12:煙る大地

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 降り注ぐ砲弾がもたらす爆音と、蠢動する異形の嘶きとが音の領域を支配する。
 鳴り響く銃声や砲弾と共に、宙に散る硝煙が視界を埋め尽くしている。
 そんな戦場で、ただ一組の人型が対峙していた。

「交渉決裂、だな」

 黒衣の男は肩をすくめてみせた。
 もともと彼女を仲間に引き入れることができるとは思っていなかった。
 男にとってこれはあくまでも、己の中に流れるヒトの部分と決別するための、儀式のようなものに過ぎない。

「戻ってきてちょうだい。 ヤヌス、今ならまだ―――」

 相対する黒金の戦乙女が半歩を踏み出すと、まばゆい金髪が重厚な甲冑の上を流れた。
 感情の赴くままに、少女のように、かつての仲間へと懇願する。
 しかし、そこから先の言葉は出てこない。
 ……もう全てが遅きに失しているのだと知っているから。

「戻れねえよ」

 きっぱりと黒衣の男が拒絶する。

「もう昔のようにはいかないのさ。 何もかも変わってしまった。 お前はMAIDで俺はG……はじめから分かりきってたことだろう?」

 黒金の戦乙女は堅く口を結ぶ。

「さっきの話にしたってそうだ。 お前がなびくなんて思っていなかったさ。
 ありゃあ、ただの気まぐれ……いや、再確認だ」

 しかし、これではっきりしたな、と。

 黒衣の男の口元が、にいっと半月型に開いた。 

「俺たちはもう、絶対に相容れない」

 瞑目する黒金の戦乙女は、これにどう応えるべきか思案する。
 否……黒衣の男がそうと決めていたように、答えは最初から、互いの道を違えたときから既に決まっていたのだ。

「―――貴方がそちら側に立ち、私はこちら側に立った」

 黒金の戦乙女は静かに目蓋を開くと、下げられていた重槍の切っ先を黒衣の男へと向けて突き出した。

 ……自らが為すべき事を為す。

 この命は失われた戦友たちに立てた誓いを果たすために捧げると決めたのだから。

「それでいい」

 満足げに男は呟いた。
 黒金の戦乙女と対峙する黒衣の男もまた、肩に担いだ黒い刀をゆっくりと掲げ、刃を水平に倒して構えをとる。

「貴方は、私の、帝国の―――」
「お前は、俺の―――」

 重なり合った言葉が、緊張の臨界点へと向けて収束していく。   

「 敵 となった!」
「 敵 だ!」

 不可避だった戦いの火蓋は、こうして切って落とされた。
 303作戦の日を境に道を違えた二人にとって、選択の余地などはじめから存在しなかったのだ。 

 ……一度すれ違ってしまった軌跡(ローカス)は、二度と交わることはない。






 ―――世界が白く溶けていく。
 ややあって認識の内側を埋め尽くしていた白い光は反転し、溶け出していた思考が熱を持って凝固していく。

 ……

 終わりを告げた光景は白昼夢だったのだろうか。
 その答えを得られないまま、カ・ガノは現状へと意識の軸を戻す。

「いい加減、大人しく退治されちゃった方が楽だと思うんだけどな~?」
「ぶっちゃけると、私らもそろそろ疲れてきたし」

 カ・ガノは怒りでハラワタが煮えくり返りそうな思いだったが、ローゼとレーゼの安い挑発に応えてやるだけの余力もなかった。
 ただ迸る怒りに身を震わせながら、体力の回復を待つのみである。

「くそがぁ……ッ! なんでだ! なんで……!」

 そこから先の言葉が出てこない。いや、カ・ガノは出せずにいた。
 こと現状に至るまで積み重なってきた疑問符に対する解答を、カ・ガノは導き出せずにいた。
 パワーも、スピードも、テクニックも、タフネスも、戦場における駆け引きも、経験値の総量もなにもかも。
 およそ全ての項目で自分が引けを取る点がない。
 しかしながらそんな自分が、この双子を相手にして一方的に打擲され続けているという信じがたい現実がある。
 コンビネーションの妙技で片付けてしまうには、あまりにも開きすぎている格差。

