Op.8 Love little and love long

(投稿者:エルス)



  意識に厚い靄が掛かっていた。耳鳴りが酷く、そして聞こえてくる声はなにかのフィルターに通したような、ぼやけた声だった。
  誰かに背負われていたと思えば、三人がかりで運ばれ、急いでいたかと思えば、ゆっくり歩き、そして停止したりもした。

 ――メールの出血が酷い、早く治療をしないと手遅れになる。おい、しっかりしろ、意識を保つんだ。

  それは無理な注文だとほくそ笑んだつもりになりながら、俺はまた意識を失い、そしてまた意識を取り戻した。厚い靄が掛かっている。

 ――ほら、もうすぐだ。もうすぐ外に出るんだ。おい、しっかりしろ。外に出られるんだぞ。
 ――ほら、頑張れ。お前はメールなんだろうが。タフじゃなきゃ出来ない、大したことをやってのけたんだぞ。
 ――今から外に出る。搬送用意と医療メードの準備を整えろ。時間は十分あっただろう?

  怒鳴り散らすような声を聞いていると、何故か黒尽くめの銀行強盗集団がふと頭に浮かんだ。もしかしたら、そいつらに運ばれているのかもしれない。
  まともに仕事をしていたのか分からない奴らだったが、建物内部の二階を制圧するだけの技量を持った特殊部隊の奴らが、たった一人のメールを運ぶのに尽力している様を想像すると、ちょっぴり笑える。
  だが、俺の表情筋は動いてはくれない。もうそれだけの体力も残っていないのだろうかと思ってはみるが、自分のことだと思えなくらいに冷静で、客観視していた。

 ――メールが本当にやばい状況なんだ。すぐに処置が必要だ。ユージン、そっちを持て。
 ――そこに横にしろ。どけ、邪魔だ。医療メードが緊急処置をする。おい、こっちだ。走れ、三姉妹!
 ――こちらウッドマンズ、軍病院で緊急手術の準備を頼む。最低限受け入れ態勢だけは整えてくれ。

  トラックのエンジン音と、ジープのエンジン音が響いていた。地面に下されたのか、冷たい土の感触が背中に伝わって、体温が吸い取られていくのを感じる。
  大勢の人間がここにいるのだろうか。足音と声が、絶え間なく響いていた。水の中にいるような感覚だった。聞こえる音は、すべて小さく、どこかしら重かった。
  不思議な感じだ。浮いているようで、それでも体は確かにあって、しかし、動かす事が出来ない。正直言うと、もうどうでもいいと、俺はそう思っていた。
  こうなると分かっていた。こうなると予想していた。そして、それが訪れただけのことだ。何十時間も前から、俺はそういう覚悟をしていたのだ。死ぬ覚悟というものを。

 ――うわ……。パシィ! ファニー! ほら早く、揃えていくよ!
 ――了解であります。何時でもどうぞでありますよ。
 ――私たち三姉妹の力でなんとかしてあげましょー……っと。
 ――搬送手段はジープだ。ボンネットの上に担架を括り付けるんだ。分かったな?

  ……どういうわけか、みんなして俺のことを心配してくれているらしい。ああ、これは相当迷惑を掛けているなと思ってはみるが、自覚は無い。まるで他人事だった。
  ただ、達成感はあった。なにかをやり遂げたという嬉しさが、胸の中に溜まっていた。でも、寂しさもあった。声が聴きたい。求める声の主が、どこに居るかは分からないが、ともかく、彼女の声が聴きたかった。
  たまらないほど愛していて、そして命を懸けてでも守り切ろうとして、彼女の笑顔のためなら何でもしようと思えた……その彼女の声が聴きたかった。
  囁くような甘え声でも、声を上げまいとする泣き声でも、むっとして怒っている声でも良かった。
  とにかく、彼女の声が聴きたかった。そしてその願いが叶ったのか、彼女の声が聴こえてきた。
  そして俺はやっと、感情らしい感情を感じる事が出来た。俺はホッとして、安堵の息を吐き出した。本当に息を吐き出したのかは、分からなかったが。

 ――シリル、頑張ってください。大丈夫ですから……きっと大丈夫……いえ、絶対に大丈夫です。大丈夫じゃなかったら、ボク怒りますからね。
 ――タフなメールだぜ……まったくよ……。

  聴きたかった声に混ざって、色々な声が聞こえてくる。それらすべてが、俺を心配する言葉だということに気付くのに、数秒掛かった。
  数人と言う域を超えて、数十人ほどの声が反響して聴こえていた。励ましの声や、賞賛の声、中にはほとほと呆れ果てた声もあったが、それは俺の持つエルへの信頼と愛に対しての声だった。
  その中でも、一際大きく聞こえるのが、例の特殊部隊と思われる奴らの声と、エルの声、そして医療メードと思われる声の三つだった。俺はその声を聴きながら、死んだ方が楽かもなと思い始めている自分に気付いた。

 ――おい、踏ん張れ、兄弟。大丈夫だ……。お前を愛する天使がここに居るんだ。お前はどこにも行く必要なんかないんだぞ。
 ――ナイチンゲール、メールの出血は深刻だ。すぐにでも軍病院へ搬送する必要がある。まだ駄目なのか?
 ――瀕死ってレベルを超えちゃってる……もうちょっと……もうちょっとだけでも……。
 ――心配するな、御嬢さん。彼は俺たち以上の戦士だよ、頑張ってくれるさ。頑張ってもらわないと、俺たちも遣り切れない。
 ――大丈夫です。シリルは、お前を置いて遠くに行くわけないだろうがって、そう言ったんですから。

  そう言えば、そう言ったこともあったなと思った瞬間、一気に騒がしくなった。また持ち上げられ、なにかの上に乗せられた。程なくしてエンジン音が響き、耳を震わせて、そこでまた、意識が途切れた。
  安堵感と、解放感を感じ、身体がふっと軽くなる。すべての音が遠くなり、身体という感覚が完全に消失し……そして、

  誰かに怒鳴られた。






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最終更新:2011年07月13日 17:15
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