(投稿者:エルス)
気づけば見覚えのあるエテルネの町に立っていた。雪が降っていて、道行く人は何かに急かされてるかのように小走りだ。
恐らくこれは夢だ。この短時間で激痛から解放されるはずがない。それに、俺はこの町に来た事が無い。
声は後ろから聞こえた。気配がしなかった事に一瞬驚いたが、これは夢だ。何があっても不思議じゃない。
夢の中の住人の顔なんて見たくもない。どうせ知っているが俺は見たことが無い、どっかの野郎なんだ。
それよりも雪の積もったこの古い町並みを見る方が良いだろう。古いからこそ良いものもある。レンガ造りの家々は、歴史を感じさせてくれる。
「……夢の中の住人が話しかけてくるようになったってことは、俺もそろそろイカれちまったかな」
「君は正常だよ。わたしが異常なだけで」
「ならさっさと消え去ってくれ。俺はこの夢を満喫して、野戦病院のベッドで目を覚ます予定なんだ。さあさっさと消え去れ、俺は意外に時間には厳しいぞ」
「分かってるよ。何せ、君はわたしで、わたしは君なんだ。分からないと言う事は無いんだ。この世のすべてがそうであるように」
「お前は俺だって? 夢でもその設定は無いぜ。冗談も程々にしてくれよ、夢ってのは俺の考えの残りカスなんだろ? カスでもこんな酷い設定は―――」
やれやれといった具合に両手を上げて振り向き、
「誰が考えた設定か知らないけど、これは事実なんだよ。シリル」
俺は言葉を失った。
そこに立っているのは童顔で、バラつくクセのある茶髪を肩甲骨辺りまで伸ばした、薄幸そうな少年。
程良い具合に着崩した学校制服と所々糸のほつれた学生鞄を持っていて、小奇麗な黒のワークブーツだけが唯一汚れていなかった。
何かを諦めたような目は細められ、顔は優しく微笑んでいるが、その雰囲気と言ったらまるで疲れ果てた大人、もしくは世捨て人か何かの類だ。
「……驚いたな。俺に良く似た学生が夢の中に登場して、しかも俺を説得しようなんて」
「君は間違ってるよ、シリル。まず一つ、ここは夢の中ではなく、死と生の狭間だ。ちなみに天国と地獄がどっちなのかについてだけど、それはわたしが知りたいとこ。
二つ、俺に良く似たではなくてわたしが君になったんだ。その点を良く理解してほしいな」
「まさか、嘘だろ? そんな馬鹿な! メードの元は人間だっつう噂は……」
「それは本当だよシリル。わたしはミシェル・ハミルトン」
疲労感に満ちた微笑みを浮かべた学生が手を差し出す。
「堕落した精神の持ち主であって、君の素体となった軟弱者さ」
「嘘だろおい……。こんなの、人間のすることじゃ……」
「冷静になって。わたしはここで三年間、ずっと君を待っていたんだ。わたしは君の味方で、そして君が守りたいものの味方だ。安心して良いよ、シリル」
ありえないことなどありえない。世界は広いようで狭く、また狭いようで広い。
俺は腰を抜かせばそのまま立ち上がれない精神構造をしてる。だからそう考える事によってなんとか理性を保つことが出来た。
二度三度深呼吸して、ミシェル・ハミルトンと握手をする。運動なんか一度もやった事がなさそうな、貧弱な手だった。
「初めまして、シリル。それとも今のわたしと言った方が良いかな?」
「自惚れんなよ。俺は俺で、お前はお前だろうが。まあ、どういう仕組みかなんて知らねえけどよ」
「それもそうだ。実のところ、わたしもよく知らないから」
「は?」
「ふふ。そういうところなんだよ、ここは」
「はぁ……。随分とふざけたところらしい、この生と死の狭間ってやつは」
「まあ、ゆっくりしてってよ。なんなら、わたしがどういう人間だったか聞かせてあげるよ」
「ああそうしてくれ。暇だからな」
俺がそう言うと、ミシェルは笑った。
自分そっくりな人間が笑うのを見て初めて分かった事があった。
認めたくない事だが、俺は心から笑うとかなり女々しい。
