(投稿者:ニーベル)
相変わらず、ここは静かだった。
地底湖――実際は
カヒラー治水センターにある貯水池――は、滅多に人が来ない。
一年中誰も入ってこないというわけではないが、基本的に貯水池の管理は外部からの操作で行うため、定期的に行われる周辺機器のメンテナンスのとき以外に人が出入りする事は、ないのだ。
なので、ここにいるのは基本、此処の水源の管理を任されているMAID、翆蓮ただ一人ということになる。
普通ならば、孤独であり、寂しいと思うのが当然であるが、翠蓮はそう感じなかった。いや、寂しいと思うが、親しく話せる人物がいないと言った方が正しいだろう。
彼女は
楼蘭皇国出身である。それが急に
ザハーラ共和国に派遣されてきたのだ。
ザハーラの人々は、やってきた翠蓮に親しくしてくれたし、分かり合おうともしてくれいるのは分かる。それとなく、配慮もしてくれているのだ。
翆蓮には、それが苦しかった。何故だかは分からない。
でも、どうしても、それを受け入れることが出来なかった。
「……これだから、友達、できないんでしょうか」
呟く。
返答する者は、誰もいない。
誰もいない――はずだった。
「いっや全然関係ないと思うぜ。それ」
振り向いた。
男が、こちらへと歩いてくるのが見えた。
隆光は、目の前にいる女性をまじまじと見た。
同じ楼蘭皇国出身でありながら、どこか違う、と思わせるような、美しい顔だ。
加えて、服の抑えを外したいかのように暴れる胸。服の上からでもはっきりと形が分かる。
そして、全体のプロポーションもまた良い。整っている。
「……あの、そんなにまじまじ見られても…」
「んあ、悪い悪い」
女の一言で、我に返る。
こちらを見る表情はどことなく、憂鬱気だが、それでいて男を誘うような色目である。
本人が、まったくそういうつもりでないのは声で分かる。
だが、こうまで誘うような顔つきだと、その気がないのに、させてしまうような妖しい魔力がある。
「……で、なにか御用でしょうか」
「いや、なんにもない。ただ此処を休暇ついでに見に来ただけだ」
本当は、楼蘭から派遣されてきた噂のMAIDである、お前を見に来たんだがな。とは言えなかった。
女がいなければ、わざわざ休暇を犠牲にしてまでこんなところには来ない。
逆に言えば、お前は女さえいればどこでも来るのかといえば、その通り。というしかないのだが。
「……変わった人ですね。許可はもらえてるでしょうし、好きに見てください。……なんにもありませんが」
相変わらず、憂鬱そうな表情で、答える。
だからその色っぽい表情はやめろというべきだろうか。思わず押し倒したくなるような衝動に駆られてしまうのだから。
今のところは、自分の理性で抑えているが、それも、いつまで持つかは分からない。
「なんにもなくはない。アンタがいるじゃないか」
「……私、ですか?」
きょとんとし、首を傾げる。それもどこか色っぽくあり、可愛らしい。
ああ、くそ。自分が恥ずかしくなるほど、この女は、男が可愛らしいと思う行動をしてくる。
今までこんな女がいたことを知らなかった自分という存在を。隆光は、恥じた。
「ああ、そうだ。…っとまだ名前、言ってなかったな。隆光だ。アンタと同じ、MAID…っても俺は男だから、MALEって呼ばれているがな。
アンタよりもそうだな、五年とちょっと、先輩になるかな?」
「……翆蓮と言います」
「おう、翆蓮ね。オーケーオーケー、俺のことは呼び捨てで良い。だから俺もお前を呼び捨てでいう。分かったな?」
「は、はい……」
矢継ぎ早に話をぶつけていくせいか、ところどころでしどろもどろとなっている。
だが、此処で話を止めたら、二度と喋れなくなりそうになる気がする。
ここは、どんどん喋っていくしかない。そう思っていた。
「というわけで、よろしくな。ところで翆蓮は、好きなものとかあるのか?俺は酒と女が大好きなんだが、あとつまみとかもな」
「え、え、ぅーんと…その…お酒…とか…」