「このまま闇雲に仕掛けても結果は同じだ…… なにか、なにかカラクリが有るはずだ―――!」

 カ・ガノ・ヴィヂは考える。思考を総動員して身体で得た情報を精査する。
 まず、やられっぱなしの身分で言うのもなんだが、双子の動きは洗練されているとは言いがたい。
 一言で表せば、がむしゃら。荒さが目立つ未熟なものだ。
 自分のように実戦の只中で身に付けた戦技でもなければ、高度な訓練によって鍛え上げられたものともまた別もの。
 高い身体能力に比すると練度はお粗末なもので、新兵に毛が生えた程度のレベルと断じざるをえないだろう。

 だが、連携能力は極めて高いと言わざるをえないな……

 双子のMAIDということで、おそらくは連携能力という一点に関して、特殊な意思疎通の力が作用していると見て間違いない。
 それがどんなものなのか、エターナル・コアに由来するものなのかは判断しかねるが……

「それに斬り合う度に感じた、あの違和感はなんだ? なんで奴らは常に俺より一歩先んじることができる?
 奇襲をかまそうとすれば既にその場から消えているし、斬り掛かろうとすれば先に槍が振り上げられている……」
「なにブツブツ言ってるのさ。 そろそろ終わりにするよ!」

 咄嗟にカ・ガノは跳ね上がるようにして体を起こすと、転がって声がした方から距離を取った。
 直後、腹の底に爆撃のような音が響いたかと思うのと同時に、カ・ガノがいた場所には、地面に深々とグングニルを突き刺したレーゼの姿があった。
 レーゼは攻撃から逃れたカ・ガノを視線で追うと、

「もう動けるまで回復してるんだもん。 ヤになっちゃう!」

 吐き捨て、駆けだした。
 次いで追撃を仕掛けてきたローゼから逃れるために、再びカ・ガノは壁の内周を沿うようにして移動を開始した。
 動けるようになったとはいえ、未だ癒えきっていない体の回復を優先するために交戦は避ける。

「また鬼ごっこする気なの? 往生際が悪いよおっさん!」

 ローゼの罵倒を聞き流しつつ、カ・ガノは思考の海に埋没する。
 そもそも先制行動は、異常聴覚に由来する聴覚レーダーを持ったカ・ガノこそが専売特許とする筈なのだ。
 カ・ガノという男は、忌むべきGに喰われて融合を果たしたことで、元来持ち合わせていた異常聴覚を、聴覚レーダーという名の一器官にまで昇華させた。
 その結果はるか遠くの音をも関知し、聞き分けることができるようになった。
 目が見えない故に、たとえ視覚情報を遮断された状況下でも、それに捉われることなく存在を認識し続けることができる。
 それだけではない。
 カ・ガノは相手の心臓の鼓動から、相手が置かれた心理状態にある程度のアタリを付けることができるし、筋肉の収縮する音や骨の摩擦音を聴き分けることで、実際に相手が行動を起こす前に、その行動を正確に察知することもできる。
 つまりこのに2点をもって、相手に対する先手を打てるというわけだ。
 これが特に近接戦闘時におけるカ・ガノの強みであった。
 多少、身体能力に差があろうとも、相手よりも早くスタートラインに立つことで、その差を覆すことが―――

「まて……まて、まて、まて。 何かおかしくないか?」

 カ・ガノの中で、何かが繋がりつつあった。 
 まず明らかに、身体能力に関してはカ・ガノの方が上回っている。
 そのうえカ・ガノは聴覚レーダーを有しているのだから、先制行動を起こすうえで絶対的優位にあるはずなのだ。
 しかし、ここ至るまでの一連の攻防では、そのことごとくが覆され続けてきた。
 それは何故なのか?