ミシェルが髪を伸ばしているからか、はたまた中身が違うからか。
原因は分からないが、こんな女々しい笑顔をしたら、
エルフィファーレ辺りが放っておかないだろう。
「ん? どうかしたのかい?」
きょとんとした顔で首を傾げるミシェル。
俺は溜息を吐いて、額を押さえた。
「エルフィファーレがからんでくる理由が分かった気がするよ……」
これからさき何度吐くか分からない溜息を吐く。
溜息を吐くたびに幸運が逃げて行くのだと言った奴がいたが、もしそれが本当なら、俺の幸運は一つ残らず逃げ出すような気がした。
ミシェルの父(俺の父でもあるが)はあの大陸戦争の英雄だった。知る人ぞ知る、というレベルだが。
ジル・ハミルトン、エテルネ人でありながらグリーデル陸軍に志願した変わり者。
両親と共に十二歳の時にグリーデルに移り住み、高校卒業後は猟師になり、主に害獣駆除と射撃教室、それと執筆活動で生計を立てていたらしい。
軍に入隊後は人並み外れた射撃の腕で凄腕の狙撃手として友軍に称賛され、敵軍に恐れられたが、自伝によればこの頃はスランプだった。
変わり者が本領発揮するのは、1915年のゲリボルの戦いにおいてだ。彼はここで127人の敵兵を殺した。
塹壕戦による膠着状態―――それはジル・ハミルトンたち狙撃手にとって、自分たちの能力を最大限発揮できる恰好の舞台だった。
敵軍が狙撃手を使うのならば対抗策として狙撃手を。それが連合軍首脳部の答えだった。
目には目を、狙撃手には狙撃手を。そしてゲリボルは狙撃手の天国となった。
ゲリボルの戦い後も、ジルは戦い続け、終戦を迎えると同時に幼馴染のエヴァと結婚し、自伝を出版。
「思えばわたしが生まれてからかな。父がおかしくなったのは」
ミシェルが自嘲気味に笑う。
彼の女が見れば美男子に見え、男が見れば美女にも見えそうな中性的な顔立ちは、俺にも引き継がれているのだと思うと、少しぞっとする。
「父はわたしが成長するにつれ、段々とおかしくなっていった。どうしてなのかは分からないが、原因をあげるとすれば、恐らくわたしの性格が悪かった」
「性格?」
「うん、性格。あー……あんまり言いたくはないのけれど、わたしは軟派な男なんだ。女の子と交わっては泣かせてしまい、別れるといったことを繰り返していた」
「……お前、清純そうな顔して結構どっろどろに暗いのな」
「優柔不断だったからかな。でも、わたしと別れた後の女の子は、みんな普通に接してくれた。わたしが気まずい思いをしてるのも知らずにね。
わたしは嫌だった。微笑みかけてくれる女の子が、わたしの前で羞恥心をかなぐり捨てたような恰好をしていたという記憶を、心底恨んだ。そして自分を恥じた。
でもわたしは抜けだせなかった。そして出会ってしまった。フランチェスカに……」
フランチェスカ・アヴリーヌ。それがミシェルが心から愛した女の名前。同時にミシェルが殺してしまった女の名前でもある。
二人は言わば共依存の関係にあった。一方が死ねばもう一方もそれに続くような、異常な状態だったという。
「父はその頃、もう完全におかしくなっていたから、わたしはピエロになった。自分の存在価値が曖昧になっていたんだ。その時にフランと出会った。
一目惚れで、両思いだったと思う。
わたしはフランに依存される事が自分の存在価値なのだと思い、フランはわたしに依存される事を存在価値だと思い、結果的にそれが愛になった。
まあ、することは獣だったのだけどね。
父が嫌いで嫌いで、性的なことも嫌いだったのに、わたしはどうしてか、性的なことから逃げられなかった。逃げたくても、わたしにはそれが出来なかった。
本能に忠実だったんだよ、両方の意味で」
淡々と言うミシェルの目は悲哀に満ちていた。その反面、今にも泣きだしそうだが、このまま泣かないのではないかと思わせるだけの意思の強さが、その目の奥に感じられる。
