捧げたいKindness ◆D.qPsbFnzg
――私に出来る事はなんだろう。
私の中で、ぐるぐると渦巻いていた問いかけ。
ずっと遠い昔から――物心ついたときからずっと、私は答えを探していた。
病弱な妹のために、私に、私だけにできること。
幼い私には、一緒にいてあげることとくらいしか、思いつかなくて。
だから、私は、ずっとあの子と一緒に過ごした。
いつか、もっと、私に出来ることが見つかるだろうと信じて。
でも、その答えは、幾年が経っても見つからなかった。
妹を治せるように、お医者さんになりたいと思ったこともあった。
妹を見守れるように、看護師さんになりたいと思ったこともあった。
それでも、幼かった私は、健康に詳しいだけの、普通の女の子でしかなかった。
他に何も出来ないのかと、自分を責めた時期もあった。
考えて、悩んで、実践して、失敗して。
でもあの子は、ありがとうって言ってくれて。
だから私は、まだまだがんばれて。
そうやって、探して、探して、たどり着いたのが、アイドルだった。
外ではあまり遊べない妹と一緒に、私もテレビをよく観ていた。
それはあるとき。ふと観た番組に映った。アイドルの姿。
仲間と手を取り合って、お互いを信じ、決して諦めず、伝説にまでなったアイドルたち。
彼女たちの姿は、とっても眩しくて。今まで見てきたどんな人たちよりも、輝いていて。
そんなアイドルの仕草に、歌声に、ダンスに、一つ一つ――妹と、私。二人で心を躍らせた。
面白かったね、すごかったねと、二人で笑いあった時に、私は気づいた。
アイドルは、あの子の憧れで、
アイドルは、あの子を元気にして、
アイドルは、あの子を笑顔にした。
だから、私に出来る事は、アイドルだと、思った。
あの子の憧れになって、
あの子を元気にして、
あの子を笑顔にして、
そういうアイドルに、なりたいと、思った。
アイドルは、決して楽ではなかった。
でも、私は他の人よりも早く、陽の目を見ることができたと、思う。
プロデューサーさんの手腕は確かだった。
あの人と仕事をしていると、私も元気になれる気がした。
あの人に全てを任せられる、そういう存在だった。
そして、私がアイドルとして目指す目標は、いつしか大きくなっていた。
妹だけじゃない、私を見てくれる人は、もっと大勢いることを知ったから。
妹も、プロデューサーさんも、他のアイドルたちも、ファンの皆も、私の事を見ていてくれるから。
みんなの憧れになるような――
みんなを元気にするような――
みんなを笑顔にするような――
そんなアイドルに、きっと、なってみせると、誓った。
>>>>
薄暗く、けれど辺りを把握するに十分な照明が、建物の中を照らしている。
長い廊下を、小さな人影が、ゆったりとしたペースで歩く。
背中まである長い黒髪がふわりと揺れ、靴底が床を叩く音が響く。
少女は、楽屋からステージへ向かう通路のように、淡々と歩を進めていた。
ただ違うのは、遠くの喧騒が聞こえなくて、高揚感もなくて、
――彼女が、ぽつんと、一人きりだということだ。
ここは、総合病院の二階。
清潔感のある白い壁が、ずっと向こうまで続いている。
僅かに鼻腔をつく、薬品の匂いが漂う。
彼女は、病院は、嫌いではなかった。
白い壁に囲まれて、白衣を着て走り回る、そんな将来を夢見ていたこともあるくらいだ。
少なくとも彼女には、それなりに縁の深い場所に思えていた。
それでも、
「誰もいない病院って……こんなに怖かったんですね。
暗いし、静かだし、肌寒いし――。なんだか、健康によくなさそうです」
少女――栗原ネネは、悪寒に身を震わせずにはいられなかった。
彼女は、気づいているのだ。
いつもは、気づかないフリをしていたそれに。
病院という場所の持つ、死の香りに。
病弱な妹がいたために、無意識の下でその存在から目を逸らしていたのも、
健康に気を遣い、それから距離をとるように生活していたのも、
それが恐怖の対象であるという、証左に他ならない。
――今、彼女に与えられたこの場所では、死の存在はそれまでとは比べ物にならないくらいに大きく、
それは、彼女の喉笛を噛み千切らんと、すぐその背後まで迫っている。
「殺し合い、なんて。どんな悪夢でだって、見たことないのに――」
足を止め、華奢な身体を両腕で抱える。
この場で意識を戻してから、ずっと、頭の中をぐるぐる回る感情。
戸惑い。恐怖。不安。身を切るような、心の痛み。
囚われの身になっているであろう、プロデューサーの姿が、頭に思い浮かぶ。
椅子に縄で縛りつけられ、身動きもとれず、それでも私の身を案じてくれている――。
痛々しい想像をしてしまった自分を、思わず叱りつけたい気分だった。
思わず、泣き出しそうな表情になる。
自分が辛いだけなら耐えられるのに、あの人や、妹のことを思うだけで、ひどく悲しい気持ちになった。
駄目だ。こんなことでは、いけない。
このままでは、心が沈んでいく一方だ。
身体を抱えていた腕を下ろして、拳をぎゅっと握った。
廊下の窓に、向き直る。
窓ガラスに映る自分の顔は、暗く憔悴しているように見えた。
『笑顔でいると、寿命が延びるって言いますし、ねっ』
自分があの人に言った言葉を、思い返す。
あの人はそれを聞いて、笑ってくれた。
今、その言葉は、自分にこそ、必要なものなのだろう。
いつも心がけている、皆に癒しの笑顔だと褒めてもらえる、そんな笑顔を作ろうとした。
――だが、出来たのは歪んだ笑顔だった。
いや、それはきっと、誰が見ても笑顔には見えなかった。
