(投稿者:エルス)
朝の食堂は何時もながら大賑わいで、その中で俺は
エルフィファーレと
ルルアの二人を探した。
探すと言っても、あの二人は決まって一番端かそこに近い場所に座っているので、すぐに済んだ。
問題なのは二人の所へ行くまでで、朝食のメニューが乗ったトレイを持ち歩く兵士たちが横切る食堂の中央を通らなければならないということだ。
歩くのが早過ぎれば兵士たちの朝食を地面に降下させる羽目になるし、遅ければ二人は食事を終えてしまうだろう。
睡眠不足で過労を訴える眼球に精神的に喝を入れ、俺は兵たちの間をするりと通り抜け、朝の談笑中の二人に「おう」と声をかける。
「あ、
シリル。おはようございます」
「おはようさん、エルフィファーレ」
「…………」
「おはよ、う……って、どうかしたか?」
何故か俺を見たまま固まったルルア。まさか過労とストレスでついに壊れちまったのだろうかと思ったが、そうじゃないらしい。
バンッ! と机を叩き、そのまま机を飛び越えて俺の前に移動したルルアは、ワイシャツの第一と第二ボタンを締めたかと思えば、
だらしなく解けていた紺色のネクタイを結び直して締めあげ、挙句の果てに襟のボタンまで締めた。
……いったいどこまで真面目なんだろうか、こいつは。
「これで良し。おはようございます、シリル。服装はキチンと整えなければ。服装の乱れは精神の乱れですよ」
「はいはい、どうせ精神乱れまくってますよ。不良ですよ、出来の悪い弟子ですよ」
「あ、いや……。そこまで自虐的にならなくても良いんですよ? 私はその、キチンと整えてくれれば、シリルがこの先苦労せずに済むかなと―――」
「分かってるよ、お前が何を言いたいのかってくらい。腐ってもお前の弟子だぜ、俺は」
「……なら良いんですが。将軍の視察時にそういう服装だと、何をされるか分かったものじゃないですから」
「その時は僕が将軍にアドバイスして、シリルが女装して一か月間給仕係をする、というような事態に丸く収めます♪」
「いやまて全然丸く収まってねえからなそれ。つうかお前は俺の女装姿を何回見れば飽きるんだよ、もう勘弁してくださいホントに」
げんなりとして俺がそう言っているのに反比例して、エルフィファーレは明るい表情でくすくすと笑う。
何だかんだで離反してから今に至るまで事あるごとに顔を合わせ、仕組まれていたとはいえ、ベッドの上でかなり荒っぽく扱ってしまったのは色々と勉強に……
いや、特に何でも無かったと思いたい。
幸いにしてメードというのは出しても受精しないらしいのでホッとしている……少なくとも今のところは。
「いや~シリルの女装姿は可愛いですから何回見ても飽きないんですよ」
「そろそろ飽きてくれよ。見られるのがお前とルルアだけだから良いけど、ものすごく恥ずかしいんだぞ、あれ」
「恥ずかしがるシリルを見るのも、また一興です」
「なん……だと……」
終わりの無い禁固刑を言い渡されたような気分で溜息をつく。
エルフィファーレは仕掛け爆弾で要人を暗殺したスパイみたいな笑みを浮かべ、カップに入った紅茶を飲む。
礼儀がすっ飛んだような兵隊たちの中で場違いにも上品な飲み方をするんだなと思いつつ、俺はルルアに目を向ける。
相変わらず困ったように笑っている。こんな奴が俺より何十倍も重いものを背負ってるのだから、やるせない。
「なあルルア、ちょっと良いか。アンタに相談があんだけどさ」
「相談……ですか? へぇ……珍しい事もあるものですね」
「今日は空から槍が降るとでも言ってろよ。あの木の下で待ってる」
「え?」
「木の下だよ、あの針葉樹の木下」
「あ、はい。分かりました。朝食を終えたらすぐに行きますから、待っていてください」
「わぁったよ。んじゃ、引き続き朝食をお楽しみくださいお嬢様方」
サービスとして紳士的に跪いて見せるが、ルルアは目をパチクリさせて、酸欠の金魚みたいに口をパクパクさせている。
どうしてこうも馬鹿真面目なんだろうかと呆れるしかない。
エルフィファーレはくすくす笑って、専門家然とした目で俺を見ている。
