Chapter 0-2 : 緩衝 Sign up

(投稿者:怨是)


 1938/2/23
 国防陸軍参謀本部の動きが急激に活発化したと、シュナイダー大尉から聞いた。
 私の所属する皇室親衛隊特設MAID部隊の管理権限を巡って、以前から対立していたと。
 グライヒヴィッツ外務大臣は親子ぐるみで良からぬ動きを進めているらしく、
 参謀本部の息の掛かった軍人の名前を幾つか書類に纏めると云って、大尉は去った。

 私はオーロックスに相談した。
 オーロックスは笑いながら、気にしない方がいいと云っていた。
 彼の言葉は一理ある。
 所詮は道具でしかない私達には、政治について口出しする事は出来ない。



 1938年2月15日の夜、特設MAID部隊備品倉庫にて。
 通常、MAIDはこの備品倉庫で寝泊まりする。ヤヌスがこの待遇について強い不満を示していたが、MAIDはすべからく備品である故に、それ以上は望めないと技師達が口を揃えていた。MAID達は着替えや諸々の準備をこの部屋で行なう為、ヤヌス達MALEはその度に外へ出て時間を潰さねばならない。カーテンなどといった都合の良い物も無い。
 ブリュンヒルデは漸く、世の中の男と女が同じ部屋で生活する事に如何なる苦難が介在するのかを知る事が出来た。しかしそれと同時に、この部屋に今まで感じてこなかった不自由も頭の隅にちらつく様になってしまった。
 さて、備品倉庫反対派の代表たるそんなヤヌスは今、ブリュンヒルデの眼前にて頭を掻いていた。隣にはオーロックスも座っている。

「ったく、今日は酷ェ目に遭ったぜ。なぁオーロックスよォ。新記録更新だって? ヴェスペンストから聞いたぜ」

 酷い目とは恐らく今日の、訓練場でドラム缶に詰め込まれ、遠くまで転がされた事だ。理由はよく解らないが、ヤヌスはしばしばそういう目に遭う。今日はブリュンヒルデが、目を回すヤヌスをドラム缶から引っ張り上げて救出した。

「ヤヌスがあんな事するからだよ」

「あの、あんな事って?」

 折角なので訊いてみる。此処までの会話でブリュンヒルデは殆ど口を挟まなかった。機会を見失い、口を閉ざして思案していたのだ。

「それはね、ブリュンヒルデ」

「――わ、待て、云うな!」

 ヤヌスが慌ててオーロックスの口を塞ごうとする。

「不公平じゃないか。あらゆる罪は明らかにされるべきだ」

「こいつの、純粋な心を守ってやってくれ……っ!」

「それって遠回しに他の子は純粋じゃないって事だよね?」

「いや、違う、言葉のあやだ。俺の部隊に居る奴ぁ、みんなみんな、いい奴ばっかりだ。俺が保証する! オーロックス、お前も最高の友人だぜ?」

「なるほど解った!」

「解ってくれたか、心の友よ!」

 ヤヌスは両手を広げ、抱擁の構えを取った。オーロックスはそれを見ると、ブリュンヒルデのほうへと向き直る。

「ブリュンヒルデ。ヤヌスは女性の胸を触ったから、俺がお仕置きしたんだ」

「あっー! 云っちまったァー……」

 斯くしてヤヌスが抱えたのはオーロックスではなく、己の頭だった。
 しかし、ブリュンヒルデはその理由が解らない。どうしてそれを必死に隠し通す必要があるのだろうか。着替えを見せてはいけないのは、衆目に裸体を曝してはならないのと同じく常識であると教わった。ならば肌と肌が触れあう事についてはどうだ。挨拶代わりに肌を触れさせる事はよくある事だ。胸を触る事がいけない理由は何だ。
 まだ沈黙は続きそうなので、ブリュンヒルデはこの疑問を素直に口にした。

「……触ったら、何か問題が?」

「え?」

「お?」

 ヤヌスもオーロックスも一際間の抜けた声を発して、互いに顔を合わせた。それから、また暫く黙り込んでしまった。

「ごめんなさい。そういうの、よく解らなくて」

「ねぇヤヌス」

 オーロックスは恐る恐る、ヤヌスへと目配せした。

「……お、おう」

 対するヤヌスも何だか居心地の悪さを感じているらしく、どうにも落ち着きが無い。どうやら拙い事を云ってしまったらしい。ブリュンヒルデは何も云えなくなった。場を取り繕おうと口を開きかけた時、突如オーロックスが右の拳を握って立ち上がった。

