今を生きること ◆n7eWlyBA4w



三船美優 / Miss it》


 重苦しい沈黙がこの部屋を満たしたまま、どれだけの時間が過ぎたのかしら。
 もう時間の感覚もよく分からなくなってしまったみたい。
 それでも私は何も言えなくて……彼女も何も言わないから、沈黙は終わらないまま。

 でもこの沈黙を壊す権利は、きっと私にはないから。 

 私が涙でぼやけた視界で追った先にあるのは、フローリングの上に転がった包丁。

 ――私は、あの包丁で、美嘉ちゃんを刺し殺そうとした。

 無意識に全身が震えてしまって、私は両腕で自分の肩を抱いた。
 人殺しなんて、許されることじゃないって分かっているのに。
 あの時は、それ以外のことなんて考えられなくて、無我夢中で。
 理性的に考えられるほど、私の心は強くなんてなくて。
 それでも、罪悪感を乗り越えてまで殺せるほどの覚悟も、やっぱりなかったから。
 結局、私は何一つ選んでなんてなかったということなのね。
 殺されるのが怖くて、殺すのも怖くて、何もできなくて。


 なんて、惨めで弱い女なのかしら。


(アイドルになって、自分の足で歩けるようになっていたつもりだったけど……
 あの人が手を引いてくれないと、私、やっぱり一人じゃ何も出来ないまま……)


 それは、気付きたくなかった現実。
 知りたくなかった、本当のこと。
 まるで、あの人に出会う前の私に戻ってしまったみたい。
 一人では何もできない、何も決められない、ただおどおどしているだけの、私。

 自己嫌悪でどうにかなってしまいそう。
 こんな弱い私なんて、今もあの人を苦しめるだけの私なんて、消えてしまえばいいのに。
 美嘉ちゃんは、こんな私のこと、どう思っているのかしら。


「……ねえ、美優さん」


 ちょうど彼女のことを考えていた時に声を掛けられたから、反射的にびくっとしてしまう。
 でもその呼びかけに何と答えていいのか分からなくて、私は視線だけを返した。

「……美優さん。アタシさ、これから莉嘉を探しにいかないといけないんだ。
 それでさ……なんていうのかな、莉嘉は、美優さんに懐いてたみたいだからさ。
 出来れば、美優さんも一緒に来てくれると、莉嘉も喜ぶと思うんだよね」


 それは、つまり、私のしようとしたことを許そうとしてくれているのかしら。
 そのことが素直に嬉しくて、でも同時に、私自身への嫌悪感が湧き上がる。
 こうやって人の好意にだけ甘んじて、いつまで独りで歩こうとしないんだろう。
 そういう心を隠すのが精一杯で、私は曖昧な微笑みで答えることしかできなかった。
 美嘉ちゃんはそれを肯定と受け取ってくれたみたいだけど。


「それにしてもさ。美優さん、よく私がここにいるって分かったね」


 空気を変えようとしてくれているのかしら、無理して明るめの声色で話す美嘉ちゃん。
 その気遣いを無駄にしたくなくて、私も努めて合わせようと応えた。


「えっと……本当はただの偶然なんです」


 萎縮しているせいか、だいぶ年下のはずの彼女にも敬語で答えてしまう。
 そんな自分を自覚してまた消沈したけれど、顔には出さなかったはず。


「本当は、隠れられるところを探してたんです。
 そうしたら、たまたまドアが空いている家があって。
 こっそり入って、でも暗くて怖かったから玄関の電気だけ付けて、
 そうしたらリビングの方から人の気配がしたから……」

 そこから先は、あまり思い出したくない。
 どのようにして、自分が人を殺そうとしたのかという話になってしまうから。
 恐る恐る美嘉ちゃんの方を見やると、なんだか険しい表情になっていて。
 不快な気持ちにさせてしまったかと反射的に謝りそうになった私を、彼女は手で制した。


「今さ、玄関の電気点けたって言った? ……それ、今も点いてるの?」


 その言葉の意味を私が飲み込むのに、たっぷり数秒はかかった気がする。
 そして理解したとき、私の顔から一瞬で血の気が引いた。
 はじめて人と出会ってパニックになって、そのまま頭から消えていたけれど。
 私達以外に誰もいないような住宅地で、一軒だけ電気が付いてたら、どうなるか。
 それは、中に人がいるって、教えているようなもの――!




