(投稿者:エルス)
一度目が覚めたら寝付けないと思っていた俺は、兵舎に戻り、トレンチガンとコートを何時もの場所に置いた後、ベッドに入り込むとすぐに睡魔に襲われ、気がつけば眠っていた。
どうせ眠ろうとしても眠れないのだとばかり思っていたので、俺は少しだけ拍子抜けして、溜息をついた。深々と、胸の内に溜め込んだ憂鬱な思いを吐き出すように。
目が覚めてから、もう三分が過ぎていた。カーテンは開けなきゃいけないし、寝癖も直さなきゃいけないだろう。面倒だと思いながら、それらをテキパキこなし、ふとベッドの上を見てみる。
「…………」
俺が目覚めないように部屋を出て行ったのだろう、そこにエルはいなかった。部屋に残る薔薇の残り香だけが、エルがここにいたのだということを教えてくれる。
起こしてくれて良かったのになと、
一人でそう呟いてみるが、聞くべき相手はここにはいない。幾許かの虚しさを感じながら、俺はコートに腕を通し、トレンチガンのスリングを肩に掛けた。
午前中は射撃練習、午後は自由時間という、大雑把で分かりやすい、この期間だけのライフサイクルの通りに、俺はあの手作り射撃場に向かった。
誰かが居るだろうと思ったが、朝から射撃訓練をやっている物好きは早々いないもので、俺は標的を10ヤードに地点に刺し込み、第一レーンの台の上に二丁の拳銃と、一丁のショットガン、そしてそれらの弾薬をずらりと並べた。
まず、主力となるであろうトレンチガンから撃つことにした。相変わらず銀行強盗が使ってそうなフォルムをしているが、性能は折り紙つきだ。使った事がある分、良く分かっている。
銃本体の下側からマガジン・チューブに12ゲージのショット・シェルを六発装填し、フォアエンドを前後させる。
警察が暴徒に向けてショットガンを構える時に出す、あの特徴的な鋭い金属音が鳴った。俺の前に暴徒がいたなら、今の音だけでビビって逃げ回るだろうと思えるくらい、その音は警告めいて聞こえた。
そのまま自然体で構えて引金を引くと、少し強めの蹴りを喰らったような反動が肩を叩く。構わずにフォアエンドを操作すると、空薬莢とともに白煙が排莢口から漏れ出した。
標的に穴が幾つも開いていた。俺はマガジン・チューブ内の弾を全弾その標的に叩き込み、もう一度ショット・シェルを装填する作業に取り掛かった。
12ゲージのダブルオー・バックショット。直径8.4ミリの鉛球を複数吐き出すこのショット・シェルは、元々鹿狩りに使われるものだった。
獣を撃つ銃で人を撃つとは、どこの人間が言った言葉だっただろうかと一人考えていると、スピアーズが大きな籠を持って現れた。
相当重いらしく、顔は引きつってるわ、指先は真っ白になってるわ、蟹股になってるわで、笑えるくらいにかっこ悪い。
笑いを必死に堪えている俺に気づいたのか、スピアーズはその籠を地面に落っことすと、大袈裟なリアクションで額の汗を拭った。
「おうおう、今日も射撃練習たあ、熱心なこってなによりだ」
「他にすることがないからな。それで、その籠の中身はいったい何なんだ? もしかして、俺を爆破するための爆弾じゃないだろうな?
