感情エフェクト ◆GeMMAPe9LY



G-3ブロック。
この島に三つある市街のうちの一つ。
近辺に町役場や図書館、学校などの施設があるそこは、現代日本における一般的な住宅街そのものであった。
そして慄然と立ち並ぶ住宅のうちの一つ、何の変哲もない民家のリビングにその少女の姿はあった。
安物の人工革のソファに身を沈めるのは、髪を派手なピンク色に染め上げた少女――城ヶ崎美嘉である。

「ジョーダンキツいって……」

いつもなら快活でテンションの高い彼女であるが、今やその表情には暗い影が落ちている。
当然だ。彼女の脳裏にこびりつくのは先ほど見せられた趣味の悪いホラー映画のようなワンシーン。
集められたアイドルたち。場違いなほどに明るい事務員。

そして――爆発。

崩れ落ちる男の体。絹を裂くような女の子の叫び声。ちらりと見えた赤黒い断面。

「うぇ……」

脳裏に再生された光景に思わずえずき、喉元までせり上がる酸味に口を押さえる。

――初めての経験だった。
先ほどまで動いていた"ヒト"が一瞬にしてただの"モノ"になる。
その光景は平和な日本にごく普通に生きてきた17歳の少女にとって、あまりにショッキングなものであった。
そして吹き飛ばされた見知らぬ誰かの顔は、いともたやすく身近な誰かに置き換わる。

「莉嘉……プロデューサー……」

城ヶ崎莉嘉
家族でありアイドルとしてのパートナーでもある大事な妹。
『もしかしたらここにはいないんじゃないか』……そんな一縷の望みをかけて開いた参加者名簿にも、しかしその名前は載っていた。
プロデューサー。
普段はちょっと頼りないけど、やるときはやる男だってアタシは知っている。
さっきはよく見えなかったけど、あの事務員が言うことが真実ならアタシ達のプロデューサーだってあそこにいるはずだ。
……そう、あの、人質の中に。

「……あんな光景を見せられたら、誰か、一人ぐらいは、もしかして……」

思わず口をついて出た想像に冷たい汗が背中を伝う。

死。
普段なら別段意識することもないその言葉の意味を、美嘉は改めてかみ締める

死ぬのが怖い。
家族と会いたい。
莉嘉を守りたい。
プロデューサーと会いたい。
莉嘉と三人でまた一緒にトップアイドルを目指したい。

死にたくない理由なんていくらでも挙げられる。
でも、そのためにアタシは……誰かをコロせるんだろうか?

喉がからからに渇く。
心臓が破裂しそうなほどにバクバク言っている。
自分がつばを飲み込む音がやけに大きく聞こえる。
その時、美嘉の全感覚は自分の内部へと向けられていた。
そう、だから気づくのが遅れたのだ。


――ゴトリ


物思いにふけっていた美嘉は背後の物音にはっと振り返る。
ソファのすぐ近く……そこには女の人がいた。
年齢は……プロデューサーと同じぐらい。
髪を後ろ手にまとめた気の弱そうな、でも綺麗な女性。

その顔には見覚えがある。
少し前、動物園のキャンペーンか何かで莉嘉が一緒に仕事をしたことがあったはずだ。
優しくしてもらったって話を聞いた覚えがある。
確か三船美優さん、だっけ。

彼女もアイドルなのだから、この場にいてもおかしくはない。
互いに不幸な目にあってしまったというだけのことだ。
だから問題はその手に鈍く光る包丁が握られていることだ。

「え……」

いきなり現れた他人。向けられた刃。
過剰な情報量に体が強張り、息が詰まる。
思考が停止し、美嘉の体はマネキンのように動かなくなってしまう。

「ごめんなさい……ごめんなさいっ!」

女はそういって包丁を振りかざす。
月明かりを反射して、包丁が鈍く光る。

一瞬遅れて、脳が逃げろと必死の叫び声をあげる。
しかし脳から送られた信号は、混乱で詰まった神経で塞き止められ、美嘉の体は反応しない。

(うそ、アタシ、死ぬの?)

