(投稿者:エルス)
物事はあらかじめ道筋を考えていれば楽なものだ。
看護婦を上手く言い包めて、保管されていた私服を受け取ってそれに着替え、勝手に退院した。私物の腕時計は昼の12時27分を指している。
ここがどこなのかは分からなかったが、とりあえず最寄りの警察署で電話を借り、ロイヤル・インディファティガブルガーズ独立混成連隊司令部に連絡を取る。
『はい、こちらはRIG独立混成連隊指揮官の、クラーク・マクスウェル中佐』
「今まで指揮官室直通の電話番号なんて覚えなくて良いと思ってたが、こんな時に役立つとは思ってなかったな。
サー・マクスウェル、俺だ。
シリルだ。すまないが勝手に退院させてもらったぞ」
『……やはり、こうなったか。それで、私から何を聞きだそうと言うのだ、シリル。大方、予想は付いているのだがな』
「予想してたなら、準備してた情報をそのまま聞かせてくれ。出来るだけ早くな。一人……いや二人ほど、俺を付け狙ってる奴がいるもんで」
『ああ、分かった。メモの準備は良いか? それと、この情報の全てが正しいと言う確証は無い。もしかしたら、情報そのものがダミーで、罠に嵌められる可能性も―――』
「良いからさっさと話せ。話さないのなら、俺は俺なりのやり方でやる」
『……変わったな、お前も。何があった?』
「何も無い。俺が変わっただけだ」
『そうか。私の知っている情報は限られている。だが、お前なら有効に使ってくれると、私は思う』
第七課の横暴に喧嘩を吹っ掛けたかったのは、俺だけでは無かったということか。
マクスウェルは元第七課のメンバーや第七課と係わりのある人物、更には第七課に所属する工作員や諜報員の名前と特徴を上げ、
大凡の現在位置や活動場所を一人一人詳細に伝えてくれた。
途中からその声に興奮と喜びが混じるのを感じたが、
ルルアと
エルフィファーレを良いように使われた挙句、
結果的にガラン・ハードを死に追いやった第七課に報復できるのだから、無理もないだろう。
俺だってこうやって盛大に喧嘩を買いにかかっている訳だし、もしかしたら他にも協力してくれる仲間がいるのかもしれない。
もっとも、そんな希望的観測を常に抱くほど馬鹿ではない。今は、誰もが敵と思わなければならない時なのだ。
三十分ほどの長電話で、俺は計二十名以上の情報を手に入れることが出来た。
現在位置が
エテルネ公国の首都であることや、首都内で武器密売を行っている業者と、その場所についての情報もだ。
こうして役に立ってはくれるが、つくづくマクスウェルという男は食えない奴だと再認識させられる。
ここまでの情報を元から持っている筈がない。何年も前から調べ上げたことなのだろう。誰かがこうすることを、何年も前に予想していたのだ。あの不器用な男が。
『私の持つ情報はその程度だ。それ以上を私に望んだ所で、時間の無駄になるだけだ』
「了解だ、中佐。予想以上に濃い情報をありがとう。それとルルアに、エルフィファーレのことを頼むって伝えてくれ。じゃあな」
別れの挨拶も聞かずに受話器を戻し、呆れ顔でこちらを見ている警察官に苦笑いを浮かべつつ「すいません」と頭を下げる。
そのまま警察署のドアを潜り抜け、しばらく人混むに合わせて歩いていると、尾行者の数が一人だけだということが分かった。
もっとも、単独ではなく、遠くのマンションの屋上で何気なく空を眺めている男が監視の任務に当たっている。遠すぎて良く分からないが、恐らく凄腕の狙撃手だ。
面倒な組み合わせだと思うが、理想的で欠点の無い良い組み合わせだと思う。尾行者は女、監視者は恐らくメード。関係は担当官と部下といったところか。
「……そうなら楽なもんなんだがな」
溜息を吐くように愚痴を呟いてみる。信号待ちをしているおばさんが目をパチクリさせたが、すぐに興味が失せたように信号機の方を見直した。
そのまま何事もないようにウィンドウショッピングを楽しんでいるように見せ、喫茶店でコーヒーを三杯ほど飲んだ。尾行はまだ続いている。恐らく監視も。
