(投稿者:めぎつね)
サーシェがリーズに担がれて廊下を連れて行かれる光景には、
アルハからしてみれば若干ならざる驚愕を覚えざるを得なかった。サーシェのほうは随分とぼろぼろで、腕に包帯が巻かれたりもしていたが、リーズの表情もさして暗くないことを鑑みれば、目を引きはすれどそれ以上は誰も気に留めなかったのも頷けた。さして彼女らを知らない者達からすれば尚更だろう。
足を止めた所為で目立ったか、リーズはすぐにこちらを見つけ近づいてきた。軽く会釈した彼女にあらましを聞いてみると、サーシェが余所のメードとの模擬戦を受けたのだという。
「で、徹底的に叩きのめされて帰ってきたわけ」
「うるさいな」
サーシェに向けた言葉ではなかったのだが――そもそも起きているとも思っていなかった――聞いていたらしい。憮然とした口調には覇気の欠片もない。相当に手酷く叩きのめされたようだ。
彼女が手も足も出ないような相手がそんな身近な場所にいたという事実が悍ましくはあるが、それは口にしないでおく。それとは別に、
「まぁ、そいつの話も一理あるでしょうけど」
とは、自然と口をついた言葉だ。何でもサーシェはその相手に『殺しに来い』と真剣を突きつけられたらしい。サーシェに……というより、殆どのメードにそれは不可能だ。彼女達が戦えるのはひとえに、その対象がGという怪物だからに過ぎない。怪物と戦う為の心構えと、同じ人間の形をしたものを殺す為の心構えは全く違うものだ。
「……そう思うの?」
「というより、全面的に支持ね。敵対するものは殺す。そうしなければ自分の命、或いはそれ以外の多くをも奪われるのだから。至極真っ当な意見でしょうよ」
「薄情過ぎない?」
「そうね。でも、躊躇しながら勝てるほど私達は万能ではないわ。相手がメードであるなら、特にね」
「殺すほうが大変なことになる相手だっていますよ?」
「そこは、あれね。ケースバイケースってやつよ」
随分と弱弱しい声音のサーシェの問いと、ついでにリーズの質問も一蹴して、アルハは肩を竦めた。自分であれば、そんなことも関係なく全て手にかけてしまうのだろうが――
「人間と違って、メードは多少の傷では止まらない。人間なら足を撃ち武器を奪えば無力化できるけど、メードはその程度では止められないことぐらい、あんた達もよく知っているでしょう。無力化するまで痛めつければ程なく死ぬだろうし、意識を奪っても拘束が難しいから一時凌ぎにしかならない。結果として、殺すのが一番適当な手段になってしまう。今の時代ならね。何年かしたら、また違うかもしれないけれど。まぁ……そうね。それが嫌なら、相手の心を折れるぐらい強くなっておけば、取れる手段は増えるでしょうよ」
この間、私があんたの相方にやったようにね、とリーズの肩を叩く。実際、メードを無力化するとなれば、対象の意気を折る以外に無い。相手の戦意を徹底的に挫き、拘束具を然るべき場所から搬入するまでの数時間を確保する。極めて非現実的な話でもあるが。
それ以上用があるわけでもなく、アルハは最後に『まぁ、頑張りなさい』とだけ告げてその横を通り過ぎようとした。だがすれ違う直前、サーシェに呼びかけられて足を止める。
「あんたが彼女と戦ったら、どうなるのかな」
「ん? 冗談。やらないわよ」
彼女を圧倒するような化物と正面切って戦えば、勝てる可能性など万に一つもない。模擬戦というなら殺すのも論外だろう。自分の手管すら封じられている環境でそんな恐ろしいものと相対する勇気は、自分には無い。
「いや、仮定の話として、さ。どっちが勝つのかなって」
「さて、どうかしら」
彼女がどんな答えを期待しているのか。探ろうかと目を細めたのは一瞬だけで、サーシェのほうへ顔を向けた頃にはその気も失せていた。そもそも、自分は人の胸中などまともに理解できない。意識というものを戦う為だけに先鋭化させ過ぎた弊害か、対峙し、その中で必要とされるもの以外に関してはとんと疎くなった。
だから答えられるものは、それらしい嘘か口にして差し障りのない事実ぐらいしかない。
「まぁ、何とかなるでしょ。一度だけならね」
そして、一度相対すれば以降二度と戦うことはない。真剣勝負という美麗句で飾った殺し合いならば、そうなる。
サーシェも、それ以上は何も言ってこなかった。リーズを促して立ち去らせる。その後姿を見送って。
「……さて、誰かしら」
それは殆ど口の中に響かせた程度のものであったが、届いているという確信はあった。
「へぇ、気付くか」
返された言葉は、自分のものよりは幾許か明瞭であった。声のほうへ向き直る。
前線基地の一角。人通りは多くないが絶えることもない。その中に明らかに異質な色彩の髪を持った相手を見つけるのは、そう難しいことではなかった。そちらへと歩を進めながら、相手を煽るつもりで告げる。
