(投稿者:怨是)
1945年9月23日。
グレートウォール戦線から北西に位置するこのバレステン基地跡に、
レイ・ヘンラインは足を踏み入れていた。車のエンジンは切っていない。いつでもすぐにこの場を離れられる様にする為だ。
見慣れた顔を、遠方にて確認できる。
カ・ガノ・ヴィヂ……プロトファスマだ。レイはカ・ガノを追って門戸を潜り、休憩所らしき部屋に入る。カ・ガノは振り向きもせずに呟いた。
「……あんたか、ドクター・エースのアイスマン」
「一言も俺だとは云ってないのに、よく判るな。耳だけではなく、鼻も利くのか」
「そりゃあ俺の知り合いで、その煙草を吸っているのはあんたぐらいだからな。判るだろ」
「同じ銘柄を吸う不特定の誰かだった場合は、どうするつもりだったんだ?」
「その時はその時だ。誰だろうが歓迎してやるのが礼儀ってもんさ」
カ・ガノはいつも通り飄々としている。最初の頃こそ面食らったものだが、今となっては学ぶべき処も多い。そんなカ・ガノは奥のキッチンからビーカー一杯の茶色い液体を運んでくる。漂う湯気に乗せて、よく知った香りが鼻孔に入ってきた。カ・ガノはそれをマグカップに注ぐ。
「――コーヒーか」
「自慢の豆だ。裏の畑で穫れたん――おい、何をしてる」
レイは迷わず
シザーリオにそれを飲ませる様に合図した。シザーリオは即座に一口、それを含む。
「シザーリオ、どうだ?」
「瘴気、毒物共に反応無し。安全基準をクリアしています」
「一服盛られる心配は無さそうだな」
「おいおい、どんだけ信用無ェのよ俺」
「仕方ないだろう。幾ら人の姿をしているとはいえ、お前はプロトファスマ。G側に居る。そして俺は人間。本来ならすぐに殺されてもおかしくはない」
「そりゃあそうだが……寂しいね。実際、目の当たりにするとよ」
落胆するカ・ガノを、レイは敢えて無視した。
「で、シザーリオ。味は?」
「コーヒーの味です」
「だろうな」
この機械的なMAID、シザーリオにはコーヒーの繊細な差異まで事細かに理解するだけのこだわりは無い。趣味、嗜好の一切を学ばせずに育てたせいなのか、味について問い掛けると決まってこういった返答をしてくる。風情の解せない奴ではある。が、こればかりは仕方なかろう。元よりレイ・ヘンラインも、彼女に使い捨ての実験兵器以上の役割は与えるつもりも無かった。
諦めてコーヒーを啜る。基地や研究所で出された物よりもよっぽど上等な味だ。苦み、渋みも程良く抑えられていて、大多数の消費者が求めるであろうコーヒーの味という物をよく追求している。
「……なるほど。美味いじゃないか」
ただ、好みの味ではない。そこまでは口に出さないが、カ・ガノは此方の胸中を知った上で得意げに笑っている様にも見えた。
「美味いだろ?」
「ブレンドではないな。裏の畑で穫れた豆、だったか?」
「その通り。純度100%、混じりっけ無しだ。それっぽい味のする粉末をブロックに固めた代用コーヒーなんざ目じゃねぇだろ」
「それで、こんな物で持て成してくれるのはいいが、俺をこの辺鄙な場所に招待したんだ。早々に其方の用件を聞こう」
「話が早くて助かるぜ」
「お互い、時間は惜しい。手短に済ませよう」
レイは手帳を取り出す。元々、此処には商談ついでに“ある用事”を済ませようと考えていたのだ。時間通りに進めねば、歯車が回らなくなってしまう。そうなっては、何の為に天体観測でもするのかといった風情の望遠鏡を此処まで同行してきた部下に持たせたのか解らない。
「本題だが、つい最近、帝国大図書館が大火事になっただろ。あの図書館な、国民の連中も使っていたらしいぜ」
「その点について、何か?」
「それがよ、ヘンラインの旦那。出版業にも手を付けようと思ってな。出資者であるあんたに、助言を請いたい。図書館が焼けたのも、どうせあんたらの子飼いの連中なんだろ?」
「俺はあくまで
EARTHの技術者だ。与り知る処では無い」