俺は喫茶店を出て、そのまま人混みに合わせて歩き、監視しているメードの死角を探った。すると、それほど遠くない所に裏路地へと続く道があるのに気がついた。
人混みをするりと抜けてその道へ入り込むと、愚かにも尾行者の女も同じようについてきた。気づかない振りをしてそのまま歩き、曲がり角を曲がり、待ち伏せる。
そして女が角を曲がろうとした瞬間、左足で足を蹴り飛ばし、宙に浮いた女の細首を左手で捕らえる。ぐえっ、と女が声にもならない音を出したが、問題は無かった。
監視のメードは死角に入った俺を捉えるために移動中なのだ。予想したよりも素人染みた展開に落胆しつつ、女の動脈を締めあげて気絶させ、そのまま背負ってホテルに入る。
裏路地にあるホテルだが、中はそれほど汚れてもいない。とてつもなく狭い事をのぞけばマシなホテルだ。
カウンターにいる禿げ頭のおやじが店長らしく、緩慢な動作で新聞紙を折り畳み、頼んでもいないのにキーをカウンターに置いた。
不自然な行動に俺は注意を向けたが、禿げ頭のおやじは面倒くさそうに頬づえをついていて、ぼけっとした目でこちらを見ているだけだ。
「あの、これは……」
「いらっしゃい。全部屋空いてますよ」
「いやその……」
「見た感じ、そのお姉さんが昼間から酔っ払ってぶっ倒れたとか、そういうのだろ?」
「え、ええ、よく分かりますね」
「この辺の裏路地はバーが多いからね。あんたらみたいなのも多いんだよ。そら、行った行った」
「ど、どうも、すいません」
「良いってことさ。こっちはお金を出してくれれば良いんだから」
カウンターに置きっぱなしになっていたキーを受け取って急な階段を昇ると、五つほど部屋があった。2001から2005までの、五部屋だ。キーの番号は2004となっている。
キーを使って2004号室に入りこみ、女をベッドに乗せ、鍵を閉めた。
改めて女を見ると、凡庸としか言いようがない顔立ちをしている。唯一胸の発育が一般人より進んでいたが、それ以外は凡庸だった。
俺はまず部屋にあるものを使って猿轡を一つ作り上げ、それを女に噛ませ、両腕を後ろで固く縛り、足も縛った。それでも目覚める様子が無いので、簡単にボディチェックをする。
女は小型拳銃一丁と弾の入ったマガジンを二つ持っていた。ホルスターは皮製のショルダーホルスターで、皮の質感や艶からしてかなり使い込まれているようだ。
他にも財布やハンカチなどの日用品を持っていたが、この女が俺を狙っていたと言う証拠になりそうなものは何もない。
しかし、拳銃を持っていると言う時点で、民間人ではないのだ。容赦する必要はない。
「その前に……」
この女の相棒である男を消さなければならない。あまり気は進まないが、事を妨害される恐れがあるし、何より女の口が固くなる。
拷問をするのだから、女には確かな希望を持たせてはならない。お前は自白しなければ永遠に苦しむことになる。助けや救いは存在しないと思い込ませなければ……。
そうして新たな情報と言う名のピースを手に入れ、その色形をじっくりと観察し、キャンバスに嵌め込むために新たな情報を探し出して、色形の違う新たなピースを手に入れる。
最後にはキャンバスに見事な絵が……それか身の毛もよだつほどの世にもおぞましい絵が出来あがるだろう。俺はその絵を男に付き付け、男を殺す。
男の名はオーベル・シュターレン。エルフィファーレを駒のように扱い、挙句にこの世から消し去ろうとした人間であり、情報の海の怪物だ。
恐らく俺の情報はすべて奴に渡っているだろう。俺と関係が深かったメードや兵士、ミシェルだった時の友人関係に至るまでの情報を、奴は持っているだろう。
だからエルフィファーレは俺に言った。いや、言ってくれたのだ。むざむざ死なせに行かせるわけにいかないと。
「…………」
また胸が痛んだ。エルフィファーレが見せた隙は、俺を信頼しているからこそ見せた隙だった。あのエルフィファーレが嬉しがってた。嬉しそうに笑って、俺を見てくれていた。