「んなわけねえっつーの。俺だって男だぜ? 男は男とした約束を破らねえって決まってんだよ。だからよ、プロテクター付きのフィンガーレス・グローブとか、色々持ってきた」
「手袋なんていらないぞ、俺は」
「馬鹿かテメーは。フォアエンドを操作してる時に、手が滑ったらどうする? 咄嗟に構えて撃った時に、後退したボルトで手を切ったらどうする? どっちにしても、お前死ぬぞ?」
「………」
「出来ればそのフォアエンドの代わりに、ピストルみてえなグリップ付いたのを作りたかったんだけどよ。木材は専門外でな、わりぃ」
「いや、良いさ。そんだけでも十分なもんを受け取ったと、俺は思うぜ?」
「なら良かった。時間をやるからさっさと作れって言われんのかと思ってたからよ」
「俺はそこまで酷なことしない」
「そーかいそーかい」
「真面目に聞けよ」
「真面目に聞いてるよ」」
ふざけた調子でにししと笑うスピアーズに釣られ、俺は思わず吹き出してしまった。
前に、『銃に詳しい友人がいると、こういった便利なことを覚える事が出来る』と思った事があるが、こう訂正するべきだろう。
銃に詳しい友人がいると、いざって時に頼りになる他、役に立つ技能を教えてくれると。
ショット・シェルを装填し終えたトレンチガンを台の上に置き、俺はスピアーズが放り投げたグローブを二つともキャッチした。
「ナイスキャッチ」
「どうも」
相槌を打ちながら、そのプロテクター付きフィンガーレス・グローブを両手に嵌める。
プロテクターといっても、それはただの薄いプラスティックの板に過ぎないが、素手で殴った際に自分が受けるダメージを考えれば、その板も十分意味があるのだと理解できる。
小説のように、拳で相手を殴り殺した後、手が通常通りに稼働する訳がない。なぜなら、人の手は殴るためにあるのではないのだから。殴打の衝撃に耐えられるという保証など、どこにもありはしないのだ。
だから、アルトメリアの兵士の殆どは私物のメリケンサックをポケットに忍ばせている。そうすれば、敵を捕虜にする時に一撃で黙らせることが出来るからだ。もちろん、それは敵が人間である場合のみだが。
「……良いもんだな、これ」
「ああ、そうだろ。なにせ、俺は昨日の深夜までそれを作ってたんだからな」
「え? これ、官給品じゃないのか?」
「そんな手の込んだ官給品が回ってくるのは、アルトメリアくらいだろうさ」
にやにやと笑うスピアーズに笑い返しながら、俺は手をグーパーグーパーと、開いたり閉じたりしてみた。
手首はマジックテープで止める方式で、良い具合にフィットしてくれる。触れた感触では、それなりにグリップが利きそうだ。
フィンガーレスなのは、手先を使う操作の邪魔にならないようにするためなのだろう。
聞いた限りでは実用性一点張りというイメージがあるが、外見も中々良いものだ。嬉しくてつい、口元が綻ぶ。
「それと、12ゲージのライフルドスラッグ弾を三十八発、ショット・シェルが二十発入るショットガン・ベルトに、もしもの時のM1917バイヨネット一本と、それの鞘が一個で、仕上げとしてコンドームが……」
「少し見直した俺が馬鹿だった。とりあえず、俺の感動を返せ、この畜生」
「嘘だよ、嘘。あとこれな、渡しといてくれって言われたんだよ、赤毛のちっこい女の子に」
「なんだ、これ…………狙撃マニュアル……海兵隊一等軍曹、リー・スワン著作?」
「薄っぺらい本だけど、中身は濃いぜ。一読の価値あり、ってやつだな。それと、
シリル」
「ん? なんだよ、いきなりマジな顔になって」
「マジな話だから、マジな顔になってんだろーが。少しは察しろ、この馬鹿」
浮かれていたところ、ぴしゃりと馬鹿と言い放ったスピアーズは、籠の中から一つのアンプルを取り出すと、それを人差指と親指で摘み、しゃかしゃかと左右に振った。
さらに、それからと言ったふうに錠剤の入った袋を摘み上げ、俺に見せつけるように前に押し出す。
それがなんだか分からない俺は、思案顔のまま首を傾げることしかできなかった。
