Behind 0-4 : 凶事 Some lies

(投稿者:怨是)


 1938年7月8日。MAID技師代表会議からの帰り道、昼下がりのライールブルク41番街道にて。
 モニカ・グライヒヴィッツはカトリーナの視線を背に感じつつも、それを無視して足早に歩いた。代表会議にはモニカだけで出席し、カトリーナはライールブルクの駅前にて迎えに出させたが、そのカトリーナが駅の出入り口にて飲酒や大道芸じみた真似を繰り返し、とんだ恥を掻かせてくれた。幾ら生活に支障の無い行動であればある程度は許されるとは云っても、公衆の面前であんな真似をしてくれたら周囲の失笑は免れ得ない。

「ったく、あの酔っ払いは……」

 昼間から酒を呑むといった悪癖もさることながら、空とぼけた言動や幾つかの所作も我慢ならなかった。レイ・ヘンラインは、とんでもない厄介者を寄越してくれたものだ。当然か。あんな酒乱、誰が好きこのんで側に置くというのか。

「……あれじゃあ親衛隊のMAIDから良さそうなのを買い取った方がまだマシよ」

 モニカの不機嫌は、それだけではなかった。道すがらにカトリーナの発した、何気ない言葉も原因だった。

『人間様に許される範囲だったら、少しくらい奔放に生きても好いんじゃないか? 自分の意思で“この国の為に戦おう”って思えるなら、それが一番だとおれは思うけど』

 この発言が発端となり、モニカはカトリーナと口論になった。モニカはMAIDの自由は認めるべきではないと考え、そういった躾のなっていない駄犬を忌み嫌っていた。対するカトリーナはMAIDとしての役割さえ果たしていれば、それ以外の部分では自由で、人間とも対等であっても良いと主張してきた。モニカその手の思想には、絶対に共感を示そうとは思わない。それから論点は、MAIDは担当官や担当技師以外の人間とも仲良くしても良いか否かという話になり、そこでもやはり意見は分かれた。当然、モニカは徹底的に否定した。MAIDに出来る事はGと戦う事だけ。本来はそれだけが許されるべきなのだ。

『よくそれで用心棒なんて名乗れたものね。十名の警護官を半年間雇っても、貴女より安く付くわ』

 口を突いて出た返答が、これだった。
 モニカの下にカトリーナが送られてきた当初は、303作戦でのMAID全滅に由来する心神喪失によって、カトリーナが“用心棒”を名乗った事については何も云う気力が無かった。どうせそこを無視しても次から次へと問題点が見付かるので、用心棒については些末なものだと思い込んでいたのだ。冷静に考えてみれば今日まで襲撃を受けた事など一度も無いし、護衛だけなら人間でも事足りる筈だ。銃を持った屈強な警護官がうろついているだけでも、充分な抑止力になる。
 モニカはそれに関しても憂鬱な感情を隠せずに居た。云い争って居る最中にこの話題を切り出すと、カトリーナは肩を落として反論してきた。

『算数の授業ならお断りだ。それにおれは、札付きだから格安だったよ』

 それからこうも云っていた。

『そもそもMAIDが人間サマと大きく違うのは身体能力じゃなくて、戦闘の性質だ。おれ達の力はあの馬鹿でかい害虫を倒す事に特化してるから、比べるのは変だろ?』

 ならば尚更、用心棒などと嘯くのはおこがましいというものだろう。そうモニカは云い返した。

『大体、私に惚れたなんて云ってたけど、その割には云う事聞いてくれないじゃない!』

『おれはアンタの思想じゃなくて、アンタそのものに惚れたんだ』

『そういうのを世間じゃ屁理屈って云うのよ!』

『斯く云うお嬢だって、MAIDの心を守るってぇのはどうなんだ。これっぽっちも守ってないじゃないか』

『方向性が違うだけよ、馬鹿!』

 兎に角こういった口喧嘩が延々と繰り広げられ、収拾が付かくなり始めた所で互いに黙った。モニカは最後に『じゃあもう、勝手にしたらッ?!』と、月並みな捨て台詞を残してそのままカトリーナを置いてけぼりにし、今に至る。