彼女は、――笑えなかったのだ。
窓に映る、自分の首のチョーカー……首輪が目に入って、
嫌でも、あの教室での出来事がフラッシュバックして、目の前が真っ赤になって、
それだけで足も震えて、汗が出てきて、視線が定まらなくなって――
どんなに気を強く持とうとしても、
怖いという気持ちは、少しも消えなくて。
どうしよう。死んでしまったら。
それがとっても、怖くて。
深く、深呼吸をする。
恐怖を振り払うように、ぶるぶると頭を振った。
このままじゃいけない。
怖がっているだけじゃ、何も始まらない。
アイドルは、皆を元気にしなきゃいけない。怯えていたって駄目なんだ。
辛い時、大変な時、いつだって考えてきた。自分の一番安心できる立ち位置。
――私に出来る事はなんだろう。
その問いかけだけが、彼女を支えていた。
この、恐ろしい場所で、自分が、
栗原ネネが出来ること。
それは、変わらないはずだから。
皆の憧れであるために。
皆を元気にするために。
皆を笑顔にするために。
それだけを考えていれば、いつもと同じだ。
死ぬことなんて、考えてはいけない。
考えていい事は、一つだけだ。
彼女は、栗原ネネは、自分の出来ることを――
……
窓に映る自分の視線が、揺れた。
身体が、硬直したまま動かない。
心も、奮い立たそうとしても、動かない。
何分、経っただろう。彼女の表情は、少しも和らがない。
「駄目……駄目……! 何も、何も……!」
思わず叫ぶと、両手で顔を覆った。
駄目なのだ。
わからないのだ。
出来ることは、あるはずなのに、
どうありたいかは、はっきりしているのに。
あんなに真っ直ぐに見えていた道なのに、
その行き先が、濃い靄の中に溶けてしまって、見えない。
この、殺し合いの舞台で。
この、与えられた世界で。
アイドルとして出来ることなど何も無く、自分の全ての行動は、
誰かの、笑顔を、元気を、奪ってしまうと、感じてしまっていた。
殺し合いに乗ってしまえば、その血で穢れた身でステージには二度と立つことはできない。
それは、アイドルの自分を応援してくれた妹、自分をここまで育ててくれたプロデューサー、ファンの皆への、裏切り。
人に元気を与えたい、そんな想いでアイドルになった彼女には、彼らを悲しませることなどできない。
それに、自分が他のアイドル達を殺すなんて、想像だってしたくない。
彼女たちに申し訳なくて、彼女達を待っていた人たちを悲しませたくなくて――
その人たちの笑顔を、元気を、奪ってしまうことなんて、できる筈も無い。
だから、自分は、誰かを殺すなんて、きっと出来ない――。
殺し合いに反逆すれば、彼女のプロデューサーの命は断たれてしまうことになる。
間接的にとはいえ、あの人を殺してしまうことになる。
ここまで自分を導いてくれたあの人を。妹と同じくらい、大事に思っているあの人を。
そんな道は選択、したくない。いや、できない。できるわけがない。
それだけの重みを背負う、そんな覚悟など、15歳の彼女にはできるはずもない。
それに、仮に足掻いたところで、自分にも待っているのは死だけだという気がしていた。
自分の命は、あの人の手の中にある。それこそ、今すぐにでも首輪を爆破されるかもしれないのだ。
他のアイドルだって――もちろん、手を取り合うことのできる人もいるだろうけれど、
きっと、中には、この殺し合いに乗ってしまう人だっていて、その人を相手にする覚悟なんて、きっと半端な気持ちでは出来ない。
そんなことで自分が死んでしまったら、妹も、あの人も、ファンの皆も、自分を待っている全ての人を悲しませてしまう。
自分が笑顔にしたい人たち。元気にしてあげたい人たち。彼らがいるから、こんなところで死ぬわけにはいかない――。
>>>>
彼女は、癒しの女神とさえ呼ばれた。
にこりと微笑めば、全ての人を笑顔に出来た。
その歌声は、全ての人に元気を与えた。
でも、それは、そんなものは、この場所で、栗原ネネという個人を支えるには、ひどく不安定で、脆い。
彼女は、自分の取りうる行動の全てが、彼女の想いに基づいたものだとしても、
決して、この場所では、それが想いを叶えてくれるはずが無いと、気づいてしまっている。
出ない答えを延々と求め続ける。
彼女は天井を見上げた。
胸に当てた両掌が、自分の鼓動だけを刻む。聞こえる音は、それだけだ。
白く薄暗い世界で、スポットライトのような照明の下、
15歳のアイドルは問われている。
――君に出来る事はなんだ?
「出来ないこと、ばっかり、なんです。
私には、何が、出来るんでしょうか――?」
今まで繰り返してきた問い。
それに対する答えは、今は霞んで見えない。
誰かを傷つけなければ、何かを切り捨てなければ何も出来ない、それがこの殺し合い。
どの道を進むとしても、アイドル・栗原ネネの想いは、穢されてしまう。
皆の憧れである、皆を笑顔にする、皆を元気にする、その想いの欠片を、
――割り切るには、切り捨てるには、彼女はあまりに、優しすぎた。
誰かのために出来ることを探し、そのためにアイドルとなった彼女は、
見失ったその道を、手探りで探し始める。
その手を引いてくれる人は、その姿を見ていてくれる人は、ここには、いない。
【G-3(総合病院)/一日目 深夜】
【栗原ネネ】
【装備:なし】
【所持品:基本支給品一式×1、未確認支給品1~2】
【状態:健康】
【思考・行動】
基本方針:自分がすべきこと、出来ることの模索。
最終更新:2012年12月12日 19:51