「なんだ、それは」
「アンフェタミンだ。服用後、身体能力が一定時間強化され、集中力が上がる薬だよ。もちろん、それなりの代償はある。副作用っつった方が良いか……」
「主に、どんな副作用が出るんだ?」
「……主作用だけでも、神経過敏、血圧の上昇、吐き気、頭痛がある。副作用は、主に精神的なものなんだ。気分が沈んで、またアンフェタミンを使いたくなる……分かるだろ、ヤクなん だよ、これ」
悲しげな目で、手に持った薬を見たスピアーズは、そのまま俺を見た。お前はこいつを使っちまうのかと、目は無言で告げていた。
俺はスピアーズからその薬を分捕って、そのままズボンのポケットに突っ込んだ。ぽかんとしたスピアーズを尻目に、俺は台の上のトレンチガンを手に取った。
「ああ、そうだな。それで、それがどうかしたのか?」
「……お前、マジでおかしいぜ」
「自覚してる。分かってるさ、そのくらい」
「……なら、良いんだけどよ」
ずずっ、とスピアーズが鼻を啜った。その目が濡れていた事も、泣き声を出さぬように唇を噛み締めていた事も、俺は決して口外しまいと心に誓った。
それからトレンチガンでライフルドスラッグを十二発、通常の散弾を十三発の、計二十五発を撃ち、マッチモデルを二十二発撃った。
撃ち続けるということは流石に無理だったので、手首や肩を解しながら、ゆっくりと、じっくりと、身体に馴染ませるように、マイペースに撃った。
俺は元が民間人だし、なによりメードとしてもそれほど能力が高い訳でもない。銃器の取り扱いに長けている訳でもないから、これで良いのだと思う。
スピアーズは泣きやんだ後、しばらく射撃場で色々と特殊な射撃姿勢をレクチャーしてくれたのだが、俺がそれをものにするまで、一週間はかかるだろう。
役に立たないとは言えないが、数日中に使えるようにならない技能を無理に習得しようとすれば、変な癖が付く。なら、習得しないというのも一つの手だ。
「ま、それが妥当だな。それにお前、いざっと時には形振り構わずだもんな」
「それが普通だろう?」
「そりゃあ、まあ、普通って言やあ、普通なんだろうな」
「……?」
にやにやとした笑みのままそう言ったスピアーズは、今頃食堂で昼飯でも食べてるのだろう。
俺はエルがどこに行ったのか、ただそれだけが知りたくて、基地内をうろうろと彷徨っていた。
むず痒さに似た妙な感覚が、胸の辺りに溜まっている。妙なもので、銃器の整備よりも、エルの所在の方が気になって気になって仕方なかった。
マクスウェルのところに行けば分かるんじゃないかと思いつく頃には、昼の時間も終わりに近づいたところだった。
連隊司令部に行く途中、スピアーズがジープでどこかに行くのを見かけたが、今はどこに行くのかなんて聞いてる場合じゃない。
肩にトレンチガンを吊るしたまま部屋に入ろうとしたのを、副官に咎められ、幾分か落ち着きを取り戻した俺は、ノックの返事も待たずにドアを開けた。
「……なんだ?」
「エルは今どこにいるか、知ってるか?」
「買い物、だそうだ。止めたのだがな、
ルルアに睨まれた」
「…………」
連隊の指揮官たる者が、たかが一人のメードに睨まれたくらいでと、普通なら言うだろうが、俺は仕方ないなと肩を竦めた。
普段は優しいアイツは、こういった事態になると途端に頑固で融通が利かなくなる。さらに、その時に見せる表情と言ったら、もう勝てる気がしない。
俺は離反する前、何度かその表情と態度に恐れ戦いたことがある。だから、俺はアイツから距離を取って、結果的に離れていってしまったのだ。
今の話から察するに、その性格はまったく治っていないのだろう。
心労が重なった形のマクスウェルは、重い溜息を吐きだながらも、机上の書類と戦闘を続けている。
「護衛も付けたから、大丈夫だとは思うがな……。あと、三十分ほどで帰ってくる予定だ。迎えが今さっき出て行ったとこだ」
「……もしかして、ヴィクター・スピアーズって言う野郎じゃないよな?」