「それにしても……自分の意思で戦える環境、ねぇ」

 要するに上から強制されて戦うべきではないとカトリーナは考えているのだ。モニカが今まで教育してきた二体のMAIDオクタヴィアとズラーカは、起動開始から徹底して愛国心と従属の意識を教え込んできた。あれらは参謀本部と陸軍の営舎と戦場を行き来するだけの毎日を送り、市井(しせい)にて人間が体感する様な日常の風景というものとは一切の関わりを絶たせてきた。あれらには不要だった。制御する為には余計な情報を遮断せねばならなかった。人類をGから守る、或いはGを倒し続けるという漠然とした目標を掲げる為には、どうしても人間社会特有の胃が痒くなる光景が邪魔だった。

 ――そうよ。何故カトリーナを受け入れられなかったのかが、今なら解る。
 あれはモニカが今まで築き上げてきたMAIDの理想像の悉くを、まるっきり逆さまに体現していた。特定個人に対する個人的な忠誠を嘯き、自らの欲望を隠そうともせず、社会に興味を持ち、俗事に耳を傾け、酒という嗜好品に手を付け、主人には刃向かい、自由意思での行動を標榜する……それらを鑑みるに、カトリーナは凡そモニカとは相容れない事になる。道理であれが来てから三ヶ月足らずの間、会話の節々に齟齬が生まれる訳だ。元より住む世界が違いすぎたのだ。
 かと云って、あれをレイに返品すべきかは疑問だった。MAIDを最初から作る為の資金繰りを再び行えるかと問われれば、否であると即答できる。黎明期を脱したとはいえ現在もMAID開発費用は単体でも35万マクスと馬鹿げた価格であり、これだけの金があればⅢ号戦車を三台購入してもお釣りが出る程だった。

「それもこれも、あいつらのせいよ……」

 本を質せば、303作戦などという自殺じみた作戦を強行した親衛隊こそが諸悪の根源だ。彼らは云うに事欠いて「その作戦は存在せず、またそれに出撃したと貴殿等が主張するMAIDの存在も当局は関知しない」などと口を揃えてのたまっていた。当然ながら、補償は何ら行なわれていない。参謀本部側の研究員の一部は、彼らと全面的に裁判を行なうと宣言する者も居た。しかしG危機に際して国民は一丸となる必要があるというお題目の下、それらは無視された。
 研究資料の不足を訴える強引な略奪は今の所行なわれていないが、路地裏を歩こうものなら直ぐさま面倒な事に巻き込まれるだろう。只でさえ不法な集団がG危機に乗じて貧しい者達を囲い込み、遣りたい放題をしている現状だ。親衛隊に巣くう人の形をした害虫共も、ここぞとばかりに真似るという危険性は想像に難くない。
 故にモニカはなるべく、人通りの多い大通りだけを歩いた。にも拘わらず、先程から内臓を焦がす様な殺意が周囲に充満している気がしてならないのは、何故なのか。特に交差点の傍で停車したバスの運転手が何気なく此方を見やる、その視線は何処か確信めいたものを感じさせた。運転手は車を降り、モニカの方へと歩み寄ってくる。彼は腰に手をやり、何かを取り出そうとしている。モニカはそれが何なのかについて、考えたくもなかった。

「歩き疲れただろう、乗ってくといい」

 ――まさか、こんな所で? 嘘でしょ?
 モニカは咄嗟に白衣で隠していたショルダーホルスターから小型の拳銃、バハウザーHScを取り出す。此方へ向けられた殺気は数倍に膨れあがり、バスの乗客が一斉に降車するか、或いは窓を開く。程なくして、消音器付きの黒点が次々と顔を覗かせた。些か直接的すぎるが、軍隊や官憲をかいくぐった上での実力行使なのだろう。手短に済ませれば問題無いとでも云いたげだ。