「まさか、な」

 相手の行動を先読みすることが出来る自分に先んじるということは、聴覚レーダーにも勝る能力がない限り不可能だとカ・ガノは考えた。
 もちろん、あの双子がそんなものを持っているはずがない。
 ……仮にあの双子が聴覚レーダーを持っていたとしても、それでは互いに五分と五分。
 条件が互角になるだけであって、自分だけが一方的に打ちのめされる現状に説明が付けられない。

「ありえん。 が、しかし」

 カ・ガノが頭を振った。

 奴らがレアスキル持ちだとして……。

 最悪の想定がカ・ガノの頭を過った。

 エターナル・コアの能力で、こちらの思考が読み取られているという可能性が有力になるか?

 ……いや、答えは否だ。それだけはあり得ない。
 俺の考えが筒抜けになっているのであれば、この二人が“このまま大人しく壁の中に留まっているはずがない”し“この現状に甘んじているはずがない”のだ。

「くそ、何か見落としているはずだ! 」

 次々と繰り出される双子の攻撃をカ・ガノは紙一重でかわしていくが、グングニルの巨体が掠めていくたびに感じる、絡みつく暴風のような圧力によって精神が減殺されていく。
 カ・ガノは動き回りながら、どうにか意識を思考の海に繋ぎ止めて考え続ける。
 こうやって回避に専念すれば、とりあえず双子の攻撃はかわすことができるのだが、

 しかし問題なのは……

 カ・ガノが自分から攻撃を仕掛けたときに、かなりの確率で双子から反撃を受けてしまうことだ。

「まさか全部、俺の攻撃が起点になっているのか?」

 まっさらになった思考の底から、そんな可能性が浮上してきた。
 しかし回避するほかは、思考と分析に殆どのリソースを割いていたカ・ガノへ、ローゼの突きが連続して繰り出される。

「だありゃっしゃーッ!!」

 気合いの叫びと共に、一撃、二撃、繰り出される刺突を、カ・ガノは身体を揺らして避けた。
 そして締めの三撃目―――先の二撃よりも、深い踏み込みからグングニルが突き出される。
 対するカ・ガノは左足を軸にして右足を後方へと送りこみ、ローゼに対して身体を斜めにした半身の構えをとると同時に、突き出されたグングニルを左掌にすくい上げるように載せて、その穂先を自身の右後方へと受け流した。

「あれ、れ!?」

 ローゼは突貫の勢いそのままに、ほんの僅かだけ進路を逸らされて、グングニルを突き出した姿勢のまま、カ・ガノの胸先三寸を通過させられることになった。
 交差する一瞬、ローゼは驚愕した面持ちのまま、ケープが揺れる自らの肩越しにカ・ガノへと視線を向ける。
 カ・ガノはグングニルをすくった左掌をさらに後方へと流して、ローゼの身体をより懐の深くまで誘引。
 軸と据えた左足に右足を寄せて、半月の弧を描くように前方へと踏み出しながら身体を捩って―――

「―――ぐわッ、ふぅ!?」

 地を踏みしめていた筈の足裏が、急にその圧力から解き放たれたのとほぼ時を同じくして、カ・ガノの平衡感覚が真っ逆さまに入れ替わった。
 床へと叩き付けられる強かな衝撃が背中に広がったことを感じて、はじめて認識が現状に追い付くと同時に、カ・ガノは一つの疑問を抱いた。

 足払いだと……ッ!?

 そのうえで自分の置かれた状態を改めて認識し直すに至る。
 眼前にはローゼ、そして頭の両側面には彼女のブーツがあり、左右のつま先が両肩に軽く当たっている。
 さっきまでは身長差の関係で見下ろしていたローゼを、今は挟まれた両脚の間から見上げる格好となり―――そして時は凍りつく。

「の、の―――」

 カ・ガノの優れた聴覚が、ローゼの全身がわななくのを捉えた。
 全身の筋肉が収縮して、

「の、の、の!! 覗くなヘンタイッ!!」

 赤面しながらレーゼは叫んだ。
 仰向けに倒れ臥して、スカートの中を凝視する格好となっていたカ・ガノの顔面に、ブーツを連続で振り降ろしてスタンピングする。

 待て! 目が見えてないから言いがかりだ!

