Op.7 Steal a kiss from her

(投稿者:エルス)




  何か言わなくてはと思い、口を開くが、肝心の言葉が出てこなかった。ボロボロで、笑顔で人の頭を踏み潰して、しかも笑っているような男が、何を言えというのか。
  考えるまでもなかった。俺は拒絶されるのだ。そうに決まっている。どこの世界で大量殺人犯を愛してくれるような女が存在するというのだろうか。どうして血塗れの男の言うことを信じられるというのだろうか。
  そう思いながらも、俺はエルの目を見つめていた。子供っぽく笑うと細まる碧眼、怒ると目尻が持ち上がる碧眼、泣き出すと外見年齢相応の頼りない色を出す、その碧眼。そして碧眼の少女は、子供っぽく笑った。

 「良いんですよ。ま、ボクだって同じことしますから」

  しかし、その言葉でも、俺はほっとして胸を撫で下ろせなかった。むしろ、お前はどうして嘘を付くんだと、そう言い出しそうになってしまった。
  俺を庇うための嘘を付いた彼女を、突き放してしまうところだった。
  それは嘘だ。エルがもし、俺と同じ立場にいたとして、シュターレンを切り刻むなんてことはしない。
  精々、さっき俺がやったように、頭を潰すくらいだろう。でも俺は、内臓を掻き出して、肋骨を押し広げ、背骨に切っ先を突き立てた。
  必要のない行為だ。無駄な行為だ。それたただ単に、俺が感情のままに死体を損壊したという事に他ならない。
  エルは、そうはしないだろう。プロである彼女なら、そんなことはしないだろう。
  俺がそう思ったのが分かったのか、エルは壁に背中を預けたまま、静かに言った。

 「知ってます? ちょっと公にできないお仕事で出た死体、簡単に切断した後、適当な場所で硝酸で顔を焼いちゃったりするんですよ? 人相からも歯形からも、死体が誰なのか分からないように」
 「…………」
 「だから……自己嫌悪しなくて良いんですよ」
 「……怖く、ないのか? ここまで人間をバラバラにして、血塗れになってるのに、今俺は、やり遂げたって、そんな感情そのままに、笑ってるんだぞ? そんな俺を見て、お前は……怖くないのか?」

  言外に自己嫌悪などしていないと言いながら、俺は足を踏み出すべきか迷っていた。このまま俺は、彼女に近づいていいのだろうかと言う自問自答が、心の中で繰り返されている。

 「やだなぁ。ボクだって……ね?」
 「頼む……お前の口で言ってくれ。そうじゃないと、信じられないんだ。信じたくても、その言葉を聞かない限り、俺は……俺は……」
 「ふふ、シリルったら……けど、確かに言葉にしたほうが誠実ですよね……ええ、怖いくないって言えば嘘になりますよ。まるで昔のボクみたいだから」
 「………っ!」
 「でもそれは本当に、心の底から笑っているのです?」
 「……ああ、そうなんだよ。もうこれで、終わったんだと思えば思うほど、顔が引きつって、嬉しくて、笑ってるんだよ。本当に、心の底から、そう思って笑っているんだ」
 「無理矢理笑うのは、笑うって言うものではありませんよ?」
 「分かってる。でも俺は、今の俺は、無理矢理笑ってるわけじゃないんだ。ただ、達成感と、嬉しさが混じり合って、笑ってる。でもその中に、なにか変な感情が混じってる気がするんだ。でも、笑うしかないんだ。だって、お前と一緒に居れるんだって思うと、たまらなく嬉しいから……」
 「そっか……じゃ、信じますよ」
 「……いったい、なにをだ。なにを信じるんだ?」
 「シリルがボクに嘘をついていないことを、です」

  そう言って、彼女は笑った。でも俺は、笑う事が出来なかった。彼女なら、そういう演技が出来てしまうのではないだろうかと、そう思ってしまったからだ。

 「……信じて、その後はどうなんだ。怖いんだろ、俺が」
 「怖いですよ? ええ。だけど、もっと怖いことを知ってますから、平気です。それに、ギロチンの刃はギロチンを斬らないでしょう?」

