(投稿者:エルス)
翌朝、二人で談話室に行き、そこでゆっくりと寛いだ後、昼食を食べに食堂に向かった。
昼食を乗せたトレイを持って
ルルアの座る席に行く途中に、何度も背中を叩かれたが、皿の上のスクランブルエッグとトーストは無事だった。
スピアーズ程ではないにしろ、連隊の中でエルを気に入っていた奴は多い。だからだろうか、さっきから突き刺さるような視線を感じるのは。
「おはようございます、ルルア」
「おはようございます、
エルフィファーレ。あと、それから
シリルも」
「ああ、おはよう」
気のない返事だったのが気に入らなかったのか、ルルアが少しだけ顔を顰めたが、俺はあまり気にしなかった。
ルルアが座っている向かい側に俺は座り、エルはその隣に座った。
黙々と食事をするということもなく、幾つか世間話をしながらの食事だった。
声を出して笑うような会話ではなく、極普通の会話だった。新聞で見たこと、ラジオで聞いたこと、噂で聞いたこと。
そんな極普通の会話だけでも、俺は嬉しかった。
「……あの、シリル」
「ん、どうした。俺の顔になにか付いてるのか?」
「違います。さっきからなにをニヤついているんですか? ちょっと、怪しいですよ?」
「……ああ、顔に出てたか」
「おや、昨日の夜のことを思い出してたのです?」
「いや、違うから。ただ、極普通の日常が、なんだか嬉しくてな」
少しだけ笑いながらそう言うと、ルルアもエルも、少し意外そうな顔をした後、互いに目を合わせ、にっこりと笑った。
アイコンタクトというのだろうか。ともかく、俺の知らないところで無言の会話が成立したらしく、二人ともくすくすと笑いだした。
置き去りにされたような感じがして、なんだか気が気じゃなくなった。
「お、おい……」
「あ、いえ、ようやくシリルも分かったんだと思って」
「ようやく?」
「ボクとルルアは、もう随分と昔に日常のありがたさを知ってたんですよ。今更になってそれに気付くシリルは、鈍感さんですね」
「むぅ……」
そういうものなのかと、俺が首を傾げると、それがツボに入ったらしく、ルルアが吹き出して声を出して笑った。
恥ずかしさで顔が赤くなるより先に、久しぶりに声出して笑ったなと思い、気づけば俺も釣られて笑っていた。
エルもそれに合わせて笑いだすと、嬉しくて泣きだしそうになる。これだけ近い所に、手が届くところに、エルが居る。
笑い終えて、昼食を食べ終えた時だった。マクスウェルの副官が堅苦しい命令口調で、連隊司令部に俺たちを呼び出した。
連隊司令部の連隊指揮官室、要するに、マクスウェル中佐の部屋に集まったのは、俺たち三人だけだった。
何人か呼んでそのまま作戦会議でもするのかと勝手に思っていた俺は、まさか三人だけで第七課の本部を強襲するってことはないだろうなと不安を抱く。
今まで上の連中から無茶苦茶なことを命令されてきたので、その不安は一層濃く、現実感があった。メードの過大評価は、どこの国にもあるものなのだ。
そんな俺の不安を察することができるほど、人間が出来ていないマクスウェルは、相変わらずの不器用な笑い方で、上品な飾り付けのされた命令書を眺めていた。
サインは
クロッセル連合王国の盟主、ユピテリーゼ・ラ・クロッセルのものだった。年齢とサインの丁寧さが不釣り合いなのは、出来の良さからきているのだろうか。
「呼び出したのは、これが来たからだ。女王閣下からの命令書だ。これでやっと、事を始められる」
「それじゃ、やっと第七課を潰せるって訳だな?」
「簡単に言えば、そうなるな。ああ、それと、私の知っている情報をここで洗いざらい吐いておいた方が良いな。情報は多い方が良い」
「さいですか」
興奮した面持ちのマクスウェルは、こっちがうんざりした顔をしているのにも関わらず、早口で続けた。
まともに聞く気は無かったので、俺はソファに腰掛け、その横にエルが座ったが、アイツだけは生真面目にも立ち続けていた。