それなのに俺はエルフィファーレを裏切り、現在進行形で死にに行っている。行先は地獄の超特急。アクション好きの野郎が望むような大逆転劇を演じなければ、俺は犬死にする。
だがこんなところで犬死にするつもりはない。せめてオーベル・シュターレンの頬骨を粉砕して、唾を吐きかけてやる。
それくらい出来るのなら死んでもいい。今は死ぬ事に恐怖を感じてないから。
「……さて、と」
少しの間、俺は目を閉じた。眠っていたのかと聞かれれば眠っていたと答えるだろうし、起きていたかと聞かれれば寝ていたと答えるが、しかしこの眠りは酷く浅い。
身体を休めると言うより、頭を休めるためだけにある眠りだ。
目を覚まして思った事は、どうやらこの女と男はそれほど頭が良いわけでもなく、優秀でもないということだ。
俺と同じように目を覚ました女は今、ベッドの上で怯え、小動物か何かのように震えている。その怯えっぷりと言ったら、怒鳴り声一つでショック死しそうな気がするほどだ。
きっと猿轡をしてなかったら自分が助かるために悲鳴染みた声を上げて、無罪を主張するに違いない。こいつはそういう人間だ。
上で何が起きているかなんて分からないし知りたくもないという、外見同様に凡庸な女なんだ。
しかし、そんな凡庸な女に意味を与えたのは、それなりの利用価値と女と言う性別が役に立つからだ。
昔からヒロインは囚われの身になり、ヒーローが敵をぶっ殺してそれを助けるのがセオリーってものだ。
これをダムゼル・イン・ディストレスと言うらしいが、それを現実でやってしまうのが人間だ。
男は女に弱い。女が弱い時、男は強くあろうとする。それが本能であり、根本的な弱みだ。所詮、男は雄、女は雌でしかない。雌を守るために雄は戦うのだ。
そうして愚かなヒーローは堂々と部屋のドアをノックした。俺が気づいていないと思っているのだろう。
シーフからナイフを引き抜きつつ、ドアスコープを覗くと、不思議なことに真っ暗だった。首を傾げるより先に、本能的危機感で後ろに跳び退く。
プシュンと奇妙な音が響くと同時にドアスコープは粉々に砕け散り、続けて鍵の存在を丸ごと無視してドアを蹴破り、男が部屋に入ってくる。
だが、男はその時点でミスを犯していた。ドアを蹴破った時、力を入れ過ぎ、無駄な隙を作っていたのだ。
床を蹴って男の懐に入り込み、ナイフを頸髄に突き立て、念のため顎に拳を叩きこむ。
銀色のナイフが皮膚を容易に切り裂いて筋肉を断ち切り、スラリと頸髄に達した。
その所為で、男は死んだ。
ビクビクと痙攣し、白目を向いて床に倒れ、また痙攣し、それを最後に動かなくなる。
「――――――!」
女が何か言ったようだが猿轡のお陰で意味の分からない音にしか聞こえなかった。これで準備は済んだ。この男がメードかどうかは分からないが、ともかく死んだのだから問題は無い。
死体をシャワールームに放り込み、特殊消音銃をコートの内ポケットに突っ込む。鍵が完全にいかれたドアを締め、粉々に砕け散ったドアスコープを箒で掻き集め、ゴミ箱に捨てた。
その間、女はずっと喚いていてベッドの上でバタバタ暴れてたが、軽く腹に一発拳を叩きこむと静かになった。さて、これからが本番だ。どうやって静かに情報を吐かせるか。
下のおやじに聞こえたら、あのおやじまで消さなきゃいけない。そうなると色々と面倒な事になる。面倒は出来るだけ避けたい。
考えるのが段々と億劫になってきた。溜息を吐きつつ、俺は女に言った。
「イエスなら首を縦に振り、ノーなら首を横に振れ。それ以外のリアクションを取った場合、すごく痛い事をしなきゃいけない。分かったか?」
痛みに震えながら女は首を縦に振る。俺はそこらの家具店に売ってそうな椅子に座って、ナイフを弄びながらじいっと女を見つめる。
明るい色をした碧眼が濡れているのが分かり、恐怖に怯えているのが分かった。案外、脆いのかもしれない。