詳細な内容はレイの耳にも届いていなかった。普段なら従順な部下達が逐一報告してくれるものだが、今回に限ってはそれが無いのだ。
「そうかい。まぁいいさ……あんたが出版しようとしてる本を見せてくれるか」
「……ふむ」
「俺はな。MAIDが大嫌いだ。どいつもこいつも命が無限にあると勘違いして、俺達の遣る事を邪魔して先に遣っちまう。人間はいつか、何もしなくなっちまう。それじゃあ駄目だろ? そろそろ目を覚ませてやる必要がある。どうよ。あんたの本、MAIDの真実を出版してみたいとは思わないか。内容次第じゃ、宣伝も請け負うぜ」
曇る表情のレイをよそに、カ・ガノは乗り気だった。
「魅力的な話ではある。が、些か性急だな。まだ契機と見るには早すぎる」
「何故だい?」
「帝国大図書館が焼失したという事実は即ち、国民の生活基盤の一端を担う、知識の部分が大きく欠けた事を指す。そうなれば、新しい書物の刊行に対して、帝国政府は慎重になるだろう」
帝政主義団体であるレンフェルクの動きが、ここ最近は特に活発だ。歴史的書物が黒旗のMAIDによって焼かれたという話が広まっているなら、必ず彼らは紙面媒体による情報について敏感に動く。国民を制御する術を手当たり次第に模索し、実行している彼らなら、必ずだ。どの国でもそれは変わらないが、帝国は特に排他的に動く。レンフェルクの大元である皇帝派、そしてその政敵に当たる宰相派、そのどちらもが、今や国家の主導権を握ろうと躍起になっている為に、他国から伸びる手を排除したがる傾向にある。
「特に、執筆者が国外の出身であるなら尚更だ。国家転覆を狙っていると思われてしまう」
部外者であるレイ・ヘンラインが書物を刊行すれば、それは自殺行為にも等しい。ましてや『MAIDの真実』は内容が内容なだけに、余計にきなくさい争いに巻き込まれてしまう。本来の目的たるMAID不要論の定着どころか、暗殺の為にそこかしこからMAIDを差し向けられ、逆にMAIDの対人戦における有用性を証明してしまうだろう。そうなってしまっては本末転倒だ。
「……下手をすれば、俺はこの本が出回る前に消されかねん」
カ・ガノは相変わらずその表情を崩さなかった。
「因果な商売を遣ってるあんたが、手前の命の心配たぁ。コーヒーを飼い犬に毒味させた事といい、今更臆病風にでも吹かれたのかよ」
「そうではない。ただ、遣るべき事を成し遂げるまでは、その成果を見届けるまでは死ねんのさ」
「後釜なんざ幾らでも居るだろうに。人間は
一人で事を為すには弱すぎる生き物だ。なまじ理性なんて面倒な物を持っちまったから、出来る事が増え過ぎちまったんだよ」
云い方は回りくどいが、要するに「さっさと見せろ」と云いたいのだろう。
「なら、賭けをしてみるか」
「どんな賭けだい?」
「俺を倒せば出版してもいいぞ。但し、俺がくたばる前に増援が来たらお前の負けだ。その時は、出版の話は取り止めにする。どうだ」
今こそ好機だ。合図する。シザーリオが反エタニウム水晶剣、アシモフとブラッドベリを構えた。同時に、レイは拳銃をホルスタから抜き取り、カ・ガノへと発砲する。カ・ガノは身体を反らして銃弾を避けた。彼の後ろにあった額縁の中心に、穴が空く。
「穏やかじゃないな。……琴音、ちょっと荒事になるかもしれん。ゴーガと一緒に、ずらかってくれ」
「かしこまりました」
部屋の奥の暗がりから女性が現れ、カ・ガノは脱ぎ捨てた上着を彼女へ投げた。女性の正体はプロトファスマの雌だ。秘書の様な服装で身分を偽っているが、EARTHでその顔は知れ渡っている。女性は暗がりの奥へと走り去って行く。
「何処で調べたんだか。ホント、いい性格してるぜ。あんたは」
「俺が何も知らないとでも思っているのか。カ・ガノ・ヴィヂ。お前の経歴、経緯、隠し持った殺意、全てお見通しだ。MAIDを殺せる程の能力があるのか、試させて貰うぞ」
「それについては、心配にゃ及ばねぇさ。活動範囲が狭いだけで、俺は無能じゃない」