「あからさまな視線を見せ付けられれば、誰だって気付くわ」
「背後のそれに気付く奴なんてな、意外と少ないもんだぜ? 気配なんてのも、駄目な時はとんとあてにならん」
挑発的に首を傾げる相手との距離が3メートル程度となったところで、アルハは歩みを止めた。その女――疑うまでもなくメードだ――は兵舎の壁に背を預け、自分の身体を抱くように腕を組んでいる。無手であるのを最優先で確認し、アルハは相手の容姿の方へ意識を向けた。
空色の長髪。真っ先にそれが印象に残った。素体の身元を不透明にする為の方策の一つとして、メードの髪は精製前に一度脱色されて染め直されているのが常だ。故に髪の色は相手をメードと識別する指針の一つでもある。素体の年端はメードの平均に当たる十代後半辺り。顔の作りこそ子供っぽい面が残っているが、目元からはある程度年月を経たメードによく見られる、擦れた様子が窺える。白を基調とした服装には青のストライプが散見され、色は違えど見知った誰かのものと同様の制服であるのは容易に想像がついた。
「
ウォーレリック」
「広報所属、プロキオだ。黒いほうと同部署だな。ま、以後よろしく」
「仔犬座?」
聞き返すと、彼女はあからさまなまでの反応を見せた。目を丸くしただけでなく、一度身を引くような素振りまでしてから聞き返してくる。
「……初見でそれを聞かれるのは初めてだ。奴と比べると大分マイナーなもんだが、よく気付いたな」
「まぁね。それで、何の用かしら?」
「いや、用というほどのものは無いさ。うちの化物どもが目を見張る連中ってのが、どんな奴らなのか見てみたくてね。ただの好奇心さ」
「奴らと言ったわね」
「おっと、口が滑ったか?」
最初に見せた動揺なぞ何処吹く風で、ふざけた調子で惚けるプロキオに一歩だけ詰め寄り、アルハは視線を尖らせた。ウォーレリックという組織はあくまで企業であり、メード技術に関しては国家の後塵を拝している。保有するメードも多くない。それがアルハの周りだけで二体、プロキオの言を取ればサーシェの周囲を含めて三体以上が接触してきているとなれば、そこに何かしらの意図が隠されている可能性は高いと見ていい筈だ。
「何をやらせたいの?」
「さて。所詮俺は三番手でね。奴らの腹の内など知らんよ」
「無理矢理聞き出してもいいのよ」
「こんな場所で争うのか? それはちと難し――」
プロキオが肩を竦めた瞬間を見計らい、アルハは床を蹴った。人波の間を一足飛びで縫いプロキオに肉薄し、逆手に抜いた剣の柄で顎を狙う。
確実に不意は突いた筈だが、
アリウスの同僚というだけのことはあるか。相手は剣の柄は受け止めて見せた。だがそれに両手を割いてしまった為に、腹を狙った右拳には防御が回らなかったようだ。
拳は寸前で止めたつもりだったが、実際には微かに触れてしまっていた。大した衝撃ではなかったろうが、相手は僅かに息を詰まらせた。
「……聞いてた以上に、乱暴だねぇ」
「回りくどいのは嫌いなのよ」
吐き捨てて、アルハは素早く剣と拳を収めた。振り向くと兵員や業者の何人かが足を止めてこちらを見ていたが、事態の理解までは届かなかったらしい。軽く手を上げて何事もないことをアピールすると、すぐに歩みを再開していった。
その間にプロキオから反撃の一つでも飛んでくるかと警戒していたが、アルハがもう一度振り返るまで彼女はそういった素振りも見せなかった。頭を抱えながらこちらを見る瞳には、観念でもしたような諦観の色が映っている。
「あら、話してくれる気になった?」
「俺だって、たまの休みを怪我で潰したくはないさ。おーこえーこえー」
その口調と素振りからはアリウスと比して、だいぶ軽薄な様が窺えた。いや、世俗的というべきか。が、相手の所属が所属である。それが芝居である可能性も低くはない。それはそれで構わない話でもあるが、相手の意図と真意を測りかねて墓穴を掘る真似だけは避けたい。
どう口火を切るか。こちらが考えあぐねていると、意外なことに向こうから切り出してきた。
「とは言うが、俺達に目的があるとすれば、それはお前も知っているだろう? 商品の宣伝だよ。有能なメードがうちの商品を使って活躍してくれれば、それだけ評判も上がるってもんだ。実力のありそうなメードに取り付くのは当然だ」
「ずっと不思議に思っていたのだけれど。企業に属して売上を伸ばして、貴方に得はあるの?」
様子を見ながら、こちらの疑問を口にしていく。
それは、何れアリウスに尋ねようと考えていた問いでもあった。企業という存在の体質上、生活のかかっている人間ならば兎も角、メードが成果を挙げた所で得られるものがあるとは思えない。いや、国に属していても似たようなものではあるのだが。