「――こんばんは。綺麗な夜ですね」



 だけど、もう、後悔するには遅すぎて。
 振り向いた先、リビングの入口に立っていたのは、あの日、誰よりも輝いていたはずの少女。


 シンデレラガール、十時愛梨……ちゃん。


 彼女はあのステージでスポットライトを浴びていた時と同じように微笑んでいたけれど、
 その笑顔からは、なにか大切なものがごっそりと抜け落ちているようにしか見えなくて。
 その違和感に気を取られた私は、彼女が無造作に取り出した銃に全く反応できなかった。 


「危ない――――っ!!」


 美嘉ちゃんが咄嗟に私を押し倒すと同時に、一瞬前まで私達がいた空間を通過する銃弾の雨。
 そのまま手を引かれてキッチンに転がり込むまでの間、私は未だ現実に追いつけずにいた。


 ああ、私は、ただ生きることすら、一人の力ではできないのかしら。


 そう、ぼんやりと思った。それは、決定的な、自分への失望だった。



  ▼  ▼  ▼



《十時愛梨 / Lost it》



 銃はまっすぐ撃つだけでも結構大変なんだって、私は改めて思い知らされました。
 私の構えたサブマシンガン、Vz.61"スコーピオン"。
 その銃口から放たれた30発の銃弾は、自分で思った通りの場所には飛ばずに、
 結局見当違いの壁や天井に弾痕を散らせただけで終わってしまいました。
 もっと、反動を抑えるように構えないといけなかったのかな。

 でも、こんな時だからこそ、焦っちゃ駄目。冷静に整理しないと。

 玄関に繋がるリビングの入口は、今ちょうど私が塞いでいます。
 対して二人が咄嗟に逃げ込んだのは、リビングのちょうど反対側、
 建物全体の北側に小部屋みたいに伸びたキッチンの奥。
 大きな窓に面した南側にも、もちろん玄関にも、リビングを横断しないと行けない。
 そうやって逃げようとする相手を蜂の巣にするぐらいなら、きっと簡単です。
 袋のネズミ、っていうのはこういうことを言うんでしょうね。

 私、人を殺そうとしているのに、思ったよりも落ち着いているみたい。
 もう、あの時よりも悲しいことなんて起こらないって、思っちゃうからかな。
 それとも、プロデューサーさんの言葉が支えてくれてるから……そうだって信じたい。

 これから私が撃とうとする人達。城ヶ崎美嘉さんと、三船美優さん。
 二人とも、私とはあまり親しく話したことはなかったはずだけど、
 LIVEでの彼女達はそれぞれ別の色でキラキラ輝いていました。
 それでも、ソファーに残る傷跡とか、無造作に捨てられた包丁とか、
 この部屋全体を見渡せば、穏やかじゃないことが二人の間に起こったのが分かります。
 それでも今は助け合っているように見えるけど……考えても仕方ないですね。

 ただ、私達はお互いに、あまりよく知る仲ではなかったけれど。
 心に引っかかっているのは、銃を構えてから引鉄を引くまでの一瞬。
 私を見たあの二人の顔には、ショックとか怯えの他に、失望があったと、思う。
 一瞬だったんだから、見間違えかもしれないけど。そんな気がしたんです。

 どうして?
 私が殺し合いに加担するのが、そんなにおかしいの?
 みんな、私のプロデューサーさんが殺されるところを見ていたはずなのに。

 それとも、私がシンデレラガールだから……夢の象徴でいないといけないから。
 だから、夢を壊す側に回ったのが、信じられないんでしょうか。


「……ううん、逆です。これは、きっと私が、シンデレラだからこそなんです」


 私が小さく呟いた言葉は、誰にも聞こえなかったはず。


「十二時の鐘が鳴って、幸せな時間はおしまいなんです。もう、魔法は解けたんですよ」


 ――だから私は、一人ぼっちに戻った私は、自分で自分に魔法をかけるしか、ない。

 私はスコーピオンの肩当てを、名前の通りサソリの尻尾みたいに折り畳みました。
 私のこの二つ目の支給品は、確かにサソリのような猛毒で、そのぶん扱いにくいみたい。
 この調子で撃ち続けたら、あっという間に予備の弾も空っぽになってしまいそう。
 それは避けないといけません。私はこれからも、生きるために殺していくのだから。