カ・ガノが腕から幾つもの黒く細長い刀を生やし、シザーリオの攻撃を受け止める。すかさずカ・ガノはテーブルからマグカップを引っ掴み、シザーリオの顔面へ投げ付けた。すっかり冷め切ったコーヒーが、周囲に飛び散る。シザーリオは拳を突き出してマグカップの直撃を避けた。目潰しに失敗した事もお構いなしに、カ・ガノは懐から拳銃を引き抜き、先程のレイを真似てシザーリオの額を狙い撃つ。
「――!」
シザーリオもまた、銃弾を黙って受け入れる性質ではない。咄嗟に飛び退き、銃弾を回避する。黒刀は次々と、シザーリオの急所へと投げられた。シザーリオがマグカップの破片を蹴り飛ばしてそれらを逸らす。軌道を歪められた黒刀は壁へとぶつかり、砕け散った。
レイは内心、苛立っていた。こんな戦い方は人間では真似できない。空間把握能力、反射神経、その他様々な要素に於いて人間を凌駕する動きを次々とされては、参考になるデータが取れないではないか。
「それにしても、手持ちの人形はこいつだけか? EARTHのお偉いさんにしちゃあ随分と質素じゃないか」
シザーリオは間髪入れずにカ・ガノへと肉薄し、黒刀を掴み、へし折った。すぐに使える武器を持っていないカ・ガノはシザーリオの顔を掴み、テーブルへと叩き付ける。テーブルはシザーリオを中心に、真っ二つに割れた。カ・ガノが再び懐から拳銃を取り出す。凶弾はレイへと伸びるが、むざむざやられる訳にも行かない。レイはすぐさま曲がり角へと逃げ込む。
返答を待っているのか、カ・ガノは拳銃をカウボーイがよくやる様に、人差し指をトリガーガードに引っかけて回転させている。
「俺もMAIDが嫌いでね。MAIDを殺す為に、沢山のMAIDを作っては本末転倒だろう?」
「腐っても英雄って事か。抱え込みたくなる性分は病気みたいなもんだぜ。駒が少ない、これ以上作りたくない……その二つの問題を解決する、たった一つの冴えた方法を教えてやんよ」
「云ってみろ」
レイは衣擦れの音を抑えながら、壁から身を乗り出す。
「奪えばいいのさ。他の連中から奪って、使い捨てちまえ。あんたはそれが出来る立場にあるだろ? 何故それをしない」
「御託は無用だ。去ね」
シザーリオが背後から剣――アシモフを振り下ろす。
「ノロマが。当たんねェぜ」
カ・ガノはそれを、拳銃の横腹だけで受け止めた。
「愚図は貴様だ。汚物を消毒する為なら、俺は手段を選ばん」
本当に、カ・ガノは愚図だ。室内での戦闘に夢中になり、部屋の外に配置した援軍の気配にも気付いていないらしい。レイは通信機の発信ボタンを三度押す。同行してきた部隊への合図だ。数秒もしない内に、カ・ガノはそれまでとは打って変わって、落ち着かぬ様子で辺りを見回し始めた。
「……超音波か。前大戦での骨董品を有効活用しようって研究は知ってたが、あんた等が持ってたのか」
「“奪って使い捨てる”為にな」
カ・ガノが音を頼りに動くというデータを得たのは今から2ヶ月程前だ。EARTHにてその調査内容が明らかになるや否や、レイは
ルージア大陸戦争当時に研究されていた超音波発生装置を手配するべく、すぐさま黒旗に連絡を取った。骨董の趣味でもあるのか、黒旗がこの装置を入手、配送する迄に然程時間は掛からなかった。
「ははっ、しゃらくせぇぜ! 俺がこの程度で“めくら”になるかよ」
嘲笑うカ・ガノに、レイは拳銃弾を何発か浴びせようと試みた。が、それらが届く前に、カ・ガノは放たれた銃弾を逆に撃ち落としてしまう。横合いからシザーリオが懐を狙って剣を突き立てんとするが、それもまたカ・ガノは蹴り飛ばして防いだ。流石に大きな銃声までは、遠方より届く微弱な超音波で誤魔化しきる事は難しいか。消音装置を購入しておくべきだったと、今更ながらレイは後悔した。
