(投稿者:エルス)
メードはどうでもいい。それよりも、ヘッツァー駆逐戦車の生産を許してはくれまいか? あれのほうが使いやすい。
ルミス連邦大統領 デュドネ・ジェルヴェーズ連邦参事
馬鹿馬鹿しいと、
シャルティは帝都栄光新聞を一目見て吐き捨てた。
そこにエントリヒを守る軍勢の居場所はなく、シャルティのよく知る顔と、英雄という名の空虚な称号が鎮座していた。
怒りに沸騰する心の中に、どこか諦めきった自分がいることに耐えきれず、シャルティは新聞をたたみ、煙草を咥えた上等兵に突き返した。
「もう良いんですか?」
「一面だけ見れば十分だ。帝都の連中の考えていることは、すべてそこに集約されている」
「……まあ、確かにそうですね。次の砲兵隊の砲撃は四時間後だそうです。その三十分前までは、休んでいてください」
「ありがとう。助かる」
「我々歩兵の守護女神は貴女ですからね。お体を大事になさってください」
にこっと笑ってラフな敬礼をした上等兵に返礼し、シャルティは塹壕の中を進んで行き、メード専用に作られた壕の中へと入っていった。
天井は成人男性なら不足だっただろうが、幸いにしてここにいるメードの殆どはそれほど背が高くなく、また寝つきも良かったので、不平を言う者はいなかった。
壕の中にはマットレスが数個、適当に置かれていて、それにシーツをかけてベッドの代わりにしている。雨は壕の中に入らないように作られていた為、ある程度の無茶は出来た。
「……あれ、シャルティ先生。帰ってたんですか」
「ああ、今さっきな。独立重戦車大隊の援護も、存外楽ではなかった」
「お疲れ様です、シャルティ先生」
上質とは程遠いシーツに包まっているエーファが笑うと、シャルティは微かに苦笑した。
「いい加減先生は止めてくれ。確かにお前は私の教え子だが、何時までも先生では、流石に恥ずかしい」
「良いじゃないですか、先生は先生なんですから」
ころころと笑うエーファに口では勝てないなと悟ったシャルティは、ぐったりとした様子で眠っている三人のメードを見て、その視線をエーファに戻した。
「砲撃の頻度が上がっていると言うのは、本当らしいな」
「上からの命令何だか知りませんけど、そうですよ。シャルティ先生が居ない分、私たちで頑張ったんですよ」
「すまないな。嫌といったら国家反逆罪で捕まりそうな雰囲気だったのでな、断れなかった」
「良いですよ、シャルティ先生は悪くないんです。帝都の人たちが悪いだけなんです」
「……そうかもしれないな。エーファ、休んでいて良いんだぞ?」
「ローテーションしてるんです。
一人でも起きてないと、初動が遅れるからって」
「私がいない間に知恵を付けたというわけか……」
「こうやって学ばないと戦場じゃあ生きていけませんよ」
そう言いながら欠伸をかみ殺したエーファを見ながら、シャルティは空いているマットレスに腰を下ろし、ふうと息を吐き出す。
「……なあ、エーファ」
「なんです、先生?」
「……私の信じた帝国は、
ブリュンヒルデ様が愛した帝国は……どこへ消えてしまったのだろうな」
「それは………私には分かりません」
「そうだろうな。私にも分からない。私は……帝国という名の幻想を夢見ているだけなのかもしれん」
「先生、そう落ち込まないで下さいよ」
「分かっている。私が落ち込めば、士気に関わる。それに、もっと落ち込んでいる奴がいるんだ。こんなことでへこたれて堪るものか」
「そうですよ。それでこそシャルティ先生です」
短いブロンド色の髪の毛を揺らしながらにっこり笑ったエーファに、シャルティもまた笑みを返した。
「結局、こうやって自分の心の持ちようで解決するしかないのにな……」
「ああ。今はどこで何をやっているやら……だ。まったく、メードに何を望んでいるんだろうな、人間は。我々とて、超人や聖人ではないというのに」
「こんなに可愛い乙女がこんなところで頑張ってるなんて夢にも思ってないんでしょう。でもね、シャルティ先生、そういうこと考えると、精神的に参っちゃいますよ?」
「分かっているよ。だから誰も考えない。それ故に、私はこうして考えるのだ」
「うん、かっこいいですよ、先生」
「マイノリティであるから、その人が素晴らしいと言っているのであるなら、誤った認識だぞ。エーファ、視野を広く持て。他人の『世界』に騙されてはいけない。分かったな?」
「はい、先生。私は先生の教えをちゃんと頭の中で分解して、再構築して、ちゃんと自分の考えに転換してます。聖書も読んでるんですよ、先生が読んでたのを見たから」
「そこまで私を真似する必要はない。エーファ、お前は私にはなれないんだ。お前はお前であり、私は私だ。他人の真似をするな、自分の好きなことをすればいい」
「してますよ。先生の真似です」
