Chapter 1-2 : 代償の乙女・承

(投稿者:怨是)


 1943年11月21日。
 いつもどおり“仕事場”の椅子に腰掛けたヴォルケンは、一抹の寂しさを覚えてならなかった。
 少し前までは酒に付き合う相手も居たと云うに、既に彼は国外のどこかへと旅立ってしまったのである。

「……私は無能だ」

 せめて貴族出身のメンツを抜きにしても、状況を打開したかった。
 確かに無能呼ばわりされたくないという邪な感情も無かった訳では無かった。
 それ故、彼にほんの少しばかり残されていた良心が咎めてくるのである。

「私はつまらん大人になりたくは無かった。見下ろすよりも、屈んで目線を合わせるような人間を目指したかった筈だ……」

 机に置いた帽子をもう一度被りなおし、窓の外の灰色の景色を眺める。
 この向こうで“彼”は絶望と孤独を毎晩のごとく噛み締めながら過ごさねばならないのか。
 結局、ヴォルケンは“彼”を救う事はできなかった。
 それに何ら予防策も新たな情報も、決定打も見つかっていない。彼がここから姿を消してから約二十日間。
 MAIDのベルゼリアが本日午後1時を以ってヴォルケンの管轄下に置かれ、いよいよ身動きが取りづらくなる。
 現在時刻は8時であり、もはや猶予のひとかけらも無い。

 毎日犯人探しに奔走していたが、今日まで何か良い手立ては思い浮かんだであろうか。
 ――答えは“否”(nein)

 もはやぼろくずか何かのように、毎日後ろ指を指されねばならなかった。
 救い損ねたあの親しい部下は……“非国民”だの“出来損ない”だのと死人に鞭打つような罵詈雑言まがいの陰口を受け、
 ヴォルケンのほうは“無能のヴォルケン”だの“部下殺し”だのと失笑を買うことになった。政敵にとっては一石二鳥どころの騒ぎではない。

 周囲の“そうではない”人間は本当に強かった。
 喪に服していた“彼”の部下達は、三日立たぬうちに表面上は平静を取り戻していたのである。
 ナイーヴになりがちなヴォルケンには中々真似出来ず、結果としてこのように憂鬱な表情を隠せないまま窓の外を眺めるしかなかった。


「――ん?」

 不意に響いたノックの音は、ヴォルケンを回想から引き戻した。



ライサ・バルバラ・ベルンハルト少将。まかり通る!」

「いやいや、まかり通らんでよろしい。普通に入れ」

 言葉が最後まで出てくる前にドアは開かれ、ヴォストラビア系特有の赤みがかった茶髪を少しばかり揺らしながら、凛とした表情の女性が入ってきた。
 賢しげな、しかし同時に頼もしさをも感じさせる双眸が、こちらに微笑みかけている。

「笑いに来たか。私はご覧の通りだ」

 ――私はもうあの“アル中ヴォルケン先生”には戻れない。
 陰謀も見抜けずに、多くの部下を無駄死にさせた“無能のヴォルケン”だ。
 この大柄な男は疲れた微笑を一瞬だけ浮かべ、再び窓の外を眺めた。

「笑うものか。私のこれは元気付ける為だ」

 いつものように、机の向こうから頬杖を付いてこちらの様子を伺うベルンハルトに付いて行けず、少し面食らってしまう。
 それでもこちらとて、対応は色々とある。

 さて、まずは軽くジャブでも入れようか。
 地球儀とて自転車とて、急に回せど上手く回りはしない。
 頬杖に疲れたベルンハルトの行動パターンは、この後ヴォルケンの椅子の横まで行くと相場が決まっている。
 今回も同じだった。

「何だ何だ。傷の舐めあいでもさせてくれるのか」

「何を馬鹿な。勤務中だろうとこっちの舐めあいならいつでも相手になるぞ」

 ベルンハルトのゆるやかに撫でるようなボディタッチが、ヴォルケンの眉を少しばかり動かす。
 朝も早くにご苦労な事でと苦笑の一つもしてしまう。
 今更この歳になって羞恥心から赤面する事も無く、またそういう気分にもなれないというのが実情だった。

