女王陛下の所有物

(投稿者:エルス)



  始まりはメードそれぞれの反応の違いに気付いた、とある上等兵の報告だった。彼女は自分が元パン屋であると言い、グリーデルの田舎町で生まれた記憶があると言った。
  もちろん、その彼女は即刻処分され、上等兵も数日後に戦死した。この報告を受け、グリーデル軍情報部第六課は、生前の記憶のあるメードと、通常のメードの戦果比較を試み、データを蓄積した。
  そのデータによれば、個体それぞれに違いはあるが、生前の記憶のあるメードの方が戦場に置いて勇敢な行動に出る可能性が微かに高いという。
  これは生前の記憶と、一度死んだと言う事実を受け入れた個体のみ見られる、ということらしい。
  そして第六課は1941年中期から、意図的に生前の記憶を蘇らせる方法を模索してきた。
  アルトメリアのメードを利用し、何度もそれの実験を繰り返し、成功するまでどんなことでも行った。口に出すのも憚れるようなことまで……だ。

 「そして、成功率は低いが、生前の記憶を蘇らせるには、瀕死状態に陥る必要があり、またメードが精神的に未熟であることが求められた」
 「……そこにグリーデルとエテルネの間で宙ぶらりんになってる俺が居たってわけか」
 「理解が早くて助かるね」

  計画が立案されたのは1943年の12月だった。
  立案者は当初、現在運用中の第七課のメードを使用して行うつもりだったが、第七課のメードは精神的にあまりに異質な進歩を遂げていたため、国外に目を向けた。
  すると、離反してはいるものの、都合の良いメードがいた。
  エテルネからほぼ無償でクロッセル連合軍に送られ、結果として所属する国家の無い、無国籍なメード。しかも、それは戦闘に適した男性型であり、精神的にも未熟だった。
  1944年に軍事正常化委員会への潜入調査及び、数年中に行われる攻撃に際しての破壊工作任務をブラックバカラ――エルフィファーレが受領したのは、そんな時だった。
  そして翌年には、偶然にもエルフィファーレは俺と共に帰還した。
  都合が良すぎて耳を疑った者もいたと言う。早速、軍情報部第六課はブラックバカラと接触を図り、実験を行うことにした。
  それと同時に、予算の問題と昨今の暴走気味な活動から風当たりの強くなっている第七課を解体することにし、完全に切り捨てることにした。
  もはや第七課は第六課の尖兵としての機能を消失し、その設立時の血生臭さときな臭さが独り歩きしていたのだ。
  無論、有能な職員は第六課に異動することになったが、責任者であるオーベル・シュターレンに道は残されていなかった。

 「だから君の尾行に第五課の職員を使ったんだけれど……。結果は君の知っての通り。第六課は計画が露見してしまうのではないかと大いに恐れていたよ」
 「そこまで鋭い男じゃなくて良かったな。まあ、確かに違和感はあった気がするが……別に気にするほどの事じゃなかったからな……」
 「今度からは気を付けてみると良い。折角、君は覚醒したのだからね」

  そして最終的に、エルフィファーレという仕組まれた案内役の存在に気付くことなく、俺はそのすべてを達成し、第六課の目論んだ計画は見事に成功した。
  後天性擬似記憶形成症候群誘発計画、とかなんとか言うらしい。
  ともかくとして、俺は自分ですべて決めていたつもりになっていただけであって、実はこっそりエルがレールを敷いていた……ということらしい。
  なるほど、俺の考えたことがスムーズに進んでいったのには、そんな理由があったのかと、呆れ果てるしかなかった。

 「ブラック……失礼、エルフィファーレ君は実に有能で、実に魅力的な女性だ。今回の計画も、彼女の尽力が無ければ実現しなかっただろうね」
 「それはそうだろう。そういう育てられ方をされたんだ。感情を押し殺して生き続けるのが、生きるってことなのか、俺には皆目分からんけどな」
 「それが人間というものだよ。永遠というものを手に入れたところで、無意味な時間を浪費するだけだと言うのに、何故か分からずに死にたくはないと永遠を求める。
  それが史上最もつまらないものだとも知らずに……ね。だから私は今を生き、楽しみ、そして忠実であり続けるんだよ」
 「女王陛下の所有物……ってか?」
 「それが現実だよ、私というテキストのね」