「何が、目的なの?」

「お客様を然るべき場所へお連れするのが、バスの運転手の仕事だ」

 運転手と名乗った男はそれ以上何も云わず、モニカの横腹に拳銃を押し付けた。衣服を通して当てられた冷ややかな感触が、確かな死の予感をモニカに与えた。敢えて男は即死しない部位を選んだ。その意味の仔細を知る術は無いが、彼らの雇い主はモニカを捕縛するに当たって生死を問わないのだろう。単なる誘拐にしては過剰とも云える戦力を投入してきたのは、並々ならぬ事情が関与しているという事だ。
 そしてMAID技師として生活してきたモニカだからこそ、その先の事が頭にちらついてしまった。モニカが死んでもMAIDとして再利用出来なくもない。訓練された者とそうでない者とで、両者を素体として比較してもそこまで明確な差が出る訳ではない事が、親衛隊技術部にて行なわれた研究の結果明らかになっている。それが何を招いたか。病院にて治療を受けていた若い女性、少女の何名かが“医療ミス”によって命を落としている。帝国医学会は「前線で働く兵士の為に臓器を提供したい」という表向きの理由を掲げていたが、MAIDの素体として接収された事は明らかだ。オクタヴィアやズラーカの素体も、そういった理由で保管されていたものを参謀本部MAID研究室が買い取ったものだった。
 鼓動が早まり、モニカはいつしか奥歯を揺らしていた。憂慮していた事態がこうも絶望的な形でやって来るとは、思いも寄らなかった。歩きたくない。しかし、歩かねばならない。

「――白昼堂々と人攫いたぁ、好い度胸してやがる」

 聞き覚えのある声音と共に、突き付けられた殺気が霧散する。見れば、バスの運転手は首から上を失って斃れていた。モニカはほぼ反射的にバスの下へと転がり込んだ。人攫い連中の放った銃弾はモニカに命中しなかった。

「こっちも堂々と()らせて貰う。問題無いだろ?」

 声の主は、やはりカトリーナだった。彼女は死んだ運転手から銃を奪い、バスから顔を覗かせていた連中へ向けて発砲した様にも見えた。断言できなかったのは、バスの下というモニカの位置からは彼らが見えなかったからだ。バスの中からは当然、応戦する為に放たれた弾幕がカトリーナへと飛来するが、彼女はそれらを驚異的な脚力を以て回避し、合間に反撃を行なう。時には運転手の亡骸を拾い上げ、それを盾にしていた。
 不利を悟った襲撃者達は弾幕を張りながらバスの乗降口から降り、他の仲間にも合図をしたのか、銃弾は全方向からカトリーナへと降り注ぐ。ふと、カトリーナは此方に笑顔を見せると、バスの下へと滑り込んできた。それからモニカを抱えると、路地裏へと駆け抜ける。
 モニカはカトリーナの尋常ならざる腕力に目を丸くしつつも、彼女に身体を預けた。正確には、そうする他に何も出来なかった。下手に動けば命に関わる。やがて二人は路地裏の奥まで進み、L字型の曲がり道へと辿り着く。カトリーナは突き当たりの物置となっている所の安全を確認すると、モニカをその陰へと降ろした。モニカは不安を隠さずカトリーナを見つめた。

「残りの連中を此処で片付ける。お嬢は座ってな」

「わ、解った」

 程なくして、わらわらと湧いて出る人攫い連中は片っ端から斬り捨てられ、或いは目に穴を空けて斃れた。何名かは他の仲間を囮にしてモニカに近付いてきたが、その誰もがカトリーナが振り向き様に放った銃弾で即座に絶命した。返り血がモニカの顔面に何滴か掛かった。一歩間違えたらモニカも、彼らと同じ運命を辿っていたに違いない。それを思うと身体中が縮こまり、肺が暴れる。
 モニカがそうして恐怖している間にも、カトリーナは殺戮を続ける。しかも、何処とも解らぬ異国の歌を歌いながらだ。常軌を逸した行動に、モニカは文字通り手も足も出せずに居た。

