(投稿者:怨是)
「宰相派が関与したのではないのですか? 大図書館には、宰相派にとって不都合な書類が数多く存在しますから」
1945年、9月11日。アシュレイはアースラウグと共に帝国大図書館へと向かっていた。
地下独房で抑留されていた
プロミナと
テオドリクスが突如として脱走。大図書館へ向かい、火を放ったのだ。現在、武装親衛隊がMAID達を率いて鎮圧に奔走しているが、暴走したテオドリクスの豪腕の前には無力であり、戦況は芳しくない。増援要請は解除されず、市内警備に当たっていた者達まで動員されるに至った。
「違うな。直接的すぎる。たったそれだけの理由でやるんだったら、周りがもっと入念に根回しをする筈だ」
「じゃあ、黒旗が? ……あまり、その可能性は考えたくないのですが」
「調べりゃその内解る話さ。行こうぜ」
紙が焦げた時の独特な臭気が鼻につく。アシュレイは他の兵士らに「何でそこまで平然としていられる」と怒鳴り付けられる程に涼しげな表情のままであったが、内心は憂鬱だった。急遽担当になったMAIDが、己の与り知らぬ所で凶行に及ぶとは。プロミナの連続放火事件が皇帝派の自作自演であるという事実を知っており、それをネタにいつかハーネルシュタインを揺すろうとしていただけに、今回の暴走事件は頭を抱えたくなるイレギュラーな事態だった。
「プロミナ……やっと仲直りできると思ったのに」
独白するアースラウグは実に滑稽だ。連続放火事件が黒旗の仕業であると信じて疑わず、打倒黒旗に闘志を燃やす彼女は、未だに童話じみた軍神伝説を追い続けている。彼女は傀儡だ。軍神の幻想を忘れきれない、303という忌まわしき過去を棚上げした老害どもの生み出した、操り人形そのものだ。本人は己の意思で事を為していると思い込んでいるだけに、愚かさはより際立った。ついこの前までお前はプロミナを何と云っていた? 「黒旗に染まりきった奴」だと云っていなかったか?
「仲直り、か。お前が云いたかった事はそんなんじゃないだろ。“折角許してやろうと思ったのに”……正確には、こうだ」
「どうしてそんな事を云うのです?」
アースラウグの眉間が不快感を露わにした。日頃の高慢で無思慮な態度が、この認識を生んだとも知らずに。
「お前が自分の中身をちっとも解ってないからさ」
「先のテオドリクス暴走事件の鎮圧に際してその功労を讃えられ、正式に二代目軍神として認めて頂いた私を、そういう風に云うのは貴方くらいですよ」
「そいつは光栄だ。軍神様とやらに認めて貰ったって事じゃないか」
「褒めてないです」
「さて、もうすぐ着くか」
図書館へ続く渡り廊下は、図書館を囲むようにしてカーブを描いた回廊風の構造が特徴で、柱の間に取り付けられた大きな窓から図書館を一望できる。燃焼による気圧の変化か、図書館の窓は殆どが割れており、中から黒煙がもうもうと立ち上っていた。この距離まで近付くと、焦げ臭さは鼻がおかしくなる程に強まっていた。と、同時に戦場特有の殺気立った空気感もまた、肌で感じられる。
「こういう、閉所での戦闘は半年ぶりか……息が苦しくなるから嫌だな」
ただの人間であるアシュレイは、防火装備のマスクを手に取った。これが無ければ、煙でまともに動くことすらできない。一足先に扉へと駆け付けるアースラウグの背中を眺めながら、アシュレイは防火装備の内容を確認する。全て揃っている事を確認し、顔を上げると、アースラウグが振り返ったままの格好で固まっている。何か不可解なものを目の当たりにした様な彼女の表情が気になり、アシュレイもまた振り向いた。
「ただいま」
「おかえり。居場所は見つかったかい?」
