澄み切った青空の下に広がる広大な森林に、陽の光がさんさんと降り注ぐ。
しかし、それとは対照的に、森は不気味なほどに静まり返っていた。
動物はおろか、小鳥のさえずり一つ聞こえてこない。虫の音も無い。
生命が一番活力に満ち溢れる時間帯であるにもかかわらず、生き物の姿はどこにも無かった。
森に渦巻く“なにか”に怯えて、みな、本能の警告するがままに逃げてしまったのだろうか。
ルインベルグ大公国の南東に広がる森林地帯。
ミューリッツ湖から流れ出る小川のほとりに、その村はあった。
農村の生活は、慎ましいながらも活気に溢れ、季節ともなれば、使者が名産の葡萄酒を大公へ献上するのが習わしとなっていた。
国を治める
ルインベルグ大公は、その村の豊潤な香りを放つ葡萄酒を大層気に入っていた。
小さいながらも、その村は決してないがしろにされることなく、他と変わらない手厚い統治が行き渡っていた。
しかし現在―――村から西へ約10kmの地点。
森林地帯の外周を囲むように、完全武装のルインベルグ正規軍およそ100余名が展開していた。
彼らの第一の任務は、部外者が森の中に立ち入ることを阻止すること。
第二の任務は、不測の事態が起きた際、その軍事力をもって強力に対処することである。
そして渦中の森の中には、5人のメード達の姿があった。
~ルインベルグの乙女たち~
第2話:「赤い村」
「ここからは分かれて調査を開始します。 合流地点は村の中央広場。 何かあればすぐに報せること。 みんな、いい?」
「オーケー」
「うん。 気を付けて行こうね」
「……」
タンジーは相変わらず黙りこくっていたが、胡乱な目つきで頷いた。
「う、うん……」
やる気に満ちたメンバーの中でただ一人、
リリーだけが乗り気じゃない返事をした。
元気だけが取り柄の彼女には珍しいことだ。普段なら制止も聞かず、真っ先に敵群へ突っ込んでいくくらいの勢いがあるのだが。
いつもと違う、らしくない彼女の態度に、仲間たちは違和感を感じずにはいられなかった。
「上手く言えないんだけど、さ―――なんか、ヤな感じがするんだよね……」
ルインベルグ大公の勅令により、
グレートウォール戦線から、エントリヒ帝国との国境にあるラハール城塞へ召集された
グラストンMAID's。
そこで本国政府から彼女たちに与えられた任務。
それはルインベルグ大公国の南東に広がる森林地帯に存在する、とある村の調査だった。
その村の異変に最初に気が付いたのは、電信公社の交換手だった。
彼は村からの電話の仲介業務を担当していたのだが、それまで日に数回あった村からの発信が、ある日を境にパタリと止んでしまったのだ。
その次は、村を管区に治める地方郵便局の局長。
村は僻地にあるため、郵便物は月に4回まとめて配達しているのだが、担当の職員が村に行ったきり連絡も寄越さずに帰ってこなかったのだ。
村へ行くには車を走らせても、片道で約半日かかる。そのため配達に向かう職員は、そのまま村で一泊し、翌日に今度は村民からの郵便物を集配する。
そして早くて夕方、もしくは夜になってから郵便局へ帰ってくるのが常だった。
ところが3日が過ぎても職員は帰ってこない。痺れを切らした局長は、職員を呼び戻すために村に電話をかけたのだが、プープーいうばかりで全く繋がらない。
局長はすぐさま電信公社に抗議の電話を入れたが、公社側は電話不通の原因は不明であり、鋭意調査中との回答しか寄越してこない。
そのため彼は仕方なしに、首都の郵便公社本部に事のいきさつを報告した。
その次は首都在住の、一人娘を持った母親。
連休を利用して、村に住む祖母のもとを尋ねていった娘が、予定日を過ぎても帰ってこなかったのだ。
村に電話もかけても繋がらなかったため、連絡が取れなくて心配になった母親は、警察に娘の捜索願を出している。
警察も郵便公社と母親からの捜索願い、それに電信公社からの報告を受けて、直ちに村へ捜査官を派遣した。
―――が、またしても連絡は途絶え、捜査官達が帰ってくることはなかった。