 セレクターを真ん中に合わせてセーフティを掛け、代わりにベレッタの安全装置を外します。
 何度もイメージトレーニングしたから、大丈夫。間違いは、ありません。
 私はうっかりしてるから。話してる途中で自分の言いたいことを忘れちゃうくらいに。
 だから、歌詞やステップを覚える時みたいに、繰り返し繰り返し、覚えないと。
 ベレッタのグリップを握りしめ、引き金に指を掛け、両手で真っ直ぐ構えて――


 背筋が凍りました。私のすぐそばを、私に向けて放たれた銃弾が駆け抜けたから。


 咄嗟に入口そばの壁に身を隠すまでの一瞬、美嘉さんの手にも拳銃が見えました。
 反撃してこないって思ってたわけじゃないけど、いざ実際にされると、驚いちゃった。
 それはきっと、藍子ちゃんに会ったから。藍子ちゃんの在り方が焼きついていたから。


(……撃ち返してくるんだ、美嘉さん。必死なんですね、生きるのに)


 ああ、でも良かった。
 もしも藍子ちゃんみたいに、命よりもアイドルであることを選ぶ人が相手なら、
 今度こそそのまぶしさに、私の目は眩んでいたかもしれないから。
 良かった、生きようとする人で。良かった、現実に繋がれた人で。

 これで私も、心安らかに絶望しながら、殺していける。

 美嘉さんの生きようとする理由って何? 単に死ぬのが怖いから?
 それとも、妹の莉嘉ちゃんのため? 他の人のため? ファンのため? 夢のため?
 訊いても教えてくれないだろうから、声には出さない。これは全部、ただの想像。
 でも、この想像が全部本当で、その全部を束ねたとしても――


(それでも、私を支える言葉が、あなたの生きる理由より軽いなんてことは……ない!)


 向こうの銃声が止んだ瞬間に合わせて、壁際から半身を乗り出して、撃つ。
 狙いが悪かったのか、タイミングが悪かったのか、弾は当たらなかったけれど。
 でも、殺すことも、きっとレッスンと同じ。繰り返せば、少しずつ上手くなる。
 だから繰り返し、繰り返し、繰り返し、繰り返し――撃つ!



  ▼  ▼  ▼



《城ヶ崎美嘉 / Want it》



(当たるな、当たるな当たるな当たるな当たるな、当たるな……!)


 やらないとやられるのに、正反対のことを願うしかないなんて。
 死ぬのはイヤだ。殺すのもイヤだ。撃つのも、撃たれるのもイヤだ。
 それでも撃たなきゃ、アタシが撃たなきゃ、何もかも終わっちゃう。

 アタシが今握りしめているのは咄嗟にディパックから引っ張り出した、古ぼけた銃だった。
 西部劇でカウボーイとか保安官が持ってそうな、なんだか厳しい感じのリボルバー。
 名前は"ピースメーカー"……何それ、みんな撃ち殺せば平和ってわけ?
 ただ、今アタシ達が置かれているのは、それがぜんぜん冗談に聞こえないような状況。
 皆殺しにして自分だけ平和になろうなんてアタシには思えない。
 それでも、たとえどんだけ辛くても、自分の身は自分で守らないと……! 

「このぉぉぉぉぉっ!!」

 キッチンの入口の角からリビングへ体を乗り出して、入口側に隠れてる"敵"目掛けて撃つ。
 引鉄を引くたびに、反動の衝撃がアタシの体をビリビリと駆け抜けて脳みそを揺らす。
 慣れたくないその感覚に、体だけじゃなくて心まで震えてしまいそうになる。
 それでも、撃ち続けないと。たぶん距離を詰められたらマシンガンであっという間に殺られる。
 あの時の"彼女"の目は、そういうことに躊躇いとかを感じないように見えたから。



 敵。彼女。シンデレラガール――十時愛梨。



 それほど親しかったわけじゃない。
 アタシとは音楽の方向性が違うっていうか、あんまり同じお仕事やる感じでもなかったし。
 それでも、アタシに限らず、彼女のことを知らないアイドルがこの島にいるなんて思えなかった。
 何しろ彼女は、アタシ達を含めた150人以上の頂点に立ったアイドルなのだから。