「プロトファスマっていうのはよォ。もっと、お前等の想像を超えた、おぞましい怪物でなくちゃ、人類最大の脅威でなくちゃならない訳だ。人の姿でありながら人知を越えた力を持った存在は、この世界に恐怖をもたらす者として相応しいだろ?」
カ・ガノが割れたテーブルの片方を放り投げ、そのままテーブル越しに銃弾を放って来る。銃弾が頬を掠めた。
「そら、ツラを貸せよ教授さん。“出版して下さい、お願いします”と云うまでブン殴ってやる。あんたの飼い犬と一緒によ!」
「飼い犬か。シザーリオと呼んで遣ってはくれないか。それに犬扱いより備品扱いの方がしっくり来る」
頬を伝う鮮血を拭う。カ・ガノの銃は特に細工が施されている訳では無さそうだ。今の所、この身体に変調も見られない。
「犬の方がいいだろうが。温もりがあるだろ。何処までも冷たい奴だぜ」
「云っていろ」
冷徹で結構。陽光は既に死に絶え、後に残ったのは暗く冷たい静寂のみだ。温情など、今の世の中では何ら意味を為さない。特に、レイ・ヘンラインという孤独な男は事を成し遂げるに際して、人の手を借りる事はあっても人と心を通わせる必要性が無いのだ。この世からMAIDを物理的、社会的に一掃するという目的の為なら、魂を凍らせてしまっても良い。
外よりやってきた銃弾が窓を突き破り、カ・ガノの肩を貫く。
「――ぐおぉ!」
「生易しい一騎打ちを期待したお前の負けだ。カ・ガノ」
「ちょ、タンマ。今のはどうやった。いつの間に狙撃手を配置した? 俺の部下が外には大勢居た筈だ。まさか、全部片付けちまったのか!」
よくよく詰めの甘い男だと、レイは嘲笑した。Gは人間の手で充分に殺傷可能な部類である。包囲網を作る前に、手配した部隊が掃討していた。車のエンジンを掛けたままにしたのは、Gの断末魔がカ・ガノの耳に入るのを防ぐ目的もあったのだ。
此処までは順調であったが、ドアを開けて現れた軍人の姿がレイの頭を抱えさせた。
「――いつからだと思うか?」
ヴォルフ・フォン・シュナイダー大佐。レイが身を置くEARTHの統括組織、G-GHQに所属している。そんな彼は、MAIDを何体か引き連れてこの場に現れた。
「指示と違う弾薬を使うから誰かと思ったが……ヴォルフの坊やか。横槍とは趣味が悪い。何が目的だ。狙撃部隊は俺の采配の筈だが」
「知る必要はない。貴官は与えられた任務を全うせよ」
「若造が。背伸びも程々にしておけよ」
レイは久々に怒りを覚えた。余計な手出しをされては此方の目的が果たせないではないか。カ・ガノは不穏な気配を感じ取ったのか、頭を掻きながらばつの悪いといった表情で後ずさる。
「やれやれ……こりゃあ取引どころの騒ぎじゃなさそうだ。俺はこの辺でお暇させて貰うぜ。もうデータは充分だろ?」
「ああ。帰っていいぞ」
レイは、カ・ガノに攻撃を加えようとしたMAIDの一体に銃を突き付け、制する。困惑したMAIDの表情が実に疎ましい。
「お目こぼしに感謝するぜ。じゃあな」
カ・ガノは銃弾の飛んできた窓へ飛び込み、外へと脱出する。ヴォルフはひどく慌てた様子で窓から身を乗り出し、発砲し続けた。
「待て!」
「待てと云われて待つ奴は素直なガキだけさ! 鬼さんこちら! 悔しかったら俺のケツにキスしてみろ!」
それが合図になったのか、外に待機していた部隊も次々と銃弾を放つ。恐るべき事に、カ・ガノはその銃弾の悉くを走るだけで避けきった事だ。やがてカ・ガノは包囲網を押し退け、急流へと飛び込み姿を消した。暫くは水面へ銃弾の雨を降らせていたが、それも終わる。窓から様子を見ていたヴォルフは、焦燥と困窮を僅かに滲ませながら、レイへと振り向く。
「ヘンライン……何のつもりだ」
「データ収集だよ。現状どれ程の労力でプロトファスマが倒せるのか、気になるだろう? それに、互いに協定を結んだ上での戦いだ。牙を剥かないならば、彼らは極めて大人しい部類だよ」
黒旗からも、カ・ガノを殺傷しない様にと指示を受けている。だからと云って事故に見せかけて殺すといった手段に出るつもりも、レイには無かった。