何故だか分からないが、あまり嫌な気はしない。
「う~ん。紳士にしては言葉に愛が足りてないですね」
「勝手に言ってろ。どうせ俺には紳士なんて無理なんだよ」
肩を竦めて苦笑する。エルフィファーレは「それもそうですね」とか言っているが、ルルアは笑って誤魔化した。
……俺はこいつのこういう所が嫌いだ。リアクションに困った時、こうやって笑って誤魔化す所が。
十一月も終わりに近づく今日この頃、外で人を待つだけで冷気が身体を包む。待ち時間は五分ほどだったが、俺は寒さで少し震えていた。
雪は降っていないが、空は灰色であの白くてふわふわとした雪が、何時ゆらゆらと落ちているのか分かったもんじゃなかった。
降ってきても針葉樹が雪を受け止めてくれるだろうが、降り続けば積もるし、何より帰る時にコートにくっつくだろう。
「すいません、待たせてしまいました」
小走りでやって来たルルアは、大きめのトレンチコートと毛糸の手袋をつけていた。
どちらも連隊の兵士からの贈り物らしく、コートの襟と手の甲の所に金色の刺繍で『R.Indefatigable Guards Regiment』と、連隊名が縫いこまれている。
そのトレンチコートと手袋を普通のメードは貰う事が出来ないということに気づいていないだろうルルアは、にっこりと笑っている。
「いいや、そんなに待ってねえよ。このコート返そうか、それよりこっちのほうが厚手だろ?」
「そこまで心配しなくて良いですよ。それでその、相談とは?」
「あー……。あぁ、うん。まあ……なんつーか」
我ながら非常に言い難いことを相談しようと思ったものだと、ここまできて後悔する。
どうやって説明するかも考えておらず、オブラートに話すべきか、単刀直入に話すべきかも決まって無い。
しばらく悩んで、オブラートにしても単刀直入にしても示す所は一緒だという事で、恥ずかしさに悶え苦しむこと必至の覚悟で口を開いた。
話してる間、何で俺はこいつに相談なんかしたんだろうと、顔が真っ赤になるのを自覚しながら思った。
でも考えて見ろ。この連隊の中で口が固くて恋愛沙汰に縁があるといえばこいつとマクスウェルしかいない。
マクスウェルは男同士で確かに羞恥心は少なくて済むだろうが、あいつの不器用さは話の長さと難解さに比例してる。
それで結局、こいつに話すしかないというわけだ。
「……ってわけなんだけど」
話し終える頃には顔だけサウナに入ったみたいになって、穴があったら入りたいというのは現実の事なんだと思った。
恐る恐るルルアを見てみれば、何故か顔を真っ赤にしてあたふたしてる。相談相手のアンタが慌ててどうすんだおい。
「えっ、それは……つまりその、なんと言いますか。あなたはセ」
「ストップ」
「ックス……え、あ、はい。どうかしましたか?」
やれやれと呆れつつ、溜息を吐く。
「お前だと答えを聞くまでが長くなりそうだから簡単に言うぞ。それだけ答えてくれ、オーケイ?」
「オーケイ、です」
「肉体関係から芽生える愛ってのは、女からしてみたらどうなんだ?」
「それは少し軽蔑しちゃう……かもしれません」
「おい、ちゃんと答えて―――」
「わ、分かる訳ないじゃないですか! 女の子の気持ちがみんな同じということはないんですよ!」
「……あー」
顔を真っ赤にして怒ったルルアはそのまま五分半ほど女を軽く見過ぎだと説教をして、それから段々とヒステリックになり始め、最後にはすすり泣き始めた。
俺は何故だか分からないがルルアをそっと抱きしめて、好きなだけ泣かせることにした。こっそりと買ったシークレットブーツが役に立った瞬間だが、喜べる場面じゃない。
少し前までは絶対に勝てないと思っていた奴が、今じゃ俺の前ですすり泣いているということは、世界が滅んだって喜べる場面じゃない。
何故なら、胸が痛むから。物理的じゃない、精神的な理由で、悪意無く攻撃されてる。悪意の無い攻撃ほどどうしようもないもんは、この世には無い。
ああそうとも、あってたまるか。
夜。また夢を見た。今度はあの記憶より古い、身に覚えの無い、官能的で退廃的な記憶だった。