 アタシの脳裏にふとシンデレラガール総選挙の発表式の情景がよぎった。
 あの時のアタシは、妹の莉嘉にいつの間にか抜かされちゃってたことへの嬉しさと寂しさと、
 その莉嘉でさえてっぺんには届かなかったってことにちょっと悔しさを感じてた。
 それでもスポットライトを浴びて涙ぐむ彼女の姿を見て、納得したんだ。
 ああ、こういうのがアイドルなのかなって。
 負けを認めたわけじゃないけどさ。女の子の希望になるって、こういうことかって思った。


 その彼女が、夢と希望の象徴だったシンデレラガールが、今、アタシを殺そうとしてる。 


 分からないわけじゃない。彼女は、アタシ達の目の前で、プロデューサーを殺されたんだ。
 あの子にとってプロデューサーがどんな存在だったのかまでは分かんないけど、
 大事な人を殺されて、それで何もかもに絶望しちゃったとしても、全然ヘンじゃない。
 それでも、あの日あんなに幸せそうに笑ってた彼女と、今の心の抜け落ちたみたいな彼女が、
 まるで別人みたいにしか思えなくて、アタシにはそれがショックだった。

 それでも、いくら豹変してるって言っても、アタシにあの子が殺せるの?
 答えは、きっとNOだ。このままだと、たぶん覚悟の差で、アタシ達は殺される。
 せめて何とかして、ここから逃げる方法を探さないといけない。

 その時アタシは、リビングの反対側の大きな窓に、ふと違和感を感じた。
 今の今まで気付かなかったけど……鍵が、開いてる。
 ほんの少しだけ引き戸が開いていて、そこから隙間風がちょっとだけ吹き込んでいた。
 あそこまでたどり着ければ、ひょっとしたら助かるかも。
 でもそれにはリビングを横切らなきゃいけなくて、そのままだと狙い撃ちされにいくようなものだ。
 せめて、自分だけの力じゃなく、他の誰かが支えてくれるなら……。

 ちらっと横目で、美優さんの方を見遣る。
 アタシよりもずっと年上の彼女は、まるで子供みたいに、両手で顔を覆って嗚咽していた。
 まるで、なんとかして生きようって気持ちさえ無くしちゃったみたいに。
 とても当てには出来そうにない。こんな時に誰かに頼るほうがおかしいのかもしれないけどさ。
 ああ、もう。イチかバチかでアタシだけ飛び出すしかないってことかな。
 でも、仮に成功したとして。それは美優さんを見捨てていくってこと。
 そう思うと、莉嘉のあの嬉しそうな顔を思い出して、とても行動に移せる気がしなかった。。


 でもきっと、生きるか死ぬかの時にそんなこと考えてたからバチが当たったんだ。


 撃ったあとに体を隠すのが、ほんの一瞬だけ遅かったんだと、後から気付いた。
 真っ先に感じたのは、熱さだった。それから、遅れて届く波のように、本当の感覚が押し寄せた。


「……痛い、痛いっ……!」


 血が、アタシの肩から血が出てる。
 傷は深くない。ただ弾が掠っただけ。手当すれば大したことはない。
 そんなことは見れば分かるはずなのに。
 傷口の熱さが、流れる色の鮮やかさが、アタシから冷静な思考を奪っていく。

(うっ、ううっ…………もう、やだっ……!)

 怖い。怖い。怖い。
 なんでアタシ、こんなことやってんの?
 生きるか死ぬかなんて、こんなのアイドルのお仕事じゃないよ。
 誰でもいいから、夢だって言ってよ。こんなの絶対おかしいって。
 誰か、誰かここからアタシを助けてよ……!


