No.4 Rise from the dead

(投稿者:エルス)



  光を感じて目を覚ますと、見覚えの無い天井があった。
  どうやら野戦病院を飛び越して、本格的な医療施設に入れられたらしい。
  自分の身体の感覚を確かめようとしても、ぼんやりとした靄がかかったような感じが邪魔をして、どうにもしっくりこないし、動こうとすると気だるくなる。
  まさかとは思うが、意識が無くなった後、処置方法も碌に知らない奴が、慌ててモルヒネを投与したのだろうか。
  そうだとしたら、このぼんやりとした感覚は、ただの眠気か……。

 「いってぇ……」

  上半身を起こしただけなのに、腹部にぐちゃぐちゃに膿んだ傷があるような思いをした。
  病院でよく見る例の患者が着る、あの薄っぺらい服の中を覗いてみると、丁度肝臓や肺の辺りに包帯が巻かれている。
  俺がメードじゃなかったら、墓石の下の棺桶で眠ってたってことだ。
  でも、俺はメードが何であるか、それを知ってしまった。だから、素直にそれを喜ぶ事は出来ない。
  少しだけブルーな気持ちを味わいながら、俺はベッドの端に突っ伏して寝息を立てているエルフィファーレを見た。
  穏やかな寝顔は何時ものドタバタを忘れさせ、何ものにも遮られる事が無い。純粋な美しさが、そこにある気がした。

 「……あぁ、そういうことか」

  ミシェルと話していて、俺は守りたい奴は自分の手で守り切ると言った。
  もしかしたら、俺の守りたい奴というのは、エルフィファーレなんじゃないだろうか。
  何時も俺をからかって、弄って笑って引っ張りまわして……けどこいつは、今まで自分の本心を自分で押し潰してきて……だから、俺はこいつに惹かれたのかもしれない。
  あの時、エルフィファーレは据え膳喰わねば男が廃ると言った。そして俺はそのままエルフィファーレを喰ってしまったわけだが、あれは、必要な事だったのか。
  冷静になればなるほど、今まで自分が無意識に妥協してきた部分が浮かび上がってくる。
  そして俺はそれらの断片を袋に詰め、新たなキャンバスに嵌め込まなければならない。
  俺はキャンバスを完成させ、その全貌を見る事が出来る時が来るだろう。
  その時にはすべて終わらせ、出来ればこいつと、また忙しくドタバタと笑いあえれば、最高の幕引きだ。
  もっとも、そんなみんな笑顔で幸せハッピーエンドにしてくれるほど、第七課は甘くないだろうが。

 「ん、ぁ……」

  どうやらエルフィファーレが目を覚ましたらしい。ぼんやりとした目で寝惚けてくれるのかと少し期待したが、元第七課の諜報員にそれを望むのは無理な注文だった。
  エルフィファーレは目を覚ました俺を見るなり少し驚いた顔をして、すぐに嬉しそうに笑み浮かべた。俺はその優しさに満ちた表情を見て、胸がドキッと高鳴るのを感じた。

 「目を覚ましたんですね、シリル。あ、寝顔を見られちゃいましたね」
 「多分、目を覚ませたのはお前のお陰だよ、エルフィファーレ。あと、寝顔は気にすんな。写真なんて撮ってねえからさ」
 「写真なんて気にしてませんよ。僕はシリルに寝顔を見られたのが気になるんですよ……と。まあ、それは置いといて、体調のほうはどうです?」
 「二つの銃創以外は大丈夫だ。一日か三日、一人で歩けそうにない気がするけどな」
 「なら、僕が松葉杖の代わりになります」
 「あんがとな、エルフィファーレ」
 「いえいえ、僕を助けてくれた王子様への感謝の気持ちです。それと、シリル」
 「ん? なんだ?」
 「僕の名前、エルフィファーレじゃなくて、エルって呼んでください。そっちの方が、呼びやすいですから」

  にっこりと笑うエルフィファーレはそう言うと、机の上に置いてあったバスケットからリンゴを取り出し、どこからともなく出現させたナイフでそれを切り始めた。

 「エル、か……。そんじゃエル、少しの間だけ迷惑掛けるわ」
 「良いですよー。最初に迷惑かけたのは僕なんですから」
 「そういやそうだな。でもまあ、一応言っとかないと、後でアイツがうるさくなりそうだからさ」
 「ルルアなら大丈夫ですよ、怪我人に鞭打つようなことはしません」
 「意識不明者にモルヒネ投与したのにか?」
 「誘導尋問には引っ掛かりませんよーだ。……でもルルアを責めないでくださいね。シリルを助けようと必死で、気が動転してたんですから」

  アイツが必死な顔して、気が動転してる姿なんてのは、簡単に想像ついた。
  俺が離反なんてとんでもないことをやろうとした時に、俺を連れ戻そうと必死で、気が動転したアイツを見たことがあるからだ。
  そん時のアイツといったら、我が儘言ってる子供みたいに頑固で、怒られてる子供みたいにしょんぼりしてた。
  思えば、その時の記憶がそれ以後の俺に、開き直りとか、吹っ切れるとか、そういう感情をロックさせたのかもしれない。