「お、マジか。ならちょうどいい。昼間っから酒っていうのも不謹慎かもしれないが、都合の良いことに今日は休暇だからな。一緒に酒でもっと…っと…と!?」
酒が好き。これは好都合な事だ。
早速鞄の中に入れてあった、酒を取り出そうとするが、出てこない。
何度も、鞄から引っ張り出そうとし、なかなか出てこないことにいらつき始めていた。
こうなったらと、思いっきり引っ張ると酒は出てきたが、体勢を崩した。
幸いにも、近くに大きく、柔らかくて、掴めるものがあったから盛大にこけずに済んだが。
ここで隆光の思考は一旦停止した。
何故こんなところに柔らかいものがあるのか。此処は地底である。そんなちょうど良いものあるはずがない。
あったとしても、細くて、硬くて、もっとゴツゴツした岩の突起だろう。
それなのに、これは大きくて柔らかく、いつまでも揉んでいたいような感覚を手に与える。
隆光は、この感触を良く知っていた。良く知っていたが故に思考が停止した。
つまりこれは。その。
「ひぁ!?……あ……う……ふぇええ……」
翆蓮が、変な声をあげた後に泣き始める。
これが示すのは、隆光の考えたことが、外れていないと言うこと。
心の中で、
グエンがですよねー、隆光ーと叫んでいるのが浮かんできた。
まったくもって不条理だ。畜生。掴み心地が最高すぎる。
何故だか涙が止まらなかった。
いきなり現れた男の人に胸を触られたからといって、ここまで泣くことがあるのかというぐらい泣いた。
明らかに相手の男の人――隆光と名乗った――人は困っている。それに気が動転してもいるのだろう。
ここまで冷静に考えられても、涙は止まらなかった。
止めようとしても、その気持ちは嗚咽になり、涙になる。
「あ、その、本当に悪いっ!!殴ってもいい。むしろ好きなだけ殴れ!!」
隆光さんが地べたに頭を擦りつけながら、私に謝ってきている。
こんな対応をしているのをみれば、わざとじゃないのは、すぐに分かることだ。
私も、すぐに謝るべきなのだろう。そう思っても、涙は止まらず、声は出ない。
「本当にすまん!その、好きなようにしていいから頼む!!」
相変わらずの体勢で、謝り続けている。
私も、言葉を出そうとして詰まっている。
これを周りの人が見たらどう思うのだろうか。隆光さんを連れて行くのだろうか。
「いやもう、言葉に出すのも失礼だがスマン!俺が悪かった、だからっあぁ!?」
立ち上がり、改めて土下座をしようとして、バランスを崩し、隆光さんは水の中に突っ込んだ。
浅瀬だったから良いものだが、服はびしょびしょになり、隆光さんは、唖然としている。
それが、どうしようもなく滑稽でありながら、優しそうで。
「……ふ……ふふ……」
自然と、笑みが、溢れていた。
何故だか、どうしようもなく、止められない。
涙と、笑いが、同時に押し寄せてきて、自分でも止められない。
苦しくはなかった。むしろ、心地よさがある。
「……あー…はは…」
お互いに笑い始める。隆光さんは照れ笑い、といったところだろうか。
なんとなくだけど、今までの暗い気持ちが、吹き飛んだような気がした。
「あー…そのなんか本当に悪かった、な」
彼女が最終的に笑ってくれた事に関して、隆光は心から安心していた。
あのまま泣かせていては、自分の面目やら世間体以前に、女を愛する自分が女を泣かす。ということが耐え難かったのだから。
「……いえ……気にしないで下さい」
翆蓮が微笑む。
その笑顔を見て、思わず心が動くが、抑える。
「いや、ほんっとにすまねぇ……翆蓮」
「……もう気にしてません。その代わり」
ああ、俺はこりゃ駄目だ。絶対に心を動かさないと決めていたが。
「――今度は、美味しいお酒を持ってきてくださいね?」
この笑顔は、反則だ。
思わず、呟いていた。
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最終更新:2008年11月19日 21:01