「――――いです」
「……えっ?」


 パニックになりそうだったアタシを現実に引き戻したのは、目を真っ赤に腫らした美優さんだった。
 突然声をかけられて思考が追いついていない私を、美優さんは更に置いてきぼりにする。


「もういいです、傷つくのはもう十分です……逃げてください。私が……私が、囮になりますから」


 いったい、何を言ってるんだろ、この人は。
 思わずそう考えてしまうくらいに、美優さんの心変わりは唐突だった。
 言葉だけ捉えれば、自分の命と引換えにアタシを助けてくれようとしてるように聞こえる。
 でもなんでか分かんないけど、アタシには全然そんな風には見えなかった。
 覚悟とか、使命感とか、そういうのとは真逆の、何かが抜け落ちた感じがあった。


「早く、莉嘉ちゃんのところに行ってあげて。こんな私のことは、気にしないで」


 そうは言いながら、やっぱりアタシや莉嘉を思いやってる感じじゃない。
 美優さんの考えは、そことは全然別のところにある気がしてならない。
 もしかして、と嫌な予感がした。予感というよりも、ほとんど確信だった。



「もしかしてさ……美優さん、死にたいの?」



 図星を突かれた顔。ああ、やっぱりだ。
 アタシを逃がしたいってのはただの建前。ホントは、もう耐えられなくなったんだろう。
 この人が争いに向かない性格だってのは、今までの短い時間で十分分かってた。
 もっと言うと、ごめんなさいって謝りながらアタシに刃を向けてきた、あの時から。
 だから、理解はできる。でも、全然納得できない。
 アタシの視線に耐え切れなくなったのか、美優さんはポツポツと語りだした。


「もう、嫌なんです。殺すのも殺されるのも、私のせいであの人が苦しむのも。
 美嘉ちゃんは立派です。生きようとしてるもの。私には、そんな気持ちすら持てない。
 私は弱いから……あの人に手を引いてもらわないと、真っ直ぐ歩くこともできないから。
 だから美嘉ちゃんみたいに強い子には……私の気持ちなんて、きっと分からない!」


 最後は絞り出すような嗚咽混じりの叫びだった。
 咄嗟に言い返そうとして、その瞬間にすぐそばをまた銃弾が通過したせいで飲み込む。
 また撃たれるんじゃないかって恐れを押し殺して、出来るだけ冷静に撃ち返す。
 そして今度は前より油断なく身を隠して、改めて今の言葉を反芻した。


 アタシが、強い?
 今だって、怖くて怖くて、ホントは泣き出しそうなのに。
 それでも死んでたまるかってただ必死で、でもどうしたらいいのかは分かんなくて。
 そんなアタシが強い子? アタシのこと、なんだと思ってんの?
 アタシの心が、やり場のない感情で焼け付き始めていた。
 その心に任せて口に出した言葉は、アタシ自身が思ってたよりも感情的で。


「……アタシだって、ワケわかんないよ! アタマん中グチャグチャだよ!
 莉嘉のこと、プロデューサーのこと、ファンのこと、美優さんのこと!
 アタシもホントは殺したくない! 今だって撃ちたくなんかないよ!
 でも何もしなかったら、アタシも美優さんもここで死んじゃうんだよ!?」


 今の今まで押し込められていた感情を吐き出すみたいに、アタシは言った。
 美優さんは一瞬怯んだみたいだったけど、自棄になったみたいに言い返した。


「いいんです! 私なんて、どうせ……どうせ、生き残れるわけないんです!
 でも、美嘉ちゃんが死んだら、莉嘉ちゃんが悲しむじゃないですか……!」


 今度こそカチンときた。
 表向きは莉嘉を思いやってるようだけど、聞き捨てならない言葉だった。


「アンタが死んでも莉嘉は悲しまないって言うわけ!? アタシの妹を、バカにすんな!」


 そうだ。美優さんが命を粗末にするってことは、莉嘉を悲しませるってことだ。
 莉嘉はいつも背伸びしてるけど、ホントはすっごく純粋だから。
 美優さんが死んじゃったって知ったら、きっとわんわん泣くに決まってる。
 そんなこと、アタシが許さない。莉嘉を泣かせるヤツは、アタシが許さない。
 もう自分が何に向かって怒ってるのかも分からなかった。
 ただ言葉を吐き出さないと、自分の中で抑えることなんて出来なかった。


「ホンネ言うとさ、アタシ、うじうじしてるアンタにちょっとムカついてる!
 でも莉嘉はね、美優さんのこと綺麗だって言ってた! 優しくしてくれたって喜んでた!
 アタシの自慢の妹がそう言うのに、お姉ちゃんのアタシが見捨てたりなんかできないよ!」


