(投稿者:ニーベル)
心地よい風が身体が包み込むのを
トラヴィアは感じていた。
広大な草原が風で靡き、大樹の葉がざわざわと騒ぎたてている。その音は、トラヴィアを落ち着かせた。
トラヴィアはこの草原で、
一人で暖かい陽気を感じながら寝ているのが大好きだった。
いつもいつも走っているのだから、走っていないと落ち着かないのではないかと、人にはよく言われる。
確かに、走っているのは好きだ。戦闘などでは役に立たない自分というメードにとって、走って味方に素早く情報を教えてやれることが唯一、他のメードよりも抜きんでて出来ることだからだ。
しかし、久々の休暇にはこうしてゆっくり寝ころんで、空を眺めながらぼーっとしているのもトラヴィアは幸せなのだ。
「幸せそうね。トラヴィア」
声がしたほうへと、トラヴィアは顔を向ける。次の時には耳がぴくりと動いて、目の前の女性へと抱きついた。
抱きつかれた女性は、一瞬驚いたが、すぐに表情を微笑みと変えて頭を撫で始める。もしこの時、トラヴィアに尻尾が生えていたならご機嫌と言わんばかりに降っていただろう。
嬉しそうに耳をぴくぴくとさせ、ぎゅっと抱きつく。
クローディアと呼ばれた女性は、そうよ、元気そうねトラヴィアと返事を返し、地面へと座るように促す。トラヴィアは勿論それにしたがって腰を地面へと下ろしクローディアが出した膝に頭を乗せる。
いわゆる膝枕というやつをクローディアにしてもらい、トラヴィアは満足と言葉に出さずとも分かる笑みを浮かべる。
トラヴィアは、母親というものを知らない。父親代わりとも言うべき人物はいるけども、言葉に出して「お父さん」とは言ったことがなかった。
無論、父親代わりの人からも娘とは言われたことがなかった。はっきりと口にはだしてはいないが、正直寂しい思いをしていたものだ。
そんな時、
クターに入ってから接しているクローディアに思い切り甘えているのは、それが原因かもしれない。
クローディアを母親と思っている節があるのを、トラヴィアは感じていた。そんなこと言葉には出してはいないが、クローディアには、ばれているかもしれない。
それはそれでも良かった。実際、自分がクローディアを母親のように思っていることは真実なのだから。
「ええ。それよりも、アレクセイ中佐が探してたわよ」
トラヴィアの教育担当官の名前を言われるが、トラヴィアは動こうとしない。
どこか怯えた風に、耳をへなりと下げてしまう。クローディアは苦笑しながら、耳を軽く掻いてやる。
「……心配してたわよ?」
トラヴィアにはそんなことは分かっていた。自分の教育担当官――
アレクセイ・シヴェルタ中佐は、自身に深い愛情を注いでくれていることも。
トラヴィアはそれに対して上手く答えることが出来ない。大好きなのには違いないのだ。父親代わりの人と言ったが、自分自身は父親と認識している。
それでも、父親とはっきりアレクセイに言ったこともないし、娘と言われたこともない。それが自分を寂しい思いに包み込んでしまうのだろう。
分かっていても、頭の中で何度も考えてしまい、時々泣きたくなる。といってクローディアにわんわん泣きながら抱きつくことも出来はしないが。
「いいです」
「良くないわ」
優しく、それでいて少しきつめにクローディアが言葉を紡ぐ。
「アレクセイ中佐にとって、貴方は大事な娘なのよ? あの人不器用だから、そんなこと口には出せないけど」
そう言うならば、私も不器用なのだろうか。トラヴィアは少し、不思議な気持ちになった。同時に、少し勇気が湧いてきた。
「私、帰ります!」
「いってらっしゃい。トラヴィア」
慌てて立ち上がり、彼女専用のブースター「スレイプニル」を発動させ、地を蹴り飛ばして跳ね上がる。
まるでその場所だけに大砲の弾でも着弾したかのような土埃が舞い、辺りの視界を一時的に奪う。
「……元気なのはいいけど、周りも考えないとね」
その場に残されて、土埃をもろに浴びたクローディアが、呟いた。
「……」
子の帰りを待つ親の気分というのはこういうものだろうかと、アレクセイは考えていた。
我ながら情けない話である。「皆殺し」のアレクセイ、「赤」のアレクセイなどと言われていた自分が娘のような存在――トラヴィアの帰りを待ちながらカレーを作っているなどとは笑い話にもならない。
ヴォストルージア社会主義共和国連邦に属し、下された命令を淡々とこなしていた。
