穢れた雛鳥の巣

(投稿者:レナス)


小魚の煮干を齧る。分厚いステーキを頬張る。ガムを噛む。
その時に感じる口の中の感触はその食材そのものの特徴と言える。

湿気た煎餅。白いルーのカレー。固い餅。
感じ得る五感に普段と異なる情報があるだけで味は多彩に変化を遂げる。

冷えた水を浴びたとして、それを熱湯だと感じ得れば皮膚に水膨れが生じて皮膚下の細胞を守ろうとする。
目の前に野球やサッカーの球が迫っていたら反射的に目を瞑って瞳を守ろうとするだろう。
生まれたての赤ん坊を水に出し入れをし続けていると赤ん坊が自然と呼吸法を覚えるのは生存の為。

人間は五感や本能、理性によって生を有する事が許されている動物なのだ。


それではこれを踏まえて、今目前に生じている現象を貴方ならば如何様に捉えるだろうか?


眼前には四つの瞳を有した人の身を超えた大きさの蝿の顔。
蠢くその口には数えるのもおぞましい無数の牙の群れ。
その真ん中にある口の中に包み込まれた自身の右腕。
蝿の口が蠢く度に著しく削られていく皮膚、筋肉、血管、神経、骨。
それと同時に分泌される消化液が刺激臭を放って削りながら腕を溶かしていく。

バキバキバキ

ジュウジュウジュウ

ぐちゃぐちゃぐちゃ

しゃりしゃりしゃり

ぬちゃりぬちゃり

聴覚が、身体を直接伝って感じる感覚が美味しそうに咀嚼する音を伝えて来る。
大衆食堂で隣の席や目の前の友人が美味しそうに食している音であればさぞかし食欲をそそる音であろう。

だが残念な事に今食事ている人物は人外、そして食べている物は私の右腕。

芳ばしい香りは飛び散る赤い血液と消化液で発する皮膚や筋肉の香り。
美味しそうな音は食べる時に使用する自身の腕。


ごっくん


ああ、そんなに美味しかったのかい?

まだ食べ足りないのかい?

そんなにも人を食べるのが好きなのかい?


その蝿は右腕を食べ切ると、再び大口を開けて頭から食らおうとした―――。



目を開けると、そこは真っ暗な夜空が広がっていた。
星の瞬きは弱々しく、久しぶりの満月の光もたどたどしい。

当然だ。両眼と夜空を隔てるフィルターが存在するのだから。
瞳を覆うサングラスを擦って今一度夜空を見上げる。

静かに吹き抜ける冷たい夜の風。壁面に背を凭れているがその長い髪の毛は靡く。
月の光がサングラスの外側を淡白く反射し、一枚の絵を作り上げていた。

尤も、その被写体は男性であるが。


彼の名はルーリエとされている。その名を呼ぶ者は久しく居ない。
何故ならば彼自身に課せられ、そして背負うモノの異常さがそう成るべくして在る為だ。

「―――」

沈黙を保って其処にある"右腕"を左の腕で擦る。確かなる感触、そして人では無いそお硬質かつ冷たい感覚が脳に伝達される。
それは失われた腕に宛がった偽りの腕。嘗て人類の天敵として突如として現れ、世界の半分以上を瞬く間に「G」によって奪われた。

右だけではない。夜空の光に映るその四肢の艶やかさは決して人のモノではなかった。
単に今回奪われたのが"右腕"だったからこそ、瞼の裏に先ほどの光景が映し出されたに過ぎない。


この名を聞いて場所を思い至らない人間は居ない。
四大大陸の一つであるルージア大陸の最前線、「G」との戦いで最も苛烈とされる戦場の一つである。
彼はこの戦線の最前線基地、先の戦闘で押し返して建てられた仮設基地の鐘楼最上階に座している。

「G」の行動原理は誰も知らない。何時如何なる時に襲い来るかも判らない。
この基地に存在する人間の中で一体何人が安心して眠れるというのだろうか。

「G」に蹂躙された足下の大地には草木など軽く毛が生えた程度にしか存在しない。
吹き抜ける風は砂漠の夜風と然程変わらず、皮肉にもそうした立地だからこそ「G」の迎撃し易さも生まれてくる。
占領早々に滑走路の仮設も即座に済ませて航空機を下ろし、哨戒任務も視界良好で監視にも事欠かない。

「G」のお陰で最前線の基地はいつも大助かり。いやはやこれは有り難い事何のその。

自分で考え、そして肩を竦めた。

「あ、あの・・・」

そこで階下の梯子を上って顔を出す一人の少女がルーリエに恐る恐る声を掛けて来た。
顔を向けると、少女はサッと顔を階下に隠してしまう。

「―――何の用だ」

顔を出しては彼の姿を認めてまた隠す行為を繰り返していた少女に業を煮やして声を掛ける。
そして数秒の間をおいて丸いパン二個と水の注がれたコップを載せたトレーを持つ両手だけが出現した。

「・・・・・こ、これ―――――お夜食ですっ!」

最後は少し乱暴気にトレーを梯子口の横に置き去り、ばたばたさせて今度こそ完全に階下へと逃げ去る。
暫くの間をおいて大地を駆ける先ほどの少女とそれに追随する二人の少女が。
階下で少女を護衛していたのだろう。彼と接触するのだから、それは当然の処置である。

「――――」

その姿を見届けた彼は、何の感慨も無くトレーを手に取る。零れた水がパンに掛かって一部湿気っているが、食べる分には問題無い。
水気を帯びたパンを咀嚼しながら、とある日の光景をフラッシュバックとして思い起こさせる。