 と、叫びたくなる衝動を抑えながら、必死に首を左右に振って、スタンピングを回避するカ・ガノ。
 厚い靴底が側頭部を何度も掠める。

 だいたいだなぁ、とカ・ガノは前置きしてから、

「好き好んで短いスカート穿いてるくせに、ぎゃあぎゃあ喚くんじゃねぇ!」

 そこへ横合いから音もなく現れたレーゼがグングニルを振り下ろした。

「!?」

 文字通り大地が割れる轟音が鼓膜に飛び込んでくると、もうもうと土煙が立ち上った。

 マジかよ……

 飛び退いてその場から逃れたカ・ガノが、愕然としながら双子を睨み付ける。

「このヘンタイ! 変ッ態! どヘンタイ! 頭かち割れて死ね!!」

 スカートの中を見られたのがよほど腹に据えかねたらしく、ローゼの怒りは収まる気配を見せていない。
 レーゼはというと、地面深くにめり込んだグングニルを引きずり出しているところだった。
 まともに食らっていたら、ただではすまなかったはずだ。
 ダメージらしいダメージを負わないで、あそこから抜け出せたのは不幸中の幸い―――

「いや、まてよ……」

 数瞬、思考したのちにカ・ガノは蒼白となって固まった。
 まるでネジが切れてしまったゼンマイ仕掛の人形のように静止してしまったのだ。
 頭の中で今し方思い付いた何かを反芻しているかのようにも見える。



「クククク―――」

 しかし愕然としていたのは、ほんの一時であり、表情に平静さを取り戻したカ・ガノは、一息を吸い込み、

「ーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!」

 次の瞬間、叫ぶようにして言葉を吐き出した。

「!?」

 あまりの勢いにローゼとレーゼは反射的に怯んだが、

「な、なんだとーー!!」

 顔がみるみると怒気に染まっていき、すぐさま沸点を超えた。

 何故か?

 答えは単純だった。
 カ・ガノはローゼとレーゼに対して悪口を言ったのだ。それも、常人には聞き取れないぐらいの早口で。
 ただ純粋に。目の前の少女たちを侮辱し、蔑み、激昂させる目的で。
 彼が思い付く限りの、聞くに堪えない罵詈雑言を駆使して、雨あられと浴びせかけたのだ。
 高密度に圧縮された罵倒の連続。
 それに対する当然の反応としてローゼとレーゼは激怒している。
 しかしカ・ガノは今にも飛びかかってきそうな二人に対して、

 まあ、待て。

 とでも言わんばかりに、無言で手の平を掲げてローゼとレーゼの動きを制した。
 それからカ・ガノは黙考する。
 再び黙りこんでしまった。

 注意深くその様子を窺っていたローゼとレーゼだったが、二人は顔を見合わせると、再び攻撃を仕掛けようと決心をしたところで、カ・ガノがゆっくりと肺に息を溜め込み、

「ーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!」

 再び叫びにも似た勢いで言葉を羅列した。

「ひゃああああ//////」

 あられもない悲鳴ともとれない声をあげて、先ほどとは打って変わった反応を見せたローゼとレーゼ。
 彼女たちの頬には朱の色が挿し、瞬間的に上気した顔には、先ほどまでの怒り一辺倒とはまた違った、困惑のような表情が浮かんでいる。
 カ・ガノは先ほどと同様に、常人にはまず聞き取れないほどの早口で喋っていたのだが、その内容は、