深く息を吸ってから、感情を吐露するように陰鬱とした調子でミシェルが言う。
「……人間と言うのは怖いものだ。今わたしはわたし自身のことも含めてそう思う。人は人を見下し、自分が一番だと周りに思われたい。
平等と言っているけど、中身は平等なんか望んではいない。
みんながみんな、人と接する時は仮面を被って、人はその仮面を愛し、気に入らなかったら投げ飛ばす。
性別が違うだけで見下すと言う愚か者も、世界にはいる。とてつもない愚か者だ。
でも、考えても見れば、自分がそういう考えが出来ると言う事は、相手もそういう考えが出来ると言うことに他ならない。
何故なら、何をしても、どうしたって、わたしらは人間なんだから」
「…………」
「でもシリル。君らは違うだろう? 人間であるけれど、人間ではない。人間では不可能な事が、君らになら出来る。
だからシリル、わたしのように迷っちゃいけない。流されちゃいけない。
自分が正しいと信じてそれを行うべきだ。君は流されてしまうけれど、何時も正しい事を思ってきたじゃないか。ただそれを実行に移すだけの意思が無かっただけで」
じっと俺を見据える目は、嘘をついている目じゃなかった。
ミシェルは俺の内側から俺を見て、3年もの間、このことを言うために待っていたのだろう。
こんな俺を3年も見続けて、それでも待ち続けてたってのか。
……この馬鹿野郎。天国で待ってる女を3年もほったらかしにして、俺に助言なんかすんのかよ。
究極の馬鹿だ、お前は。
「ああ、そうだな。お前がそう言うんなら、俺はもう迷わねえ。俺がすることは俺が決める。守りたい奴は……俺の手で守り切る」
その究極の馬鹿の跡継ぎが俺というわけか。なるほど、エルフィファーレが駄目駄目言うのも無理ない。
「そうだよ、シリル。妥協しちゃいけない。死ぬ時に後悔しないように、妥協しちゃいけないんだ」
ミシェルがほっとしたような顔をして笑う。俺は雪を降らせている灰色の空を眺めながら、少し笑ってやった。
そうしなければ、こいつの馬鹿さ加減に呆れて泣きだしそうだったから。
「わたしに出来なかったこと、それが君には出来るんだから、やらなきゃ損だ」
「ああ……そうだな。やってやるよ、お前に出来なかったこと、俺が今までやらなかった事を」
俺は右手を上げて親指を突き立て、ミシェルに別れの言葉を言った。
もう一人の俺は少し意外そうな顔をして、少し笑ってから、別れの握手をした。
「じゃあね、シリル。もう合う事は無いだろうけど、もし会えるとしたら、その時は仲良く話でも」
「分かったよ。その時は湿っぽい話は無しで、明るい話をしようぜ。……んじゃな、また会えるその時まで」
雪が止んで雲が裂ける。太陽の光が切れ目から流れ出し、俺の周囲を照らす。幻想的な演出だが、やりすぎってほどでもない。
俺はこれから先に自分がする事を頭の中で再確認し、覚悟を決めた。例え自分が死ぬことになろうとも妥協しない。してやるものか。
暗闇ではなく、今度は意識が光に飲みこまれていく。ふと下を見ると、ミシェルが両手をポケットに突っ込んでぽつんと立っていた。
「……ん?」
俺はミシェルの唇が微かに動いているのに気づいた。
声は聞こえなかったが、唇の動きから読み取る限り、彼はこう言っていた。
「また会う事の無いよう、わたしは願う」
何故とは思わなかった。
3年も女を待たせている男が行くところなんて決まってる。
もう一人の俺は待ち合わせに遅れに遅れて、彼女に会いに行くだろう。
たとえ地獄に落とされたとしても、そこから這いあがって、言い訳しようもない3年の待ち時間を誤魔化そうとするだろう。
それがもう一人の俺がやりそうなことだ。もう死んでしまった彼の、ミシェル・ハミルトンのやりそうなことだ。
最終更新:2011年03月08日 02:01