  ゆっくりと立ち上がって、手で埃を払った彼女は、何時もの笑顔でそう言った。
  そして俺は、その台詞は反則だと言いたかった。お前がどんなに暗い所にいたのか、俺は知らないっていうのに、お前はその暗い所じゃないから大丈夫と笑ってくれる。
  辛い記憶だろうに、思い出したくもない記憶だろうに、それに比べれば全然怖くないのだと、そう言って笑ってくれる。泣き出しそうになるのを堪え、俺はぼそりと返した。

 「……なら、良かった。ああ、本当に……良かった」
 「ただまぁ、その人に夢中になるよりボクに夢中になって欲しいですネェ。ボクだって結構無理してるんですよ?」
 「こんなもの、もう俺には関係ない」

  ただの亡骸と成った男の傍を離れて、俺はエルの元へと歩み寄った。身体が鉛りのように重く、激痛が全身を貫いた。
  それでも俺は、足を動かす。彼女の温もりに触れていたいから、彼女の心を支えてやりたいから。ただそれだけの為に、足を動かし、そして彼女を抱きしめた。
  血塗れの俺に抱きしめられたのに、彼女は俺に抱き着いて、ホッと安堵したような表情を浮かべた。まるで、一緒に血塗れになることが、嬉しいことなのだと言うように。
  そして俺は彼女の頭に回そうとした手を止め、代わりに肩を抱いた。血で彼女の髪を汚してはならないと、そう思ったからだ。俺は血の臭いの中であっても、薔薇の香りを感じていた。


 「もう……これからは、苦しまずに生きていける。自由と、何気ない日常を、俺たちは勝ちとったんだ。何気ない日常を……これから、過ごせるんだ」
 「そうですね。ボクもそう思うと、嬉しくて……っと、シリル? 大丈夫ですか?」
 「……血が、抜けすぎたみたいだ。どうにも、身体に上手く力が入らない」
 「ふふ。それなら、ボクが背負ってあげますよ」
 「肩貸してくれるなら、それで良い……まだ、歩けるからな」
 「初めての共同作業ですね」
 「初めて、じゃない気もするがな」
 「告白してからするのが共同作業なんですよ?」
 「告白した後、しただろう」
 「そうでしたっけ?」
 「……夜」
 「あぁ、なるほど……ま、今日は簡便してあげますよ。シリルが無事だったら、それこそシリルの言いなりになってあげようかなーって思ってたんですけどね」
 「ああ、そうしてくれ。もう、ベッドの上で横になるくらいの気力しか、残ってないからな……」
 「……折角の勝負下着はまた今度ですねぇ」
 「うん? なんだって?」
 「いーえ♪ なんでもないですよ」
 「……そうか。なら、良いんだ」

  よいしょと呟きながら、俺の右側に立って、俺を支えるエルは、なんだかすごく嬉しそうな顔をしていた。
  こういう顔を見るために戦ってきたんだと思うと、我ながらとんでもない愛を抱いたものだと苦笑したくなる。
  そして俺がゆっくりと歩いていると、エルが急かしてきた。どうやら、意識が飛びかけているのだと思ったらしい。

 「ほら、早くこんな陰気臭い場所からおさらばしましょうよ。上でみんな待ってますよ」
 「待て、そう急かすな……。ゆっくりで良いじゃないか、時間はあるんだ。有り余るほどに」
 「それもそうですね~。じゃ、ちょっと情けない様子のデートといきますか~」

  男はボロボロで、女に支えられ、挙句の果てにどっちも血塗れで地下室で、どこをどうすればデートになるんだろうと思いながらも、俺は頷いた。
  そしてあの時……黒旗から抜け出した後、二人で装甲車両に乗せられたことを思い出し、堪え切れずに苦笑した。

 「……あの時みたいに、な」
 「あれはあれで。捕まった二人の運命やいかに! て感じでムードがありましたけどねぇ」
 「今は……そうでもないな……」

  ふと意識が薄れたのに気付いたのか、エルがこつんと脇腹を小突いた。
  油断したら意識を失うのだと気付いた俺は、深呼吸をして、エレベーターを見つめた。
  短い距離の筈なのに、何故か今は、それが数十キロ先にあるもののように見えた。