「いやいやいや、大したもんだぜ嬢ちゃんたち。 驚いた、あぁ、参ったぜ。 反吐が出るほどすばらしいチームワークだ。
 なぁ、おい? なんだ、その、秘訣ってやつを教えてくれないか?
 あれか、もしかして夜も二人で裸で気持ちいいところを触りあって団結を深めてるのか?
 ハハッ、いや、それとも同じ男を二人でマワして楽しいことでもしてるか? かーッ! いいなぁ、えぇ? できれば俺がその男役になりたいもんだ。
 ちょうどいい、誰も見てねぇんだ。 ちょっとだけおじさんと遊ばないか?
 こう見えてけっこういいテクニック持ってるんだぜ。 知っての通り、こちとら化け物の身だ。 お好みに合わせてカタチも大きさもある程度なら自由に変えられる。
 きっと病み付きになること間違いなしだ。 天にも昇る心地だぜ?
 なぁ、おい、えぇ? どうだよ可愛い嬢ちゃんたちよぉ?」

 こんな感じである。

「い、い、いい、い、いきなりナニ言い出すか! へ、へんたい! ヘンターーーイ!! はんた~~~い!!!」
「このオッサン最低だよ! おっさんサイテーだよこの!!」

 いきなり鼓膜を突き抜けて、頭の奥まで突き刺さった淫靡な言葉の数々に、取り乱しまくっている二人の乙女。
 テンションゲージはMAXまで上がりっぱなしだ。
 カ・ガノの言葉は全てデタラメな言いがかりであり、ローゼとレーゼには淫蕩にふけった覚えなど無いのだが、これが逆にいけなかったらしい。
 知識ばかりが偏って先行してるくせに耐性はまるで出来ていない、思春期まっ盛りな純真すぎる少女たちには、彼の言葉は刺激が強すぎた。

 しかし当の本人。
 過激な言葉を投げつけたカ・ガノ自身は、ひどく冷静な思考と共に彼女たちを眺めていた。注意深く舐め回すかのように観察する。
 あまりに温度差の激しい思考の変化の先に、カ・ガノはある一点を見定めようとしていた。 
 しかして、幾らかの時間を思考の海に埋没していた後に、カ・ガノは小刻みに震えだして、

「はっはっははっははは!!」

 やがて肩を上下に揺らした大笑いをしはじめたのだった。



「そうか、やっぱりな! そういうことかよ! はっははははっ!!」

 カ・ガノの豹変ぶりに、ローゼとレーゼもぽかーんとして顔を見合わせている。

「いやぁ、しかし、これではっきりしたなぁ……まったく、反則が過ぎるぜ糞ガキ共が!」

 唐突すぎるカ・ガノの物言いの意味が、ローゼとレーゼにはまるで分からなかった。
 カ・ガノの意図するところが、まるで見えてこない。

「なぁ、おい、お嬢ちゃん方。 俺が今なにを考えているか分かるか? ん?」

 カ・ガノはなおも愉快そうに、それでいて呆れているような、酔っぱらっているような、とにかくハイなテンションで二人に絡んでくる。

「分かるわけがないよなぁ?」

 ずずいっと身を乗り出すカ・ガノに気圧されて、ローゼとレーゼは思わず一歩身を引いていた。
 カ・ガノの貌から狂気じみた気配が滲み出ているような、そんな気がしたのだ。

「知ってたかお嬢ちゃん?」

 カ・ガノは語りかける。

「さっきお嬢ちゃん方に喋った内容はなぁ、“あらかじめ俺が頭の中で思っていたこと”を“あらためて口に出した”だけだ」
「……?」

 意味が分からないといった双子の様子を認めて、カ・ガノは笑いを押し殺すようにして言葉を続ける。
 さっきはよくもやってくれたなと、特にローゼの方へと顔を向けて、

「実はな、俺は盲目なんだよ。 目なんか見えちゃいない。
 だからなぁ、股ぐらに顔を突っ込まれたぐらいでピーピー騒ぐ必要なんてなかったのさ」

 どうだい?、と。

 カ・ガノは異常聴覚というアドバンテージは伏せつつも、あまりにも唐突に、あっさりと盲目という自分の欠点を暴露した。
 今度はレーゼを指差して、

「ところでお前、さっき俺の足を払ったよな。 あれはなんでだ?」

 カ・ガノの言動はさっきから二転三転して論点が飛び回っている。
 一見するとただ錯乱しているだけで、その言動にはなんの意味も脈絡もないように見える。

「わざわざ足払いなんて面倒くさい小技をかけるくらいなら、ご自慢の槍で俺を叩くなり貫くなりすればよかったんだ。
 そっちのほうがよっぽど手間が掛からない。 違うか?」