「元々は第六課の汚れ仕事担当がそのまま独立したのが第七課なんだ。大陸戦争時のことだったかな、第六課が汚れるのを避けるため、だったかな。
まあ、だから、装備も暗殺用、戦力は未知数ときている。装備はありったけを持って行くと良い。それで、グリーデル陸軍の支援なんだが、
建物の二階部分は
スターリング大佐率いる精鋭部隊が担当するそうだ。三人は一階を制圧した後、地下に進み、シュターレンを可能な場合は逮捕してほしい」
「……シュターレンは殺す。逮捕なんかしない」
「それはボクも同感です。あの人なら、牢から出るなんて朝飯前ですよ」
いつもの余裕はどこへ消えたのか、真剣な顔でそう言ったエルの横顔を見た後、微笑を浮かべたマクスウェルを見やる。
剃り忘れたというよりも、興奮と過緊張で髭の存在自体を忘れていたのか、顎の髭は前見た時よりも濃くなっていた。
顔はいいのだから、なにかに夢中になると途端に身嗜みから意識が遠のくのだけは、なんとかすべきだと、俺は思った。
「お前たちの意見は、分かっている。ルルアは、どうなんだ?」
「教え子と戦友がそう言っているのに、私が反対意見を出すと思いますか?」
「それもそうだな」
ニヤリと意地悪く笑ったルルアに、俺は少々面喰らった。
微笑んだり笑顔だったり、色んな笑い方をするルルアだが、こんな笑い方をするのは初めてだった。
マクスウェルは俺と違い、驚いたりしていないが、なにせマクスウェルである。恐らく気づいてないのだろう。
ふと、ちらりとエルを見てみると、くすくす笑っている。なるほど、仕掛け人がここにいた。
「逮捕と言うのは、可能な場合、だ。明日の1200に出撃するぞ。思う存分、やってしまえ」
「ああ、分かってる」
「以下同じく」
「言うことも無く」
そういうわけで、俺が分かったことと言えば、作戦というほどの作戦は無く、とりあえず、第七課の本部を潰すということだけだった。
だが、それで良いのかもしれない。メードというヒトガタの戦車と、戦力未知数の第七課。下手に作戦を固めると、咄嗟の時に動けなくなるのがオチだ。
実際問題、情報力と暗殺に掛けてはずば抜けている組織だ。突入したらTNT爆薬で建物ごとドカンッ! と言う可能性も無いではない。
考えれば考えるほど、不安だけが積もっていく。なにか、やり忘れたことは無いだろうかと、頭がそれだけに集中してしまう。
そんな状態のまま連隊司令部から出た俺は、さっさと兵舎に戻っていったルルアの背中を見送った後、くいっと袖が引っ張られたので、そっと振り返った。
しおらしさとは無縁の、明るい笑顔のエルが、プレゼントされたコートの袖を引っ張っていた。不思議に思った俺は、目線を合わせるために、少し腰を折った。
「どうかしたのか、エル」
「部屋に戻ったら、すぐにボクを抱いてくださいな♪」
「…………」
いきなりなんてことを言うんだと、今更になって説教垂れる気は更々なかったが、俺は閉口した。
俺はエルを見て、死に対する恐怖がふつふつと増大するのを感じながら、少し笑った。笑うしかなかった。
……ああ、そうとも。死が怖くても、人間は笑えるのだった。演技ではない、本物の笑顔でだ。
もっとも、今、俺が浮かべている笑顔が本物だという確証は、これっぽっちもない。
もう、自覚出来ないほど、自然になってしまった。
「ああ、分かったよ、エル」
俺がそう言うと、幸せそうにエルが笑った。花が咲くような笑顔と言うのはこういうことを言うのだろうかと、俺はふと思った。
そしてそれから、二人で兵舎の部屋に戻り、後ろ手に鍵を掛け、俺はエルを押し倒し、彼女の唇に、自分の唇を押し付けた。
あとはもう、死ぬ前に後悔しないよう、愛し合うだけだった。二度と離れたくないという、きっと敵わない理想を抱きながら。
最終更新:2011年06月15日 23:50