Behind 8-5 : 漆黒の生命線

(投稿者:怨是)


 いわばこれは後書きのようなものであって、遺書ですらない。
 彼女の物語はもう、終わってしまったのだから。
 追求の炎は、既に消えてしまったのだから。

 もしひょんな事でベーエルデーのMAID、シーアさんに出会ったら、きっと私は幻だったのだと伝えて欲しい。

 炎を操る何者か……“私”より。

 追伸。
 アースラウグ。もしも罪を償おうと思っているなら、次に書く事を信じて。
 私が“あいつら”と呼んでいた連中は貴女のすぐ近くに居る。
 連続放火事件は、皇帝派が仕組んだ事。
 私や貴女が出会った黒旗は、連中が扮した偽者。現場の遺留品から公安SSが手掛かりを探っている。
 皇帝派の連中はそんな彼らを潰したがっているけど、下手に動いて馬脚を現す訳にも行かないから立ち往生しているみたい。

 ちなみに、私の安全は黒旗がEARTHに根回しする事で保証して貰えるけど、二度と会えない様に裏で手配してある。もちろん、亡命先も教えられない。

 私の知る範囲では、それ以上の情報は無い。
 真実に辿り着いて苦痛に満ちた壁にぶつかるか、何も無い道を死ぬまで歩き続けるか……
 誰にも選ばせてはいけない。貴女自身が選んで。



 ――1945年、9月18日。
 アースラウグはこれで何度目かも忘れてしまったが、手紙を読み返していた。心臓が悲鳴を上げている。
 図書館でのあの日、アースラウグはもう一度やり直せると信じて戦った。シュヴェルテが放った一言で、何もかもが崩れ去ってしまったのだ。

『いずれの場合でも、プロミナはこの図書館以外は自分で燃やした事なんて無かった。本人に訊けば解るよ』

『思い出した。アースラウグ……私、最初に云ったよね? 私は確かに云ったよね? 建物に広がった火を、抑えてるって。この際、“あいつら”に命を狙われる心配も無いから何もかも吐き出すけど、私は……皇帝派の将校の人からそういう指示を受けて、やってたんだよ。危うく感情に流されて、忘れかけたけど、思い出した。この、憎悪……やっぱり私はこの国には居られないよ。だって、気が狂ってしまうから! あっははははは!』

 忌まわしい記憶に、神経が掻き乱される。何が真実か、それは事件の渦中にあったプロミナに訊けば解る事だった。その機会を今まで見過ごしてきたのは、他でも無い、自分自身だった。不意に、ドアが開かれる。ジークフリートだ。

「アースラウグ、稽古の時間だ」

「すぐ、参ります」

 プロミナはジークに「先へ行っていて下さい」と云おうとして、言葉に出すのを忘れた。手紙を最後まで読み切っていない事を思い出して、せめてそこまで読んでから出ようと考えた。背後から、苛立たしげな溜め息が聞こえる。

「いつまで手紙と睨めっこしている」

「姉様……でも、私は……」

「悔やんだ処でプロミナはもう戻ってこない。忘れろ」

「私には無理です……! 忘れる事なんて、絶対……」

「ならば、私がプロミナの代わりを見付けてやろうか?」

 そんな芸当が出来る筈が無い。意地の悪い質問を投げかけてくるジークは、相変わらず無表情のままだ。近頃はこの姉が何を考えているか、解らない。いつの間にか、温和な表情を一切しなくなってしまった。眼差しが冷たい。アースラウグの今までの行為が原因なのが明らかである事を自覚しているが故に、胸は余計に苦しくなる。

「……代わりなんて要らないです。プロミナはプロミナです。あぁ、黒旗さえ居なければ……」

 踊らされ、両の手で彼女の心を絞める事にはならなかっただろうに。

「お前はプロミナに対する陰湿な仕打ちの数々に荷担するのではなく、いち早く察知し、やめさせるべきだった。お前は、一度でも彼女の立場に立って物事を考えたか?」

「いいえ」

「なら、あらゆる可能性を考慮したか?」

「いいえ……」

 鉄面皮の奥から落胆の色がありありと見て取れた。このままでは本当に、ジークフリートは離れて行ってしまう。焦心に震えるアースラウグを、ジークが見据えてくる。

「浅はかなんだよ、お前の正義は……私からはもう、お前に教える事は何一つ無い。お前に甘くしてくれるアドレーゼと一緒に、仲良く幻想を追い掛けるがいい」

「姉様、待って下さい!」

 立ち去ろうとしたジークの腕を、アースラウグは必死に掴む。目頭が熱い。行かないで、見捨てないで。置き去りにしないで。懇願の言葉が次々と喉元に溜まっては消えた。

「私は忙しい」

「考え直してはくれませんか! 私は何も知らなかった……私の肩書きの使い方も、その影響力も……だからこんな悲劇が起きてしまった事は、反省していますから! お願いです、私を見捨てないで下さい!」