「ひっ――」

 惨たらしい亡骸がまた、眼前にて鈍い音を立てながら斃れる。おずおずと戦場へと視線を遣れば、カトリーナは最後の一人であろう男の胸倉を掴んでいた。男の右手には拳銃が握られており、カトリーナは必ずしも有利とは云えない状況だった。

手前等(テメェら)は何処の差し金だ。云え」

「機密をわざわざ話す必要はあるか?」

「アンタみたいな贈り物は、のし付けて送り返してやらないと」

「あぁ、そういう事か。そこは受け取ってくれよ。お前はどうせ死ぬ。この距離なら避けられまい」

「撃ってみな」

 ――馬鹿か、あいつは!
 MAIDが如何程までに強靱な身体能力を持っているのかは正確には知らないが、あの距離で銃弾を受けてしまえば流石に只では済まされないだろう。気が付けばモニカは、拳銃を男に向けて構えていた。
 しかし男は引き金に指を掛ける前に銃を取り落とし、顔を歪めてのたうち回っていた。

「ひいぃ! お、俺の指! 指、無くなって……うわはぁああッ! 痛い、痛いぃ!」

 男の両手の指は地面に散らばり、その持ち主たる男は混乱状態に陥っている。モニカは切断面をまともに見てしまい、喉が酸味で満たされた。

「……で? 誰が死ぬって?」

 カトリーナは喚き続ける彼の頭を踏み、吐き捨てる様に問うた。男の方はと云えば、双眸に涙を滲ませながら抵抗するのが精一杯らしい。

「お前みたいな殺人MAIDが、この社会を乱すんだ!」

「さっさと何処の差し金か吐きやがれ。じゃなきゃ、手首を落とす」

「ぐ、あが……し、知らない! 本当に知らないんだ、俺も、ボスも、匿名で依頼が舞い込んできただけで……」

「そうかよ」

 カトリーナは些かの容赦も見せずに男の両手首を切り落とした。それから傷口をブーツで踏み躙り、男の髪を引っ張る。モニカは次第に冷静さを取り戻す思考の中で、一部始終を見続けた。

「次、腕な」

 表情一つ変えず、カトリーナは押し殺した声で宣言した。口元は獰猛な殺意を隠そうともしていない。しかもボトルを片手に、酒をちびちび呑みながらだ。この絵面だけなら、カトリーナは正しく悪役だ。こんな奴、法を引っ繰り返しても正義の用心棒とは呼べまい。

「本当だよ! 本当に!」

 失禁した男の胸倉を再び掴み、カトリーナは彼の耳元に顔を寄せた。

「お祈り済ませて出直しな」

「あぁ、痛いよ、痛いよぉ! なんで俺ばかりこんな目にぃ……!」

 尻を蹴飛ばされた上で漸く解放された男は、半ば這いずりながら曲がり角の奥へと消えた。

「そりゃこっちの台詞だ……えっと、怪我は無いかい? お嬢」

 肩を竦めてその様子を見送っていたカトリーナは、此方へ向き直ってきた。モニカはびくりと身じろぎした。ほんの数秒前まで血みどろの戦いを繰り広げていた奴に、いきなり笑顔で安否を気遣って来られても返答に困るというものだ。

「……お陰様で」

「そりゃあ好かった。じゃ、帰るか。此処は近道なんだ」

「そうね」

 結局は無難な言葉で濁し、会話を進めるしかない。成る程、よく出来た用心棒だ。カトリーナの姿をよく観察すると、銃弾は幾つか掠めていたものの、彼女の行動を制限する程の傷は見当たらない。

「……どうしたんだ、お嬢。腰でも抜かしたかい?」

「云わせないでよ……」

 今まで意識して来なかったが、モニカの両足はすっかり力を失っていた。敢えてそれを無視したくて、周囲の状況を観察する事で誤魔化してきたが、カトリーナは無神経にも左手で己の顔を覆いながら天を仰ぎ、嘆き始めた。

