No.8 Dead coals

(投稿者:エルス)



  なんだかんだで朝がやってきた。ベッドに背を預けるようにして床に座っていた俺はかちこちになった関節をほぐし、背伸びをする。
  太陽の光がカーテンの隙間から漏れだし、深夜よりも大分騒がしくなった窓の外を見ると、通りは買い物客や観光客で賑わっていた。

 「うみゅ……」

  奇妙な声の発信源は昨日部屋から出てかず、そのままベッドを不当占拠した名無しだった。
  曰く「こんな時間に女の子を外に出すの?」ときて、勝手にシャワーを使って出てきたと思ったらバスローブ姿で「男は床で寝ろ」と言い放ち、
  挙句に「君には前例があるから不安だなぁ」と呟きやがった。
  あの誤ちの原因はエルフィファーレの色気と、イランイランという精油にあるというのを後日談で聞かされた俺だが、今回ばかりは本気で襲おうかと思った。
  だが襲ったところで罪悪感の方が深く残ることが目に見えていたし、なにより支援の目を自分で潰すのは痛い。
  それに俺がそういった強引な行為を根の部分では嫌っているということもあり、そうはならなかったが、そうなっていた場合、こいつはどうしたんだろうか……。

 「……安心しすぎだろ」

  呆れ果てて溜息しか出てこない。名無しが起きる気配を見せないので、昨夜貰った銃器を確認することにした。
  テーブルの上に置かれているのはナッシュ&エリソンのスコフィールド・リボルバーと、45口径ホローポイントPプラス弾入りの箱が四つほど。
  おまけのように箱の後ろに隠れているのは骨董品と言っても良さそうなコルトンM1911で、スライドには「J&E&M」と乱暴に彫り込まれている。
  昨夜に名無しが説明したところによると、このコルトンM1911はジル・ハミルトンの私物で、同時にミシェルがジル殺害時に使用したものなのだという。
  傷だらけの外見から察してきちんと動作するか不安だったが、一度分解して組み立ててみると、きちんと動作するどころか部品の組み合わせの精密さに驚くことになった。
  通常モデルの5インチ銃身、ハンマーもトリガーも改良を加えられる前の古いタイプで、滑り止めのチェッカリングもなく、
  トリガー後ろのフレーム部にトリガーを引き易くするためのリーフカットもない。
  コートの内側に吊るしているマッチ・モデルと比較して撃ちづらいのは必至で、名無しがこれを持ってきたのは支援でも何でもなく、
  ただの嫌がらせなのだと気付いたのは当の本人が目を覚ましてからだ。

 「ふあ……ぁ、っと……。我ながらよく寝たなぁ」
 「寝過ぎだ。それと警戒心も無さ過ぎだ。お前が寝てる間に襲われてたら、俺はどうすれば良いのか判断に困るだろうが」

  テーブルの上に広げられたコルトンM1911の部品群を眺めながらそう言うと、名無しはくすりと笑ったようだった。

 「その時は私を無事に逃がしてくれれば最高だね」
 「お前な……」
 「はは、冗談だよ冗談。……ん? どうしたのさ、顔赤くして」
 「…………ああ、なんでもないさ」

  名無しの「無事に逃がしてくれれば」云々の後、呆れ顔で振り返ったまでは良かったが、
  ベッドの上で乱れたバスローブ一枚だけで隠された女体を見た瞬間、顔が自然発火したように赤くなった。
  なんとか誤魔化そうとして適当に台詞を吐いたまでは良いが、その手法でエルフィファーレに散々弄られてきたのを思い出した時には名無しが後ろから抱きつき、
  ふふんと鼻で笑うような事態になっていた。

 「スケベ」
 「……見たくて見たわけじゃない」
 「むっつりスケベ」
 「だから見たくて見たわけじゃないと―――」

  ふにゅんと表現するか、むにゅんと表現するか悩む柔らかな感触を後頭部に感じると、そのさきの言葉が感情の暴風雨と激流に流され行方不明になり、
  口は動くがしばらく言葉が出てこないという状態に陥った。