プロキオは特に不思議な顔もせず、こう答えた。
「いや。だが成果を残せば命が保障される。意味は解るな?」
「何所も性質が悪いわね、本当に」
「仕方あるまいさ。俺らは所詮道具だ。それも使い捨てのな」
「流石に貴方達は貴重ではないの? 国家軍とは違うでしょう」
「それが意外とそうでもない。ま、詳細に関しては企業秘密と勘弁してくれ」
力なく肩を竦めたプロキオにそれ以上を問い詰めるべきか。暫し逡巡して、アルハはそこに自分の欲しい情報は無いと踏んだ。代わりに別のことを尋ねる。
「サーシェに絡んだという奴は誰?」
「RVA-X。研究開発部の子飼い、形式上の所属は他所だがうちの最精鋭だ。ああ、一応言っとくが、型番みたいなのが名前だからな? 供与先では便宜上、別の名前で呼ばれているらしいが、俺は知らん。所属が違うからな」
「清々しいほどに物扱いね。供与先というのは?」
「データ取りの為に常に前線に出すには、国家所属の方が動き易いのさ。奴は確か……リスチアだったか」
「そう」
最精鋭、というならばサーシェが叩きのめされるのも一応は納得がいく。同時に、自分であっても歯が立たないだろう。アリウスと同程度のメードが複数存在するだろうとは漠然と予測していたが、そのクラスの手駒を確保しているのは予想外だった。国家最精鋭クラスを一企業如きが持てる筈などないと侮っていたようだ。
そうなると迂闊に喧嘩を売るのも危ない。元より個人が組織と喧嘩してどうにかなるものでもないが。手を噛んで引き下がってくれるのは制裁の手段に乏しい相手だけだ。
プロキオの語った内容は、他にも色々と考察の余地のありそうな話ではあったが。
それ以上に、別のことがアルハの気を引いた。疑問がそのまま口をつく。
「意外と、話してくれるものね」
「うん?」
「こういった話は、力づくであっても口にはしないと思っていたのだけれど」
「さて、そうでもないさ。こんなものは、キッチリ調べられればすぐにバレる部分だからな」
「へえ」
「そして、機密に当たるような情報は俺らも殆ど知らん。少なくとも俺は、な。結局俺らは技術を使う側であって、造る側じゃあない」
「まぁ……そうね。その通りだ」
小さく首肯して、アルハは軽い溜息をついた。自分の知識も上辺を齧った程度のもので、概論程度なら理解できるが専門的な話になれば口を噤むしかない。所詮メードが自身で得られる知識などその程度のものなのだろう。使用に高度な知識を必要とする道具なぞ、ただの欠陥品だ。
少し、黙想の時間が長かったかもしれない。プロキオがかくりと、頭を横に傾けながら聞いてくる。
「さて、他にはあるかな?」
「十分よ。有難う」
アリウスとRVA-Xというメードについては、これ以上彼女に聞いても詮無いことだろう。ともすれば教えてくれたかもしれないが、それが彼女から問題の二人に伝わってしまえば意味がない。
と。
「なら折角だ。駄賃というわけじゃないが、俺からも一つ聞かせてくれるか?」
「内容によるわね」
「なに、簡単な話さ。お前は水瓶の奴を、どう評価している?」
「水瓶」
鸚鵡返しになったのは、最初それが何を指しているのか判らなかったからだ。言葉と相手の顔、そこから想起したものと照らし合わせて、漸く意味が知れる。
そうね、と前置きし、アルハは暫し考える素振りを見せた。アリウスというメードが有能であるのは疑いない。但し信用は置けないというのが自分の評価だ。あの飄々とした態度が尚更にそれを意識させる。問題はそれをそのまま口にしていいかどうかだ。
とはいえ、余り逡巡していられる時間もない。明答は避けるよう、アルハは答えた。
「背中は預けられる。でも信頼を置く気は、まだないわね。色々怪しいもの」
「そうか。ま、妥当な所だ」
くつくつと笑い、プロキオは一人小さく頷いた。悪魔的な含みのある笑みだったが、見ようによっては自嘲にも映る。
「俺もそうだが……信用するなよ、絶対に。良い結果にはならない」
「自信を持って言うこと?」
「悲しい話だがね。俺達は誰もがそうだ。ただ、そうだな。騙された上で頼まれたりしたなら、それだけは信じていい。きっとな」
「憶えておくわ」
信用するかは別だけど。
では失礼するよ、と簡単な手振りを交え踵を返したプロキオの背中に向けて、そう胸中で付け足して。
アルハは軽く肩を竦めた。今更になって、どうしてか厄介事が増えていく。
(もう少し昔なら、それも楽しめたでしょうけど)
今は正直、煩わしい。
だが逃れる術もあるまい。世の中大体、そうできている。
最終更新:2013年02月12日 01:49