にっこりと笑ったエーファに返す言葉もなく、シャルティは苦笑を浮かべ、やれやれと首を横に振った。
「それがお前の好きなことなら、私は何も言わんよ」
「ありがとうございます、シャルティ先生」
「感謝などいらん……誰だ?」
「ハインリヒ上等兵です。司令が呼んでます、至急とのことです……すいません、貴女は休んでいると言ったんですが……」
「構わん。司令部塹壕に案内してくれるか?」
「もちろんです。すまないな、エーファ、もっと話をさせたかったんだが……」
「良いですよ、ハインリヒさん。それじゃ、先生。行ってらっしゃい」
「ああ、行ってくる。話しが済んだら、また戻ってくる」
壕を出る前に、シャルティはエーファに笑顔を見せた。エーファはそれを見て、またころころと笑い、小さな手を小さく振った。
「それで、司令は何と?」
ひんやりと冷たい、湿気の多い泥臭い空気を吸いながら、シャルティは先を行く上等兵の背中に付いて行きながら、疑問点を質問としてぶつけた。
小銃を肩から下げた一等兵がシャルティの姿を見て小さく一礼し、曹長が彼女を見るとさっきまでの不機嫌顔を吹き飛ばしてウィンクを飛ばした。
シャルティはそれら一つずつに右手を軽く上げて答えながら、上等兵の言葉に耳を傾ける。
「貴女が援護した独立重戦車大隊の損害具合を聞きたいそうです。ここも損耗してますから、恐らくは補充戦力として救援要請を出すつもりなんでしょう」
「それは無理だ。あの独立重戦車大隊には、最新鋭のヤークト・ティーゲルが配備されているが、あれはとんだ欠陥機だった。たった一戦で四両も失ったんだぞ」
「それを司令に説明してやってください。最近のごたごたで、司令もかなり疲労が溜まってるんです。帝都は本当に何を考えてるんです? このままじゃ革命でも起きますよ」
冗談ではなく、本気でそう言った上等兵の背中に投げ返す言葉が見つからず、シャルティは拳を握りしめ、帝都の状況を思い出した。
安全地帯で政治談議を興じている将軍たちと、子供の心のまま大人の価値観を押し付けられ、苦悩し、道を外れるメードたち。そして一種の人種主義的思考とも言える、黒旗の存在。
すべてが馬鹿馬鹿しいとしか言いようがなかった。グロースヴァントでは未だに厳しい状況が続いている。航空支援もあてに出来ずに、兵士たちは戦い続けているのに、帝都は腐り切っている。
シャルティが忠誠を誓っているのは、帝国だ。人々によって構成された一つの単位としての国家。その基板上にある、信ずるべき国というのが、帝国だったはずなのだ。
それが今や、形骸化し、腐敗しきった人間によって支配されている。不信感を表にすることもできない民衆は、暴力に怯えて生活するしかない。
「国民が国を信じきれなくなった時、嫌でもそうなるだろう」
「国防軍はとっくの昔に国を信じきれなくなってますよ。政治しか出来なくなった将軍に価値はありません」
「喉元過ぎれば熱さ忘れる、ということだ。誰も皆、多忙を権力と勘違いしているのだ。彼らの中に、もはや人情は無い」
「人の気持ちすら亡くしてしまったんじゃ、指導者失格ですよ……着きましたよ、シャルティ。司令は中で待っています」
そう言ってハインリヒは、塹壕の壁に埋まっているかのように設置されている、簡素な木製ドアを指差した。
「……このウーとか、アウーとか言う呻き声はなんだ?」
「司令だと思いますよ。ああ、一応言っておきますけど、参謀には会わないでくださいね。鬱病一歩手前で何をするか分からないので」
「了解だ。案内、感謝する。あとでじっくり話でもしよう、上等兵」
「光栄です、フロイライン・シャルティ」
苦笑を浮かべながら敬礼をした上等兵に返礼し、シャルティはドアをノックし、返答を待たずにノブを回した。
司令部塹壕には装甲擲弾兵師団グロースエントリヒ師団長であるヴィルヘルム・フォン・バウマン大将が椅子に座っており、机の上に広げられた戦略地図と睨めっこをしていた。
「第505独立重戦車大隊の損害は?」
「グロースエントリヒ重戦車大隊と似たような具合だ。あちらも欠陥品のヤークト・ティーゲルを押し付けられ、四苦八苦していた」
「第2SS装甲師団は?」
「以前、共に防衛線を張ったことがあるな……。損害は微々たるものだが、戦力を分けてくれるかは分からんな」
「そうか。通信塹壕に誰か向かわせよう……。それと、私はお前が帰還してきてくれてうれしいよ、シャルティ。帝都はどうだった」
「何時も通り、コミュニストよりも性質の悪い愛国者が腐るほど居た。
アースラウグの顔が見れたことだけが、唯一の癒しだな……」
「そうかそうか。こちらの状況は聞かんでも分かっているんだろうな」
「私は愚かではない。情報がどれほど重要なものか、よく知っているつもりだ」