 美優さんは、虚を突かれたような顔で黙り込む。
 それでも、止まらなかった。アタシの心が、爆発しそうだった。
 アタシの不安。アタシの恐れ。アタシの痛み。
 そういうものがごちゃ混ぜになって、怒りの中に流れ込んできて、パンクしそうだった。
 時折リビングへ身を乗り出して弾のお返しをしながらも、言葉だけは止められなかった。


「アタシだって、最後まで生き残れるかなんて分かんない……それでも、今終わるのはイヤだよ!
 莉嘉を一人ぼっちにしてさ、捕まってるプロデューサーも放り出してさ!
 アタシの帰りを待ってくれてるファンのみんなのことも、忘れたフリして!
 じゃあどうしろって言われても分かんないよ! でもそういうの、なんか違うっしょ!?」


 誰に向かって叫んでるのか、もうアタシにも分かんなかった。
 ただ涙がボロボロと出てきて、どうしようもなかった。
 メイクが崩れちゃうから、人前で泣くなんて嫌なのに。それなのに。


「アタシは見捨てたくない……アタシの大事なもの全部、見捨てたくない!」


 ああ、アタシ、欲張りだ。
 あんなにステキなものに囲まれてたってこと、今になって気がついて。
 そのどれひとつとして手放したくないって、思っちゃってる。
 そんなこと出来るワケないって、分かってるはずなのに。
 長生きできないよ、こんなんじゃ。残酷になんて、全然なれそうにない。
 おかしいかな、こんなこと考えるの? それでも、それでもさ……


「――アタシは、そうやって何もかも投げ出して死ぬために、アイドルになったんじゃないから!」


 震える指でリボルバーの弾倉に銃弾を詰め直しながら、アタシは、もう殆どアタシ自身に叫んでいた。


「だから、生きようとしてよ! 死にたいなんて思っちゃ、絶対駄目だって!
 何かまだ出来ること、あるかもしれない……協力してよ、お願いだからさ……!」


 アタシは撃ちながら泣いて、泣きながら撃った。
 少しずつ減っていく弾が、一層どうしようもない現実を浮き彫りにするようで辛かった。
 じわじわと死の匂いがアタシ達に忍び寄ってくるのが分かるようで怖かった。

 でも、それだけじゃなかった。
 美優さんはしばらくマネキンみたいに固まっていたけれど、我に返るとディパックの中を探し始めた。
 アタシのためだけじゃなく、自分も生きるために、行動してくれていた。
 相変わらずその顔は涙でグシャグシャで、せっかくの美人が台無しだったけど。
 だから、その必死さが、最後にほんの少しの幸運を引き当てたんだと思う。

 何発の銃弾が飛び交ったのかも分からない、長くて短い時間のあと。

 結果から見ると、アタシ達は、見放されていなかった。
 アタシのディパックの一番底から出てきたもう一つの支給品は、今の状況を打開するのにうってつけで。
 それでも、都合が良すぎるなんて思わなかった。
 これは、美優さんが生きようとしてくれたから繋がった幸運なんだ。
 アタシの言葉が無駄じゃなかったってことの証明なんだ。
 だからこそ、無駄になんて出来るわけない。


「わ、私っ、私だって本当は、戻りたい……帰りたいんです、あの人のところに……
 も、もう一度、もう一度舞台に立ちたい……みんなに歌、聞いて欲しいんです、だから、私っ」


 涙声の美優さんから、アタシも霞む視界のままにそれを受け取る。
 受け取ったグレーの円筒には「M18 SMOKE VIOLET」の文字。
 付属の説明書を読むまでもなく、挿絵を見ただけで使い方はだいたい分かった。
 ピンを抜いて投げるだけ。この上なくシンプルだ。
 あと必要なのは、覚悟と勇気。さっきまでの無謀な賭けが、少し現実的になっただけなんだから。
 それでも、今のアタシなら……アタシ達なら、なんとかなるかもって、思った。

 ディパックの肩紐に腕を通して、美優さんの方へ軽く頷いてみせる。
 そしてアタシは円筒からピンを引き抜き、リビングの真ん中にそれを放り投げた。
 数秒後、円筒の底から紫色に着色された煙幕が猛烈な勢いで噴射される。
 もう、後戻りはできない。


「さあ……生きよっ、美優さん!」
「……はいっ!」


 牽制で一発ピースメーカーをぶっぱなすと、アタシは美優さんの手を取って走り出した。
 既に紫色の煙幕はリビング中に充満していて、何も見えなかったけれど。
 アタシは位置を悟られないことを願いながら、真っ直ぐにリビングを横切った。