「――これって初期教育に於ける重大な欠陥だよ! “恥じらい”という、女性としての嗜みが一部分でも欠落しているのは、教育担当官の怠慢だ!」

 周囲の視線が一瞬だけ彼らに集まる。その内の一人が「またか……」と呟いていたのをブリュンヒルデは辛うじて聞き取った。そういえば彼らは毎日の様にこういう遣り取りを繰り広げている。これは多分、信頼が生み出した結果なのだろう。世の中では本音というものを隠さねばならない時が大半を占める。故に、日頃は上官に愛想を振りまいている軍人達が、休憩室でその上官の愚痴を零していたりするのだ。
 二人に注がれた視線は、また方々へと散らばった。

「いやいやいやいや。でも皇帝陛下が教育担当官としてご自身を任命なすったらしいぜ。そしたら俺達は何だ、恐れ多くもこの件を陛下に進言するってのか?」

「う……」

「まだまだ甘いなァ、オーロックス……俺ほどの天才戦略家ともあれば、こいつの教育なんてのァ朝飯前さ」

「駄目な大人に育つのは心苦しいから、俺が引き受けるよ」

 その後もヤヌスとオーロックスは喧々囂々と「内密に教育すりゃいいんだよ、ついに俺が部隊長としての責任を果たす時が来たのさ!」とか「どうせ余計な事まで吹き込むつもりだろ、大人しく俺に任せなよ」といって話に花を咲かせ、またしてもブリュンヒルデは置いてけぼりを喰らう形となった。

「――ヤヌス、オーロックス。陛下が教育担当官というのは、あくまで形式上だ」

 ヴェスペンストが間に入り、その喧噪を遮った。

「そうなのか」

「当人に訊けば解るだろう? ブリュンヒルデ」

 そう云って、ヴェスペンストはブリュンヒルデへと顔を向けてきた。

「私がどなたから教育を受けているか、ですか?」

 三人は三者三様に頷いた。ヤヌスは何かを期待している様に、オーロックスは神妙な面持ちで。ヴェスペンストはブリュンヒルデに同じく無表情だ。が、ブリュンヒルデは彼らの期待に応えねばならない緊張感から顔が固まってしまっているだけに過ぎず、ヴェスペンストは恐らく別の理由だろう。

「戦闘に関しては他のMAIDとの合同で稽古を付けて頂き、一般教養などの座学はそれぞれの講師が」

「淑女の嗜みはどうよ」

「胸を触られて恥じらえ、とは教えられていません」

 またしても沈黙。ヤヌスの顔が引き攣った。心なしか、ヴェスペンストの視線は彼を責めるような色を帯びている風にも見えた。

「そ、そうか。まぁ、鎧を着ているし、陛下の目があるからな。下手に手を出す馬鹿は居ねェだろ」

「手を出そうが出すまいがヤヌスは馬鹿だと思うけど。ね、ヴェスペンスト?」

「違いないな。乳離れの出来ていない馬鹿だ」

「お、おぉ、お前等なぁ……」

 云い掛けたヤヌスは、時計を眺めてにやりと笑った。

「おっと! 野郎共、就寝時間だ。この話は一先ず天に預け、夢の世界にて語らおうじゃあないか!」

 仰々しく云うと、ソファから立ち上がったヤヌスは点呼の準備を始めた。オーロックスは「あいつ、逃げるつもりだ」と不平を漏らしながらも、ヤヌスの手伝いを始める。
 この日の夜はこれにて終わりだ。明日からはまた忙しくなる。点呼が終わると、ブリュンヒルデは早々に目を閉じて眠った。