 「はい、傷だらけの王子様、リンゴを召し上がってくださいな」
 「おお、サンキューな」

  エルフィファーレから兎型にカットされたリンゴを一つ受け取り、一口かじってみる。
  シャリっとした程良い堅さと瑞々しさ、それと微かな酸味が広がった。これは安物のリンゴじゃないだろう。
  ボソっとした水気の無い不味いリンゴに当たらなかったことに感謝しつつ、俺はこれからの計画を練る。
  すると驚いた事に、今まで以上に冷静且つ迅速に思考を纏める事ができ、また、傍観者視点でそれらに粗がないかを確認することが出来た。
  今までの俺は、どうやったって私的な感情がどこかに入り込んで、作戦や計画を台無しにしてきた。これは大きな進歩だ。
  とはいっても、傍観者が俺だということに変わりはない。どうしても粗だらけになるのは避けられないだろう……。

 「シリル」
 「ん……どうかしたか、エル?」
 「僕を助けてくれた事は感謝しますけど、あんな無茶は二度としないでくださいね」 
 「別に良いだろ、俺の勝手だ。結果的に俺はベッドの上で暇して、お前は生きてる。ところで―――」

  右手をエルフィファーレの後頭部に何気なく移動させ、ぐいっと顔を引き付ける。エルフィファーレが珍しく驚いて「あっ」と声を出した。
  吐息が感じられるほど顔が近付くが、知ったことか。そんなことはどうでも良いんだ。やるべきことをやるために、パズルのピースは一つ残らず拾わなければ。

 「お前はあの時、何で生きることを諦めたんだ? いったいあの男は何者だったんだ? 
   そして最後に、その手に持ったままの果物ナイフじゃない、もう一つのナイフについてだが、いったい何をするつもりだ?」
 「……シリル、いったい何を」
 「言っているのかって? そうだな。事の真相を知りたい。それと、リンゴを切る以外に使用目的がありそうなナイフが怖いから何に使うのか聞きたいだけだっての」

  エルフィファーレの表情が固くなったのを見て、俺は口調を少し変えた。以前の俺はこうやって一方的に詰め寄るなんてしなかった。相手が女なら、尚更だ。
  冷静になっていたつもりが、冷静になりすぎて偽ることを忘れていたということだろうか。この冷静さも良い面ばかりではないらしい。
  使いこなさなければ意味が無い。これは武器と同じだ。使い手によって良い武器にもなるし、悪い武器にもなる。
  しばらく興味なさそうな表情の俺が、エルフィファーレをじいっと見つめる形になったため、俺は気まずそうに目を逸らし、窓を見たりドアを見たり、落ち着きが無いように見せる。
  そうして、エルフィファーレがようやく口を開いた。

 「……あの人は、ガランさんの息子さんだったんですよ。ボクがあの人を殺したことは、動かしようもない事実ですから」

  予想外の答えに、偽りの表情が砕け散りそうになったが、なんとか堪える。なるほど、おかしいと思ってはいたが、そういう事だったのか。
  エルフィファーレの教育担当官、ガラン・ハード。恐らく目立った弱点の無いエルフィファーレの、数少ない弱みだ。第七課はその弱みに付け込もうとして、見事成功した訳か。
  俺は単純すぎて笑ってしまいたい気持ちに駆られたが、エルフィファーレからすれば戦意を失くすほど衝撃的で、生きることを諦めるくらいの精神的打撃を受けたのだろう。
  だが、それも俺がぶち壊した。なにハードだかなんだか知らないが、その復讐心に満ちた息子とやらを、俺は撃ち殺したのだ。奴らの計画は見事失敗した。俺が阻止したんだ。
  ざまあみろ。

 「それでお前が死ぬって? それですべて終わるって? 冗談じゃない。それですべて終わらせるのはお前だけだ。
  そうなっていた場合、俺とアイツがどんな事するか、簡単に想像できるだろう?」

  愚直な正義感が伝染したのか、アイツと俺はこういった事柄に対しては、形振り構わずに行動する。
  その末路を考えると悲惨そのものだが、想像するに難しくは無い。そしてその行動も、また然りだ。

 「おや、なかなかカッコいい台詞じゃないですか……。じゃあそっくりそのまま今の台詞をお返ししますよ? 僕はシリルを、むざむざ死なせに行かせませんから」
 「……………」

  どうやら、俺が第七課に喧嘩を売るってことはお見通しらしい。
  そりゃ今の俺でも以前の俺でも、こうまで露骨にやられたら流石にぶち切れる。
  今はぶち切れて熱がぐるっと回って一周した御蔭で、冷静でいるだけだ。

 「なるほど、ナイフはその為に持ってたってわけだ。……まぁ、よく考えたら、俺に勝ち目ないもんな。まったくって言っていいほどに」
 「ええ、そうですよ……あんまり痛いことはしたくないですけど、最悪腱を切って寝たきりにしちゃいますから。ちゃんと介護してあげますので、その点は安心してくださいな」

