Chapter 4-2 : 軍神死せり

(投稿者:怨是)





 エディは列車に揺られながら、分厚い雲に包まれた空を眺める。やはりこれくらいの明るさが丁度良い。
 午後の四時ごろか。この時間帯が一番、気分が落ち着く。

 列車は、長い。
 単純な車両の長さだけではなく、連結された長さもそうであるし、線路そのものがまずこの広大なルージア大陸を長々と跨いでいる。
 過去には植民地やら何やらとの連絡手段として使われていたであろうこの線路も、今ではただの移動手段になってしまった。

 列車は、長い。
 歴史も大きく遡る事で移り変わる車両の種類に、数々の事故、それに伴う路線の廃止など。
 伴う時間もまた長く、綿密に刻まれてきた記憶の湖へと潜り込めば、水底に手をつけてから水面に戻るまでに、どれほどの時間を要するのだろうか。

 だが、財布は短い。金策も尽きればそのうち何もかもが終わってしまう。
 今までどうにかしてしのいで来た生活も、そろそろ生活費が尽きてきた。
 銀行から降ろした貯金とて、そこまでの金額ではなかったのだった。

 どこかの農家や労働者に混じって汗を流したいとは思わない。そこへ一度でも入り込めば、きっと抜け出す事も許されない。
 他の何らかの方法で金を稼ぐしかなく、かといってベーエルデーでは解決策が見つからなかった。

 こうしてレベルテ行きの列車に乗ったのは、その足でザハーラまで赴いて各国のMAID事情を見てみようと思ったのが一番の理由である。
 が、ついでに金策の一つでも見つけてやれたら、それは文字通り“儲けもん”ではないか。
 切符を切り終えた車掌の背中を見送ると、口が勝手に開いた。

「びっくりだよ。ヴァトラーちゃんてば、飯の時は俺に要求するクセに喰わないのに、切符は普通に買ってるんだよな。いつの間にか」

「すまない。どうにも人前で食事を取るのが苦手で。昔から行動の早さには自信があるのだが、どうやら胃袋ばかりは愚鈍らしい」

 先ほどのコーヒーも、ヴァトラーは一滴も口に含む事無く、そしてまたカップにすら手をつける事無く席を立ってしまったのだ。
 コーヒー代ひとつ取っても、安い金額ではない。それを外気に晒して冷やしきってしまうのも勿体無い話だった。

「まぁコーヒーのひとつくらいは出してやるよ。外で待たせるのも何だか気が引けるし。で、ブリュンヒルデの話だったっけ」

 軽く、口先から毒でも突きつけてやろうか。
 そうして出てきたのが“外で待たせるのも何だか気が引けるし”の一言であった。
 にもかかわらずそれを意に介さないヴァトラーは、やはり今のエディと同じく、自暴自棄の境地にあるのだろう。

「そうだったな」

「……今から6年くらい前だったかな。戦争が始まったのは、俺がまだ二十歳にもなってない頃だった」

「6年前か……私が戦場に出向いた時期と同じだ」

 エディは、1938年の……月日までは覚えていない。
 “忘れろ”という周囲の重圧と、最前線からは程遠い場末の通信兵であった彼の立場とが、灰のように記憶を吹き飛ばしてしまった。
 そもそも既に故人となったMAIDである。現状に直接的に関わっている筈も無い。その“現状”からも、エディは蹴り出されて部外者となったのだ。

「あぁ、やっぱりな。そんな感じがしていたんだ。じゃあ見たことあるだろ。ブリュンヒルデの戦いぶりはさ」

「無理をしていた風ではあったな。コアの出力に見合わない、過労気味な戦い方だった」

「確かに敵の群れに突っ込むだけの度胸とポテンシャルはあった。でもそれだけだよ」

 実際には“それだけ”の一言で片付けるには惜しく、人望はそこそこあったらしい。
 戦闘馬鹿で根暗なだけのジークフリートと違って、さぞや人格面でもよく出来たMAIDだったのだろう。
 ただ、詳細な所までは、聞き及んではいない。それに過去というものは得てして、年月を経て風化しかかっているものほど鍍金を施しやすい。

「周りの援護が無かったらああいう無茶はできなかったろうし、303作戦がよっぽど効いたんだろうな。
 歩兵部隊もみんなして必死こいて援護してやんの。ライフル投げつけられて“お前も撃て!”とか云われた時には、複雑な気持ちになったよ」

「複雑な気持ちか」

「あいつには“ここまでにしておこう”とか“ここは他の人に任せよう”とか、そういう考え方が無いみたいだった。
 それにいくら待っても終わらないんだぜ。弾切れになっちまうよ。あいつったら、しまいにゃ帰還命令まで拒否してたし」