  計画は終わり、実験結果を分析することになった第六課は、見事任務を全うした工作員ブラックバカラを解放し、彼女に望みを一つだけ聞いた。
  答えは無く、不安に思った第六課は口封じの為に少々の華々しさを彼女に与えた。
  幸せという名の張りぼての裏には、国家単位での計画とやらが蠢いていて、今まさに首に両手がかかっている。
  そんな状況で、俺は一人だけ自分がこんな良い女を貰っていいのだろうかとか、色々と考えていたと言うわけだ。まったく、馬鹿馬鹿しい話だ。
  要するに俺は最愛の女に操られるがままに、顔も知らない奴らの思惑に乗せられているとも知らず、恥ずかしくて死にたくなるほどの愛を頭の中で捏ね回した上に、
  これ以上ないくらいに滅茶苦茶やって、一人で達成感に酔っていた……ということか。

 「……待てよ。その実験とやらが第六課の主導なら、エテルネの一件はどう処理したんだ?」
 「私はなにもすべて第六課がやったことだ、とは言っていないよ。これは取引でもあったんだ。
  情報と情報の交換……人類を生きながらえさせる為、我々はエテルネと初めて手を取ったと言えるね」
 「ははっ……なにもかも、あんたたちの掌で起こったことってわけか……」
 「そうでもない。粗は幾つもあった。エルフィファーレには本部と偽っていたが、その事を別の諜報員が彼女にうっかり支部と伝えてしまい、そのまま君に情報が流れたり。
  君とエルフィファーレが熱い一夜を過ごしたり。更には予想以上に君の精神が破綻していたり」
 「俺とエルがくっつくことは……シナリオに入っていなかったって言うのか?」
 「入ってはいた。君が好意を抱いているだろうということも、エルフィファーレは我々に報告した。
  しかし、君との情事のこととなると、一切口を開かなくなった。少々嫌な思いをしたが、聞き出しはしたがね」
 「……お前」
 「そんな殺意を持った目で見てくれるな。私もこういう事は避けたいと思ってる。でもね、これが私の仕事であり、任務なんだよ。シリル君」

  紳士然とした態度を崩さず、ジェームズと自称する第六課の諜報員は言った。
  俺はこの場でこいつを血祭りに上げたい願望を抑えるのに必死で、大した反論も出来ずに目を逸らし、相手に聞こえるように舌打ちする。

 「さて、私の話はこんなところか。他にも色々と糸を仕組んでいたんだが……全て説明すると、夫婦の時間を割いてしまうだろうからね」
 「…………」

  そう言って、ジェームズは少し離れたところでジッとしていたエルを手招きし、近くに呼び寄せた。
  何時もの陽気そうな表情はどこへやってしまったのか、エルは酷く落ち込んでいるようだった。
  俺は泣き出したかった。お前がそんな顔をするなんて、俺は一体どうしたらいいんだと、泣け叫びたかった。
  しかし、ジェームズはそんな俺の気も知らず、小さなカードのような紙を俺の着ている服の胸ポケットに滑り込ませ、清々しいくらいの笑顔で言った。

 「それでは、私はこれで失礼しよう。何か聞きたいことがあったら、ここに電話すると良い。話せることはすべて話すつもりでいるから、遠慮なく……ね。では失礼」

  カツカツと音を立てながら去って行った瑛国紳士の背中に、掛ける言葉は無かった。代わりに、エルに対する言葉が胸から溢れ出し、心の防波堤を超え、口から吐き出しそうになった。
  しかし、俺の口はなにも発することはなかった。溢れ出す言葉の殆どはエルに対する追及であり、それを受けるエルの心を考えると……駄目だったのだ。
  彼女は今まさに追い詰められているというのに、これ以上追い詰めてどうするんだ。
  もう何が何だか訳が分からなかった。今まですがって来たものがいきなり餓死寸前の猫に取って代わってしまったかのようで、精神が不安定だった。
  止めてくれ、そんな顔をしないでくれと、そればかりが頭の中でこだまする。
  真っ白いウェディングドレスを纏って、だがそれでも酷く悲しそうな顔で、エルは俺を見た。胸に杭でも打たれたかのような痛みが、全身を縛り付けにした。