  にっこり笑うエルフィファーレの目は笑っていない。それは今さっき口にした言葉が嘘では無いことを無言で語っている。
  これは面倒な事になったと、俺は精神的に項垂れた。どうにかしてエルフィファーレの隙を見つけなければ、俺の計画は始まる前にすべてパーだ。
  どこまでやれるかは分からないが、偽るしかない。本当にどこまでやれるか分からないが……偽の俺を演じる他ない。

 「いやまてそれやりすぎだからな、絶対にやりすぎだからな。やるなよ、絶対にやるなよ」
 「ふふふ、じゃあ大人しくしててくださいな」
 「ああ、分かった。分かったよ。銃弾二発喰らってその上寝たきりなんかにされたら、堪ったもんじゃねえからな」

  苦笑してみせる。口調は軽く、ふざけた感じだ。物事を斜に見て満足してるような、そんな口調だ。

 「理解が早くて助かります」
 「理解を早くしないと碌な目に合わないって教えてくれたのはお前だぜ、エル。御蔭で思いっきり振り回された。女装やらストーカー行為やら何やらかにやら……」

  溜息を吐き、肩をすくめる。俺はお前には敵わない、でも振り回すのだけは止めてくれよ、と。

 「どういたしまして」
 「いやまて褒めてねえからな、誰が聞いても褒められてるって感じないからな。……まあ、お前がそう感じたならそれで良いが」
 「ふふふ……さあ、大人しく寝てなさいな」
 「了解。下手に動くと入院期間が伸びそうだからな。ああ、それとエル」
 「はい?」
 「看病してくれて、ありがとな」

  恥ずかしそうに、少しだけ顔を逸らす。顔を赤くしようとするが、どういう訳かあの顔が茹であがったような感覚は再現できなかった。
  不思議半分驚き半分といった表情のエルフィファーレが、俺をじいっと見つめる。

 「……なんです? 褒めたりして」
 「う、うるせえな! 素直にどういたしましてとか言っとけよ畜生! 恥ずかしいだろうが、くそっ……」
 「普段そんなこといわないじゃないですか」
 「普段は他に人がいて言えねえから、誰もいねえとこで言ってんじゃねえか……」

  俺は「これ以上は俺に言わせるな」と言いたげに、ムスっと答える。
  するとエルフィファーレは、顔を伏せた。ようやく隙が出来た。
  しかし油断は出来ない。俺はあと少し、様子を見ることにした。

 「あははっ……」

  伏せていた顔を上げてエルフィファーレが笑う。
  その笑顔と言ったら、偽物だろうが本物だろうがどっちでもよくなるような最高の笑顔だ。
  だが、今の俺にはその笑顔すら些細なものでしかない。

 「ごめんなさい」

  身体が強張る。何を謝ると言うのだろうか。それとも今から俺に謝らなければいけないようなことをするのか。
  ガラン・ハードの息子を撃ち殺した俺に怒りを覚えて、滅多刺しにするつもりなのだろうか。

 「ついつい嬉しくて」
 「…………」

  今、こいつは何と言った? エルフィファーレは何と言ったんだ?
  嬉しくて、と言ったのか。それも、ついつい、と頭に付いている。
  不意に胸が痛んだ。またか。悪意の無い攻撃ってやつか。まったくもって予想外だ。
  しかし、どうしてエルフィファーレは俺を疑わないんだ。俺は普段なら言わないことを二人きりの時に言えるような奴じゃない。
  それは分かっているだろうに。何故、どうして疑わないんだ。こいつは俺よりも強い筈なのに。どうして疑わないんだ。

 「ああ、そうか」

  ああ、そうだ。冷静になりすぎて、俺は人間的な感情を排していたのか。

 「ごめんな」

  こいつが俺を何故疑わないかなんて決まってるだろう。

 「本当に」

  こいつは俺を仲間だって信じてるから。仲間を深く疑うなんて、誰にも出来っこないんだから。
  そう思いつつ、俺はエルフィファーレの顔が不思議そうにこちらを見るのと同時に、左手で肩を掴み、ぐいっと引き寄せて、右手の手刀を後頭部に叩き込んだ。
  小さなうめき声を上げて気絶するエルフィファーレを抱きとめ、ベッドの上に寝かせる。出来れば、荒っぽくしたくはなかった。
  ナイフさえ持っていなければ、首を締めあげて気絶させることが出来たと言うのに。

 「……偽るのも大変だな。お前は強いよ、エルフィファーレ。俺とは大違いだ」

  エルフィファーレの髪を撫で、頬を撫で、俺はベッドから離れた。激痛が神経を焼いたが、耐えた。そして決意が揺らがない内にさっさとドアを開け、病室を出る。
  やるべきことは決まっている。ここまでやったのだから、最後までやり通してみせる。例えそれが、他者から死にに行くようなものだと言われたものであっても。




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最終更新:2011年03月09日 00:13
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