 すぐ向こうから銃声が響いた。こちらの意図に気付いたのだろうか。
 アタシには当たってない。美優さんのことは、無事であると祈るしかない。

 もう視界は全て紫色で、息を止めないとむせ返ってしまいそう。
 手探りで窓に辿り着き、引き戸の隙間を広げて体とディパックをくぐり抜けさせる。
 その直後に煙にまみれた美優さんもまた、無事に部屋の外に転がり出た。

 でも安心してはいられない。少しでも遠くに逃げないといけない。

 アタシは美優さんの手を引いたまま、一心不乱に走った。

 その手の温もりを、肩の痛みと同じぐらいに確かな現実として感じながら。



  ▼  ▼  ▼



《No/where》



「……逃げられちゃいました。やっぱり抜けてますね、私」


 もうもうと紫の煙幕を吐き出す民家をぼんやりと眺めながら、愛梨は独りごちた。
 その自嘲には、しかしどこか現実から遊離したような、乾いた響きがあった。


「でも、私、まだ生きてます。次は、もっとうまくやりますから。大丈夫、ですよね」


 ここにはいない誰かに向かって、彼女は語りかける。
 結局のところ、愛梨には経験が足りなかったし、油断も多分にあったのだろう。
 それでも、生きてさえいれば、今よりも違った自分になるはずだ。
 ここから少し前に進んで歩けば、何かが変われる。そんな風に生きたい。
 そんな風に、生きなきゃ、と思う。


「私の中には、あの時もらった言葉があるから。だから、生きなきゃって気持ち、誰にも負けません」


 ――――『生きて』。 


 あの時の言葉を、胸の中で反響させる。
 思い出すたびに、心が張り裂けそうになる。この身すら切り刻まれるような気持ちになる。
 だけど一方で、懐かしい暖かさを感じる。ずっとそばにいてほしいと思った、あの暖かさ。
 それを忘れない限り、自分は生きていける。生きる理由を、与えてもらえる……。


「…………プロデューサー、さん」


 それだけで十分。

 そのはず、なのに。


「……私、生きなきゃって思うのに、なんでこんな、空っぽなんでしょう……?」


 夢のような日々はあっけなく炎に巻かれて、今はみすぼらしく燻る灰として降り積もる。
 その只中で立ち尽くす魔法の解けた灰かぶり姫の声に、答えてくれる王子様はもう、どこにもいない。




【G-3(民家の近く)/一日目 黎明】


【十時愛梨】
【装備:ベレッタM92(0/16)、Vz.61"スコーピオン"(0/30)】
【所持品:基本支給品一式×1、予備マガジン(ベレッタM92)×4、予備マガジン(Vz.61スコーピオン)×5】
【状態:健康】
【思考・行動】
 基本方針:生きる。
 1:殺して、生き抜く。




  ▼  ▼  ▼


《Now/here》


「……ごめんね、美優さん。アタシ年下なのに、偉そうに説教しちゃって」
「……いえ、いいんです。私が、もっとしっかりしないといけなかったんです」

 手と手を取って、二人は走る。
 行き先は分からない。一寸先も、その更に先も闇。

 確かに彼女達は生き延びた。
 だけど、現実は何一つ変わっていない。何も見えない、何も分からないまま。

 だからきっと、これからもっと辛くなるだろう。

 それでも、今、ここにいる。だからこの瞬間を、ひたすらに生きるしかない。
 彼女達だけではなく、今を生きる誰もが、きっと。


【G-3(住宅地)/一日目 黎明】


【城ヶ崎美嘉】
【装備:コルトSAA"ピースメーカー"(0/6)】
【所持品:基本支給品一式、M18発煙手榴弾(赤×1、黄×1、緑×1)、.45LC弾×30】
【状態:健康】
【思考・行動】
基本方針:殺されたくはないが、殺したくない。
1:莉嘉を探す
2:美優さんを死なせたくない


【三船美優】
【装備:なし】
【所持品:基本支給品一式、不明支給品0~1】
【状態:健康】
【思考・行動】
基本方針:生きていたい
1:自棄になっていたけど、今は……


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三船美優
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最終更新:2013年01月13日 19:00