妙にゆっくりと進む時間の中、意思とは関係なく、反射として体をかばうように左腕が上げられる。
それだけでは体重をかけた刃は止まるはずもない。
しかしそのとき視界に入ったのは左腕につけられたシュシュ。
妹と一緒に買った、お気に入りのワンポイントアクセサリ。

『えへへー、お姉ちゃんとおそろだー! へへへっ!』
『喜び過ぎだって! ほんとにしょうがないなー、莉嘉は』

瞬間、体のこわばりが消えた。
それは実際の時間にすればほんの瞬きのような時間。
その間にできたことといえば、体の片方に体重をかけソファに倒れこむことだけだった。
だが美優が包丁を振り下ろす瞬間目をつぶっていたことや、ソファの背後からという変な体勢で突き刺そうとしたこと。
そういった複数の要因が手伝って、銀色の刃はギリギリのところで美嘉の体を掠め、ソファに深々と突き刺さった。

「えっ、あっ、えっ!?」

ソファに深々と突き刺さった包丁は、表面の人工革に引っかかり上手く抜くことができない。
それどころか焦れば焦るほど抜けなくなっていく。
パニックの連鎖に囚われた美優は、美嘉から目を離し、ただ包丁を抜くことだけに専念してしまう。
その隙に、美嘉は次の行動を開始した。

「うっ、あああああああああっ!!」

何も考えない、がむしゃらな体当たり。
二人の体格はほぼ同じだが、ぶつかった方とぶつかられた方では覚悟と体勢に雲泥の差がある。
美優が一方的に吹き飛ばされ、フローリングの床に叩き付けられる。

(アレを渡しちゃいけない!)

ソファに刺さりっぱなしの包丁を見た瞬間に美嘉の脳裏によぎった考え。
その閃きに従い、包丁の柄に手をかけた。
散々引き抜こうとして引っ掛かりが取れたのか。それとも美嘉の力の入れ方が良かったのか。
あれほど抜けなかった包丁はアッサリと抜けて、美嘉の手に収まった。

ずしりとした重みと共に手に握られた無骨な出刃包丁。
その切っ先を向けられた女の顔が恐怖に歪む。

(何よ、その顔は。殺されるのはコッチのほうだったってのに……!)

そう、これは正当防衛ってヤツなんだ。
殺されるならいっそ、こっちから……!

『お姉ちゃん。美優さんって人がね! とっても綺麗でね! 優しくしてくれて、いっしょに"がおー☆"ってやってくれて――』
「~~ッ! ああ、もうっ!」

けど、できなかった。
苛立ちをぶつけるように、思い切り背後に包丁を投げ捨てる。
直後背後で金属音が響く。何かにぶつかったみたいだが確認する暇は無い。
呆然としている美優から視線をはずさないまま、息を整え、両手をゆっくりと挙げる。
敵意が無いことを示す、最も分かりやすいジェスチャー。

「アタシはさ……殺されたくもないけど……殺したくなんて、そっちのがないわけよ。
 ……アンタは……どうなの、美優さん……」

名前を呼ばれ、ビクリと震える体。
こちらをじっと見る動揺した視線に真正面からただまっすぐに視線を返す。
絡み合う二つの視線。
全ての動きが消え、備え付けの時計の音だけが月明かりの差し込むリビングに響く。

停止した空間――だが、変化は時計の針が一回りもしないうちに訪れた。
ポタリ、ポタリと、フローリングに小さな水滴が落ちる。
美優の頬を一筋の涙が伝っていた。
一度流れ出した涙は止まらず、関を切ったように美優の頬を濡らした。
その後はもう言葉にならなかった。
美優はその場に崩れ落ちて嗚咽をあげ始める。

「ああ、もう……泣きたいのはコッチのほうだよ……」

緊張が解けた美嘉も、支えを失った操り人形のようにソファに倒れこんだ。


 *   *   *


バカなことしたなって、自分でも思う。
こんなのはたまたま運が良かっただけでしかない。
世の中こんな人ばかりじゃないし、さっきアタシが死んでた可能性だって十分にある。

でもさ、アタシってさ……ほら、"お姉ちゃん"だから。
莉嘉に顔向けできない生き方だけは……どんな場所でもできないんだ。


【G-3/一日目 深夜】

【城ヶ崎美嘉】
【装備:なし】
【所持品:基本支給品一式、不明支給品1~2】
【状態:健康】
【思考・行動】
基本方針:殺されたくはないが、殺したくない。
1:莉嘉を探す

【三船美優】
【装備:なし】
【所持品:基本支給品一式、不明支給品0~1】
【状態:健康】
【思考・行動】
基本方針:???
1:???

※ 民家のリビングに包丁が落ちています


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最終更新:2012年11月28日 20:28