Chapter 1-1 : 代償の乙女・起

(投稿者:怨是)


 1943年11月15日。
 ホラーツ・フォン・ヴォルケンは途方に暮れていた。
 いや、呆気に取られていたという表現のほうが正しいだろうか。

 とにかく、かくも複雑な感情が入り混じる事に、もはや頭脳の処理限界を振り切ってしまわないかと、自身に対して余計な心配をしてしまうほどである。

 ベルゼリア。
 先月から何度か紹介を受けており、とうとう本日からヴォルケンが教育担当となるMAIDである。

「やっぱこうして並ばせると、まるで中将の隠し子みたいですねぇ」

 茶々を入れる技術部宣伝顧問は、迅速且つ確実にヴォルケンの心に鈍い一撃を喰らわせた。

「いやッ、確かに、確かに将来はこういう娘が欲しいと思った事もあるが……」

 頭を掻くヴォルケンに、茶色の無垢な双眸が覗く。

「んー? ……んー」


 私が欲しかったのは、もう少し利発そうな子だ……
 外見年齢は10歳前後。まぁそこは良し。おそらくは子育ての中でも重大な岐路に立たされる、大事な節目だ。
 そしてまた、親の愛情が試される時でもある。
 更に、幼さを残しつつ、将来の展望がおぼろげながらに浮かんでくるという年齢でもある。

 が、目の前のこの少女はどうだろうか。
 いくらMAIDで生まれたてとはいえ、情操教育などを全く受けていないようにも思える。
 赤子だ。
 まさに赤子だった。まず、この目つきからして。
 見開いて、太陽の眩しさを疑いもしない、その目つきが。

 抱きしめようものなら、肋骨を折ってしまいそうだった。
 世の厳しさを教え込もうものなら、目に涙を溜めて首を振りそうだった。
 頬にビンタを喰らわせようものなら、きっとその後は見向きもしないほどに不貞腐れてしまいそうでさえあった。

 生まれてこの方、ヴォルケンは赤子にものを教えた事は無い。
 そして、ベルゼリアの外見年齢といえば、あのライサ・バルバラ・ベルンハルトの幼少期――彼女は同年代と比べても目つきは鋭かったが――をどうしても思い浮かべてしまう。


「えっと、それで、現時点で教育はどの程度まで進めたのかね」

 答えは殆ど解りきってはいるものの、そこは恐る恐る訊ねる以外に何があろうか。とりあえず訊いておきたかった。

「基本的な戦闘カリキュラムは全て終えました」

 また戦闘か。確かに我等が親衛隊長官テオバルト・ベルクマン上級大将にとって兵士とは使い捨ての消耗品。そこに付随するMAIDは兵装か何かという認識しかない。
 だがそれだけではままならない事は数多くあるし、そもそもこの有様では兵装どころか足手まといだ。
 やはり訳ありMAIDという話は伊達ではなかった。ベルゼリアの態度は、先月とちっとも変わり映えしていないではないか。

「いや、そこは常識的な範囲としてだ。他は?」

「それだけです。訓練期間がたったの3ヶ月ちょっとですよ? どこかに皺寄せが来てしまうのは、ある程度仕方が無いでしょう」

 それだけなのか! と思わず突っ込みを入れてしまいそうになるが、そこは喉から先へと出る事は無かった。
 酒という勢いが無ければ、所詮はこの程度であるし、無闇に突っ込みを入れる気も起きない。
 それに……

「あいや、まぁ、そこは私も心当たりが無くはないから無闇に反論できんが……」

 口ごもるヴォルケンを遮る形で技術者がベルゼリアの肩を叩く。
 お互い、空気の読めない性格を直さないままここまで人生を歩んでしまったか。
 全く以って悲劇、場合によっては喜劇、または惨劇としか云いようが無い。

「はいはいベルゼリアちゃん。このおじさんが新しい教育担当官になりまちゅからねー! 何回か顔を合わせたけど、もう一度名前のおさらいしようか! ホラーツ・フォン・ヴォルケン中将だよ!」

 改めてにこやかに紹介をする技術者。ベルゼリアは暫し考え込んだ後で、首をかしげながら口を開く。

「んー……ヴォー君?」

「……。……はァ……」

 肩をガックリ落とすしかない。この程度の教育レベルでは実戦でも支障をきたしかねないのではなかろうか。
 ジークフリート同様、コミュニケーション能力の明らかな欠如が見られる。
 だから戦闘訓練だけに偏らせるなと再三再四技術部や初期教育部に警告してきたのだ。
 しかし、にもかかわらずである。初期教育部の云い分では「情操教育に関しては教育担当官の管轄下にあるため、迂闊なことは教えられない」と来た。
 頭が固すぎる。石頭どころの騒ぎではなく、出来損ないのダイヤモンド頭だ。
 こんな連中、磨いて輝くのは技術力だけではないか。
 暗澹とした表情のヴォルケンに、技術者が申し訳なさそうに声をかける。流石にあからさまな表情を見せすぎたか。

「えーっと……とにかく、ヴォルケン中将。お話の続きは中でしましょうか。中将ともあろうお方が廊下で長話をするのも何ですし。
 あ、ベルゼちゃん、これ貸してあげるから、お外でお絵かきしてきてね!」

 ベルゼリアに手渡されたものは、クレヨンと画用紙。
 大人の退屈話に辟易していたであろうこの幼子は、最高の玩具を胸に抱えながら、にわかにまばゆいばかりの笑顔を浮かべた。