「いや、身体の舐めあいではなくてな。傷の舐めあいだ」

「私のテクニックを無視しないでいただこうか」

 リズムに乗ってきた。そう来なくては。

「今はそういう気分になれん」

「その気にさせるのも私のテクの一つでな」

 少しばかり、彼女のテクニックに甘えてもいいような気がしてきた。
 女が欲しいわけでもなく、欲望のはけ口が欲しいわけでもなく、何かに当り散らしたいわけでもない。
 ただ、ただ、喪失感という巨大な風穴に詰め物をしてくれるだけでいいのだ。

 いや、やめよう。公私混同は酒だけで充分だ。そもそも根本的な解決に至らないと解っているのだから、若者でもあるまいし即物的な欲求に身を任せるのはやめよう。


「……そろそろやめないか」

「そろそろやめるさ。本題に移ろう」

 してやられた。
 ベルンハルトのこの微笑は、間違いなく“少しぐらついて、やはり断る”という事を見越している時のそれだ。
 初めから仕組まれていたのだ。が、またそれが有難くもあったのも事実である。
 ジョークのやりとりは、心に沈殿した淀みをある程度浄化する効能がある。
 少なくとも、真に受けてしまわないだけの余裕はこの四十余年の人生で身につけていたのだった。
 本題に入る。

「先日はどうだった。ベルゼリアの紹介を受けたんだろう?」

「あー……外見は10歳だというに、まるでちょっとしつけのなってない5歳児のようだったよ。どうも違和感が拭えん」

「そうか? 見た目には大人しそうだったが」

 確かに大人しいと云えばそうなるが、どちらかと云えば人見知りの激しい幼子に近いというのがヴォルケンの認識だった。
 脳裏に、画用紙とクレヨンを持ちながら嬉しそうに走り去るベルゼリアの記憶が浮かぶ。

「階級も名前もまともに云えないほどだ。それに立ち話に聞き耳を立てる仕草すら無い。技術部の連中は甘やかしてばかりでいかん」

アイゼナと登録番号Xが同時期に登録を受けたのだったかな。ひっくるめて初期教育を受けさせているのなら、納得が行くな」

「……あの二人か」

 アイゼナは、大型の義肢を両手両脚に装備した長身のMAIDであり、いわゆる量産型MAIDを生産するという“プロメシュース計画”というものの産物だった。
 量産型と銘打っているだけあって、素体も入手しやすい低水準のものが選ばれたという。
 どうやらアイゼナの素体となったものは染色体の異常か何かで知性が低かったらしく、語彙も反応率も、お世辞にも良いとは云えなかった。

 登録番号Xにいたっては、プロメシュース計画と同時期に進められた別の量産計画の産物で正式名称も決まらず、俗称としてそう呼ばれている個体である。
 こちらも人格面において無視出来ない問題を持っており、機械的な反応を示すかと思えば暴言や奇妙な言動など、素体の育ちの悪さが露呈していた。

 確かにこの二体と合同で初期教育を受けていたのなら、ベルゼリアの初期教育も思わしいものでなかった事は想像に難くない。
 何故なら、初期教育に携わる人員は殆どおらず、それも研究や新技術開発などのスケジュールの合間を縫うようにして行われていたのだ。
 ヴォルケンもかつて、それらの現場を見たことがあった。
 確かにあの有様では致し方ないのではないかと納得が行く。

「私はおおよそ、軍人には向かんな」

「だが教育者には向いている筈だ。折角教育担当官になったのだろう?」

 やはりお見通しだったか。
 本題としてまずこの話題を持ってくるから大方の予想は付いていたが、担当官になった事まで見抜かれ、ヴォルケンは焦りを隠せない。

「何もかもお見通しだな。やはり君には勝てる気がしない」

「そうだろう。もっと褒めてもいいぞ」

「そこは褒めないでおこう。図に乗られて仕事を押し付けられてはたまったものではない」

「ああそうそう。親衛隊内部で、お前とベルゼリアが近いうちに買い物に行くという噂で持ちきりだったぞ」

 話の腰を若干折られたような心地がしたが、問題はそこではなかった。
 これはお見通しどころの騒ぎではなく、多くの場合、筒抜けと呼ばれるものである。
 背中に嫌な脂汗が流れ始める。あの技術者が云い触らしたのだろうか。
 だとしたらとんでもない大迷惑だった。無能の上に親バカ、ロリコンなどというあだ名がつけられてはたまったものではない。
 やれやれまったくとんでもない話ではないか。