 だがしかし、カ・ガノは確実に一つの結論に向かって突き進んでいた。
 そこに気が付いたからこそ、ローゼとレーゼも口を挟めることが出来ないでいる。

「お前は“知っていた”んだ。
 俺がこっちのお嬢ちゃんに“回し蹴り”しようとしていたことを、な」

 力強くカ・ガノは断言した。
 ローゼとレーゼが一瞬、身を強ばらせたのを見てとったカ・ガノは、さらに確信を深める。

「そっちの嬢ちゃんへの攻撃を確実に阻止する、目的はそんなところだろう?」

 膂力に勝るカ・ガノの攻撃をまともに食らってしまえば、細身な少女達にとっては致命傷となりえる。
 だからこそリスクを避けるために、より攻撃を阻止する確実性が高い、足払いという手段を選んだのだろう、と。

「だがな、結果的にそいつは失敗だった。
 俺はな、自分でも“知らなかった”んだよ。
 “あの時点では”あっちの嬢ちゃんを蹴り飛ばしてやろうなんて微塵も考えちゃいなかった」

 含みのある物言いに、ローゼとレーゼはわずかに首を傾げた。
 カ・ガノが言わんとしていることの意味がどうにも掴めない。

「いや、少し違うか……
 正確に言えばな、あの蹴りは体に染み付いた癖みたいなもんだ。
 俺の経験則に基づいた定石の動き、戦いの定型文……まぁ、呼び方はなんでもいいさ。
 重要なのは、あの蹴りが俺にとっては条件反射の領域に過ぎない行動だったってことだ」

 カ・ガノは一歩ずつ核心部分に迫りつつある。

「つまりな、思考という過程を経ていなかったんだよ」

 カ・ガノが自分の頭蓋を指差して突いた。

「―――これが何を意味しているのか分かるか?」

 カ・ガノの回りくどい物言いは、獲物をいたぶる獣のそれと同じ嗜虐心からきている。

「初めから変だとは思っていたんだ。
 どういうわけだか、俺の行動がことごとく潰されまくったんだからな」

 徐々に徐々に追い詰めてき、絶対優位にあると思っていた者を追い落として、踏み潰して、血肉の一片に至るまで辱めてやる。
 ヒトとGの残虐な本能だけを抽出してブレンドしたような、そんなドロついた心理に基づいてカ・ガノは話を続ける。

「最初は頭の中が読まれていて、俺の考えが筒抜けなんじゃないかとも思っていたんだが……やっぱり、それは間違いだった。
 だって、おかしいだろう?
 俺が考えてもいない、意識もしていなかった行動までも読まれるってのはよぉ」

 睨み付けてくるローゼとレーゼの視線などものともせずに、カ・ガノは続ける。

「そこでな、俺は一つテストをしてみることにしたんだ。
 ……結果は思った通りだったよ。
 俺が頭の中でずっと念じていた言葉に、お前たちは全く反応を示さなかった。
 眉一つ動かしやしなかった。
 なのにどうだ? 声に出してみた途端あの大騒ぎだ」

 ここまできてローゼとレーゼにも、ようやくカ・ガノが何を言いたいのかはっきりと分かった。

「おっさん、あんた……!」
「お前たちには、俺の行動が分かる。
 ただしそれは、俺の思考そのものを読み取っているからじゃあない。
 人間―――いや生物ってのは、実は機械と仕組みが似ているって話は知ってるか?
 体が肉でできているか、鉄かって差はあるんだがな。
 大ざっぱに纏めてしまえば、どっちも電気で動いているらしい」