エルフィファーレとの一件以来、それまでの俺以上に冷静になったが、その代わりに奇妙な夢を見るようになっていた。
俺はもともと夢を見るほうではない。気づくと眠っていて、目を覚ますと朝になっている。それが普通だった。
だが今は気づけば夢の中で過去、もしくは妄想かそういった類の映像を眺めている。こいつは異常だ。
「…………」
エルフィファーレの所為ということはないだろう。これは俺の精神構造が変化しただけだろうし、それ以外に理由が見つからない。
理由が一つだけなら、それが原因だ。俺の精神構造が何時の間にか変化して、俺がそれに気づかなかったから、異常だと感じているんだ。
つまるところ、内面的な部分で一人芝居してたって訳だ。我ながら失笑ものだと思う。だって、
一人で踊っているのに、今まで気づかなかったのだから。
「まるでピエロか、ピノッキオだな」
寝巻から普段着に着替えつつ、自嘲気味に呟いてみる。そうしたところでどうにもならないというのは分かってる。けど、無性に呟きたかった。なんとなく。
拳銃にマガジンを装填し、スライドを引いて撃鉄が上がっているのを確認。最後にサム・セイフティをロックする。そして腰のホルスターに拳銃を突っ込む。
この状態の拳銃は、引き抜いてから親指でサム・セイフティを解除するだけで撃てるようになっている。銃に詳しい友人がいると、こういった便利なことを覚える事が出来るのだ。
他にも
M3半自動小銃用の銃剣や、サポート用の小さな拳銃と予備のマガジンを持って、外に出る。朝とは違った冷気が肌に突き刺さり、吐く息は白い。
今度は警備に見つからないように移動し、そのまま女性用の兵舎の陰に隠れた。
こういう要らぬ心配をし始めて何日目になるんだろうか。
エルフィファーレと一緒にここに戻って来た時は浮かれて気づかなかったが、冷静に考えれば影で蠢いている危険性が露わになる。
グリーデル王国軍情報部第七課。エルフィファーレはそこの諜報員だった。そこがエルフィファーレを、あんな簡単に普通のメードに戻すわけが無い。
昔から情報戦にかけては負け無しを誇るグリーデルの情報部だ。何かしらの方法でエルフィファーレを抹殺するに違いない。
そう思った日から、俺は毎晩こうしている。来なければ俺に出番は無いが、そうなるのにこしたことはない。俺が毎晩こうしている方が、平和的で良い事だ。
寒さに震えながら、空をぼうっと見ていると、通信機から叫び声が聞こえてきた。
『敵襲! 敵襲だ! 二番ゲート、敵歩兵! 応戦中!』
『敵襲! 敵襲! 一番ゲート、約二個戦車小隊を確認!』
『こちら四番ゲート、歩兵を確認! かなりいるぞ!』
こういう時は兵舎の陰にこっそりと設置しておいた通信機が役に立つ。バッテリーが少し心配だったが、問題無かった。
状況を簡単に整理する。恐らく襲撃部隊は
軍事正常化委員会の連中だろう。この連隊は連中からしてみれば壁のように強大な障害なのだから。
一度ならず二度三度と戦闘行動中の
タワーを防衛し、挙句歩兵部隊がメードを一体射殺、止めにルルアが支部の襲撃作戦に参加して、裏切り者の俺とエルフィファーレがここにいる。
他にも上げれば切りがないほど軍事正常化委員会の活動を妨害している。今まで襲撃されなかったのが奇跡と言いたい。
だが、今回の襲撃は軍事正常化委員会の意思じゃないだろう。一部の部隊を第七課の諜報員が扇動してこうなったと考えるべきだ。
木を隠すなら森の中、騒ぎを隠すなら戦場の中。何人か死んだ中にメードが一体混じってても、それは不運と言うものだ。気にする必要なんかない。
そう、気にする必要なんかない。それが普通だったなら。だがもしそれが異常だったなら……その時の為に俺はここにいる。
兵舎の中がドタドタと慌ただしくなってきた。入口には寝巻姿で寝惚け眼をパチクリさせている通信隊の女曹長がいるが、他はまだ中だ。
そう思っていたが、どうやら違ったらしい。
既にルルアが兵舎から飛び出していたのだ。音も無く移動するもんだから、それに気付いたのは通信機がルルアの孤軍奮闘ぶりを伝え始めてからだった。