「おえかきしてくる!」

 この周囲と云えば、まだ雪が降っているような殺風景なところしかない。
 それとも建物内を回ったりしながらだろうか。
 いずれにせよ、もっとマシな玩具は無かったのか。いや、玩具を与えるような存在か。
 だが……考え方を変えれば、あれはシュヴェルテにとってのゼクスフォルト少佐の他愛も無い話のようなものに近いのだろうか。
 やめよう。もう居なくなった存在に思いを馳せるような事は。感傷は精神を錆び付かせる。
 技術者を自室に案内し、椅子に座らせた。

「クレヨンに、画用紙か。幼女趣味を否定する気は無いし、少しは個性があったほうがいいとも思う」

「物事、寛大が一番ですよね。それよりどうですか。ベルゼちゃ――いや、ベルゼリアは」

 何を云い間違えているのやら。

「そんなに宣伝されても、まだ何とも云えんよ……面会した回数はまだ数回だ」

「まぁまぁ。その中で、どう思われたかを述べていただければ結構ですので。それで的確かどうかも判断の指標とさせていただくわけですし」

 見事な押しの強さだった。賞賛に値する。まるで我が子を塾に入れさせる親のように。
 いや、その極めて一方通行の性質の強い愛は、妄想と称しても相違ないほどの自己満足、自己愛の延長線上に過ぎない。

「えーっと……あれではまるで、そうだな。云い方が悪いが、周囲から見れば知恵遅れに見えてしまうのではあるまいか」

「おや。本当に云い方がよろしくありませんね」

「元来、我ら皇室親衛隊の所属MAIDはどれも、性格に関しては質実剛健というか、真面目さが売りだったはずだ。
 そこに明らかに精神年齢の劣るように見えるMAIDを混ぜてしまえば、周辺国の笑いものになってしまわないかと思ってな」

「お気持ちはご尤もですし、事実、難色を示す者もおりました。しかしながら、それでも我々は常に、例外を例外では無くす仕事に就いておりますからね。
 中将。貴方もそうでしょう? マイノリティを救いたい。マイノリティとマジョリティとの線引きをなくしたい。
 そうお考えでしたら、今のようなお言葉は矛盾してしまっていると存じますが」

 確かに。実際そうでもある。救い損ねたマイノリティの補償行為にこのMAIDを使うような心地がして、いささかの抵抗感があるのも否めなかった。
 だが、それと同じくらい、この環境に云い知れない落胆を覚えていたのである。
 悲劇はまた訪れる。遠くない未来にきっと訪れるに違いないのだ。その悲劇の種を傍目に仕事を続けねばならないのか。
 しかも成人した兵士ならまだ良かったが、この少女の前で安心して酒など呑めたものではない。

 ――それでも一度通り抜けた道ならば、免疫も無いわけではなかった。
 曲がりなりにも教師としての役職もあるのだ。もはや断る猶予など何処にあろうか。
 それに、他のろくでなしの

「……参ったな。まぁ構わん。私とて一人の教員として教鞭を振るうだけの資格はあると自負しているつもりだ」

「そう来なくては。ではこちらにサインを」

 技術者は内心ほくそ笑んでいた。
 もう既に上層部にはヴォルケンが担当官候補として決まっていると報告している。
 詳細な口実も、充分なアリバイも、周囲への根回しも既に済ませた。十二分に済ませてあるのだ。

 あとはもう既成事実だけ作ってしまえば、こちらのものだった。


「はい、確かに受領いたしました」

「MAID、それも外見年齢の低い者に対する個人授業は今回が初めてだが、果たして上手くいくものかな。
 私は何をやっても裏目に出てばかりだ。あのベルゼリアまで不幸にしてしまわねば良いのだが」

「何、あの件以降、弾圧も沈静傾向にあるそうじゃないですか」

 沈静化にはきちんと理由がある。
 グレートウォール戦線に於いて、ジークフリートと肩を並べるMAIDが今のところ国内に存在しないのだ。
 確かにベルゼリアなら、自主的に考えて動くというような事は出来なさそうだ。
 あのなりで戦果もへったくれもあったものではない。
 云うなれば愛玩用だ。吠えないチワワである。
 ならば警戒される事も無いのかもしれない。悲劇の条件はまだ揃っていない。ならば……

「それも……そうか」

「とりあえず情操教育に関しては、前例に則り教育担当官であるヴォルケン中将に一任するとします。
 試しに今度、買い物にでも行かれてはいかがでしょうか? きっと喜びますよ」

「あの大きい5歳児を連れてか」

 ヴォルケンは、不貞腐れたように窓の外を眺めた。
 降っている時の雪は残酷だ。白か灰色しか映さない。

「ですが、今後の教育で大きく伸ばすことも出来ます。私としては今のままが一番可愛いと思いますがね」

「全く、冗談ではない」


 技術者の表情にひびが入って歪んだ。
 “お前が云うな”と。


「まぁ、数日ほど最終的なチェックをクリアさせる作業がありますので。来週辺りに、またお伺いするかと」

「わかった。ご苦労」

 帰ってよし、などと云うまでもなく、そそくさと技術者は帰って行った。
 ヴォルケンもまた、口を開く気にはなれない。


「……来週もあの男と顔を合わせねばならんのか」


最終更新:2009年01月03日 01:58
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