 「ほら、帰るまでが遠足ですよ」
 「分かってるよ」
 「もう、生まれたばかりの小鹿みたいに震えてますよ? しんどくなったら、無理しないで言って、負ぶさってくださいね?」
 「いや、いい。今は、歩きたいんだ」
 「そうですか。やっぱりルルアと似て、頑固なんですね」

  ふふふ、と笑って、彼女は鼻歌を歌い出した。ぼんやりとし始めた頭に響くその歌を、俺はどこかで聞いたことがあるような気がした。
  名前も顔も覚えてない楼蘭人の少女が歌っていた歌……たしか、あれは……デイジー、だっただろうか………。心地の良い、良い曲だと思いながら、俺は歩いた。
  もう口を開く余裕があるとは思えなかったが、口を閉じていたら意識が途絶えてしまうだろう。それを知っているからか、エルは俺に話しかけ続けてくれた。

 「帰ったらシャワーですねぇ~。シリルの匂いが消えちゃうのは残念ですけど」
 「俺の匂いなんて、またつくもんだろう」

  さらっと言ってから、今のはとんでもない発言だったんじゃないかと少し考えたが、エルは少しも気にしていないようだった。

 「ですね~」
 「まあ、良いじゃないか。これから先、どうとでもできるんだから」
 「……じゃあ、元気になったら、太陽が黄色く見えるまで……」

  かなり遠回しな、というか、知らない人は知らない言葉を使った告白に、俺は苦笑し、彼女の頬にキスをした。

 「ああ、そうだな。太陽が、黄色くなるまで……な」
 「ふふふ、ボク聞いちゃいましたよ? あー、楽しみだなぁ」

  お返しですと言いたげな笑顔で、わざわざ唇を押し付けてきたエルに苦笑を返すと、急に視界が暗転し始めた。
  ここまでなのかもしれないと、なんとなく諦め調子になってしまったが、そんなことが許されるものかと、自分の弱音を叩き折った。
  弱さはいらない。今まで背負ってきた弱さは、もういらないのだ。逃げて逃げて、自分のことばかり考えていた、あの俺はもういない。
  しかし、それでも、俺は俺なんだ。今の俺は、弱さと壁を突き抜けて、少しだけ大人になった、俺なんだ。
  まだ大人になり切れない、それでも、子供と言うわけでもない、そんな中途半端な、俺なんだ。
  俺以外のことには何の興味もなくて、勝手にやっていれば良いさとかっこつけて、それが世界で一番かっこ悪い行為だなんて微塵も思わないで、ただ自分に同調してくれる仲間を探して……。
  救いようのない馬鹿だったのだ。今は、ただの馬鹿だが、前の俺は……自分一人では何もできない、それでもかっこつけている、どうしようもない、馬鹿だったのだ。

 「ちょっと、シリル……?」

  ハッとして足に力を込めて、俺は意識を暗闇から引き戻した。掻いた覚えのない汗が額に浮かんでいる。いったい、何秒間気を失っていたのだろうか。
  エレベーターまで後数十メートルというところまで来たというのに、この体たらくだ。最後なら最後らしく、気張って見せろと自分を叱咤する。

 「大丈夫だ。あと、もう少しだな……」
 「ええ、もう少しですよ」
 「……コート、ごめんな。大事に使ってくれって、そう言ってたのに……」
 「今度はお揃いのコートを買うからいいですよ。ペアルックです。その時は、ボクの買い物に付き合ってもらいますからね」
 「それは、楽しみだな」

  エルがエレベーターのフェンスを開き、俺が足を踏み出す。何時の間にエレベーターまで歩いたのだろうと思いながら、俺は体から力が抜けていくのを感じた。

 「ほら、ファイトですよ! もうすぐなんです、シリル!」
 「分かってる。分かってるから、そんなに大声で喋らないでくれ……聞こえてるからさ」
 「なら良いんですけど……無理、しないでくださいね?」

  してるわけないだろと口を開きかけた瞬間、不意に襲ってきた睡魔に意識が絡め捕られ、視界が真っ暗に染まり、身体の痛みが消えた。
  疲労感も痛みも、なにもかもが消え去ったので、俺はそのまま、抗おうと考える暇もなく、暗闇に意識を託し、あとは運に任せるしかないかった。






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最終更新:2011年07月13日 17:13
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