今や砲声と銃声が夜空に響き渡り、オレンジ色に燃え上がる炎が夜の暗闇を昼の明るさに変えている。
ここは戦場だ。俺は拳銃を抜き取り、兵舎の中に入っていった。女性用と書かれた看板は無視した。
足音を立てず、角を警戒しながら進むと、それほど長くない廊下に、エルフィファーレがぽつんと突っ立っていた。
その正面には灰色の軍服を着た男が銃を構えている。雰囲気こそ軍事正常化委員会の輩だが、こいつはただの軍人ではない。第七課の工作員だ。
その証拠に、手に持つ銃はグリーデル製の特殊消音小銃。これなら万が一この兵舎の中に誰かがいたとしても、発砲音を聞かれずに済むという考えだろう。
「……そうか。なら、仕方ないですね」
エルフィファーレが何かに諦めたような声で言った。驚きで声を上げそうになり、動揺して心の平静が乱されもしたが、俺はやるべきことを実行に移した。
必死で短距離を走り切り、エルフィファーレの背中を傍らに退かし、男が撃ち放った弾丸をこの身で受け止める。殴られたような衝撃と激痛が俺を襲う。
痛みに顔を顰める暇は無い。親指でサム・セイフティを解除し、アイアンサイトを男の身体に合わせ、引金を引く。
「シリル!」
二つの発砲音とエルフィファーレの声が重なった。激痛が神経を駆け走り、悲鳴を上げたくなるほどの痛みを感じ、視界が赤く染まる。
男を殺したという手応えはあった。誤算だったのが、一発目と二発目がどちらも急所に命中したと言う事くらいか……。
気づけば廊下に大の字になって倒れていた。
拳銃は落としたのか、手に持ってない。
持っていたら、激痛から逃れるために頭を撃ってただろう。
もっとも、そのための手足がピクリとも動いてくれないのだが。
「……シリルは馬鹿です」
なんとか首を動かせば、応急処置用の衛生キットを持ったエルフィファーレが真剣な目つきで俺を見ていた。
少しの間、気を失っていたようだ。俺にはその自覚はない。大分ヤバい状態なんだろうと、ネガティブな考えが浮かぶ。
「助けてやって、それかよ……酷い、な……」
「どーしようもない馬鹿です大馬鹿です。もうちょっと後先考えて行動してください」
「後先考えて……やったさ。ま、こんなんなるとは、思わなかったけど……」
「結局は馬鹿なんです。それとあんまり喋らないでください。本当に死んじゃいますよ?」
「そりゃ困るな……っ、ああああぁぁ―――!!」
赤に染まったワイシャツを引き裂いて、エルフィファーレが傷に止血材を振りかけ、その上にガーゼを乗せて思い切り圧迫する。
ハンマーで頭を吹っ飛ばされたような痛みが全神経を駆け廻り、通過した通路をずたぼろに破壊していく。出てきた涙の所為で視界が霞んだ。
「がはっ……! くっ、そったれ!!」
「我慢してください。こうしないと死んじゃうんですから」
「はぁ、はぁ、はぁ……。死ぬほど痛いのに、まだ生きてんのか……俺は」
「死んだら僕、怒りますからね。本気で怒りますから、死んじゃ駄目ですよ、シリル」
血が身体から抜けていく。その不気味な感覚が死を連想させ、背筋が凍る。俺の血が、俺の命が、この薄汚い廊下に漏れ出していると考えるだけで、泣きだしたくなる。
考える事が出来ないのを自覚できない。痛みが脳の大事な部分をぶち壊した。拳銃持った暴徒が、痛みが体中の至る所をぶち壊して回ってる。
腹に風穴二つ出来たくらいだって言うのに、笑えるくらいに痛い。痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛いんだ!
エルフィファーレが真剣な目つきで俺を見ている。笑ってやろうかと思ったが、顔の筋肉が動かない。これは俺の身体じゃないのか? 一体誰の身体だってんだ?
「―――シリルが死んだら意味がないんですよ」
激痛が神経を焼く。身体が痛い。
この世のすべてを憎みたくなるほど、痛い。
不意に訪れた激痛―――それを最後に、意識が暗闇に落ちていった。
最終更新:2011年03月08日 01:45