 「可もなく不可もない絶妙なプロポーションを見て、そんな台詞を吐くか。この強姦魔」
 「違う、あれはエルが―――」
 「エルフィファーレがどうしたのかな?」
 「誘ってきて、だな……」
 「ふんふん。で、その後は?」
 「…………」

  エルフィファーレが俺を弄る時に浮かべる小悪魔染みた笑みをしているであろう名無しに、ほんの僅かであるが殺意を覚える。
  なんであの時のことを知っているのかと興味が湧いたが、それよりもどうやってこの女を引き剥がすかという重要課題の前に無駄な興味は消え去った。
  拳銃を使うにしても懐にあるマッチ・モデルは銃身が長く、こういった密着状態では取り回しの悪さを露呈し、脅す前に奪われる可能性がある。
  もう一方の小型拳銃は咄嗟に使うことを考えていなかったため、一番大きいポケットの底に収まっている。これでは取り出している最中に関節技を決められるだろう。

 「その後はどうしたのかなぁ?」

  名無しが甘く囁くような声を耳元で言うと、吐息が耳にかかり、背筋が震えた。
  昨夜の名無しはこんなんじゃなかった。会って間もない奴のことを言うのは変だが、ともかく昨夜はこんなんじゃなかったのだ。
  どこでどうしてこんなんになったのだろうかと記憶を探ってみるが、まったく見当がつかずに挫折する。
  思わず「ああ、どうして女はこんなに面倒なんだ」と呟きそうになったが、一層に存在感を増した後頭部の感触に言葉が吹き飛んだ。

 「…………」
 「ふふ、やっぱりイってても弄られ体質は変わらないのか。おもしろいな、君は」
 「人の本質がそうコロコロ変わって堪るか」
 「コロッと変わった君が言う台詞かね?」
 「誰だって一度は考えを見直して変わるものだ。だが二度目はない。あったとしても、一度変えた本質は消えない。死ぬまで残り続ける。変わるのは外面だけだ」
 「つまり一度変わった君は、今のガンマンみたいな君を死ぬまで続けるってことかな?」

  囁くような声の後、さらりとした白髪が耳にかかる感触があった。それだけ顔を近づけているのだ、こんな女一人、一瞬で組み伏せることができる。
  以前から組み伏せたり無力化させたりといった事柄では咄嗟の判断で行っていたが、今回は自分の意思でやる。些細な違いだったが、大きな違いでもある。
  自惚れずに、冷静に組み伏せることだけを考えて、俺は振りかえると同時に名無しを押し倒し、両手首を押さえつけて金的ができないように股に足を挟みこんだ。
  バスローブが捲れて病弱なまでの白肌が露わになっていたが、冷静に徹する俺の頭は邪な感情をすべて廃棄し、名無しの目を凝視した。

 「そのとおりだ。ワイアット・アープだろうがバッファロー・ビルだろうが、誰でも構わない。だが俺は生き残る。絶対にだ」
 「違うね、君はワイルド・ビル・ヒコックだ。ギャンブルしてる最中にエースと8のツーペアを持ったまま、背中を撃たれて死ぬ」
 「……どういう意味だ?」
 「言うならエルフィファーレがカラミティ・ジェーンだ。君が死んだあと、彼女は君以上にイっちまうだろうさ」
 「いい加減にしろよ、この糞女……!」
 「ん、あくっ……」

  両手首を左手で押さえたまま右手で彼女の首を絞める。顔が赤らみ、酸素を求めて口をぱくぱくさせ、足をバタつかせる。
  死ぬか気絶するかの境目で、俺は右手に込める力を抜き、彼女から離れて懐のマッチ・モデルを抜いてセイフティを外した。