カ・ガノはMAID依存により生まれた汚点“303作戦”の貴重な生き証人だ。彼には生き延びて貰う必要がある。いずれ彼が復讐と称して全世界に303作戦の詳細を公表する迄は。
ただ、あのカ・ガノにしては珍しく、今回の件は早まった結論を出してしまった。レイが執筆中の本『MAIDの真実』に目を付けたカ・ガノは、EARTH主導のカ・ガノ暗殺作戦に敢えて乗じてレイ・ヘンラインを呼び出し、出版を迫ってきた。故に超音波発生装置のテストも兼ねて、牽制する必要があったのだ。順序は守って貰わねば。303作戦の公表こそが最初のステップである。MAIDの真実はその後だ。
ただ、万全な下準備と根回しで、自分の息の掛かった者だけを集めたにも拘わらず、こうしてヴォルフが割り込んできたという事は、そろそろレイの地下活動がEARTHにも嗅ぎ付けられていると考えるべきだろう。
「正しい結論を得る為には少しばかりの遠回りが必要だ。時間は限られているからな。繊細な作業だよ」
「下らん。その正しい結論とやらの為に犠牲者を増やすつもりか」
「生き急ぐなよ、青二才。俺がしている事は、犠牲を出さぬ為の施策だ」
――とはいえ、何をするにも犠牲は付いて回る。これでは詭弁だな。
自嘲しながらも、決して持論を曲げるつもりはレイには無かった。
「それで、上には報告を入れるのか?」
「無論だ。プロトファスマとMAIDを戦わせた時、只の人間がどれだけの有効打を与えられるか。MAIDでなければ倒せないという結論が出ては意味が無い」
「幾ら足掻いた処で、MAIDを人間が凌駕する事など有り得ない。この忌々しい事実は覆せん」
「そうかな? MAIDが人間より優れている点は身体能力だけだ。物量と技術で幾らでも覆せる事を、お前は諦めているんだよ。MAIDはいつの日か、必ず廃れる」
通信機がピープ音を鳴らす。此方の身内だ。
《こちら
グリーデル王国陸軍第23中隊クローム・ケイジ。雌のプロトファスマらしき個体を捕獲。逃走した目隠し男は気付いていない模様です》
「よくやった。捕虜として丁重に扱え。コア出力抑制装置は?」
《装着済み。輸送車両へと運び込みます。行き先は?》
「俺のラボだ」
《では、報告書の作成はお願いします。軍部へは我々が説得しておきますので》
「了解した。素晴らしい功績だぞ、クローム・ケイジ。戦争の極意をあの世間知らずの盲目男に教えてやろう」
《意地汚い御仁ですな、中佐殿も。アイスマンの渾名は伊達では無いらしい》
「戦争は人間がするものだ。俺は、遊び半分でその真似事をしている連中が許せないだけだよ。以上、通信を終える」
《我々に御加護を》
ヴォルフは呆然としていた。MAIDとGを主眼に置いては、この戦争の本質など見抜けはしないのだ。Gという鴨撃ちの的と、利益を生むMAIDの背面には、人間の欲望が必ず息を潜めている。
「MAID抜きでもプロトファスマとは渡り合える筈だ。俺はそれを証明したい。ヴォルフ。お前は安全地帯から眺めているだけでいい」
イトネ・ヴァ・ネーヴァの処遇は既に決めてある。今後は彼女を人質に、カ・ガノを制御下に置く。彼もまた、存外に甘い。自らの目的のために仲間を斬り捨てるという決断を下せる程に、彼の血は冷め切っていないのだ。必ず取り返しに来るか、此方の要求に従うだろう。
軍部には研究の為にラボへ移送すると報告するが、実際には檻の中に閉じ込めておくだけだ。後はキング・ラプチャーが紳士的に持て成して、カ・ガノとイトネ両名の機嫌を取ってくれる筈だ。
「お前が深淵を覗き見ない限り、深淵もまた、お前を見返す事は無いだろう」
「私が何も知らないと?」
「それでいいんだ。お前の役割は水面の白鳥であって、水底のヤドカリではない」
最早、人類最大の脅威など存在しない。今度こそレイ・ヘンラインは勝利を確信した。未だ遠方だが、霞んではいない。
最終更新:2011年11月10日 15:09