 一週間後、23日。
 ブリュンヒルデは帝都ニーベルンゲの指定された区画を視察する、定期巡回任務に就いていた。街中にGが侵入していないかどうかを調査し、発見した場合は速やかに討伐出来る様にと考案されたものだ。国民達への顔見せも兼ねている。確か、何処かで兵士の一人が「外国からやってきたお偉方に見せびらかしているのさ」と零していたが、それに関しては説明を受けていないので何とも云えなかった。ブリュンヒルデが聞き及んでいたのはGの発見と討伐、ならびに国民との触れ合いという二点だけだ。
 幸い、この帝都には一度とてGが現れた事が無い。下水道にもだ。グレートウォールには下水道に続く水路があったが、これも半年前に爆破処理で潰したのだという。まして2月はまだ寒く、雪のせいでGの動きは極端に鈍っている。ブリュンヒルデが12月の末に製造され、起動したのも、技師の話に依れば12月末からの3ヶ月間はGが弱っているので生存率が上がり、色々と無茶が出来るからなのだそうだ。
 定期巡回任務も漸く終わると思っていた折、ブリュンヒルデのすぐ横を車が凄まじい速度で走り抜けた。車輪に削られた雪が跳ね、ブリュンヒルデの視界を一瞬だけ遮った。凍った地面に足を滑らせぬ様にしながら、それを躱す。

「……何か、あったのかしら?」

 思わず口を突いて出たのは、そんな疑問だった。雪道、それも氷の張った道路をあんな速度で走れば大きな事故にも繋がる。それ以上の命の危険が迫っているのか。命と引き替えにしてでも急がねばならないのか。逡巡していると、路地の方から何台かのバイクが走り抜けた。その内の一台を呼び止めようとするが、ブリュンヒルデは手を引っ込めた。
 理由は明白だ。彼らは親衛隊の制服に身を包み、拳銃を片手に握っていた。だとすれば、あの車は何か悪い事をしたのだ。だから追われている。

「ブリュンヒルデ」

 歩兵達も何名かがばたばたと必死の形相で走り去って行く中、見覚えのある士官に呼び止められた。ヴォルフ・フォン・シュナイダー大尉だ。

「定期巡回任務はそろそろ終わりの筈だろう。早く戻れ」

「何があったのですか。この帝都で」

 ブリュンヒルデが生まれてから今までで、こんな事は無かった。そしてこれまでの歴史に於いても、長い間、帝都を揺るがす大事件は無かった筈だ。ヴォルフは忌々しげに眉間を揉む。

「……参謀本部だ。MAID部隊の管理権限を巡って、良からぬ動きを進めているらしい」

「あの、らしいと云うのはつまり……」

「詳しい事は私も解らん。だが詮索する暇は、今は無い。急がねばならん」

「でしたら私も加勢します。悪い事が起きたなら、MAIDは国民を守る義務がある筈です」

 幸いにして手元にはヴォータンがある。銃弾を避けられる程の力は無いにせよ、ワモン級のGが突進する程度の速度なら、遣り方次第では止められるかもしれない。しかし、ヴォルフは首を振った。

「その必要は無い」

「何故です!」

「――営舎に戻れ、ブリュンヒルデ。Gを倒すという使命を抱えたお前達を、こんな事件で失う訳には行かないんだ。後は、私達に任せろ。いいな、お前は何も見なかった。聞かなかった。全てはそれで丸く収まる」

「大尉は、生きて帰ってきますか?」

 そうでなければいけない。只の一人も犠牲者が出てはいけない。

「無論だ。あの車は恐らく、参謀本部のものではない。何名か居る協力者の一人のものだろう。私はそれらを全て洗い出し、書類に纏めねばならん。此処で死ぬ訳には行かない。これで納得したか?」

 ヴォルフの双眸に宿る鋭い光は、ブリュンヒルデを萎縮させるに充分と云えた。拒否しようものなら、どんな処分が待ち受けているか解らない。ヴォルフの頑なな態度は、言外にそう語っていた。ブリュンヒルデは肝を潰された心持ちで首を縦に振る。