「かぁーっ、情けない! 死体は見慣れてるって、お嬢が云ったんじゃないか……」

「し、死ぬ瞬間は見た事無いわよ! 私が慣れているのはあくまで、死んで数時間経った死体。それも、比較的保存状態も良くて惨たらしくない奴! 何よりねぇ、私が死ぬかもしれなかったのよ?!」

「……しょうがない奴だな。ほら、肩貸してやる」

 ――お礼なんざ、云ってやるものですか。
 憮然としながらも、モニカは傍らで屈んだカトリーナの肩に、腕を回した。路地を抜けた所でモニカは指を差し、公衆電話へと運ばせた。これだけの大規模な戦闘が、昼下がりの大通りにて繰り広げられたのだ。どう考えても騒ぎになる。その後始末くらいはせねば、また如何様な噂話をされたものか。
 必要最低限の事を警察局に通報すると、後日事情聴取を行なうので迎えを寄越すと云われた。警察にも共犯者が紛れ込んでいるかもしれないが、そこについては口を噤んだ。電話口で指摘したところで、まともに取り合ってくれる筈も無い。ただ、それが功を為したのか、現場に留まれば誘拐犯に居場所が割れるという旨を伝えた所、直ぐさま了承し、帰り道までを巡回警備してくれると云ってくれた。
 電話が終わる頃には、モニカは漸く自らの足で歩ける程度には回復した。帰路の道すがら、水道工事の通行止めの看板が幾つか見受けられたが、どうやらこれのせいで付近に目撃者を寄せ付けなかったらしい。道理でカトリーナ以外は誰も助けに来なかった訳だ。

「どうだったよ、おれの銃の腕前!」

 唐突に、カトリーナがモニカにしたり顔で問うた。

「別に……」

 言葉とは裏腹に、モニカはMAIDに銃を持たせた場合の危険性について、今一度しっかりと認識し直すべきだと胸中にて断じた。Gの甲殻は打ち破れずとも、人の頭蓋骨に大きな穴を空けるだけの運動エネルギーが乗算されるとあらば、MAIDが徒党を組めばいよいよ始末に負えなくなる事は自明の理というものだ。もしや、親衛隊のMAIDの過半数が刀剣による近接戦闘を主としているのはそれを見越して、なのだろうか。そう考えると辻褄が合う。親衛隊がMAIDの試験部隊を結成した当初にも、人間に牙を剥き、力を利己的に振りかざす出来損ないが幾つか居た。程なくしてそれらは銃殺されたが、あちら側の連中がMAID用の銃器の実用化に消極的なのも道理だ。銃を持ったテロリストMAID集団など、人間の生活圏に接近している分、Gに比べて何倍も恐ろしい。
 目の前で拗ねた表情を浮かべるカトリーナにも、ひょっとしたらその素質があるかもしれない。モニカは嫌悪感を禁じ得なかった。だからモニカは自分で一から育てたかったのだ。すっかり社会に関わってしまっているカトリーナは、これからどう教育しても無垢に戦闘を続ける道具には成り得ないだろう。

「……やっぱり貴女なんて大嫌いよ」

「そうかい? おれはお嬢の事、好きだけど」

「また心にも無い事を云う。この浮気者。さっさと他の担当官にでも靡いてしまえばいいのよ」

 カトリーナのそれまでの柔和な表情が、氷点下に冷めた。

「――やめろ、お嬢」

「何よ」

「おれには此処しか無い」

「何故よ」

 いつになくカトリーナは本気らしい。いつもは酔った勢いでモニカに接してきた彼女にしては珍しく、怒りを露わに詰め寄ってきている。先刻の口喧嘩の折に於いても彼女はとぼけた態度を崩さなかったのに、今の彼女はそれを微塵も感じさせない雰囲気を纏っていた。