数日が経って、事が警察の手には負えないと判断されると、この件は軍が管轄することとなった。
ある可能性が浮上したからだ。
それは……ルインベルグ大公国内へのGの侵入。
グレートウォール戦線以北のこの地へ、Gが侵入した可能性がある。
「地図の通りなら、もう少しで村に着くはずね……」
木々の間を縫うようにして駆け抜ける、一陣の赤い風。
ワインレッドの侍女服をはためかせたガーベラが、懐にしまった地図に目を落とす。
グラストンMAID'sの5人は、それぞれが別方向に散らばって森の中を捜索し、最後に村の中で落ち合うことになっている。
Gが潜伏している可能性のある森を、戦力を分散させながら進むことに多少の戸惑いはあったが、ガーベラは隊の安全性よりもスピード感を重視した。
報告によれば、この怪異の発生は1週間ほど前にまで遡っているらしい。
この怪異がもしGに起因するものだとすれば、村に生存者が残っている可能性は極めて低い。
それでも、僅かでも可能性が残っているなら、これ以上に時間を浪費することで、生存の可能性を摘み取ってしまいたくない。
そう思ってこその、戦力分散を伴った広範囲な捜索であった。
(少なくとも私が見た限りでは、森に変わった様子はなかった。 ―――Gが原因ではないの?)
Gが棲息する場所には、大なり小なり、その痕跡が見て取れるものだ。
Gの甲殻に覆われた大柄な体躯が進行すれば、木々は薙ぎ倒される。Gの食への貪欲さは、動植物を根こそぎ食い散らかす。文字通り周囲の環境を嬲り尽くしていくのだ。
だが、それが見あたらない。
そして何よりこの森には、Gの発する忌々しい瘴気が漂っていない。
「森が―――途切れる」
開けた場所にガーベラは飛び出した。
林立していた大小様々な木々に変わって目に飛び込んできたのは、整然と並んだ葡萄の樹。
村の名産品であるワインの材料となる葡萄の畑が、なだらかな丘の斜面に広がっていた。
晴れ渡った青空の下、風に運ばれてくる、程よい酸味を纏った葡萄の芳しい香りが、ガーベラの鼻腔をくすぐる。
「いい香りね……」
しばしの間ガーベラは葡萄の香りに魅入られていたが、整然と立ち並ぶ葡萄の樹々の隙間から見えた光景に、瞳を大きく見開いた。
脱兎のごとく葡萄畑の丘を駆け下りる。
段差から飛び下り、木柵を飛び越えて、ひた走る。
村が近づくにつれて、風に異臭が混じる。
それは、たんぱく質が焦げるときの例えようもない悪臭と腐肉の臭い。
―――瘴気。
「―――ッ」
ガーベラは言葉を失った。
のどかだった農村の風景は、地獄が顕現したかのような凄惨な光景に変わり果てていた。
藁葺きと煉瓦造りの家屋は原型を留めないほどに押し潰され、得体の知れない粘液がこびり付いた瓦礫の山には、かつてヒトだったモノの成れの果てが散らばっている。
見開かれたガーベラの双眸に写し出された世界は赤く染まっていた。
赤。赤。赤。
…………どろりと澱んだ空間。
空気も、壁も、草も木も、全てが赤い染料をぶちまけたかのように、染め抜かれている。
在るもの全てがバラバラに崩されて、出来の悪い、ふざけたオブジェに成り果てている。
先ほどまで居た美しい葡萄畑とは、ひどい落差だ。
三流の劇作家が書く、どんな喜劇よりも酷い結末。
「なんて惨い……」
この任務を受けたときからある程度想定はしていたが、待っていたのはその中でも最悪の結末であった。
歩を進める足が重い。まるで自分の足が、鉛に変わってしまったかのようだ。
それでも、ずるずると引きずるようにして村の中を進んでいく。
目を背けてはいけない。確かめなくてはならない。
この先に何があるのかを。
「―――なんで」
そして彼女は見つけた。
惨劇の舞台となった、村の広場に佇む特異点。
この場所に、本来あるはずのない人型を。
「ジーク、フリート……?」
澄み切った青空の下、赤く澱んだ世界で2人のメードは邂逅した。
関連項目
最終更新:2009年02月02日 15:40