 「……ボクは、嘘つきなんですよ。これで分かったでしょう、シリル。ボクはいつまでも、愛した人を騙して、心を弄んじゃうんです」
 「言っただろ、俺は……俺はそれでも、お前が好きで……」
 「分かってます。シリルはとっても優しくて、とっても勇敢で……ボクが死んだら後を追ってきてくれるような人だって、分かってるんです。
  だからボクは、ボクが赦せないんですよ。ボクのためにここまで尽くしてくれて、ボクを心から愛してくれて、ボクと一緒に、幸せに生きるために命まで投げ出すような人を
  ……ボクは騙して、嘘をついて、それでも幸せだけは手放せなかった、自分が赦せないんです」
 「そんなの……俺は全然気にしてない。だから」
 「嘘を言わなくていいんです。シリルが嘘をつく時の癖、ボクには分かるんです。だって、ボクはシリルを本当に愛してるから。これだけは、嘘偽りのない、真実なんですから」

  それは、銃口を突き付けられた時のような、そんな感覚だった。ああ、ここで終わってしまうのかと、こんなところで終わってしまうのかと、そういう考えが浮かんでくるような、
  絶望感溢れる感覚だった。
  全身の血の気が引き、それまであった自分の確固たる自信が崩れ去っていく音が聞こえた。
  盾は燃え尽き、槍は折れ、銃の弾はすべて無くなり、銃剣は錆びついて使えない。身体は鉛のように重く、空気は酸素が極めて薄い。
  白いヴェールの向こうにある顔を見つめ、俺は完全に停止した思考回路を動かそうとする。だがそれは、エルが不意に取り出したヴァトラーPPK小型拳銃のせいで、水の泡と消えてしまう。

 「何をするつもりだ、エル」
 「ボクなりの贖罪を」

  そうして自分の胸に拳銃を突きつけたエルは、少し躊躇った。その少しの間に、俺はエルを押し倒し、拳銃からマガジンを引き抜いてスライドを引き、それを遠くに投げ捨てた。
  これで終わってくれたかと思った俺は笑顔を作ってみようとしたが失敗し、心の整理がつかないまま、エルと向き合うことになった。
  泣き出したい気持ちを必死で抑えながら、俺は言いたい言葉がないということに気付き、自分に失望した。

 「どうして止めるんですか? ボクはシリルを騙してたんですよ? 第七課に命を狙われている悲劇のプリンセスだと思わせておいて、第六課と通じてシリルを操っていたんですよ?
  シリルが死んじゃうかもしれない計画に、加担してたんですよ?」
 「そうかもしれない……いや、お前が言うんだから、そうなんだろう。でも俺は、お前を責める気なんか無いし、このことで自分を追い詰めないでほしいと思ってる。
  確かに俺はショックを受けたさ。でもそれは、なんてことない。驚いたってだけなんだ」
 「でもシリル、ボクはそれじゃ納得できないんですよ。あぁ、嫌だなぁ……なんだかこれじゃ、ボクを嫌ってくださいって言っているみたいで……しかも、涙が止まらなくて………うぅっ……」
 「エルフィファーレ……」

  崩れ落ちるように座り込んだエルを抱き留めて、俺は落ち着く必要なんかないと、ふとそう思った。
  エルの背中に手を伸ばして、優しくさすってやって、声を上げて泣けるように頭を抱きかかえるようにして膝をつく。
  俺とルルアは、感情の制御が下手で結構簡単に泣き出してしまうのだが、エルは……エルフィファーレは違う。
  何度も何度も、声をあげて泣きたいのを堪えて、じっと我慢して、それに慣れてしまっているのだ。多分、恐らくは、そうなのだろう。
  そう考えると俺の方が泣きたいくらいだ。お前が溜めこんできた苦しみを一心に受けてやるつもりだったっていうのに、お前は俺を信頼しちゃいなかったっていうのか。
  俺がお前にすべてを曝け出そうと決心したっていうのに、お前はまだ自分を隠そうとするのか。
  怒りよりもさきに感動して、下手に言葉を口にしようものなら、泣き喚いてしまうところだ。
  どうしてお前は、お前を一番大事にしないんだ。俺みたいな奴は、お前がいてこそ存在価値を見いだせるような馬鹿なんだから、せめてお前はお前自身を大切にしろよ。
  そして俺は、自分が泣きださないように、言葉が震えないように、そう覚悟して、エルフィファーレに言った。

 「……泣いていいんだぞ、俺はお前の『弱さ』も、全部まとめて好きになったんだから」

  さて、俺は彼女の『弱さ』を受け止めきれるだろうか。そんなことをぼんやりと考えながら、俺は彼女を抱きしめた腕に力を込め、しっかりと胸に抱き寄せた。





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最終更新:2011年09月12日 23:27
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