『これっ、今日の御飯ですっ!』

そう元気な声で言葉を掛ける少女の顔は太陽の花かと見紛う程に輝いていた。
ルーリエは今日も今日とて鐘楼の最上階に存在し、配給された食料を届けに来てくれていた。
そんな彼女の後ろでは少し心配そうにしてその様子を見守る少女が。彼女はルーリエに関する噂を知っており、心配で付いて来ていたのだ。

『今日はですね、何とデザートもあるんですよ! それもアイスクリームっ!』

その少女はこの男の噂など歯牙にも掛けない程純粋で、無垢であった。
渡してそのまま帰れば良いものをルーリエが食事をする光景、正確にはアイスに目を釘付けにしてその場に居座り続けていた。
その時にこの男がアイスを少女にあげると言ったのは、気紛れや偶然に近いものであった。

"どうせアイスの味も判らないのだから譲渡しても良い"、と。その程度の感慨だったのだ。

だがその気紛れは、たまたま餌を上げて懐く猫の如く少女には好感を抱かせた。
少女はルーリエをお兄さんと呼び、即興で懐くに至る。その光景を見守っていた少女も噂は所詮噂であると安心し掛けて頬を少し綻ばせた。


が、



ルーリエの身体にじゃれ付く少女(皮膚下を這い蹲る「G」)


腕に抱き付いて最近の仲間との出来事を喋る少女(腕に食らい付き、周囲にも群がる「G」の金切り声)


アイスを美味しそうに頬張る愛らしく、可憐な少女(味方であった兵士を食らう「G」)



「―――――――!!!?」

果たしてその声は二人の内のどちらの少女の悲鳴であったろうか。
それを推し量るにしても、ルーリエに判断出来る状態ではなかった。

彼はじゃれ付く少女の首を掴み取り、床に叩きつけて全力で締め上げていたのだから。

その瞬間に掛けていたサングラスが零れ落ち、晒された素顔を少女は見た。そしてその少女の一生が決定付けられた瞬間であった。
真白なるモノを瞬く間に真黒に染まった。そんな感じである。

だが少女の首を締め上げる男の目には、寝首を掴み上げる「G」としか映っていただけなのだった。



最終的には、もう一人の少女がルーリエを全力で吹き飛ばして事なきを得た。
その後少女がどうなったのかは知る由も無く、彼は何時も通りに鐘楼で次の戦いを待ち続ける。
彼の居る鐘楼は基地の中でも隔離された地点に存在し、その理由は聞く間も出ない事だ。

彼は「G」に魅入られているのだから。

今こうして食するパンの歯応え、味、香り。その全てが「G」である。
「G」に噛み付いた歯応え。その際に誤って租借した肉と体液の味。そして生じた異臭。

「G」と戦い続け、戦いの最中に幾度も食われては交換し続ける義肢。
生き残るためにどんな事もしつづけた代償に、五感の全てに「G」が染み付いくまでに至った。


もしあの時、助けに入るのが少しでも遅れていたならば、あの少女の腹には大きな穴が出来上がっていた事だろう。
サングラスが外れた時点で、人としてもっとも重要な情報を得る視覚で少女を「G」と認識していた。

本より首を絞めた時点で常人ならば首の骨は砕けて千切れ落ちていた筈であった。
だがそうならなかった理由は、少女はMAID(メード)だったからだ。
人類が「G」に対抗する為に生み出した対「G」戦力、メード。人は錬金術の領域に足を踏み入れるに至る。

「―」

食事の手が止まる。味覚に異常があっても食べなければ生きては行けない。
現実と幻覚の狭間の飲食を止めて虚空を見詰めた。


吹き荒ぶ風は何時も"あの"香りを届けて来る。

荒ぶる風は何時も"あの"音も彷彿とさせる。

星の光は何時も"あの"瞳の輝きとして襲い掛かる。


「だが所詮は幻覚。本物には敵わない――」

鐘楼の鐘に金鎚を叩き付ける。古典的な警報はこの鐘楼だけの設備。
瞬く間に落とされていた基地中の電灯が目を覚まし、サイレンが五月蝿く辺りに響き渡る。

満月に映り込む滲み。闇夜の大地に降り注ぐ星の照明が、煌めく無数の反射光を届ける。
だがそれよりも先に彼は嗅ぎ取った。彼の居る前線基地は常に奇襲の憂いを拭い去ってくれる。
そして彼の誰にも成し得ない敏腕なる嗅覚に敬意を表して、こう言われている。

「G」の化身。要は異常なる者として恐れられている。


窓枠に足を掛ける。高さはざっと10メートル弱。常人ならば落ちれば最低でも骨折ものの高さ。
しかしこの男は単なる人ではない。その背に発生する二対の翼に長い髪が棚引く。

「メインディッシュの時間だ――」

サングラスを外し、情緒不安定な精神によって充血し切り、爛々と輝く真っ赤な瞳が敵を見据える。

基地は今漸く戦闘準備に取り掛かった所であり、迫り来る敵もまだ遥か彼方。
にも関わらずルーリエという男、"男性体のメード"は単独で出撃をしようとしているのだった。

傍らに立て掛けられていた機関銃とサーベルを手に、跳躍と共に飛翔する。
瞬時に現行戦闘機の巡航速度に達し、星々の大海原へと身を投じる。
そうして翼より洩れる光の尾だけが広い世界の中のちっぽけな存在を細やかに主張していた。



これがルーリエという男性型メードの日常。

「G」に魅入られた者の詰まらないお話。





関連項目

最終更新:2008年09月16日 18:52
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。