如何なる任務も、祖国の為と思い、人が顔を背けるような任務すら祖国の為ならばと、実行してきた。それこそ人種淘汰に近いことすらもやった。
兵士達が泣き喚き狂いそうになっても、自身が捕らえた捕虜を率先して殺していくことで、兵士達にも続けさせていた。
そのおかげかどうかは知らないが、随分表彰もされたものだ。それに何の意味も無いことも知っていたが、自分が表彰されることによって
兵士達にも決して間違ったことはさせていないと思える事が出来た。
何よりも、祖国への忠誠心で自分は正気を保っていたとも言えただろう。
その祖国に裏切られたのは何時だっただろうか。
いつのまにかクーデターの嫌疑をかけられ、気がつけば信頼できる部下達とともに祖国から
グリーデル王国へと亡命していた。
部下達がなんらかの手筈は整えていたのだろう。驚くほどあっさりと保護され、ふと自分の立場を見てみれば、グリーデル陸軍の中佐に取り立てられていた。
亡命してから、何故自分がクーデターの嫌疑をかけられたのか考えたが、だんだんと無意味であると思えてきたので止めた。
あの時の自分は、何も政治に関わろうとはしてこなかった。軍事行動が出来て、兵士達と共に戦えていれば、それだけで幸せだった。
それが、逆に上層部には、怪しく見えたのかもしれない。誰かが、現在の書記長に良からぬことを吹き込んだのかもしれない。
結論から言えば、そのことに気が回らなかった自分が悪いと言うことになるのだが。
「……しかたねぇさ」
ぐつぐつという音と、カレー特有の刺激的な匂いが漂ってくるの感じて、思考をこの場へと戻し、アレクセイは火を止める。
グリーデルに来てからと言うものの、最初は余所者という目で見られていたが、軍事行動も汚れ仕事も積極的にこなすことで、親しい友人も多くできた。
亡命したことを悔やむのも、無くなっている。自分が信じていた祖国は、もう存在しないと定めることも出来たことがあるのだろう。
今ではグリーデルが自分の母国だとも言える。それぐらいアレクセイは、この国を気に入っていた。無理をして峻厳な軍人の仮面を被らずとも良いのだから。
なによりも娘のような存在である、トラヴィアの影響も大きかった。
一度結婚をしたが、別れる際に妻に子どもを取られた。そのこともあってか余計にトラヴィアは可愛かった。
教育担当官という役目を与えられたときは、自分には合わないと思っていたが、現在は誰にもこの座を譲る気はない。
そこまで可愛いトラヴィアだが、はっきりと自分の娘とは言ったことがなかった。
何故か言おうとすると、喉の先まで出かかって、飲み込んでしまう。こんな年で恥ずかしがることがあるとはアレクセイは考えてもいなかった。
トラヴィアも同じなのか。お父さんと言おうとして口を噤むことが多々ある。
思い切り甘えてきて、膝枕や頭を撫でろなどを要求してきたり、挙げ句には寒いやら怖いやら理由をつけて、自分が寝ているベッドに潜り込んできて一緒に寝てくることすらあるのにだ。
――なんとも不器用な親子だな。
思わずアレクセイは苦笑してしまう。
喧嘩もすることもあるが、それは互いに信頼があるからこそだろうとも思う。
時間を見てみれば、日も暮れ始めていた。そろそろ、クローディアが見つけてくれて、トラヴィアを帰らせてくれる頃だろう。
いかにも辛そうなルーを御飯の上へとかけ、二人分の皿を盛りつける。付け合わせにつくっておいたサラダには軽くドレッシングをかける。
それらをテーブルへと置いて、椅子へと腰掛ける。
それからちょっとすれば、案の定、ドアをノックする音が響いた。ドアへと手をかけ押し開ければ、やはりトラヴィアが立っている。
慌てて帰ってきたのだろう。息は荒く、少し服も汚れていた。
「……あ、あの」
「……お帰り。腹が減ってるだろ? 飯なら出来てる」
怯えたように顔を下へと向けるトラヴィアの頭を撫でてやる。それで安心したのか、トラヴィアが顔をあげ、泣きながら自分に抱きついてくる。
そんなトラヴィアをやっと抱き締めて、頭を撫で続ける。
やはり自分たちは、親子なのだ。
カレーが冷えてしまうのを見ながら、アレクセイは思った。
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最終更新:2009年01月24日 21:08