「まぁね」
不思議と、強い感慨の様なものは抱かなかった。懐かしみこそすれども、アシュレイはシュヴェルテに同じく、涼しげな笑顔で応じた。これだけで充分だ。ただ一人、この場に居て二人の再会を承伏しかねるMAIDを除いては。
「何ですか貴女は……まさか黒旗のMAID? だとしたら、どうやって警備をくぐり抜けたんですか!」
「私も元皇室親衛隊だから、この建物の構造は理解してる。貴女がアースラウグ?」
「だからどうしたというのです。黒旗が相手とあらば、容赦はしません」
ヴィーザルを構え、アースラウグは戦闘態勢に入る。アシュレイは面食らった。喧嘩っ早いMAID同士がかち合うと、色々と面倒な事が始まってしまう。仮にもシュヴェルテはアシュレイの担当していたMAIDだ。かつての大切な教え子が刃を向けられて、面白い筈が無い。
アシュレイが口を固く結んでいる間にも、闖入者はまた一人増える。足音に気付いて顔を向ければ、視線の先には
アドレーゼが壁伝いによたよたと歩いていた。
「気を、つけて下さい……アースラウグ様、そのMAIDは……!」
傷だらけの身体を引き摺って現れたアドレーゼは、普段は結っている長髪を降ろし、自らの血で所々をべったりと濡らしていた。
「アドレーゼさん?! 何があったのですか!」
「あのMAIDに、やられて……」
シュヴェルテを見るアースラウグの表情が、憎悪に染まりきって行く。懐かしい眼差しだ。かつて自分もああいった表情になった事があるなと、アシュレイは回想した。シュヴェルテが憎まれる側になるのは忍びないので、諭す事にする。あの頃は若かった。今も若造という自負はあるが、この場には後輩が居る。ならば同じ轍を踏まぬ様――踏んだとしても軍神様と讃えられるアースラウグの事だから、お咎めなど無いだろうが――しっかりと教えねばなるまい。
「駄目じゃないか、シュヴェルテ。幾ら気に入らないからって無闇に斬っちゃ。アースラウグもだ。責任は俺が取るから、その武器をしまってくれないか。世の中には武力だけじゃ解決しない事の方が沢山あるんだ」
「だって仕方ないでしょ。アシュレイ。この子、凄い抵抗するんだもん。大人しく付き合ってくれれば、気絶だけで済ませてあげたのに、ねぇ」
「可愛い子ぶったって駄目なものは駄目だよ」
「でも私の目標は達成目前。“獣”は解き放たれた。ほら、アースラウグ。早く行かないと大変な事になるかもよ」
やめてやれよシュヴェルテ。アースラウグがそろそろ生肉を目の前に垂らされた猛獣の様な目をし始めているじゃないか。得意げにせせら笑うシュヴェルテの云う所の“獣”が何であるかを知らないが、目の前の彼女らこそ“獣”そのものではないのか。
「なるほど、貴女がアシュレイ伍長の、いや、エディの云っていたシュヴェルテですか……道理でスパイ容疑を掛けられる訳です。火薬のにおいで、咽せそうになる」
「卵が先か、鶏が先か……まぁ、食べる側である貴女の知った事じゃないか。で? 行かないの?」
「行きますよ。でも、アドレーゼさんを置いていく訳には行かないんです。アシュレイの事も気掛かりですし、ね。手を組んでいたのですか」
アシュレイはぎょっとした。只でさえアースラウグはこちらに対し敵意を露わにしている。シュヴェルテと、否、黒旗と手を組んでる等と喧伝されては立場どころか命も危うい。
「まさか。偶然だよ。シュヴェルテの云う“獣”ってのが誰だか俺は知らないし」
「本当に? 身近な子なのに? 貴方を教官として慕ってる、あの子」
「おい、まさかそれって……」
嫌な予感がする。
「プロミナ」
「嘘だろ……」
――おお、勘弁してくれ。