「云わなきゃ解らないかよ。おれに本当の自由なんてある訳ゃ無いだろ。社会がそれを認めちゃ居ないんだ。誰よりもアンタが知ってる筈じゃないか」

「……そうね。でも、戦うだけじゃ駄目。私はまだ、貴女を認めた訳じゃないからね」

「あぁ、そうかい」

 少しは真面目な一面も見せてくれるのかと感心したのも束の間、

「ったく、素直じゃないよなぁ、お嬢は! うりうり」

 カトリーナはモニカに抱き付き、頬を指で突いてくる。相変わらず酒臭い。

「わっ?! 馬鹿! 怒るわよ!」

 振り解こうとするとカトリーナは軽やかに離れ、それから肩越しに此方へ挑発してきた。

「っへへ、もう怒ってるだろ! 悔しかったら、おれに追い付いてみな!」

「待て! この!」

 おのれ酔いどれ許すまじ。戦闘に巻き込まれた緊張やその後に遣ってきた苦悩などすっかり吹き飛び、カトリーナへの怒りに取って代わられた。モニカはそれを何処までも追い掛けた。一応、この道が参謀本部に続いている事は知っている。だからこそ気兼ねなくカトリーナを追い掛ける事が出来た。

「待ちなさいよ!」

「やーだよ! うわっと――」

 突然、カトリーナは足をもつれさせ、モニカを引っ張って倒れ込んだ。その際に何かを蹴飛ばしてしまったらしく、乾いた音が右耳から聞こえてきた。

「危ないじゃないのよ」

「あぁ、ちょっと野良犬がガン飛ばしてたからさ。足、滑らせちまったい」

「そう」

 その後は特に会話も交わさず、ものの数分で参謀本部へと辿り着いた。道中でカトリーナが「優しいなぁ、お嬢は」と呟いていたが、敢えてそれは無視した。参謀本部の正門に辿り着くと、何名かの将校がせわしなく何台かの車を行き来し、その中心でやはりせわしなく歩き回る父グスタフ・グライヒヴィッツの姿があった。

「おや。珍しいじゃないか、旦那。入り口でうろついちまって」

 カトリーナの呼び掛けに気付いたグスタフは、モニカ達の方へと一目散に駆け寄ってきた。

「モニカ! 無事だったか!」

「どういう事です? 内務大臣」

 初めから知っていたかの様な口ぶりに、モニカは疑問を隠せなかった。警察局から連絡が行ったのかとも一瞬だけ考えたが、どうもそうではないらしい。電話をした時に確かに名乗ったし、その考えが正しいならモニカの無事はグスタフに伝えられている筈だ。
 あれこれ予測しているモニカを余所に、グスタフは重々しく口を開く。その面持ちは苦渋を滲ませていた。

「実はな、バイアー主任が拉致された」

「……は?」

 &rby(にわか){俄}には信じられない話だ。ニコラウスは一見すると口数の多い陽気な男に見えるが、彼の本質は研究室に閉じ籠もり続ける自閉的な性格だ。余程の用事が無ければ滅多に外を出歩かず、また今日の代表会議でも資料の整理に専念したいと云って同行を断った程だ。

「旦那、ちょいと詳しく。おれ達も今し方、何処ぞの野良犬共に因縁付けられたばっかりだ」

「今朝の事だ。自宅にて資料を整理していた最中に、連れ去られたらしい。参謀本部諜報部門からの報告だ」

「今からでも遅くない。連れて帰るわ。カトリーナ、準備を――」

「――待て、モニカ! 相手が誰であるかも判らん」

「どうせ、親衛隊の連中よ。心当たりはあるもの」

 MAIDの研究資料を寄越せと再三にわたって要求してきた彼らの事だ。暗号文書を渡したニコラウスを狙ったのも、その暗号を解読させるという目的に違いない。モニカをニーベルンゲ近辺ではなくライールブルクのあの場所で狙ってきた理由は、解らない。人質にして何らかの交渉をちらつかせるつもりだったのだろうか。

