太陽のナターリア ◆6MJ0.uERec
やっぱり、あったかいほうがいいヨ
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
暗い、暗い、夜の中において、その場所だけが、白き大気に覆われていた。
視界を遮る白い靄。
規則的に繰り返す水の音。
空気が白い。
無色無臭であり、夜の黒を写すはずの大気が、色と匂いを伴っている。
夜の闇とせめぎ合うは不透明な白。
香り漂うは独特な硫黄の臭気。
本来大気中にあるはずのない異物があるというこのできすぎた状況は、何かの暗喩か。
夜より切り離された白い世界で、ただ一人、少女だけがその身に闇を帯びていた。
否。
それは黒であっても闇ではあらず。黒でありながらも水滴を湛えた彼女の肌は、太陽のごとく輝いて見えた。
赤みを帯びた黒茶色い肌、即ち褐色。
この島に幾多ものアイドルが連れ去られて来ているとはいえども、そのような肌の色をしているのは、ただ一人しかいまい。
ナターリアだ。
褐色の肌に、薄羽蜻蛉色の髪、紫がかった黒の瞳を持った彼女が、一人、露天風呂へと入っているのだ。
「ん~ッ、温泉はやっぱり気持ちいいネ」
湯船の中で、ぐぐーっと少女は背伸びする。
つられて、衣服の拘束から放たれた彼女の体が開放感に身を震わせた。
発達途上にあるはずの、しかし既にして十分すぎるほどの扇情的なスタイルを備えた身体。
官能的な首筋により下、不透明な水面から覗くのは、子どもならではの華奢な肩。
水滴を湛えた鎖骨の溝には、黒陽の髪がへばりついている。
湯気に当てられ、髪から滴り落ちる水滴は、そのまま朱を帯びて水面に浮き出ている胸の谷間に落ちていく。
今は白き水面の中に隠されているが、ダンスによって引き締まったお尻や太股も、少女の放つ無防備な色気と相まって見る者を千夜一夜の夢へと誘うだろう。
惜しむべくは、この場にて、少女に夢見るものが誰一人としていないことか。
ついてきてくれるファンも、三人で結婚しようと笑いあった親友も、一緒に日本語を勉強した後輩も、ナターリアのNo1であるプロデューサーもいない。
ナターリアは、一人ぼっちだった。
「でも、どうしてだろナ。いつもより、ずっと大きなお風呂なのに、なんでかあんまり暖かくないヨ」
ゆったりと湯につかって薄紅色に染まった頬が、ぶくぶくとお湯の中に沈んでいく。
全身を包んでくれるお湯はこんなにも温かいのに、心の中まで満たしてくれない。
なんでだろ。夜で、露天風呂だからカナ。
首を傾げながらも、ナターリアはひとしきり入浴を楽しんだので、ほかほかに温まった身体で脱衣所へと戻ることにした。
ひたひたと足音を立て、石畳の床を歩いていく。
他に客はいないけれど、ナターリアはタオルを身体に巻くことを怠りはしなかった。
恥ずかしいからではない。
その方が、暖かいからだ。
「せっかくなら、シロムクがあればよかったのにナー」
湯冷めに注意しながらも脱衣所に辿り着いた少女は、用意されていた新品の下着を着こみ、『ユカタ』なる服へと着替える。
ブラジル生まれのナターリアには馴染みの薄い服だが、他のアイドル達がこの服で、お仕事していた姿を何度か見たことがあった。
もちろん、あの時アイドル達が着ていた服に比べれば、温泉施設に据え置きの浴衣なんて安物で、可愛さは少し足りなかったけれど。
同じ浴衣ならだいたいこんな感じだろうと、ナターリアは適当に着替えていく。
結果、だぼだぼに着崩れてしまっているが、入浴ついでに洗っておいた衣服がまだ乾いていない以上仕方がない。
とりあえずは紐で結んでおけばオーケーだナと一人大きく頷き、着替えを終える。
「あ、忘れてタ。ニュウヨク後といえば、これダヨ♪」
ふと、思い出したことがあり、長い裾をずるずると引き摺りながらも、ガラスケースの前に立つ。
中から取り出したのは、キンキンに冷えたフルーツ牛乳。
「うんっしょッ、うんっしょッ」
苦戦しつつも、何度か指を滑らせてようやく蓋をあける。
メインディッシュがあるとはいえ、日本といえば温泉で、温泉といえばフルーツ牛乳だ。
少女はちゃんと、作法に則り、腰に手を宛て、こくこくと喉を鳴らしながら牛乳を飲み進めていく。