折角ここまで話を進めてきたというのに、こんな所で崩されては元の木阿弥だ。しかも、見ず知らずのMAIDではない。かつて担当していたMAIDが引き金を引いてしまったと知られたら、あらゆるものが遠のいてしまう。
「本当の話。可哀想に、檻の中で自分の感情を思い出せなくなるくらい狂ってた。昔のアシュレイなら早く何とかしなきゃって動いてたじゃない。自分が狂っていた事も忘れてしまったの? アシュレイ。狂気が過ぎ去った後の心の痛みを、アシュレイは知ってるというのに」
「あれは、その……どうにかしようとは思ってたんだよ」
「……そうなんだ。でも、駆け引きとかそういうのって、アシュレイはあまり得意じゃ無かった気がするけど」
シュヴェルテの責め立てる様な視線が心に痛い。しかし、彼女には悪いが、計画は計画だ。プロミナはあくまで被害者でなければならなかった。自らの意思で炎による破壊活動を行なってはならなかったのだ。それをけしかけ、直情的な暴走へと導くとは。
「全く、余計な真似しちゃって……お陰で計画の殆どが練り直しだ」
「計画って、大掛かりな内部告発でしょ?」
頭を抱えるしか無かった。計画に携わる者にしか話していない筈だが、その中の誰かが口を割ってしまったのだろう。シュヴェルテの性格からすると、何らかの切っ掛けで親衛隊の内情を知り、首を突っ込んだ時に手当たり次第に情報収集をしている事くらいは予想が付く。その時にだろうか。内部告発の話を誰かから仕入れたのは。アシュレイは協力者の名前を脳裏に並べた。が、口の軽そうな人物は心当たりが無い。
「誰から聞いたんだ」
「この状況を良く思ってない同志達からの情報提供だよ。詳しくは云えないけどね。で、内部告発だけども。どうせ証拠を揃えたって、連中に握り潰されるのが関の山じゃない?」
「連中が音を上げるまで何度でもやってやるよ。実際、今まで割と上手く行ってるんだ。昇進の阻止とか、ポストのそげ変えとかな。どうせお前も、正攻法じゃないんだろ?」
「まぁね。本当は正面切っての体当たりが得意分野なんだけど、それだけじゃ上手く行かないし。それもお互い様なのかな、アシュレイ」
「そうともさ。お前の事情は知らないが、こっちも苦労してるんだ。頼むから荒らし回る真似だけはしないで欲しい」
「どうかな。とりあえずそこにいる軍神様はプロミナそっちのけで私達の遣り取りに夢中みたいだけど」
「……アースラウグ。アドレーゼなら俺が手当てしてやる。だから、お前はプロミナを止めに行け」
「本当に、手当てしてくれるのですね」
「後で本人から聞けばいいさ」
「……一応、信じますよ」
アースラウグはちらりと一瞥し、扉の奥へと消えた。眼差しが深々と突き刺さる。勝手にしてくれ。アースラウグの気配が完全に図書館の方へと溶けたのを確認すると、アシュレイはシュヴェルテと顔を見合わせた。
「皮肉な話だね。お互い、やっとの思いで自分を作り上げたら、今度は擦れ違うなんて」
「皮肉なもんか。この世のあらゆる場所で普遍的に起きてる話さ。問題はどうやって擦り合わせるかだ。違うか?」
「そんな事をしている間に、あの子は自分で自分を壊してしまう。時間はもう無いよ。お願い、今回は私に任せて。上手く行く確信があるの」
懇願するシュヴェルテを、無碍にするのは気が進まない。せめて、話だけでも聞いておくべきだろうか。
「……どうするつもりなんだ?」
「死んだ事にして、国外の別のMAIDとして登録する」
「尚更駄目だ。そんなのは逃げじゃないか」
「じゃあ他にどういう方法があるっていうの? アシュレイは安全地帯に逃げて、あれこれ考えてさ」