「ああ……そんな名前だったか。詳しくは覚えてないが、お前によく似た活発な奴だ。たまに射撃場で、拳銃を撃ってる」
「それがスピアーズだ。帰ってくるのは三十分後だな?」
「何事もなければな」
「あってたまるか」
その言葉を捨て台詞に、俺は部屋を出て、連隊司令部から談話室に向かった。
ポケットの奥に突っ込んでいたロマ・ブルーを咥え、手で風避けを作りつつ、ジッポーで火を点け、気持ちを落ちつけようとする。
だが、談話室のソファに座りこみ、暖炉の前で黙々と煙草を吸い続けても、俺は落ち着くことが出来なかった。
イライラとも、焦りとも違う、妙な感覚が胸にあるのが分かるのに、その正体が分からない。
「畜生」
ぼつりと、悪態をつく。言葉を幾ら吐いたところで、気持ちは晴れない。
ここまで来ると、何故だか分からないと言い訳するわけにもいかず、俺はエルが好きで好きで堪らないのだと、認める他なかった。
暖炉の暖かさに手をかざしながら、紫煙を吐き出し、たまにその存在を思い出して、煙草の灰を灰皿に落とす。
今にも雪が降り出しそうな寒さが、最近続いているのにも関わらず、談話室には誰もいない。
暇さえあれば訓練と戦闘で疲れた体を休めようとする真面目な奴らが多いこの連隊では、談話室はお客様用の感が強いからだろう。
ただでさえ日曜大工が多く、自作の薪ストーブが次々に生まれていくこの連隊。暖炉の持つ有用性は無きに等しい。
無ければ作る、有っても数が少なければ作る。それを繰り返してきたのだろう、今では下士官以下の兵舎にも暖房が設けられている。
もっとも、
グレートウォール戦線に戦力を送る基地の暖房は他の地域の比ではないのだが、それでもこの寒さに耐えきるには最低限のものしかない。
他の部隊でも工兵隊や補給部隊辺りが連携して、薪ストーブを基地や塹壕に設置しているというのは当たり前で、そうせざるおえないのが現状だ。
将校と下士官の他に、メードと呼ばれる新たな優遇対象が出来たのも、一般の兵士たちが蔑ろにされる原因の一つなのだと思うと、申し訳ない気持ちが湧いてくる。
一番苦労しているのは、何時も二等兵や一等兵、上等兵などの歩兵なのに、その扱いは一番下。とうぜんの事とは言え、人としてどうなんだと思うこともある。
三本目の煙草を灰皿で揉み消し、俺はスピアーズのような歩兵がこの連隊に多いことを感謝した。狙撃手同様に、メードは賛否両論が極端に出る『兵科』だから。
「…………さて、と」
愛用の腕時計を見ると、三十分近く時間が経過していた。
何事も無ければ、エルとルルアがスピアーズが運転するジープで帰ってくる頃だ。
正直に言って、ここまで行きすぎた愛情は女としてどう思うのだろうかという不安はある。
だが、一時も目を離したくないし、離れたくもないという気持ちは、たとえルルアに説教されたとしても、揺るぐことはないだろう。
狂気的なまでに好きなのだ。だから人も殺すし、死に勝る苦しみを与えることだって出来る。エルに責任を被せる訳じゃないが、エルが居るから、出来る事なのだ。
自分の精神的な弱さをエルという柱に支えてもらっているだけに過ぎないというのは、自分でも分かっている。分かっているからこそ、エルが心配で心配で堪らない。
要するに、俺は彼女を、俺と言う人間を組み上げる上でのパーツの一つに数えてしまっているのだ。
酷いものだと自分でも思う。しかし、これが俺と言う男なのだ。純粋そうに見えて、純粋ではない、そういう男なのだ、俺は。
こんな俺を正直に、包み隠さず曝け出したら、エルはきっと、離れていってしまうかもしれない。そう考えるだけで、体が震え、泣きだしたくなる。
離れたくないという一心で、俺は帰ってくる筈のジープを待ち続ける。帰ってこないのではないかと言う不安が胸を過ぎったが、煙草を吸ってその妄想を一蹴りした。
関連項目
シリル
ヴィクター・スピアーズ
クラーク・マクスウェル
最終更新:2011年06月10日 23:25