 帝国の象徴としての顔として、エントリヒの軍神としての周囲の期待感に背くまいとして動いていたのだろうか。
 それとも、何らかの高いプライドなどが帰還を許さなかったのか。
 きっと分量こそ違えど両方持っていたのだろう。そして、それ以外の幾多の要素をも抱え込んで複雑に絡めていたのかもしれない。
 が、エディにそこまで考えられるだけの複雑な思考は無かった。

「……でも、ジークフリート計画が発表された時ばっかりは、目を輝かせてたよなぁ」

 ぽんと出てきた単語を脳裏に思い浮かべる。そうだ。ジークフリート計画。
 当時、次世代MAIDの増産を目論んで様々なMAIDがいくつも計画された。どれだけの数が居ただろうか。思い出せないが、今はその半分も残っていないだろう。
 ジークフリート計画はそのうちの一つであり、当初はいくつもあるただの“次世代MAID計画の中の一つ”でしかなかった筈だ。
 目をつけた理由が何であれ、やけに戦闘訓練をしたがっていた気がする。

「まぁ多分、後釜が欲しかったのかな。技術屋の連中がえらい親馬鹿ばっかりだったから」

「出来の良いプロトタイプは、得てして技術者に好まれるものさ」

 あくまでプロトタイプとはいえ、次世代MAIDの発表まではスコアが一番高かった。
 Gの最終撃墜数はどれ程だったろうか。1200匹ほどだったか。たった3年間の実働年数にしては、出鱈目に多い。

「苦労して生み出した愛娘がお利口さんなら、そりゃあ溺愛するんだろうよ」

 ブリュンヒルデは云うなれば、一度は地に堕ちた技術部の威信を、一気に高めた存在である。
 例えそこに戦果並列化に近しいイカサマのカラクリがあったにせよ、有難い存在であった事には変わりない。

「つぅても……」

 あくびをひとつ。
 雨が降ってきたのか、斜めの水滴が窓に幾つも張り付いた。

「ジークフリートが生まれてきた当時でこそ“バルムンクをへし折る程のスパルタ教育”とか宣伝されてたが、ありゃ嘘だ」









「――へし折ったと云われてもな。あの時のバルムンクは、金属の純度の足りない不良品だったろう」

 同時刻。皇室親衛隊の兵舎の一室にて、ホラーツ・フォン・ヴォルケンは見たくも無い顔をもう一度拝む羽目になっていた。
 技術部広報顧問が扉を叩いて現れたのだ。

 何かと思って戸を開けば、ベルゼリアの武器――うー君と、さーちゃん。このセンスも幼女趣味甚だしいが――をバージョンアップするとの事だった。
 そして、そのついでなのか、昔に彼が携わったブリュンヒルデというMAIDの話まで始めたのである。
 ベルゼリアをまたどこか適所に遊びに行かせ、大人同士の会話に集中することにしたが、これは失策だったか。

「関係者は皆そう云っていますがね。それでもコア・エネルギーを武器に送り込む能力に差があったというのもあるでしょう」

 MAIDの振るう近接装備が人間のそれを大きく上回る破壊力を発揮するのは、ひとえにコア・エネルギーが武器へと注がれている為である。
 この事実はMAIDと関わる全ての人間にとって、既に常識であったか。

「実戦データをいくつも検証したろう。確か、ブリュンヒルデのコアは老朽化が進み、コア・エネルギーは低下していたという結果が技術部から出ていなかったか」

「どうせ隣の部署とかの僻みでしょう。うちらは実績をちゃんと出してますよ。
 ブリュンヒルデによる教育方針を打ち出したからこそ、今のMAIDの教育方針の土台になったんじゃないですか。
 それでですね。今回の改良型は中身に力を入れましてですね。コア・エネルギーの伝達効率を従来より数%向上させまして」

 放った銃弾――“都合の悪い正論”は、自慢話の爆風に掻き消される。

「久しぶりの傑作だから喜んでいるのか。広報君」

白竜工業の連中が作っているようなブリキのオモチャとは訳が違うんですよ。我々の技術というのは」

「解った解った。云われんでも勝手に採用されるんだから、宣伝やめ! ハイ回れ右!」

「じゃ、宣伝やめます。それはさておき。
 ブリュンヒルデ様は……軍神は、蘇りますよ。そう遠くない未来に。その時は、ジークフリートには教育担当官になってもらおうと思うのです。
 そしたらベルゼちゃんと、ジークフリートと、軍神の三人で仲良しな日々が始まるかもしれませんよ」

 話を聞け。話を。
 いや、言葉の行間を読め。

「……そうなのか」

「ええ、もちろん。彼女ほど魅力的な教官はいないはずでしょう」

 ブリュンヒルデもジークフリートも、戦闘以外に能があったろうか……いかん。口を滑らせまいとして、慌てて顔をそらす。
 無闇やたらに悪口雑言が口を突いて出てしまうのは、人間全体の悪癖であり、悪徳である。