それは違う。アシュレイはプロミナと共に地獄に堕ちる覚悟くらいは出来ている。皇帝派と戦う為には、プロミナが傍らに居なければならない。
「国内に残す。生き証人が必要だ。連中が仕組んだあらゆる事を、洗いざらい暴露して貰う。俺一人じゃあ、それは成し遂げられないんだ」
「だからって、蛇を何匹も壺の中に閉じ込めるみたいな真似をして。最低だと思わないの?」
「そこまで云うかよ」
「私は目的の為に個人を生け贄にしたくはないの。たとえそれが理想論だと解ってても……その虚しさを、私は知ってるから」
「空しくても、理想論をそのまま実現するのは不可能な芸当だぜ。それこそ神でも出てこない限りはな。それに俺だって、個人を犠牲にしたつもりは無い。その場に居合わせた役者の殆どがが幸せなままカーテンコールを迎えるシナリオでやってるつもりだぜ。確かに道程は辛いがな」
「それこそ机上の空論。これはゲームなんかじゃない。ルールが無いから、思い通りになるとも限らない。私が動かなくても、必ず幾つもの想定外な事態がやってくる。計算しきれるの? 結局そのシナリオとやらを仕組んでるのはアシュレイ一人でしょ?」
「俺一人じゃ考えきれないよ。解ってるだろ、それくらいは」
「ふぅん。誰と考えてるのかな?」
「まだ教える訳には行かないね」
青い服が視界に飛び込んだ。
ジークフリートだった。アースラウグの様な復讐心溢れる面持ちではなく、その顔色には驚愕が多分に含まれていた。それも無理からぬ話だろう。いつかにアシュレイが黒旗に連れ去られた時、構成員の
一人であるダニエルズ中尉に訊いたら、シュヴェルテというMAIDは知らないと云っていた。彼女は親衛隊の中でもまた、死んだと思われていた。彼女は一部の例外的な認識を除き、帝国の社会に於いて、既に死せる個人となっていた。
「ジーク、久しぶり。前に見た時よりもっといい顔つきになったんじゃない?」
「生きていた、のか……」
「そっか。前回侵入した時は魘されてたから覚えてないよね」
「!」
「貴女の首筋に起動剤を注射したのは、この私。で? アシュレイ。内部告発ってもしかして、ジークも一緒に考えてたのかな。私としてはプロミナがこっちの思惑通りに救出できればいいんだけど」
「どうだろうな。正解はその内解るんじゃないか。それと、プロミナは渡さない」
「強情だね。まぁいいや。私は一足先に図書館に行くから。アシュレイは公約通り、アドレーゼを手当てしなきゃだよ」
青い髪をなびかせ、軽やかに走り去るシュヴェルテを、アシュレイは歯噛みしながら見送った。枷の無いジークは険しい表情で一度こちらに振り返ると、無言で踵を返し、シュヴェルテを追い掛ける。
「シュヴェルテ、待ってくれ! 私はまだ何も話していない!」
「だったら私を捕まえてみなよ、ジークフリートちゃん!」
見る事が精一杯だった。ここでアドレーゼを放置すれば、いよいよ黒旗の協力者などと云われ、現世から消されかねない。
「さて。公約って云ってもな。よくよく調べりゃ、見た目程の深手なんか負ってないじゃないか……」
小憎らしい真似をしてくれたものだ。形だけでもと考えたアシュレイは、防火服を一度脱ぎ、下に着ていたシャツを破ってアドレーゼの傷口に巻いた。後は安静にしてもらうべく、気道を確保した体位にさせる。こんなものだろう。
「あいつ、手加減しやがったな」
嗚呼、恨むべきは、無力な両腕か。知恵の足りぬ頭か。かつての教え子にすっかり出し抜かれ、悔しさに歯軋りしながら、アシュレイはゆっくりと立ち上がった。扉の向こうには、教え子が二人居るのだ。
最終更新:2011年07月12日 21:00