「モニカ。交渉なら私が行なう。お前も狙われた以上、行ってはならん」

 グスタフは頑として譲らない。それどころか、待機していた兵士達の内何名かに指示を飛ばし、モニカを研究室へと連行させた。無論、過酷な訓練を受けてきた筋骨隆々とした兵士にモニカが敵うはずも無く、抵抗虚しく研究室へと到着してしまった。モニカは何度かカトリーナに助けを求めたが、肝心の彼女はグスタフと何か話をしていて助けようともしなかった。
 ――何が用心棒だ。主は私だというのに!
 研究室にて半ば軟禁状態となったモニカは、先程のグスタフと同じく周囲を往復しながら今後の行動を考えた。

「どうすべきなの……? いいえ、冷静になるべきよ。信用ならなくても、公安部隊ならどうにかできるかもしれない……」

 助けるべきか手を引くべきかの選択を迫られたモニカは、知らずの内に己の左肩を掴んでいた。グスタフの云う事は尤もだ。自らの娘が危険を冒して飛び込もうとしているのだ。確かに親としての感情が真っ当なものであれば、止めるべきだと考えるだろう。しかしモニカは先刻、その危機をカトリーナに頼ったとはいえ切り抜けた。敵を倒したのはカトリーナだが、モニカとて幾つかの選択肢を突き付けられた際に最善のものを選んだ自信がある。

「カトリーナが居てくれたら、もしかしたら……強行突破で助けられるかもしれない」

「……そりゃ駄目だ、お嬢」

 ドアを開けて入ってきたカトリーナは、俯きながら首を横に振った。

「何故!」

「おれ達が飛び出しても、親衛隊は大きな組織だろ? 直ぐに消されちまうよ」

「カトリーナの力があれば、あんな連中なんて簡単でしょう?! 銃だって使える! 複数人を相手に戦える!」

「そりゃあ人攫い共は、武器こそ好い物を使ってたかもしれないけどさ。素人だよ、あんなの。おれが脱走した時に遣り合った連中より、ずっと弱い」

「陸軍の兵士も連れて来ればいいのよ! 戦争じゃなくて要人警護の名目なら、どうにかなるんじゃないの?!」

 やはりカトリーナは力無くかぶりを振る。それから、大きく溜め息をついた。

「……おれもそれを旦那に提案したよ。駄目だった。護衛で収まる人数だと勝ち目が無いし、主任さんを連れて帰るだけの戦力をひっさげたら立派なクーデターだとさ。それに旦那も云ってたけど、確証が無い。疑いはあるけど、それだけじゃ動けないらしいんだ」

「あぁもう! だったら、どうしろって云うのよ!」

 モニカは無性に腹が立った。グスタフからの伝聞のみで状況を語るという行為もさる事ながら、人類に奉仕すべき存在たるMAIDに――力さえ無ければ格下である筈の奴隷にあれこれ云われる事が我慢ならない。

「おれは阿呆だし、お嬢は世間知らずなんだ。物知り爺さん達が何かいい方法を思い付くまでは、じっとしていた方が好いかもしれないな」

「馬鹿! それじゃあ主任が死んじゃうわよ! 貴女は私の云う事だけを聞いていればいいの! 黙って私を守り続けなさいよ!」

 ――貴女は私の何なのよ?!
 立場を解らせてやらねば。モニカはカトリーナの胸倉を掴み、それから平手を頬に当てようとした。

「なッ――!」

 しかし、防がれる。モニカの振りかぶった右手はカトリーナに掴まれ、それから右手の主である筈のモニカの頬に、そっと当てられた。何が起きたのかを即座には理解しがたかった。右頬に視線を遣り、カトリーナの左手がモニカの右手首を強く握っているのを確認して、漸く現状を知る事となった。

「なぁ、お嬢。冷静になりなよ。おれだって主任さんには幾らか恩もある。今回の話、トサカに来たよ。だけど、だからって何も考えずに飛び込むのは、旦那にお嬢と同じ気持ちをさせる事になりかねない。云ってたよな、お嬢。お袋さんが死んじまった悲しみを、誰にも味わって欲しくないってさ」