 ジークが振り向き様に此方を睨む。

「何故見捨てたらいけない?」

「だって、悔しいじゃないですか……これからも私が、誰かを傷付け、陥れてしまうかもしれないなんて、絶対に嫌です。プロミナはもう居なくなってしまった。その罪滅ぼしを、したいんです。私はまだ弱い。だから、誰かが隣に居ないと、折れてしまうかもしれない」

 沈黙が続いた。ジークの思考を読む事は叶わない。瞳をじっと覗き込むものの、何も返ってこなかった。いよいよ見放されてしまったのだろうか。最早これまでかと思った、その時だった。

「悔しければ勝ち取って見せろ」

 と一言だけ発したジークは、部屋を後にする。試しているのか。信頼を取り戻す覚悟があるのかを。

「戦えと、仰るのですね……」

 そうと決まれば、身体は勝手に動いた。ヴィーザルを構え、姉の背中へ飛び込む。伝えねば。戦わねば。決意と覚悟を伝えるには、それしか無いのだから。ジークは後ろ手に持ったバルムンクで、アースラウグの渾身の一撃を受け止めた。

「誰が力尽くで強引に押し通れと云った。勝負で私に勝った所で、私の心は動かない」

「私だって、何も考えていない訳じゃないんです……私なりに考えて、私の槍――ヴィーザルを通して、姉様に私の決意を伝える!」

「馬鹿馬鹿しい。血迷ったか」

 ジークはヴィーザルの刃をバルムンクで押し留めながら振り返る。まだだ。まだ足りない。この程度では伝わらない。視線をぶつけ、喉を震わせる。

「姉様! 私は逃げていました……戦う事から! 軍神という肩書きを背負う事は、それに甘えて力を振りかざす事なんかじゃない……その肩書きに責任を持ち、覚悟を決め、最善の方法を考え、日々を闘争する……姉様の云いたい事が、やっと理解できたんです」

「お前の云っている事は解る。是非とも責任感を持って欲しい。だが、私は“軍神の肩書きを背負え”とは一言も云っていない!」

「きゃっ!」

 大剣バルムンクが、ヴィーザルを払い除ける。鍔迫り合いに負けたアースラウグは部屋まで吹き飛び、本棚に背中を打った。その拍子に本が何冊か頭上に落ちる。頭に受けた衝撃は、叱責にも似ていた。

「下らん幻想を捨て、一人のMAIDとしての使命を全うし、私の信頼を勝ち取って見せろと私は云いたかったのに。愚図が。十全まで説明してやらねばその程度の事も理解できないか!」

「違うというのですか!」

「何から何まで違うよ」

「いえ、試して居られるのですね……ならば尚更、私は超えたい!」

 アースラウグは立ち上がり、再びヴィーザルを構えて見せた。『本当は間違っている』と、誰かが囁いた気がした。だが、もしも此処で頭を横に振って雑念を払おうとすれば、きっと自分は己自身の疑心そのものに負けてしまうだろう。故に、目も首もそのまま動かさず、ジークだけを見る。

「立ち上がるのは結構。それ以上は云うな! 試しているのはお前が何処まで理解してくれているかの一点に尽きる。戯言を辞めないならば、斬るぞ」

「斬られてでも私は立ち向かう! それが、姉様の期待に応えるたった一つの方法だから!」

「黙れ、黙れ! 私よりも寡黙になれ! 何処まで幻想の道具に堕ちれば気が済むんだ!」

「私にはまだ、幻想が何なのかは解りませんよ! でも、正義って、誰かを守る為にあるのでしょう?!」

 誰が何と云おうと、アースラウグは自らの正義を疑いたくはなかった。教え込まれた、騙された、などという言葉は発してはならない。この正義はきっと、否、間違いなく、母の魂から受け継がれたものでなければならない。そういう事にしておかねば、今まで何をしてきたかも解らないではないか。
 アースラウグは、気迫を込めて突進する。孤独の海に投げ出される恐怖と共に。

「姉様、私の正義を見て下さい!」

 ヴィーザルを勢い良く振り下ろす。ジークはバルムンクでその一撃を受け止めたが、アースラウグの攻撃を打ち返すには至らず、威力はジークの全身にまともに伝わったらしい。確かな手応えを感じたアースラウグは、更にヴィーザルへ力を入れた。

「お願い、します!」

「ぐぅ、おぉぉ――?!」

 ――倒した!
 いつかの訓練でやった不意打ちではない。ついにアースラウグは己の力量のみで、ジークを圧倒した。しかし、この想いがジークに伝わった訳では無い。胸中には虚しさだけが残った。

「姉様、どうか見守っていて下さい。プロミナを守れなかった分、これからは皆を必ず守り通してみせます。二代目軍神の名にかけて!」

「……」

 ほらね、やっぱり。
 ジークは心此処に在らずといった風で、アースラウグの言葉など聞いては居ないのだ。何処でこんなに擦れ違ってしまったのだろう。軍神の子として、陰謀渦巻くこの帝都を救う事こそが自分の使命だと思っていた。台頭する黒旗、宰相派の軍事計画、反政府団体の暴力的な抗議……それらを打ち砕き、一騎当千の力を以てグレートウォールのGを倒す。それがアースラウグの思い描いた展望の筈だった。
 現実はどうだ。陰謀を打ち砕くどころか、その渦中に居るとすら云われているではないか。それも、姉であるジークフリートに。