「すばらしい。それでこそお前だ。んむ、お前の指導したメードもすばらしい。責任感と協調性がある」
「当たり前だ。無くてどうする」
「困るしかない。事実、お前の指導したメードは各地の戦線で活躍し、賞賛されている。この師団にお前と、お前の指導したメードしかいないのは、そういう理由があるからだ」
「陰謀論者たちはきっとこう仮説を立てているだろう。シャルティとヴィルヘルム大将は革命を目論んでいる、とな」
「陰謀論者などというパンの上の黴のような者どもには言わせておけばいい。私は結果論者だ」
「なるほど、そういうことなら言い返せない」
苦笑を浮かべ、シャルティはバウマンからカップを受け取る。
「まあ、現状を打破する為に、少々荒っぽいことをしても構わない……とは思っているがね」
「と、言うと?」
「君が先程言っただろう。啓蒙主義が絶対王政を脅かし、民族主義が巨大な国土を切り分けてから何年経つ? 我々は未だに手垢の付いた政策に振り回されている。誰もなにも見えていない。停滞することがどれほど危機的で絶望的で希望の無い状況か。現状を打破するには、まずは現状からの逃避が必要だ。現状を否定するだけでは現状に飲み込まれていることに変わりはない」
「……世界を変える気で事を行え、明日を己が住みやすい日にするために」
「教育担当官の言葉かね?」
「私の言葉だ。バウマン大将」
「そうか。良い言葉だな、それは」
「私は本気だ。世界を変え、私が……そして私の下に生まれたメードたちが住みやすい世界にするために。そのためならば、私は血に染まる覚悟がある。元より私は、そのような存在なのだ」
戦略地図から目を上げたバウマンの目がすっと細まった。
「して、君とはなんだ」
「私は剣だ。槍であり、弾丸でもある。だが私は鎧や盾にはなりえない。それを担うのは、思想だ。民は剣と盾を取り、鎧を着こむ。指導者たる者の扇動で、民は兵団となる」
「だが君は軍に偏り過ぎている。これでは軍事クーデターでしかない。革命ではないぞ、シャルティ」
「黒旗などという組織がある時点で、軍部に期待はしていない。私は他国の諜報機関がそれをやってくれると確信している。情報操作ほど金がかかるものはないが、たてる波は大きい」
「……すべてはアースラウグを救うためか? それとも、ジークフリートのためか?」
「言っただろう。私は剣だと。だがしかし、本音を言うのならば、そんなところだろう。私が負うべきだったのだ。雨風に飲まれる銅像に、私がなれば良かったのだ……。なれれば、どんなに楽だっただろうか……」
「………」
「私とて女だ。嫉妬し、憎み、怒りもする。だが私はブリュンヒルデ様のために為さねばならない。インテリに革命の思想を吹き込み、国民を扇動し、埃に塗れた絶対王政を覆さなければならない。私の命を懸けてでも、それだけは為さねばならないのだ」
「インテリについて知らんようだな。インテリは何時も夢のようなことばかりを謳うから、いずれは官僚政治と国民に飲み込まれ消えゆく存在なのだだ。今もそうだろう? 王は官僚政治の材料でしかない。官僚は主義主張を嫌いながらも、それに倣って生きている」
「だから私が粛清してやろうと言うのだ。このままでは帝国はいずれ連合に切り分けられてしまうのだぞ。さながらパイのようにな」
「そうなる前に戦争に勝てば良い。戦争に勝ちさえすれば我々は連合から搾取し、大陸戦争の汚名を返上する事ができる。だが、選民思想染みた現状。もはや打開策はそれしか―――」
瞬間、地面が揺れ、天井から土埃が舞った。砲弾の弾着音が聴こえなかったのは、ただ単に音が反響しきっていてそれと分からなかったからだ。
バウマンが通信機の受話器を手にして怒声を放つのを尻目に、シャルティはドアを蹴り開けて塹壕内で右往左往している歩兵の一人を捕まえる。
「なにがあった!?」
「誤射ですよシャルティ! 砲兵隊の連中、時間どころか弾着点すら間違えやがったんです!」
榴弾が風を切る音が空から降ってくる。爆炎が上がると同時に地面が揺れ、シャルティは思わず顔を腕で庇った。
熱い爆風が頬を撫でつけ、炸裂した火薬のにおいが鼻をつく。存外近かった弾着点に顔を顰めながら、シャルティは塹壕内を駆けた。
向かった先はエーファたちにいる壕だった。シャルティがそこに行くと、すでにもぬけの殻だった。耳をつんざく警報が鳴り響く。
腰に帯びた剣を引き抜き、シャルティは塹壕から飛び出し、榴弾の破片が自分に当たらぬよう祈った。夢半ばで死ぬには、いろいろなものを背負い過ぎたのだと思いながら。
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最終更新:2011年10月10日 14:28