 「けほっ、けほけほ……殺されるかと思った」
 「殺す気だった。だが気が変わった。お前を殺したらEARTHからの支援は無くなる。それは俺にとってよくないことだ」
 「なるほど……。私はあの技術者連中に助けられたってわけか。よりにもよって、好きでもない奴らに助けられるとはなぁ……」
 「それほど嫌いでもないんだろう?」
 「まあね、生死観が狂ってるだけで、根はまともでしっかりとした奴らだから。中には馬鹿もいるけど、技術者っていうのは基本的に善人だから。
  人のために働いて人を殺す。そういう人たちだから」
 「善人が救われないのは何時の時代も同じだ。善人ばかりでは平和は守れない」
 「だから君はそうやって悪人になって悪人を殺して回るのかい?」
 「そうだ。罰すべき罪人がいるのなら、俺が死という罰と解放を与えてやる。この世の悪はすべて滅すべきだ」
 「何時かそれが自分を殺すとしても?」
 「言っただろう? 俺は妥協する気はない。例えそれが俺の死につながっていたとしても、妥協などするつもりはない」
 「……かっこいいね、君は。それに比べて私は無力だから、こうして手段を選ばずやらなきゃならない。大丈夫、心配しないで良いよ、EARTHはもう支援する気満々だから」

  自信満々の笑顔でそう言う名無しは、はだけたバスローブを直してシャワールームに入っていった。
  銃を向けられているのに、ああいった普通の対応が出来る辺りは褒めるに値するが、こっちが何もしないと察するや否や傍若無人を発揮するのは女の性か。
  マッチ・モデルを懐に仕舞い込み、分解したまま放置していたM1911を組み立てる。シャワーを浴びながら名無しが鼻歌を歌い始めたが、とうぜん無視した。
  それから十五分ほどして、マチェット・ナイフやスコフィールド・リボルバーの収納に手間取っていると、どこかの学生に変装した名無しがシャワー室から上がって来た。
  何か化粧品でも使ったのだろう、純白といっていいほど白い肌はやや黄色っぽくなっており、髪はセミロングのブロンドだった。

 「まるで別人だな」
 「どういたしまして。……といっても、私にはこれくらいしか出来ないからさ。死なないために変装するんだよ」
 「生きるための偽装か。良いじゃないか、生きるために人を殺すよりは真っ当な生き方だ」
 「君もしてみる? 女装とかピッタリだと思うんだけど?」
 「……それが必要である時、そうする。今は必要じゃないだろう?」
 「まあね。……そろそろかな?」
 「何がだ?」
 「お迎え」

  悪戯に成功した子供のような笑みを浮かべる名無しを見た俺は、反射的に懐からマッチ・モデルを取り出し、左手にマチェット・ナイフを持った。
  何故そうしたのか疑問を抱くよりも先に窓ガラスが粉々に砕け散り、黄色の円筒形の物体が三つほど床に転がる。
  それの正体を察知する前に、名無しに向けてマッチ・モデルを向ようと思ったが、何時の間にか脱出したらしく、室内にその姿はなかった。
  嵌められたという言葉とEARTHの考えたシナリオに入り込んだという考えが頭の中でグルグル回り、まともにものが考えられなくなっている中、円筒形の物体がその本性を露わにした。
  ポシュ、と気の抜けた音を響かせたかと思えば煙を吐き出し始め、あっという間に部屋が煙で一杯になる。
  目に針が数十本纏めて刺さったような激痛が走り、まぶたが痙攣を起こし、くしゃみが止まらなくなった。
  なんとかして外へ出ようとするが、どっちにドアがあったのか、窓がどこなのかを思い出せない。
  空の胃袋からないものを吐き出し、急に輪郭を露わにした『死』に対して、俺はがむしゃらに動きまわるしかなかった。
  目が見えない、息が苦しい。空っぽになった胃から何かが逆流し、それを床に吐く。皮膚に焼けるような痛みが走り、理性が壊れかけるのを自覚した。
  誰かを殴り殺してやろうと両腕を無茶苦茶に振り回して、止まらない涙と吐き気、それと生きることが嫌になるほどの痛みに耐えながら、せめて一人でもと、腕を振り回し続ける。

 「動くな、この糞坊主」

  くぐもった声の発信源に向けて腕を振り、どうにかして殺してやると混乱した頭で考えるが、
  それも後頭部に拳銃のグリップで強烈な打撃を喰らわされるまでで、ごつんと衝撃を感じた直後、意識が四散した。




関連項目
シリル
名無し

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最終更新:2011年03月14日 23:56
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