「……外の空気、吸ってきますね」

 とだけ云い残し、アースラウグはこの場を後にした。せめて涙は見せまいと、走った。こんな筈ではないのだ。せめてこれが悪い夢であったなら、救いもあったというのに。

「こんなの、私じゃない」

 中庭に辿り着き、アースラウグは近くのベンチに座った。昼下がりの空気は、汗ばんだ身体を程良く冷ましてくれた。肺がまだ痛む。平時にこんな場所へ来る者は殆ど居ない。基本的に素通りされる。頭を冷やすには持って来いの場所だった。

「此処に居たんだ」

 スィルトネートが心配そうな面持ちで隣に座る。アースラウグはちらりとスィルトを一瞥し、それから自分の膝に視線を落とした。

「はい。ちょっと黄昏れに」

「聞いたよ。ジークと喧嘩したんだって? あのジークを倒すなんて、やるじゃない」

「でも結局、虚しさだけが残りました。本当はこのヴィーザルを通じて、私の想いを届けたかっただけなのに……姉様は振り向いてすらくれませんでした」

 初撃で見切られ、拒絶の眼差しを返してきたジークの事を思うと、胸が苦しくなる。その後に放ってきた攻撃からも、殺意ばかりが感じられ、刃がぶつかる度に背筋が冷えた。

「想いを伝えるのは難しいよね。特にジークは頑固だから、彼女が納得しない考えは絶対に受け入れようとしない。私もあんまり人の事を云えた義理じゃないんだけど」

「……だからって、何もかも無視されるのは流石に堪えますよ」

 プロミナが居ない今、心の拠り所は姉であるジークだけだ。スィルトネートには図書館事件の折にて借りがあるが、まだ心を許したとまでは行かない。こうして言葉を交わしているのも、捌け口の見付からない感情を誰かに伝えたかった為だ。

「確かに何度か思ったんです。本当は自分のしている事は全て間違いで、私の正義なんて、他の正義には当てはまらないんじゃないかって。実際、プロミナを追い込んでしまったのは私ですし」

 あの時、プロミナの言葉を信じていればこんな事にはならなかった。今更それを悔いても仕方の無い事ではあったが、悔恨の念は止め処なく胸中より溢れ出た。

「軍隊は命を扱う仕事だからね。ジークはきっと、それがどれだけ大変なのかを教えたかったんじゃないかな」

「姉様は私に何て云ったと思いますか?」

「……解らない。何て云ったの?」

「“軍神の肩書きを背負え”とは一言も云っていない……と」

「そう……」

 スィルトネートは複雑な面持ちのまま黙り込んだ。それも道理だろう。アースラウグは皇帝派に属し、スィルトネートは政敵である宰相派だ。相談事に乗る事は出来ても、軍神という単語に対する反応は慎重にならざるを得ない事くらいはアースラウグでも理解出来た。

「でも、私からそれを取ったら、一体何が残るのでしょう」

「その答えは、君の中に在る筈だよ」

「私の中に? 何も無いという答えが、ですか」

 スィルトネートは首を横に振る。当然の反応か。アースラウグとて、ほぼ自暴自棄のまま返答した自覚はある。

「結論を出すのが早すぎる。もっとよく探してみてよ」

「大体、どうして政敵の私なんかを気に掛けてくれるんですか」

「後輩が悩んでいたら派閥なんて関係ないよ。それに、私だって振り向いて欲しい人が居る。同じ悩みを持っているなら、何か手助けしたいでしょ?」

「振り向いて欲しい、と云いますと……宰相ですか」

「……うん」

 僅かに頬を赤らめるスィルトネートを見て、アースラウグは少しだけ彼女の認識を改めた。宰相派とはいえ、兵器然とした人間味の無いMAIDばかりではなかったのだ。が、素直にそれを認めたくないという感情もまた同時にあった。

「その為なら軍事計画の手伝いまでするのですね」

「あんまり関係ないかな、それは。私は我が王、ギーレン様が好きだから仕事も遣り甲斐はあるけど、それとこれは殆ど別の話」

「私の感情と貴女の感情とでは、きっと大きな違いがある筈です。貴女は従者でありながら主人に恋い焦がれていますが、私は姉様に好きになって欲しい」

「根本は同じじゃないかな」

「絶対違います」

「……」

 スィルトネートは何も云わなくなった。たった一度拒んだだけで途切れるなら、その程度の理論だという事だ。さようなら、スィルトネート。居辛くなったアースラウグは暫くしてから踵を返し、中庭を立ち去った。

「答えは、探してみますよ」

 少しだけ足を止めて中庭を一瞥すると、スィルトネートはまだそこに居り、物憂げに空を見上げていた。此方が立ち止まった事を悟られぬ様、アースラウグは足早に遠ざかった。


最終更新:2011年10月25日 05:38
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