 カ・ガノはもう、愉快で仕方がなかった。今すぐにでも笑い出したい気分を押さえながら、

「―――お前たちが読み取っているのは、俺の中に流れる微弱な電流。
 神経細胞から筋肉に信号を伝える生体電気の流れ……そんなところだろう?」

 カ・ガノは断じた。

「得体の知れない能力も、こうしてタネが分かってしまえば大したものじゃないなぁ?」

 己が身体を張って得た情報から導き出した推論を、既に確定した事実として自ら認定したカ・ガノ・ヴィヂ。
 彼はその真偽をローゼとレーゼに問うつもりはなかった。
 彼女たちの浮かべている表情と沈黙、加速度的に早まった心臓の鼓動こそを、自らの推論に対する肯定の証として受け止めている。
 口もとを半月状に歪めて、笑みをつくったカ・ガノは、

「そして、俺の頭の中を読めないお前たちには―――これから先が分からない」



「ん? なに笑って―――」

 カ・ガノが浮かべた不敵な笑みを、ローゼとレーゼが訝しがったのと同時、戦場に予期せぬ変化が生じた。
 急に足下の地面が揺れ出したのだ。呼応するように大気も不気味に鳴動し始める。

「え、なになに? 地震?」

 揺れ幅は徐々に大きくなっていく。
 ローゼとレーゼは立っているのも難しくなってきた揺れに対して、グングニルの石突きで杖をついて踏み堪えた。
 しかも奇妙なことに、まるで震源自体が迫り上がってきているような、そんな感覚をローゼとレーゼは足裏に感じていた。

 気のせいだろうか……だんだんと“ここ”に近付いてきている?

「―――なにか来るッ!?」

 ローゼが叫んだ。
 不敵に立ち尽くすカ・ガノ・ヴィヂと、その背後に築かれたGの壁越しに、ローゼとレーゼは空を仰ぎ見た。
 そこには灰の雲と瘴気に澱んだ空が広がっている。
 しかし、その中に現れた信じがたい光景に、ローゼとレーゼの目は釘付けとなった。
 隆起した大地。
 舞い上がった大量の土砂と、それに巻き込まれた幾体ものG。
 それら全てを丸呑みにして屹立する巨大な影。

「へ―――?」

 吐息と共に間の抜けた声を漏らしたのはどちらだったか。
 大地の底から現れたのは、一見すると巨大な蛇のような……いや、伝説上の生き物である龍を彷彿とさせる姿をした化け物だった。
 全長は優に100メートルを超えているのではないだろうか。
 辺り一帯を覆っていた砂埃が風に吹かれて薄れはじめた。
 ローゼとレーゼが目を凝らすまでもなく、徐々にその特異なシルエットが明らかになってくる。

 頭部と思われる先端部分に長い鞭のような2本の触角と大顎を持ち、赤茶けた甲殻に覆われた体は多数の環節から成り立っている。
 ゆらゆらとうねる体躯と、各節の体側から一対ずつ生えた歩脚がせわしなく蠢動するさまは、生理的な嫌悪感を催さずにはいられない。 

 ムカデだ。

 その姿形は、節足動物として知られるムカデと酷似していたが、目の前にそびえ立った巨体が放つ禍々しさは、まったくその比ではなかった。
 楼蘭皇国において古くから神の御使い、または怪異なものとされているその威容は、今回は紛れもなく後者としてローゼとレーゼの前に顕現していた。
 この事態に対して、唯一超然とした佇まいを見せていたカ・ガノ・ヴィヂが叫ぶ。

「飲み込めセンチピードッ!!」

 出現地点に存在していたGたちを丸呑みにしながら、天高く伸び上がっていたセンチピードは、扁平で細長い体を捻らせて地上に反転した。
 自重と自由落下で加速を得ると、毒液にまみれた顎肢にGの残骸をこびり付かせたまま、大顎に囲われた口を開いて、猛然と地上に居るローゼとレーゼへ食らい付く。
 Gの壁に取り囲まれているローゼとレーゼに逃げ場所は無い。
 大気を引き裂きながら落下してきたセンチピードの頭部が、巨大な顎肢を先頭として地面へと突き刺さった。
 どずん、という轟音が響いて大地が振動に見舞われる。
 もうもうと舞い上がった砂埃と石礫によって辺り一面の視界が閉ざされたが、聴覚レーダーを持つカ・ガノ・ヴィヂには関係なかった。