 思い返してみろ、ヴォルケン。いつぞやに「周囲には内緒だ」として封印した、ブリュンヒルデの手記を。
 あれには何が書いてあった? 苦痛と苦悩に満ちた文面が、延々と綴られていたではないか。

 思い出してみろ、ヴォルケン。あれを見た技術者達が何とのたまっていたかを。
 彼奴らは何と云っていた? 「思い悩む事だってある。だからこそ軍神は美しかった」として、本質から目を背けていたではないか。

 様々な要素が連綿と連なり、こうして形を変えつつ蓄積され、問題は深刻化した。
 貴様が呑み込むと同時に脳裏の闇に葬り、清廉潔白で振舞おうとしたその悪口雑言こそが。
 自己愛を薄っぺらな正義で上塗りして、周囲を貶めて自身を相対的に高みに上らせようとしたその悪口雑言こそが。
 この深刻化した問題の数々の根幹をなすうちの一つなのではないのか。

「……」

「ヴォルケン中将、私は何か妙な事でも申しましたか?」

「いや、何でもない。こちらの用事を思い出しただけだ。少し休ませてくれ」

 精神に膿でも溜まったか。否、昔からだ。
 ヴォルフ・フォン・シュナイダーへの無意味な敵意を自覚せねばならないだろうに。自分が清廉潔白だとでも思っていたのか。
 脂汗が帽子の隙間から垂れてくる頃には、技術部広報顧問はすっかり荷物をまとめて帰り支度を済ませていた。

「仕事中に疲れが溜まる事は、よくありますとも。まぁ次回に詳細な説明をいたしますので。それでは、また」

「ああ……」


 ブリュンヒルデとジークフリートの決闘の顛末は、どのようなものだったであろうか。
 その頃は教導学校マイスターシャーレ設立に伴う会議などで忙しく、MAID事情に関しては殆ど触れる事も無かった。

 結果だけを伝聞で耳にする程度だったが、その時に得た情報は“一度砕かれたバルムンクが、今度はヴォータンを破壊したと”いうものだった。
 原理で考えれば単純だ。エネルギー供給の弱まったヴォータンを、きちんと精製した金属のバルムンクが砕いただけである。









「結局、どうなったんだっけな。ジークフリートとの決闘とやらは」

 為すがままに火をつけた煙草が、眠気を幾らか和らげる。
 ニコチンとタールが血管を収縮させ、脳が危険信号を発生させる。
 この感覚はきっと、浅瀬に足を踏み入れた時に「ここで転んで深みに嵌れば死ぬだろうな」などと恐れを抱くのに似ているのかもしれない。
 多くの人並み程度に勇敢な者はそういう事を露とも思わないだろう。が、脳は臆病な器官だ。臓器の中ではとびきり臆病だ。
 その臆病な脳を動員させて会話の続きを紡ぐ。

「どっちが勝ったんだっけな。結局」

「ジークフリートが打ち勝ったとして報道されたそうだが……詳細は私にも解らない」

 ヴァトラーにも煙草を勧めたが、タバコは吸わないと断られてしまった。悪い事をしてしまったか。
 別段迷惑がる事無く続きに応じてくれる彼に、久方ぶりに負い目を禁じえなくなる。
 禁じえない負い目と共に、座席のテーブルに穿たれた穴の灰皿へと、煙草の灰を落とそうとする。

「俺も解らない。部外者には、何も知らされてねぇかんな。しかも――」

 しかし会話は途絶する。見回りに来た車掌に見咎められたのだ。
 視線はそのままに、車掌が苦笑しながら窓際を指差す。

「お客様、灰皿はそちらの窓際のものをお使いください」

「あぁはいはい。すんませんね」 

 よく見れば窓際にも灰皿があるではないか。
 こんな解りづらい所に灰皿を置かれても、困るというものだ。
 妙に高い位置にあるせいで、肩を上げねばならないのが至極面倒である。

 車掌の足音が消え、テリトリーの闖入者が再びゼロへと戻った事を確認すると、エディは煙を撒きながら静かに毒づく。
 この一呼吸で最後だ。約束通り窓際の灰皿にぶち込んでやるか。



「――ったく。使い方決まってんなら、最初からそう云えってんだよ」


 が、いくら影から責め立てたとて、あの車掌の耳に届くことは決してない。
 それに、もしかしたら切符を切る時点で云わなかった事を、後悔しているかもしれないではないか。
 それとも、開き直っているかもしれない。いずれにしても届かない声を、もう一度大にして叫ぶ必要は無かった。

 列車は、長い。雨も止む気配が無い。
 目的地の到達まではまだ暫くかかりそうだった。明日の朝くらいになるだろうか。
 こんな事になるなら寝台の席でも予約するべきだったか。
 鉄橋に差し掛かり、車輪の音がひと際大きく空気を轟かせた。


最終更新:2009年02月01日 00:56
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