「ぷは~ッ、このイッパイのために生きている~?」
生きている。少女は今も、生きている。
でも、何かが足りない。いつもなら、ここで、親友の叫び声が木霊するはずなのだ。
ナターリアニコンナコトオシエタノダレーと何故か友人はよく頭を抱えていた。
今も自然と思い浮かべてしまったほどだ。
「あ、そっか♪」
ぽんと手を打ち納得する。
そういえば、日本では浴衣の時はハイテイナイでないといけなかった。
ナターリアはいそいそと着たばかりの下着を脱いでいく。
これでよし、と心の中の親友へとガッツポーズ。
「キョーコはオレのヨメー」
満足した少女は和食堂へと向かうことにする。
この施設に辿り着いてすぐに迷い込んだそこには、大漁の食材と出来合いの料理が保存されていた。
わざわざ賞味期限まで書かれている念の入用だ。
もっとも、ナターリアは賞味期限など気にも留めずにそれを目にした瞬間、入浴後に食べようと強く心に決めていたのだが。
少女の心をそれほどまでに囚えて離さない料理など、後にも先にも一つしかない。
お寿司だ。
冷蔵庫を開け、極上と書かれたシールが貼り付けられた容器を確保するナターリア。
そのままウキウキと畳の間へと歩いて行くと寿司を置いて戻り、今度はお湯を沸かしてお茶を作って持っていく。
食堂の常として、並べられた机の上には、ちゃんと割り箸入れも醤油を始めとした各種調味料も用意されていた。
これなら、存分にお寿司も楽しめる。
「イタダキマス」
ぱちんっと、両手を合わせる。
ぱちりっと割り箸を割る。
かぱりっと蓋を開ける。
「おお~」
目に飛び込んでくるのは色とりどりのお寿司達。
お寿司自体は仕事帰りにプロデューサーに連れて行ってもらって何度か食べたことがある。
が、大体いつも、お世話になったのは、回転する寿司ばかりだった。
今少女の眼の前にある寿司は、出来合いといえども、極上ものだ。
回転寿司などと比べ物にならない品質のお寿司であることは、目に見えて明らかだった。
少女の見たことがない具材や、見知ったお寿司でも明らかに艶と大きさの違うそれに、思わずよだれが垂れそうになる。
「ジュルリ」
訂正、既に垂らしていた。
きっと、これは、今まで食べた如何なお寿司よりも美味しいに違いない。
もはやナターリアには、欲望抑える理性など存在していなかった。
ただ食欲だけに支配されていた。
そこから先は言うまでもない。
ナターリアは食べた。ひたすらに食べた。
ちょうどお腹が空いていたことも相まって箸の歩みは止まらない。
次から次へとお寿司は少女の口の中へと消えていき、遂には空の容器だけが残った。
「ふ~、ごちそうさまなんだ゙ヨ~」
上機嫌でお腹をさすって、空の容器の蓋を閉じる。
「あー、美味しかったナー」
そのまま、満足気に呟いて、呟こうとして、でも。
「……プロデューサーやキョーコ、ニナと一緒なら、もっと美味しかったんだろナー」
そこが、少女の限界だった。
ぱたりと、大の字で床に寝そべる。
あー、あーっと、意味もないうめき声を何度も上げた後で、絞りだすようにぽつりと呟く。
「……暖かく、ないヨ」
下町の小さな銭湯だったけど、響子と仁奈と一緒に入った銭湯はもっともっと暖かかった。
「……美味しく、ないヨ」
プロデューサーが奢ってくれたお寿司は回ってて100円だったけどずっとずっと美味しかった。
「……楽しく、ないヨ」
銭湯も、お寿司も、すごく、すごく、大好きなものなのに、一人だとちっとも楽しくない。
そのことが、とても辛かった。くしゃりと、表情が歪む。
慌てて左手で顔を抑えようとするも、ナターリアはそのまま、ぴたりと動きを止めた。
少女が凝視するは左手の薬指。
いつか指輪をはめたいと願っているその場所を、今は約束が護ってくれていた。
約束。ナターリアはプロデューサーとずっと一緒という約束。
既にして約束は破られた。
ナターリアとプロデューサーは引き離され、どちらの命もいつ潰えるか分からない。
それでも、一度契った約束なのだ。
叶えるために、言われるがままに人を殺すべきなのか。
ナターリアにとっての一番であるプロデューサーのために、響子を、仁奈を、他のアイドル達を殺すべきなのか。
