(投稿者:店長)
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思い起こす。その度に脳裏に浮かぶ光景は決まって真っ白い世界。
普段は粛々と、時より荒れ狂いながら吹き荒れる白。
大地と空を覆う、アイスブルーとグレー。
そしてその中を揉まれる様に、同化する様に、決して自然に逆らわずに。畏れながらも敬い共存していく人々。
雪と氷の世界。それが私の、何故か懐かしさを覚える心の風景。
──…
─…
グレートウォールの険しい山脈を背にしたクロッセル連合軍駐屯地。遠くには同じ共同戦線を形成している
エントリヒ帝国の駐屯地のテントが見れる。
この地の夏が終わり、気の早い秋の気配がすでに後ろから迫っていた。
秋の訪れることには次第に夏に萌えるような緑であった草がしだいに枯れ、その場所に一面に金色の絨毯と変貌を遂げるのである。そして人々はその金色をもって秋を知り、いずれ訪れる冬に備えようとするのだ。
金色の絨毯となったその草に腰を下ろしながら、黒い衣服──コートとワンピースを合わせたようなものに、白いエプロンを身につけ、足にはコートと同じ色の長めのブーツを刷いた女性がいる。
その左腕の腕章には普段見慣れない紋章が描いている。その上首には薄い青のマフラーをしていて、一見するだけで秋といえども暑そうな印象を受ける。
大中小と六角形を綺麗にそれぞれの中心点を合わせて重ならないように描き、その中心から一直線に並んだ三つの六角形に細長い鋭角な三角形が六つとも貫くように伸びている。その紋章を構成する色は氷を連想させる青……アイスブルーで構成されている。
同じ様なエンブレムを隣に置いてある──現実世界で言うところのロシア帽に似た形状をしている、同じく黒い色で毛皮でできた──帽子や、コートの胸元あたりに繋がっている白金色をした鈴にも刻印されている。
その紋章──
ザーフレム王国の国旗のデザインと同一である三重六角氷晶紋(コルマ・クデス・ブリゼ)を持った彼女はかの国の数少ないザーフレム王国に所属するメードで……出身国の言葉で『
吹き抜ける雪』という意を持つブリザリアといった。
風にたなびいている金よりは薄い色で光沢を持った金髪に黒い衣装の隙間から覗く白磁のような肌。その瞳は淡青色ながらも冷たい印象を与えない。
「ザーフレムと違って、ゆっくりとした秋があるんですね……」
ザーフレム王国には1ヶ月以上続く秋がない。一年の七割近くが冬であり、短い数ヶ月の間に残りの三つの季節が駆け足で駆け抜けていくからだ。
故郷のそれより幾分か温かみを覚える秋の風を受けながら、ブリザリアはただじっと風景を見ている。
その横に、マントコートを羽織った軍服姿の男性がやってくる。彫りのある顔つきに彼女より深い青をした瞳、赤銅色の髪をしたその人物がやってきたことに気づいたブリザリアは思わず敬礼を返した。
「きょ、教育担当官殿」
「今はプライベートな時だ。そう改まらなくていいよブリーゼ」
「……はい、グラッセさん」
ただし公私は別にしてくれよ?と彼……グラッセ=エルフィン大佐はそうブリザリアに対して気軽に声をかけながら隣に座る。上空には同じ連合に所属するベーエルベー連邦自慢の
空戦メードらが空を飛んでいる。このような気持ちいい風が吹いているなら、さぞかし爽快なのだろうと空を飛べないブリザリアは目を細めながら見上げている。
「いい風だ。ザーフレムのは身を引き締めるものだが、ここの風は包み込むようだ」
「はい。ザーフレムの風景も好きですが、この地の風景も好きです」
二人は故郷離れたこのグレードウォール戦線まで赴いているのは、単に人類共通の敵となったGとの戦いに身を投じるためである。一年の大半を氷と雪とで包まれる故郷にGがやってくる時、それは事実上人類が滅亡することに他ならない。海を越えてやってくる場合はまだしも、地上ルートでGが故郷に至るためにはエントリヒ帝国とクロッセル連合の領土を大きく踏み越えなければならないからだ。
この戦線を越えさせない事が、故郷を守ることに繋がる。それにザーフレム王国の民は基本的に困っている仲間を助ける気質を生来より持っている。長く厳しい冬を乗り越えるためには団結力を必要とする生活習慣がそうさせる。
「……守りたいですね」
「ああ」
故郷は今頃保存食である岩塩による塩辛製作をしている時期だろうか。
グラッセはそんな故郷の伝統的な風習のことを思い出しながら、数年前のことを思い出していた。
そう、あの時は故郷では殆ど見たことない……雨の日だった。
グラッセ・エルフィンはザーフレム王国でも有名だ。
王の血を半分受け継いでいるとなれば有名になるのは当たり前だといえたが。訳あって母方の姓を名乗っている自分に対して、王は皺の多い顔を微笑で歪ませてこちらの要求してたように──といっても直に告げたわけではないが──非干渉をしてくれていた。本来であれば王城で政治の勉強などしないといけないのだが、一応兄がいたことが一番の理由なんだろう。兄も野に下る弟を父に劣らぬやさしい笑みで見送ってくれた。