「午後一時には特別教育時間が設けられる。私は噂の通り、買い物に行くだろう」

「では話が早い」

「付いてくると」

「でなければこんな話題を振るものか」

 満面の笑みを浮かべてこちらに向き直り、ベルンハルトは腕時計に目をやりつつ話を繋ぐ。

「スケジュールのほうは決まっているのだろう?」

「ん、ああ」

 引き出しからレジュメを取り出し、机に置いた。
 内容を追いながら、鉛筆で書き込んで行く。

 まずは先日の技術部宣伝顧問がこちらに出向き、ベルゼリアも含めて軽い面会。その後は手続きを済ませ、それを以ってして正式にベルゼリアの担当官となる。
 技術者はここで退場となり、あとはばったり出会ったときにでも世間話をする程度の関係となるだろう。

「この技術者が曲者でな。ベルゼリアちゃん、だの何だのと猫撫で口調だった」

「愛のある対応だな」

「彼奴の場合は自己愛の延長線上に過ぎん」

「そんな事は解っているさ」

 次にレクリエーションに関する軽い説明を黒板に書きながら説明し、それを終えたら方々が更衣室で着替えを済ます。
 説明時間は15分丁度で済ませる予定。どうにか説明をスムーズに行えたら良いのだろうが、ベルゼリアのあの様子では難しいかもしれない。
 理解に時間のかかる項目は何から何まで省略せねばならなかった。
 前述の通り、ヴォルケンは幼子にものを教えた事は無い。今まで教鞭を振るったのは、10歳以上で飲み込みの早い相手のみである。

「鉛筆で但し書きがしてあるな。難しい事は省くのか」

「どう教えたものか……」

「私が手伝うか?」

「頼む」

 簡単な説明を終えたら、いよいよ次は買い物だ。
 ベルゼリアの興味の対象を技術者に教えられたが、その話によるとどうやらぬいぐるみや菓子、果物などに強く興味を示すらしい。
 前の大戦では物資の不足から生活必需品以外はまったく作られなかった。
 だが皮肉にもMAIDが台頭してからは“一発の弾丸より剣の一振り”というスローガンと共に、軍需産業の縮小が行われた。
 確かに航空機などは空戦MAIDが不足していた為にそのシェアを失う事は殆ど無かった。

 が、銃器や戦車はどうだろうか?
 MAIDの動力、エターナル・コアと呼ばれる鉱石の持つ武器強化能力のおかげで銃器の消耗率は瞬く間に減った。
 それどころか銃器を持たないMAIDすら存在するのである。需要が減った現在では倒産に追い込まれた企業も少なくない。
 また、もはや戦車に至っては陸戦においてその存在価値の大半を失い「戦車三両を輸出してMAIDを一体配備しろ」とまで云われてしまった。

 ただこれに関しても皮肉な話だが、昨今ではジークフリート以外の優秀なMAIDはことごとく狩られてしまい、結果として需要は緩やかな回復傾向にあるという。
 立派な足の引っ張り合いで成り立っているのだが、その大元はどこにあるのか。

 それはともかく、グレートウォールを押さえてからは資源の供給が安定し始めた事もあって、民間人向けの嗜好品が再び作られるようになったのである。



「そろそろ、時間か」

 技術者の訪問を前に、ヴォルケンはネクタイを締めなおす。

「私は近くで時間を潰しておくか?」

「いや、一緒に居てくれ。マイスターシャーレの講師の一人なら、彼も悪い顔はするまい」


最終更新:2009年01月03日 02:16
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