そうすれば、ナターリアとプロデューサーはハッピーになれるというのか。
「……なれないヨ。きっと、それは、とても寒い。寒い、ヨ」
自問自答するまでもなかった。
身体の震えこそ、答だった。
寒いのは苦手だ。誰かとくっついていなくちゃ耐えられない。
思い起こすは、誰かのプロデューサーが殺されたあの光景。
それだけで、ナターリアの身体は震え出して止まらなかった。
目が覚めた時のように、胃の中の物を吐き出したりはしなかったけれど、それでも震えは止まらない。
震えが止まらないというのなら、きっと、そう、誰かを殺すのは、誰かが殺されるのは。
とっても、とっても、寒いことなんだ。
「ナターリアは嫌、寒いよりも、やっぱり、あったかいほうがいいヨ。熱いくらいがちょうどいい」
かざしていた掌をぎゅっと握りしめて、拳を作り、少女が上半身をはね起こす。
寒いのは嫌だ、寒いのは苦手だ、寒いのは一人じゃ耐えられない。
一人になっちゃ、ダメなんだ。
「ナターリアはミンナのお嫁さんで、イチバンなんだから」
他のみんなを押しのけるて一番になるのではなく、みんなの一番になる。
自分で口にして、それこそが自分のやりたいことなんだって、そう気付けた。
ずっと、ずっと、悩んでいた。
人殺しなんてしたくない。誰かに殺されたくもない。プロデューサーにも死んでほしくない。誰にも死んでほしくない。
あんまり頭は良くないけれど、それでも必死に考えて、考えて、考え続けていた。
でも、ようやく分かった気がする。
殺し合いは寒いことで、寒いことが嫌ならば、暖かいことをすればいい。
みんなを熱くしてしまえばいい。
そうしたら、寒いの反対なのだから、誰も殺したり殺されたりしないはずだ。
そして、ナターリアがしたくて、誰かを熱くできることなど、ただの一つしかない。
アイドルだ。
「プロデューサー、見てて。 ナターリア、アイドルになるカラ! あの日テレビで見たようなアイドルになるカラ!」
アイドルには力がある。
そのことを少女はこの島にいる誰よりも知っている。
多くがスカウトされたことをきっかけにアイドルを目指した中、少女ははじめからアイドルみたいになりたいと願っていた。
かつて少女が見たテレビの中で、アイドル達はどこまでも輝いていた。
ただの一人の少女に、ああなりたいと、あんなふうに可愛くなりたいと思わせ、行動させた。
もしもそのアイドルと、同じことが自分にできるなら。
殺しあいとか難しいことを全部、全部吹き飛ばして、凶器を手に取るよりもマイクを手にして踊りたいと思わせることができさえすれば。
アイドル達だけでなく、ちひろ達にも届いて、熱くさせさえすれば。
それは、聖夜の奇跡をも超えたハッピーだ。
「ナターリア、やるヨ! 情熱なら負けないカラ!」
地図を広げて、目を通すと、目的の場所はすぐに見つかった。
野外ライブステージ。
そこで一世一代のLIVEを開く。
単にLIVEを開くだけなら時と場所を選びはしないが、みんなをハッピーにしたいと願う以上、尽くせる手は尽くしたかった。
本気なのだ。
少女は、いつでも、どこでも、どこまでだって、本気なのだ。
本気でアイドルに夢を見ているのだ。
一度決めてしまえば少女の行動は速い上に遠慮がなかった。
温泉施設を物色し、重くならない範囲で色々拝借すると、洗濯し終えて綺麗になったワンピースに袖を通す。
靴も履き、扉を開け、少女は大きな声で叫んだ。
「今まででイチバンの盛り上がりにするカラ! プロデューサーも応援しててネ!
お返しにプロデューサーはナターリアが応援するノ! ガンバレ! ガンバレ、ダーリン!」
ガンバレと。
囚われている大好きな人に、寒さに負けないでガンバレと。
声と想いを振り絞ってエールを送って、ナターリアは走りだした。
また一緒に、みんなで、温泉行ってお寿司を食べに行ける暖かいその日まで。
【F-3 温泉/一日目 深夜】
【ナターリア】
【装備:なし】
【所持品:基本支給品一式、確認済み不明支給品×1、温泉施設での現地調達品色々×複数】
【状態:健康】
【思考・行動】
基本方針:アイドルとして自分もみんなも熱くする
1:B-2野外ライブステージでライブする
最終更新:2012年11月14日 16:28