「了解、致しました」

「いい子だ」

 ブリュンヒルデの左肩に、ヴォルフの右手が置かれる。微笑、しかしてそれは何処か悲しげで。それから程なくして彼は表情を引き締め、走り去った。
 ブリュンヒルデは終了報告の為に地下鉄前の建物へと向かい、その横手の路地裏へと入った。この建物は機密性の低い情報を取り扱っている他、有事の際は避難所としても機能している。万一に備えて無線ではなく有線で親衛隊本部営舎との通信を行なっており、通信を傍受される危険性は低い。ブリュンヒルデはその2階の窓に向けて、これまで腰にぶら下げていたモールス信号に用いるポンプ点灯式ライトを当てた。カーテンが開かれるので、ブリュンヒルデはいつもの様に“こちらブリュンヒルデ、異常なし、定期巡回任務を終了、これより帰還する”という旨の信号を送る。そうすると、窓から職員の一人が同じくライトで“了解、帰還せよ”という信号を返してくれた。これで遣り取りは終了だ。後は職員が本部営舎に終了報告を中継してくれる。
 MAIDは通信機を持たない。指示系統は全て教育担当官に委ねられる為だ。また、無線通信機は大きくて嵩張り、近接格闘との相性は極めて劣悪であるという背景も存在する。なので多くのMAIDはブリュンヒルデの様に小型のライトを携帯してモールス信号で通信をしたり、或いは口頭で報告をしたりする。戦場でも巡回任務でもそれは同じだ。そして今回は通信機を持っていない事が仇となり、あの車の正体が何だったのか、追い掛けていた兵士達がどの様な会話をしていたのか、それらを知る術が無かった。致命的な孤独感が、ブリュンヒルデの脳にぐわんぐわんと反響していた。
 本部営舎に帰還したのはそれから30分も経たない頃だった。同じく帝都の巡回任務に就いていたオーロックスと鉢合わせる。

「ブリュンヒルデじゃないか。浮かない顔してるけど、風邪でも引いたかい?」

「いえ……」

 云い淀んで、ブリュンヒルデは辺りを見回した。

『お前は何も見なかった。聞かなかった。全てはそれで丸く収まる』

 あの言葉が意味する事はブリュンヒルデにも察しが付く。とどのつまり、黙っておけという事だ。しかしGという巨悪を討ち滅ぼすにあたって、この帝国は一丸となって戦わねばならない筈だ。それを脅かす存在については全員とまでは云わずとも、誰かの耳には必ず入れておかねばならない筈。

「誰にも云わないと約束して頂けるなら、相談に乗って頂けますか?」

「もしかして、女性としての嗜みについてかな?」

 などとオーロックスは首を傾げて茶化してはいるが、ブリュンヒルデはオーロックスの声音の変化を敏感に感じ取っていた。押し殺した様な、低い声。それは即ち、ブリュンヒルデの抱え込んだ何かを知っているかの様な……。

「実は……」

 巡回中にあった出来事を、なるべく詳細にブリュンヒルデは伝えた。見た事、聞いた事、それとブリュンヒルデがそれについて思った事も話した。その最中のオーロックスは真剣そのもので、普段の何処かとぼけた印象とは隔絶していた。

「気にしない方がいいよ」

 からっとした笑顔でオーロックスは云い放った。

「俺達で守れるのは限られている。Gと戦う為に生まれたのが俺達なんだ。役目をこなして行けば、それだけで国民達は守られる。それに、シュナイダー大尉もちょっとやそっとで死ぬ様なお方じゃないさ」

「だと、良いのですが……」

「それに、いいかいブリュンヒルデ。俺達の扱いはぞんざいだけど、今まで見てきただろ? 国民達の期待の眼差しをさ。俺達は充分、役に立っているんだ」

 ブリュンヒルデは、はっとした。巡回任務や、初出動の際に何度も見てきたではないか。兵士や国民達の、期待に満ちた眼差しを。彼らの、羨望を込めた視線を。彼らの希望に背いてはならない。ブリュンヒルデは再び気を引き締めようと、拳を握った。

「そう、ですよね。ごめんなさい、変な事を相談してしまって」

「いいんだよ。色々な事に疑問を持って、それを糧にして俺達は心を成長させる。一人前に物を考えられる様になるんだ」

 握り締めたブリュンヒルデの左手を、オーロックスは優しく包み込んでくれた。

「さ、みんなが待ってる。戻ろう、ブリュンヒルデ」

「はい」

 オーロックスに連れられ、報告書を記す為に備品倉庫へと向かう。あの場所が我等、特設MAID部隊の家だ。次なる戦いに備え、まずは身体を休めよう。ブリュンヒルデは今日の出来事が、仲間達との永遠に続くべき幸福に亀裂を生み出す原因になってしまわない事を、胸中にて何度も祈った。


最終更新:2013年08月31日 15:46
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