「はっきりと首を振ってくれ。まず、お前は第七課の所属か?」
『ノー』
「お前は俺をつけるように言われていたのか?」
『イエス』
「あの男はメードだったのか?」
『イエス』
「お前の相棒か?」
『イエス』
「お前はあの男を愛していたか?」
『―――』
女の表情を言葉にするなら「なんでそんなことを聞くの?」だ。馬鹿な女だ。きちんと説明までしてやったと言うのに自分で茨の道へ突っ込んでいった。
無表情のまま立ち上がり、女に近寄ると、女は恐怖に歪んだ顔で必死に「助けて」だとか「やめて」だとかを言っているが、猿轡の所為でよく聞こえなかった。
バタバタ暴れる女を力で押さえつけ、ぎゅっと握られた指を開かせる。あくまで抵抗を続けるようなので、もう一度腹を殴った。
すると静かになったので、右手の小指を折る。椅子に戻って話を続ける。
「お前はあの男を愛していたか?」
『イエス』
「情報部第七課の情報を持っているか?」
『ノー』
「お前の所属は瑛国情報局保安部―――軍情報部第五課か?」
『イエス』
「この件には軍情報部第七課が係わっている。そうだな?」
『―――』
どうやらイエスのようだが、約束は約束だ。実は小指を折られてもそれほど痛くは無い。それが駄目だったのか。もっと従順になって欲しいのだが、その思いも伝わって無かったのか。
必死で抵抗し、泣き喚き、出鱈目に動きまくる女は酷く滑稽だった。痛みを嫌う本能に従っているだけなのだが、その抵抗が獣染みたものにしか見えない。
「まったく……」
ナイフをチラつかせても意味が無かったため、今度は腹ではなく顔を殴る。左右に五回ずつ、リズムを刻むように殴った。
そして大人しくなった女の右人差指を折ると、女は痛みで泣き始め、話をしようにも泣き喚くだけで、どうにもならない状況に陥った。
こういう時の対処法を考えるのも億劫だったので、更に顔を十回ずつ殴った。二本三本歯が折れたようだが、死にはしないので大丈夫だろう。
「面倒をかけさせるな、お前も……。さてと、改めて聞く。この件に、軍情報部第七課が係わっているな?」
『イエス』
「そのことについて、お前は何か知っているか? 些細な事でも良い。どんなことでもだ。どうだ?」
『イエス』
涙と鼻水でくしゃくしゃになり、殴られたことで腫れ上がった顔で頷く女は、早くも心が折れそうになっている。あと一押しすれば、崖から落っこちて死ぬだろう。
小説で見たスパイは捕らえられて拷問されても何も吐こうとしなかったが、現実ではこうも簡単にぽろぽろと吐いてくれる。もっとも、すべて真実だと言う確証は何処にもない。
「ならそれについて喋ってもらう。猿轡を外す。良いな?」
『イエス』
恐怖で引きつった顔を何度も上下に動かす。ミシェルの母親もこうだったのだろうか。人として常識や論理が通じない空間に置かれ、心が折れるギリギリにいる。
人と言う単位ではなく、一匹の獣として生存本能のままに行動し、生き残る為なら何物にも従順になる。そういう人間になっていたのだろうか。
そう思いながら俺はゆっくりと猿轡を外す。女は口を大きく開き、息を吸う。そして言った。
「誰か助け―――」
……生存本能には従順な女だな、これは。
渾身の力を込めて女を殴ると、頭蓋骨が粉砕する感触が拳に伝わり、女はベッドの上から消え、少しの間だけ飛んだかと思えばそのまま床に落下した。
まったく惜しい事をしてしまった。貴重な情報源が、鼻血を出して変な表情を浮かべ、裏路地の小さなホテルで死んでしまった。
脳味噌がぐしゃぐしゃにシェイクされて、死んでしまった。
「はぁ……」
アイツがそうするように、俺も溜息を吐いた。
凡庸な女と男から手に入れたピースの数は、あまりにも少なすぎる。
しかし、口のきけなくなった者に話しかけても意味はない。
ああ、そうだ。仕方がないことだった。よし、次は武器を調達する事にしよう。
俺はおやじに薬を買ってくると言い、そのままホテルを後にした。
最終更新:2011年03月10日 01:08