「ハーハハハハハッハハハハッ!!」

 静止した戦場にカ・ガノ・ヴィヂの哄笑だけが響き渡る。
 彼の目となる異常聴覚は、事の一部始終をはっきりと捉えていた。
 ローゼとレーゼが声を上げる間もないまま、センチピードの口腔にすっぽりと飲み込まれる瞬間が視えていたのだ。
 完全なる勝利の確信と陶酔とが全身を駆け巡り、沸き上がる歓喜が身を滾らせる。

「ようやく、ようやく網に掛かってくれたなぁ! ハッハハハハハ!!」

 カ・ガノがGの壁を作り上げた目的は、双子を閉じ込めておくことと、自身が奇襲を仕掛ける際の壁とすることの他に、もう一つあった。
 最大戦力であるセンチピードの接近を悟られないようにカモフラージュする、スクリーンとしての役割も併せ持たせていたのだ。
 もともとセンチピードは、カ・ガノが配下とするGたちを秘密裏に移動させるための、トンネル掘削要員として使役していたものである。
 監視の目を欺きながら、前線基地の直近にGの大群を出現させることができたのも、すべてはセンチピードが掘ったトンネルがあったからこそなのだ。
 帝都に最接近するまでは、その存在を秘匿している腹づもりだったのだが……
 双子に対して予想外の苦戦を強いられたために、カ・ガノは最大戦力であるセンチピードの投入をも余儀なくされたのである。
 ともあれ、これでようやく厄介な双子を排除することに成功したのだ。
 当初の思惑からは大分外れてしまったが、このままの陣容で速やかに前線基地を突破して、グレートウォール山脈を抜けて、帝都ニーベルンゲを目指すほかあるまい。

「ハハハハッハ―――ぁ?」

 高笑いを続けていたカ・ガノ・ヴィヂの聴覚レーダーが奇妙な変化を察知した。
 頭から地面に突き刺さっていたセンチピードが、突然ぶれたように振動を起こしたのだ。
 その振動はセンチピードの頭から尻尾の先までを駆けめぐっていき……
 次の瞬間、カ・ガノヴィヂは我が目を疑うという言葉が意味するところを、身を以て識ることになった。 

ギギィ―――ッ!

 センチピードが短い悲鳴ともつかない鳴き声をあげると体躯が一際激しくうねった。
 センチピードの表面を覆った甲殻がただれるように泡だち、頭から尻尾の先まで風船のように膨らむと、歪な形態変化を強いられた体躯が、膨張の限界を超えて内側から弾け飛んだ。
 辺り一面にセンチピードの肉片と千切れ飛んだ臓腑、砕け散った甲殻や脚等が、粘性の高い体液と混じり合いながら降り注ぐ。
 まさに地獄絵図だった。
 ひどい悪臭を放つ肉塊が雨のように降り注ぐ真っ只中で、カ・ガノ・ヴィヂは呆けたように立ち尽くしている。

「はっ、はは……」

 結果の正と負が、短時間のうちにひっくり返されてしまった。
 これが現実のものとは、とても信じがたい。
 カ・ガノ・ヴィヂは絞り出すようにして、掠れた喉奥からようやく乾いた笑いを漏らしていた。
 空いた左手が無意識に黒衣の内側をまさぐるものの、お目当の品である煙草の箱は出てこない。

「お前らのほうが、よっぽど化け物じゃねえか……」

 化け物の群勢を率いる首魁、カ・ガノ・ヴィヂが唸る。
 いまだ雨のように降り注ぎ続けるセンチピードの残骸の向こう、飛び散った臓腑から滲み出た瘴気が煙る大地に、穂先が展開したグングニルを天高く突き上げたローゼとレーゼの姿があった。


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最終更新:2011年12月29日 16:19
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