そんな王が王城をいよいよ出発することになった日にグラッセに手渡したものがあった。──それは二人分の汽車のチケット。
当時ザーフレム王国と隣国を繋ぐ国境横断鉄道に乗るためのチケットであった……そんな辺境を繋ぐ会社も会社であったが、やはりネックとなったのは乗車賃である。なにせ、チケット一枚でザーフレム王国の一般人の年収──大体、外国で言うところの国民の平均所得というものを垣間見る機会があった。習慣上知ったところであまり関係はないけれども──の大よそ数年分になる。
「旅をしてみるといい。世界を知れば見識が広がることだろう」
自分ではもう外にはいけないからなと告げる父がその立派な髭を弄る動作が、父らしいことを初めてした事に対する照れを隠すための癖なのを知っているグラッセは素直に礼をした。
王城──というよりは一種の要塞であり、緊急時には国民を収容する避難施設でもある──の近くに、乗ってきた犬ぞりに座って待っていた女性がいた。黒いコートで全身を包んだ女性はグラッセの姿を見つけると手を振って彼を呼ぶ。
雪国特有の白い肌に薄い色の金髪の少女の目は、淡青色をしていた。
「……待たせたな、ブリーゼ」
「いえ。それほど待ってないですよ」
寒さゆえに吐く息は白い。そんな息を吐きながらブリーゼと呼ばれた女性ははにかみながら犬ぞりの手綱を握る。この地では犬ぞりが一般的な移動手段だ。
彼女と出会ったのは数年前。王城から王である父と兄と一緒に国内を移動する巡礼という儀式じみた行事の折に彼の乗るそりの御者だったのが彼女だったのだ。犬ぞりは大人数を運ぶのには適さず、一つのそりに乗れるのは二人ぐらいまでだ。それ以上の大型となると人力になり、移動速度も遅いものになる。移動距離が自然と長くなるから、応じて彼女と二人っきりになる時間もまた長くなるのだ。
それ以来何かと付き合いが続く訳だが、最初彼女を見たグラッセは心の奥が熱くなる感覚を覚えたのである。
一目見てからというもの、彼女の動作や仕草を目で追っている自分に動揺する。彼女が心配そうに訊ねてくると大慌てで目線を合わせないようにしながら大丈夫だとぼやく。自分ながら子供っぽいことだなともう一人の自分が冷静に分析しているが、それでも体の主導権を握っている自分は自身の心臓の鼓動を静めるのに苦労していてそれどころではなかった。
一方のブリーゼはこちらをしきりに見ては目線をそらす彼にどうしたものかと別の悩みを抱いていた。自分に何か粗相があったのではと後日告白している。
ようやく彼女とそりに乗るのが十を数える頃に恋だと自覚した時、自身はちょうど成人の儀式を迎える年齢を迎えていた。
元服の儀を終えたその晩、いつものように犬ぞりの御者を務めていたブリーゼが待っており、おめでとうございますと心からの祝福してくれた。その時、彼は前々から計画してたことを実行に移すことにしていた。
王城の一室である自分の部屋に、彼女を連れてきたのだ。
そういえば、他人を招き入れることは初めてだったなとグラッセは思い起こす。ブリーゼは初めての王城の中の、それもグラッセの部屋まで連れてこられてビクビクと小動物みたいに縮こまっていた。そんな仕草をするブリーゼに心の中でかわいいなと思いながら、誰にも見られないようにブリーゼをつれてくるのだ。
グラッセの部屋は殺風景と華やかさとを丁度半分ずつ足した程度の部屋だ。ザーフレムにわずかに生え、そして朽ちた木から加工して作られた机に暖かそうなベット、難しそうな本が満載されている本棚に毛皮の敷物。壁際には石積みの暖炉も備わっており、グラッセは早速火を灯して暖をとっていく。
ブリーゼの──というよりは一般的な国民の──普段の生活からすればまさに豪邸の一室に近い。
敷物の上に座る──ザーフレムの風習では椅子に座るより敷物の上に座るのが日常的である──ことを促すグラッセの言葉にブリーゼは何度もかしこまって頭を下げる。そんな彼女に苦笑を浮かべながら、机の上においていた木箱を取る。
「ブリーゼ……これを受け取ってもらえないだろうか」
グラッセが用意してた木箱より取り出し、手渡したのは白金の鈴だ。その表面にはこの国の国旗と同じ紋章が描かれている。本当は宝石の類とか渡したいのだが、と言葉を濁しながらもまっすぐ目を向けながら渡す。
「……え、あ、……あ、ありがとうございます殿下っ!」
「できれば、殿下ではなく名前で呼んでもらえないだろうか?」
「えぇっ……そんな、で、殿」
「グラッセさん、だ」
「……はい、グラッセ…さん」
事実上、それはグラッセのプロポーズに他ならなかった。
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最終更新:2008年09月06日 01:23