きやがれこのクソガキ」
 「ちっ! 今度俺の初体験とかクソガキとか言ったらぶっ殺してやる! 良いな覚えてろよ!」
 「三秒後には綺麗さっぱり忘れてるさ! ははは!」

 火照った顔で精一杯殺気を放ち、大声で笑うヴィクターの背中に中指を突き立てて、暫し立ち竦む。
 そして俺はなにをやってるんだとため息を吐き出し、恥ずかしまぎれに頭を掻きながら足を進める。
 行く所なんて無いが、やるべきことは決まってる。
 無駄かもしれないと思っていても、やっといて損は無い。俺がやってるのはそういう類のことだ。
 半欠けの月を眺めながら、女性専用に増設されたもう一つの兵舎に向かう。
 やることは決まっている。俺は使い慣れた拳銃のグリップを握って、そのまま兵舎の陰に隠れた。
 今日は何事も無く、朝日が昇った。睡眠不足気味の目に、朝日は少し眩しすぎた。



関連項目
シリル

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最終更新:2012年03月12日 11:43
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