「……」

 沈黙が暫く続いた。最早、カトリーナの襟元を掴んでいた左手には力が入らなかった。
 カトリーナは、彼女なりに考えた上でモニカを守ろうとしてくれていた。それが痛い程によく解る。恐らく彼女の思想、主義に於いては、MAIDであるとか人であるとかはあまり意味を為していないのだろう。返す言葉が何も出て来ない。これはとんだお笑い種だ。まさかMAIDに論破される日が来ようとは。いっそこのまま気絶でも何でもしてやりたいと思った矢先、カトリーナが(おもむ)ろにハンカチを取り出して口を開く。

「……涙」

「何よ」

「拭きな」

「まだ泣いても居ないのに?」

 そもそもハンカチなど貸されても、自分のハンカチくらいは持っている。などと口まで出かかっていた言葉を、モニカは呑み込んだ。彼女なりの気遣いだ。それくらい、冷静に考えたら解る話ではないか。

「いや……これから泣くと思ってさ」

 そう云って、カトリーナはモニカに背を向ける。

「明後日、会議が開かれる。旦那と一緒に、おれも行く。秘密のお仕事でね。悪い話じゃあないだろ?」

「そうね……」

 カトリーナは頷くと、そのまま扉を閉めた。遠のいて行く足音が、扉越しに聞こえる。
 遠慮無く泣かせて貰おう。憤慨と苦言と溜め息の毎日を過ごしてきたモニカとて、たまには涙を流したかった。ニコラウスは、グスタフに次いで付き合いの長い者の一人だった。母親の葬儀にも参列し、公務に追われる父に代わって面倒を見てくれたりもした。今日の出来事を鑑みるに、もう死んでいるかもしれないと思うと、堪えきれなかった。



8 Jul. '38

 バイアー主任が拉致された。犯人の目星は付いている。
 親衛隊だ。奴らが犯人である事は明白だ。

 舐めるなよ。
 まだ手は在る。

 数多の傍観者共、救いの手を差し伸べず、己の安寧を疑って已まぬ愚者共よ。
 このまま綺麗事では終わると思うな!
 偽りの安寧は、私が悉く打ち砕いてみせる!
 必ず、必ず、必ずだ!
 ……見ているがいい。



 Juli 10 / 1938

 皇室親衛隊及び国防三軍幹部の合同会議に出席する。
 303作戦当時に行なった妨害工作が明るみに出てしまったお陰で、
 ブリュンヒルデの出撃が遅れた責任を取らされる事となった。
 会議に於いて発せられた取り決めを、以下に記しておく。

 ・今後MAIDの管理権限の一切は皇室親衛隊へと一本化され、皇室親衛隊特設MAID部隊の正式な設立をG-GHQ加盟国に告知する
 ・国防陸軍参謀本部はブリュンヒルデの出撃を妨害した容疑から、今後はMAIDの関係する作戦について一切の口出しを禁ず
 ・及び戦力としてのMAID保有も同様に禁ず
 ・またそれに伴い、皇室親衛隊内部で作戦司令室を別途に設ける
 ・MAIDの研究記録は皇室親衛隊に明け渡す
 ・なお、上記全ての項目を承諾しない場合は厳正な処分を下す

 MAIDに関する作戦への関与は金輪際許可されず、また戦力としてのMAIDの保有も禁じられるという。
 何を身勝手な。自作自演の小芝居を繰り広げたのは彼奴ら自身。
 私はそれを阻止する側に立ったというに。

 不幸はこれのみに留まらなかった。
 彼らが人質に取っていたであろう研究室主任について、彼らは何も語ろうとしなかった。
 如何なる了見か、度し難き喜劇作家共は見え透いた嘘を重ねる。
 奪還を諦めるつもりは無い。此方には、カトリーナという切り札がある。

 なお、そのカトリーナについて。
 これはブルクハルト・マイネッケ技術大尉からの入れ知恵だが、戦力として禁じられているなら研究用として申告すれば問題無い。
 表向きには、武器を携帯させない。あくまで事務処理に特化したMAIDだとしておけば良いのだ。


最終更新:2013年09月19日 22:16
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